121.情緒フリーフォール
「はあはあ……やっとついた……」
あれから10分余り。
施設内を迷いに迷ったサクラはようやく目的のラウンジにたどり着いた。
夜ということもあってかムーディなライトに彩られた、雰囲気のある場所だ。
合同合宿に参加している他校の生徒、カガリから『話がある』と呼び出されたのはいいが、これでは面目が立たない。
入浴時間までそこまで余裕がないのに……。
サクラは汗を拭うと改めてラウンジをよく見まわす。
だがカガリの姿はそこには無かった。
「あれ、誰もいない……どうしよ、場所間違えたとか? それとも怒って帰っちゃった?」
やばいやばい、とその場でわたわたと足踏みをする。
そうしているうちにSIGNで連絡すれば済む話だと気づき、ポケットからスマホを取り出した――ところで。
「はあはあ……やっとついた……」
「ひぃえ!?」
すぐ後ろから疲れた声がして飛びあがる。
慌てて振り返ると、前髪を汗で濡らしたカガリがそこにいた。
「どどどどうして後ろから!?」
「えぅ……ま、迷っちゃって……」
「なるほど……ここって広いですし今日初めて来ましたもんね」
「う、うん」
「えっと……」
「……………………」
沈黙。
カガリはひたすら足元を見つめるばかりで何も口にしない。
なんとなく、前途多難な予感がした。
* * *
とりあえず二人でソファに座り、再び沈黙。
サクラが隣に座るとひとり分距離を空けられた。若干傷つく。
薄々気づいてはいたが、どうやらカガリは重度の人見知りらしい。
「それで、どうしてあたしを呼んでくれたんですか? 話っていうのは?」
「えっと……そのう……」
口ごもるカガリは物理的に手をこまねいている。
言いづらい話なのだろうか。
……とはいえ。
何の話かはだいたい察しがついているのだが。
「リッカちゃん」
「……っ!」
「の、話。ですよね?」
にっこりと笑顔を向けると、カガリはいくらか警戒を緩めたのか、ぶんぶんと首を縦に振った。
さすがのサクラにも想像は出来た。カガリは今日出会ってから幼馴染だというリッカのことばかりだったからだ。
「う……そ、そう。リッカの話」
そう呟いてしばらく黙りこくったかと思うと、勢いよくこちらを向き、深々と頭を下げた。
「きょ、今日はリッカを助けてくれてありがとう!」
「いやそんな、あたしは何にもしてませんよ。ただリッカちゃんを見つけただけで……医務室に連れて行ったのはカガリちゃんだったじゃないですか」
むしろあそこで医務室へと連れていけなかったのが後悔として残っている。
運よくカガリが近くにいた――おそらく彼女もリッカを探していたのだろう――ことで助けることができたが、そうでなければ……仮に誰も近くにいなかった場合、どうなっていただろうとぞっとする。
だがカガリにとってはそうでなかったらしく、激しく首を横に振る。
「あ、あの時ね。目を離したらリッカがいなくなってて……頑張って周りに聞いても知らないって言われるし、SIGN飛ばしても返信ないし、とにかく走り回ってたら君の声が聞こえたんだ」
あの時、サクラはがむしゃらに叫んだ。
医務室の場所がわからず、ただ誰かに助けを求めるしかなかった。
「ぐったりしてるリッカを見て少し怖かったけど、君がついててくれて少しほっとしたんだ。だから、あ、ありが……と……」
尻すぼみな礼に、サクラは苦笑を返す。
「あはは、ただ必死だっただけですけどね」
「う、ううん。ああいう時って見て見ぬ振りする人も多いから、天澄さんは……その、すごい。と、思う。おもい、ます」
「……カガリちゃんはリッカちゃんのことがすごーく大切なんですね」
その言葉に、カガリは興奮気味に頷く。
さっきまでの落胆具合が嘘のような勢いだ。
「う、うんっ! そうなの、リッカは昔から明るくてこんな私と仲良くしてくれて、すごく綺麗でかっこよくて……だから私はそんなリッカのことを近くで支えたいって思って……たん、だけど」
だがその勢いはどんどん弱まっていく。
浮き沈みが激しいというか、テンションが持続しづらいらしい。
「何かあったんですか?」
「そ、その、ここ最近はちょっと距離を置かれがちというか、私が近くにいるの、嫌がられてるっていうか、もしかしたら鬱陶しがられてるのかもしれなくて……そうだよね、こんな私なんて……」
「ま、まあまあ」
「はっ。ご、ごめんね。気を抜くとすぐネガティブに……リッカにも口を酸っぱくして言われてるんだけど。『あんたはまず背筋を伸ばしい!』って」
などと言いつつカガリの背中は丸まっていく。
そうとう落ち込んでいるらしい。何とか元気づけてあげたいが、かける言葉が見つからない。
「今日も発作が起きて辛かったはずのに私に一言も言わなかったでしょ。すごくショックだった……」
「それは……」
サクラは知っている。
医務室でカガリが席を外した後、リッカは言っていた。
――――カガリとは割と昔から知り合いでさ。まあそのころからうちは病弱で心配かけとったんやけど……それが嫌やってん。
――――頑張ってれば身体も強くなるやろうし、そういうところを見せてればあいつも心配せんで済むやろと思ったんや。
「リッカちゃんは……」
「い、いいいや、いい! 聞きたくない!」
「そんなご無体な!」
脱兎のごとく逃げ出そうとするカガリの腕を間一髪で掴み取る。
良くも悪くも行動力のある子だ。
こうしてサクラを呼び出したのもそうだし、今もかなりの瞬発力だった。
腕を掴まれて驚いたのかカガリの身体から力が抜ける。
ふるふると震えるカガリの目尻に涙が溜まった。
「……私はきっと用済みなんだよおおお……自分でもわかってる、こんなうじうじした奴と一緒にいたくないって、さっさと縁切りたいって思うのは普通だもん……小1の時のクラスメイトのミミちゃんとか小5の時隣の席だったアラシちゃんも同じこといってたもおおん……」
「だ、大丈夫ですから! リッカちゃんそんなこと思ってませんから! カガリちゃんに心配かけたくないって言ってましたからー!」
ぴたり、と震えが止まる。
「……ほんとに?」
ぶんぶんぶん、とヘドバンしてやる。
するとカガリの血の気の無い頬に赤みがさした。
「そ、そっかあ。良かった」
「……はい……ぜえ……あたしも……良かったです……」
訓練の疲れに上乗せされた疲労がどっと肩に乗る。
ここまで振り回されることは、サクラ的には経験がなかった。
「で、でも心配するなって言われたって無理だよ。どうしたって気になるし、元気かなって思うもん」
「そう、ですね」
その言葉に、亜麻色の髪を真っ赤なリボンで結った少女――柚見坂ハルの顔が浮かぶ。
彼女はいつだってサクラのことを心配してくれた。その気持ちに応えたことも、裏切ったこともある。
だからサクラは――リッカとカガリの関係を、他人事だとは思えなくなってしまった。




