127.氷晶、翳り無く
氷のクオリアの使い手、リッカが生み出した氷山に飲み込まれる。
試合開始直後、数十メートル四方の試合場には静寂と身を切るような冷気が舞い降りていた。
「こんなもん? 最条学園の子って」
がっかりや、とでも言いたげなリッカは氷牢を冷えた目で見据える。
開幕から一気に氷で飲み込み、仕留める。身体の弱いリッカが好むこの戦法は、これまで様々な相手を打倒してきた。
何しろ冷気の波及するスピードが尋常ではない。凍り始めた、と認識した直後にはすでに身動きが取れなくなっているのだ。
だから今回もこれでおしまい。
あっけなかったな、と勝利の喜びよりも落胆を強く感じた表情でリッカは踵を返そうとし――未だ試合終了の判定がされていないことに気づく。
「……まさか」
氷牢を良く見る。
青白い氷塊の、その奥。
そこには淡い輝きから発せられる、赤熱が垣間見えた。
「っだああーー!!」
がしゃん! と氷山を砕き、サクラが飛び上がる。
その右手には雷爪。あの電熱で周囲を溶かし、切れ味でもって氷による拘束を突破したのだろう。
無意識のうちにリッカは口元に笑みを浮かべる。
「前言撤回するわ、さすがや! でも空中じゃどうにもならんやろ!」
リッカの足元から、今度は氷の巨腕が伸びる。
空中に飛び出した無防備なサクラを捉える腹積もりだ。
空中で攻撃を回避するのは難しい。所持しているクオリアにもよるだろうが、人間は普通空中では動けないのだから。
だがサクラは普通ではない。
これまで培ってきた力なら、これくらい切り抜けることができる。
「磁力!」
突如としてサクラは空中を跳ね、氷の腕を紙一重で躱した。
驚愕に目を見開くリッカを見据え、そのまま再度虚空を蹴って接近を試みる――が、
「おわっ」
ぐるん、と身体が回転する。
磁力の調整を誤り、足を踏み外したのだ。棒磁石の同極を近づけようとしたら、反発によって片方が回転してしまったような形。
今までは上手くいっていたのになぜ――と混乱する頭で考える。
これまで磁力を実戦で使ったのは、エリを助けるとき、そしてハルを傷つけたアンノウンを追撃した時。
どちらも命が懸かっていて、そして錯羅回廊での戦いだった。
その要素がどれほどクオリアのコントロールに作用していたのかは定かではないが、少なくとも今はあの時ほど精密には扱えないらしい。
「それ、でもっ!!」
体勢を崩しながらも、サクラは三条の雷の矢を放つ。
この状況でも使い慣れた技なら問題ない。
凄まじい速度の矢はそれぞれ一直線にリッカへと向かう。
「その程度じゃ破れんで!」
だが、その目前。
空中に生じた雪の結晶を象った氷の盾が三つ生成され、雷の矢を防ぐ。
威力に押され、砕け散ったもののリッカには傷ひとつない。
「げほっ」
空中で何とか体勢を立て直したサクラが着地したその時、リッカが咳をひとつ落とす。
びくりと硬直するサクラを、リッカは鋭い目で睨み付ける。
「……なんでも無い。躊躇わんといてや、はは――こんなに楽しいんやから!」
一転、心の底から楽しそうな笑顔を浮かべたリッカは全身から猛吹雪を発した。
痛みを感じるほどの冷気に触れた瞬間、サクラの全身が凍り付いていく。
(あっという間に身体が固まる……! なら!)
