13.先輩から後輩へ
完封だった。
「はあっ……はあっ……」
第三体育館の一角。
赤いラインで区切られた一辺15メートルほどの正方形の中で二人の少女が対峙していた。
いや、対峙していたというのは正確ではない。
二人のうち片方――天澄サクラは四つん這いになって荒い息をつき。
もう片方の少女、黄泉川ココは汗ひとつ流さずに見下ろしている。
稽古をつけてあげる、と言われたのが30分前のこと。
それからこの第三体育館に連れられ、体操服に着替えて始まったのは模擬戦だった。
『一度でも攻撃を当てることができればあなたの勝ち。ああ、私はクオリアを一切使わないから』
いくらなんでもそれは、と思いはした。
しかし相手はあの最条キリエに次ぐ実力の持ち主――つまり学園都市におけるNo.2だ。それくらいでないと勝負にならないのだろう。
それでもサクラは勝つ気だった。
そうは言っても、いくら何でも。
一撃くらいなら当てられるはずだと考えていた――が、しかし。
サクラの雷の矢はかすりもしなかった。
「こんな、に……当たらないなんて……」
がむしゃらにクオリアを使い続けたからか、体力が著しく低下している。
靄のかかったような頭で、ココの顔を見上げる。
クオリアの使用を示す彼女の瞳は一度として輝くことは無かった。
至極冷静に、そして何気なく――その名の通り雷のごとき弾速を誇る雷の矢を、最小限の動きで躱しきったのだ。
ミズキですら回避には全力を出しているように見えたのに、ココは読心ができる思念のクオリアを使うことなくサクラの動きを読み切った。
項垂れるサクラに、ココはゆっくりと近づいてくる。
「あなたの技、速さも威力も一年生としては大したものね。でもそれ一辺倒なら対処は難しくない」
「今は”雷の矢”しか考えられなくて……あの、やっぱり矢だけじゃ駄目でしょうか」
「お勧めはしないわね。……ねえ、その技ってキリエの真似よね」
「わ、わかるんですか?」
ココは少し呆れたように笑って、
「わかるわよ。というかフォームからなにからあの子と同じだもの」
よくよく考えればココはキリエと同じ生徒会役員だ。
サクラよりも彼女に近い位置にいる。当然サクラよりもキリエのことはよく知っているだろう。
憧れを見抜かれたようで、サクラは少し赤面する。
「……恥ずかしいです」
「ああ、バカにしてるとかじゃないの、むしろ人の真似はイメージを鮮明にしやすくなるからアリ」
いわく、クオリアの力はイメージの鮮明さに比例するという。
そのイメージの輪郭がハッキリしているほど放つ力は強くなる。
「でも矢だけじゃ通用しない。特にこの学園の生徒はみんな優秀だから、最初は通じてもすぐに見切られてしまうでしょう」
「はい、その通りだと思います」
ミズキとの模擬戦。
さっきのココと同じように、雷の矢をことごとく見切られ完敗した。
あれは前に行われた、学園都市追放をかけたサクラとアンジュの戦いを見て対策したのだろう。
「矢が悪いんじゃないの。そうね……例えばあのお嬢様の技。すごく強力だったと思うけど、例えば岩をひとつずつまっすぐ飛ばしてくるだけだったらどうかしら」
お嬢様、というのはサクラが初めて戦った山茶花アンジュのことだろう。
複数の岩で攻防一体の領域を作り出す彼女の”衛星”は並の使い手では太刀打ちできない。
複数の岩を同時に操り敵の回避ルートを狭める攻勢は、一年の中では上澄みと呼べるレベルの強さ。
だがココの言う通り、単純に相手に向かって岩を飛ばすだけの攻撃しかしてこなければ……。
「それは……私でも簡単に避けられると思います」
「そうね。それは『相手がどう攻めてくるか』に脳のリソースを使わなくていいから回避に専念できるのよね。だけど単純な話、右から攻めるか左から攻めるかわからないだけでも相手を揺さぶれる。揺さぶれば反応は遅れるし、攻撃も当たるというわけ」
「じゃあ色んなパターンを用意しないといけないってことですね!」
サクラは楽しそうに頷く。
担任の先生だってここまで丁寧に教えてはくれない。というかこの学校は生徒の自主性に任せる校風なので、わざわざ口出ししてこない。
初めて会っただけの後輩に親身になってくれるこの先輩はとてもいい人なのだと思った。
「うん、その通り。だから色んな技を――――」
「色んな雷の矢を使えるように練習してみます!」
「いやそうじゃなくて……まあいいけど」
最初からいろいろ手を出そうとしてもパンクするだけだ。
まずは雷の矢に絞って鍛えるのも悪くはないだろう、と考えたココは、
「じゃあちょっと矢を構えてみて」
「こうですか?」
言われた通り、いつもの構えを取る。
人差し指と中指を束ね、真っすぐ前方へと突き出す。
すると、ココがサクラの後ろに回って密着してきた。
薄い身体から確かな柔らかさが背中から伝わってくる。
(ち、近いよ~!)
