119.どーせーっちゅーねん
「んもー、だから大げさやって言うたのに」
医務室のベッドに寝かされたリッカはそう言って笑った。
……少なくとも『大げさ』には見えないような有様だった。
太陽のような笑顔にも、力がない。
「あ、あれほど無理はしないでって言ったでしょ。この合宿だって私はずっと反対して――――」
「あーはいはいわかったわかった。うちが悪うございましたー」
「と、とりあえず喧嘩はやめましょう?」
ね? とサクラが笑いかけると、二人は揃ってそっぽを向いた。
リッカに起きた発作は、今は治まっている。身体に降りていた霜もカガリが彼女を抱き上げて運んでいる間にいつの間にか消えていた。
「あの、リッカちゃん。もしかして体調が悪かったんですか? それなら教官さんに言った方が……」
「別に特別調子悪いわけちゃうよ。普段と変わらへん」
そう言われても、という感じだ。
助けを求めてカガリの方を見ると、おどおどと視線を彷徨わせつつ観念したように口を開いた。
「り、リッカは昔から身体が弱くて……無理するとすぐに発作を起こしちゃうんだ」
「カガリ! 言わんでええって」
「助けてもらったんだから言わないわけにはいかないでしょ……」
「……あほ。気ぃ遣わすやろ」
その口調は、もちろん憐れまれるのが嫌だというのもあるだろうが――口にしたことが主題なのだと、理解できるものだった。
気を遣わせる。幸いなことに健康優良児として生きてきたサクラにとっては想像が難しいが、それは周囲にどのような影響を与えるものなのだろう。
望まない目で見られることも、多かったのだろうか。
「ごめん……そろそろ救護士さん呼んでくるね」
気まずい空間から脱したかったのか、カガリはそう言って医務室を出ていった。
はあ、とリッカがため息をつき、沈黙が漂った。
「いやあ、最近はけっこう調子良かったから行けると思たんやけどなー! 天澄にも迷惑かけてごめんな」
リッカは陽気な調子で笑う。
おそらく普段の彼女はこういうテンションなのだろうが、今はどうしても空元気に見えてしまう。
どこか焦っているような――もしくは必死にもがいているような。
「それは全然いいんですけど……その、失礼なことを聞いてもいいですか」
「なんで身体弱いのにわざわざ合宿に参加したんかってことやろ?」
図星を刺されて押し黙るサクラに、リッカはからからと得意げに笑う。
そうして彼女は、あくまでも何でもないことのように……ただの雑談の一幕として、心中を語り始めた。
「カガリとは割と昔から知り合いでさ。まあそのころからうちは病弱で心配かけとったんやけど……それが嫌やってん。だからキューズにもなってみたし、この合宿にも参加した。頑張ってれば身体も強くなるやろうし、そういうところを見せてればあいつも心配せんで済むやろと思ったんや」
リッカはそっと目を伏せると寝返りを打ち、サクラに背を向けた。
顔が見えない。だが、どんな表情かは何となくわかる。
「……まあ、失敗してたら世話無いけどな!」
あはは! とリッカはあくまでも明るく笑う。
少なくとも、この場にはそぐわない笑い声だった。
* * *
医務室を出て、アリーナに戻ることにした。
夏の熱気がこもる廊下を歩いていると、倒れたリッカの姿が脳裏をよぎる。
少し休めば体調は元に戻る。今はリッカが別れ際に言っていたことを信じるしかない。
「リッカちゃん……」
外傷なら治すことができる。
心の傷も、治ることがある。
だが生まれつきの体質は?
本人の努力ではどうしようもない領域。
そして、サクラでは立ち入ることのできない問題。
トイレの床にうずくまったリッカの噛みしめられた唇からは一筋の血が流れていた。
どれほどの悔しさだったのだろう、サクラには想像もできない。
きっとリッカ自身にしか理解しえないことなのだろう。
「……天澄か?」
そうハスキーな声を投げかけてきたのは、プリン頭の気だるそうな白衣の女性――サクラの通う最条学園の養護教諭だ。
「新子先生! どうしてここに?」
「この合同合宿に招致されたんだよ。最条学園に勤務してるってだけで優秀だと勘違いされるのは困るねホント……ああ、氷室リッカのことなら話は聞いた。バイタルデータも貰ってるし……実際に見てみないと何とも言えないが薬を飲んで数時間休めば動けるようになるだろ」
「そう、ですか」
ぶっきらぼうな口調だったが、そこには確信があった。
サクラも何度かお世話になったから知っている。厄介ごとを避けたがっているようでいて、仕事に対しては極めて真摯な人物だと。
だからこそ、聞きたいことがあった。
(ううん、だめ)
そんなことで時間を取ってはいけない。
今はいち早くリッカの処置に向かってもらわなければ。
「ごめんなさい、引き留めてしまって! それじゃああたしは訓練に戻りますので、リッカちゃんのことお願いしますね!」
新子の横を通ってすれ違う。
その時だった。
「……気になることがあるなら後で来い。私は基本医務室にいるはずだから」
思わず振り返る。
新子はこちらを向かず、しかし緩く手を振って仕事場へと歩いていった。
「やっぱり優しいな、先生」
熱いお茶を飲み干した時のようにじわりと熱くなる胸を手で押さえると、サクラはゆっくりと走り出す。
今はまず自分にできることからだ。
* * *
一日目の訓練が終了し、参加生徒たちは食堂で夕食を摂ることになった。
各学校で優秀な成績を収めている、いわば精鋭たちだが、今はあまりの疲労でぐったりしている。
いつも背筋をぴんと伸ばしているアンジュでさえも覇気がない所を見ると、やはりかなり過酷な訓練だったのだろう。
「……ああっ、わたくしのカレーが」
「おっとと」
隣のアンジュがスプーンから落としそうになったカレーを、サクラは反射的に手で受け止める。
どうしようと狼狽えていると、アンジュがナプキンでふき取ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ。……それにしてもなかなかハードでしたわね……。訓練が終わった後に他の学校の方に模擬戦を挑むつもりでしたが、さすがにそんな気分になれませんでしたわ」
「他の子たちも疲れ切ってそうですからね……」
そういうサクラもひどく倦怠感に包まれている。
今日はもう入浴してそのまま寝てしまいたい――ところだが、やはり気になるのは……
「そういえばサクラ、貴女訓練中に集中を欠いていましたわね。それに途中で姿が見えませんでしたけれど」
姿が見えなかったというのは、リッカを医務室に連れて行った時のことだろう。
少し迷って、事情は説明しないことにした。
知り合いの個人的な事情を勝手に話すのは気が引けたからだ。
「それは、」
「天澄がうちを助けてくれてん」
え? と降って来た声に振り向くと、そこにはカレーとサラダの乗ったトレイを持ったリッカがいた。
予想もしていなかった闖入者に驚いたのもつかの間、サクラは思い出す。
(こ、この二人ちょっぴり険悪なんだった……!)
今回の合宿が始まる際、アンジュとリッカはちょっとした小競り合いを繰り広げていた。
そんなサクラの心配をよそに、当の二人は視線をぶつけ合うのだった。