心臓から全身へ。
細い雷の糸を通していくイメージを思い浮かべると、サクラの全身が発光し身体中に降りた霜が溶けていく。
纏雷。
電流によって筋肉の駆動を加速し、身体能力を大幅に上げる技。
今回はその電熱によって冷気を防ぐ目的も兼ねている。
「…………ふッ!」
行く手を阻む猛吹雪を貫くように、サクラは一筋の雷となって突進する。
しゅう、と熱したフライパンに水を垂らしたような音の直後、リッカへと肉薄した。
刹那、透き通るような青い瞳と視線がぶつかる。
笑みが浮かぶその頬に、焦燥を含む汗の雫が伝った。
「十条装填!」
サクラの周囲に十本の雷の矢が生じ、その右腕へと渦を巻くように集まっていく。
その様を目の当たりにしたリッカは再び結晶の盾を生成した。
明らかに先ほど防いだ矢の何倍もの威力を誇る攻撃に対して、さらに分厚く巨大な盾を。
「返り討ちや……はあっ!?」
リッカは驚愕の声を上げる。
眼前の雷の矢がサクラの腕から逸れ、あらぬ方向へと飛んでいく。
その光景に気を取られ――直後、サクラまでもが突如として跳躍する。
フェイント。雷の矢の装填タイミングをずらすことで、相手の防御に対応したのだ。
頭上を飛び越え、背後へ着地。
同時にUターンしてきた矢がサクラの腕へと収束した。
「だあああっ!」
雷拳が背中に直撃した。
凄まじい威力と電熱――アーマーと、そしてとっさに張った氷の膜があってもなお背骨がへし折れそうな衝撃にリッカは一瞬呼吸を忘れる。
だが、
「タダでは……食らわん!」
その背中から冷気が爆発した。
サクラの身体を占める電熱をも鎮静化させてしまうほどの低温で、今しがた痛打を食らわせた右腕が一瞬で凍り付いた。
「なっ……」
慌てて飛び退り、凍り付いた右腕の調子を確かめる。
力が入らない。纏雷も、凍り付いた部分に行き届かず溶かすことができない。
だらんと垂れた右腕は、完全に機能を失ってしまったようだった。
「凍るってことは分子が止まるってこと」
ゆらり、とリッカがこちらへ振り向く。
「その腕はもう動かん。少なくともしばらくはな」
アーマーがあるし壊死とかの心配はせんでいいから安心しい――と。
獰猛な笑みを浮かべるリッカは、その足元から冷気を広げていく。
「うちの氷のクオリアは何でも凍らす。その”完全凍結”は消耗が激しいんやけど――あんた相手に手加減なんて言ってられんからな」
ずきずきと凍結した右腕が疼く。
これではただの重りだ。
左手に雷爪を発動し無理やり破壊することも考えたが、その場合間違いなく腕は無事では済まないだろう。
アーマーでのダメージ軽減を加味しても雷爪の威力では血みどろになるのは避けられないし、そうなれば結局腕は使い物にならなくなる。
そもそもそこまで負傷すれば残りの合宿にも影響が出てしまう。
ここにはハルがいないのだ。魔法のように怪我は治らない。
ならもう右腕は諦めるしかない、と方針を決めかけたサクラの足元に、黒い影が差す。
とっさに見上げると、頭上に巨大な氷塊が出現していた。
「潰れろ!」
リッカの降ろす手に釣られるようにして、氷塊が落下する。
泡を食ったサクラは全力で地面を蹴り、ギリギリで回避する――背後の床に落下して起きた地響きに背筋が冷たくなった。
しかしその眼前。サクラが跳んだ先に、三振りの氷の剣が待ち受けている。
「……くうっ」
絞り出すような声を上げ、反射的に磁力を発動させると横薙ぎの剣を飛び越える。
だが残りの二振りのX字を描く袈裟切りは避けきれず、両方の肩口が切り裂かれた。
凄まじい氷の生成スピードだ。
何度も氷のクオリアを使用し、試合場内が冷気で満たされているからこその速さなのだろう。
だが感嘆しているばかりでは負ける。
この氷の世界を突破して、リッカへと攻撃を届かせなければならない。
(…………もっと速く)
ぱちぱち、と火花が散る。
身体を満たす雷がその光度を上げていく。
(リッカちゃんの氷より、速く!)
電光が奔る。
雷の尾を引いて、サクラはさらに加速した。
「この速度……!」
リッカは思わず目を剥く。
すでに試合場はリッカが生成した無数の氷塊で砦のごとき様相を呈している。
それらの氷塊はリッカの意志に応じて動き、変形し、侵入者を撃退する。
しかし今のサクラはその氷の防衛をくぐり抜け、一気にリッカへと距離を詰めていく。
(腕が動かない、なら……あたしの得意技で決めます!)
周囲の氷塊が無数の腕に変形し、サクラを捉えようと殺到する。
だが、瞬きの間に放たれたサクラの回し蹴りがそれらを砕き割り、すぐさま直上へと跳躍した。
「ありったけの雷を!」
空中に生成した無数の雷の矢が寄り集まり、巨大な矢へと変貌する。
それはもはや城壁を破壊する槍だった。
「は――撃ち落としたるわ!」
リッカもまた、心の底から楽しそうな笑みを浮かべてクオリアを躍動させる。
周囲の残った氷が集まり、サクラの槍に負けず劣らずの氷の杭を作り出す。
二つの切っ先がまっすぐに向かい合う。
今すぐにでも発射され、決着がつく――その時だった。
「げほっ、かは、ぐ……!」
リッカが膝をつく。
その手は自らの心臓を押さえるように握りしめられている。
発作。
ダメージを受け、さらに全力でクオリアを行使し続けたことが負担になったのだ。
「あ――――」
その有様を見た瞬間。
サクラの戦意は喪失した。
こんな雷を食らわせればいくらアーマーがあってもリッカへの負担は計り知れない。
サクラの構えた雷の矢はあっけなく霧散する。
だが。
「なに、してんねん」
地獄の底から響く声は、リッカからだった。
「まだ決着ついてへんやろ!!」
怒号が響く。
病魔に蝕まれるリッカは、それでも戦意を失っていなかった。
もはや殺意とも呼べる意志を込めた視線がサクラを射抜く。
「ああああああっ!」
咆哮と共に氷の杭が放たれる。
一直線に射出されたそれを防ぐ術は無く。
サクラに正面から直撃し――アーマーを完全に破壊した。