どぎまぎするサクラに気づかないココはさらに発射口たる手に自身の手を重ねた。
クールな印象に反して肌触りは温かく、ますます身体がこわばってしまう。
「この構え。指先から発射するのが丸わかりなのよ。だから指の向きだけ見てれば回避が間に合ってしまうの」
「~~……!」
「聞いてる?」
首を傾けて、顔を覗き込んでくる。
近い。近すぎる。彫像がごとき美貌が目前にあって、サクラの脳内はパンク寸前――だが。
ここまで親身になってもらっているのだから、真剣に聞かなければ! と気合いで理性を取り戻す。
「は、はい! つまり、ただ発射するだけじゃなく工夫しないとってことですね!」
「そう。いい子ね。例えば、指先から出すと見せかけて別の場所を発射点にするとか、タイミングをずらしてみるとか、軌道を曲げてみるとか――まずは矢を手足みたいに操るところから目指してクオリアに慣れていくのがいいと思うわ」
「なるほど……」
「出来るようになるまでひたすら反復練習よ。練習で出来ないことが本番で出来るわけないんだから、できないことをできるようにするためにはひたすら練習と実践と座学の繰り返しで……」
と。そこまでまくしたてて、ココは押し黙った。
どうかしたのかな、と思って顔をよく見ると白い頬が赤らんでいる。
「……ごめんなさい、ぺらぺら言い過ぎたわ。後輩に指導するというのが実は初めてで、ちょっと……浮かれてたみたい」
「ふおお……先輩、可愛いですね!」
「やめて。茶化さないで」
「なんでですか!? あたしは本気ですよ!」
ぎゅう、とサクラが抱きしめると少しだけ抵抗して諦めた。
唇の端はわずかに緩んでいて、どうやらまんざらでもないらしい。
「もう、暑いから離れて。あと汗だく」
「うっ……はい」
素直にぱっと身体を離すと、ココは少しだけ物足りなさそうな顔をしてこほんと咳ばらいをした。
ぐいぐい来られると困るがちょっと嬉しい。そんな塩梅らしかった。
「もうそろそろ下校時刻ね。最後に大切なことを教えてあげましょう」
「はい……!」
改まった物言いに、サクラは正座したくなるがさすがに目立つので姿勢を正すに留めた。
そんな姿を、ココは複雑な気持ちで眺める。
この子はあまりにも無防備すぎる。人に備わっているはずの防衛本能がない――もしくは抑えつけている。
そんな不自然さが実戦での敗北に繋がっているのかもしれない。
(首を突っ込み過ぎかしら、ね)
それでも。
その無防備さは少し好ましくもあり。
だからココは、サクラの成長を見てみたくなってしまった。
「反復練習は大事とは言ったけど、クオリアを強くする一番大切な要素は、信じる心」
「信じる……?」
少しでも自分を肯定できるように。
先輩として、大切なことを伝えようと思った。
「クオリアは認識の力。個人の認識によって世界を歪める力なの」
例えば、サクラの雷のクオリアの場合なら。
指先から雷が出ると信じることによって、『指先から雷が出る世界』へと世界のありようを歪める。
それがクオリアの力だ。強く信じれば信じるほど、世界は強く、思い通りに歪む。
「だから自分の可能性を自分で否定しちゃダメ。クオリアは常識に囚われないほうが絶対に強くなるから」
もちろん個々人のクオリアから逸脱しすぎた歪め方はできない。
しかし、本人が思っているよりクオリアにできる範囲は広い。
その点でも信じることが肝心だ。できないと思う前に、できると思いこむ。
それがクオリアの解釈を広げることに繋がる。
「つまり大切なのはイメージすること。『力をうまく使っている自分』を強くイメージすること――つまり、自分を信じること。肯定すること。それこそがクオリアを強力にするの」
なるほど、とわかったようなわかってないような顔で頷くサクラ。
自己を肯定すること。それはクオリア関係なく、彼女には一番必要なことだろうと思った。
だからココはあくまでも真摯に伝える。この明朗で儚い少女が、強く立っていられますようにと。
(――――まったく。どうしてほとんど初対面の子にここまで入れ込むことになったのかしらね)
そんな自分に呆れつつ、顔には出さずに内心笑った。
結局のところ。黄泉川ココは、強力なクオリアを悪用する気も起こさないような、根っからの善人だったというだけの話だった。
黄泉川ココ
特技:暗記
全校生徒の顔と名前、クオリアを覚えている(このせいで余計怖がられている)