115.行き先不明
花火大会から数日後。
学校で合同合宿の説明を受けたサクラは広い校内を歩いていた。
「話がぜんっぜん頭に入らなかった……」
大事な話なのはわかっているが、それ以上にサクラの頭の中を占めている事案がある。
それは、友人の柚見坂ハルのことを、どうやら好きになってしまったらしいということ。
いや正確には元から好きだったのを自覚したというような形なのだが、ともかく。
思春期真っ盛りのサクラは、思春期らしい悩みを抱えているのだ。
「……あとで資料とか読み直しておかなきゃ」
などと呟きつつ、サクラの頭はハルのことでいっぱいだ。
これからどうすればいいのか。
友だちと思ってくれている相手を好きになるなんて裏切りなのではないか。
そもそも好きになってどうしたいのか。
自分に誰かを好きになる資格なんてあるのか――などなど。
もう色々とメンタルが大変なことになっていた。
「ハルちゃん……」
胸がいっぱいになって、思わずため息をつく。
すると、
「どうしたの~?」
「へ? は、ええ!? ハルちゃん!?」
「うわびっくりした」
開いた口が塞がらない。
いつの間にかハルが真横にいた。
いきなりサクラが大声を上げたからか、わずかに目を見開いている。
「ど、どうしてここに」
「え? 私は保健室で業務したりレポート書いたりしてただけだよ。今は帰るところ」
最条学園はキューズ養成学校だが、治癒のクオリアを持つハルは特殊な立場だ。
その能力を使い、訓練などで怪我をした生徒を癒したり保健室の手伝いのようなことをしているらしい。
花火大会のあとすぐに退院したとは聞いていたが、こんなに早く復帰していたとは。
「えっと、身体は大丈夫なんですか?」
「うん、もう全然! これでも結構丈夫なんだ~。サクラちゃんはどうしたの?」
そう言って、何でもないことのように距離を詰めてくるハルに、心臓が跳ねる。
これは友達の距離だ。だが今のサクラには、到底冷静に受け止められる近さではない。
「あの、そのお……」
「ん?」
「な、なんでもないです! ちょっと他に用事があるのであたしはこれで!」
逃げた。
脱兎のごとく。
あっけにとられるハルを置き去りに、サクラはひたすらに走り続けるのだった。
* * *
「あたしってほんとに……」
逃げてどうするというのか。
真夏の日差しが降り注いで、ぼんやり輝くような街並みをとぼとぼ歩くサクラは暗澹たる面持ちだった。
このままでは新学期が始まってもまともに顔が見られない。
とにかく今は距離を取って、落ち着くのを待つしかない……後でSIGNからフォローを入れておくとして。
それよりも合宿だ。とにかく自分は強くならなければならない。
アンジュの言う通り、無力感は努力で打ち消せる。
ならばやはりこれは絶好の機会だろう。
「まあ、話は聞けてないんだけど」
サクラが合宿についてのメールを無視していたせいで、あまり日にちは残っていない。
とりあえず今日は資料を見ながら必要そうなものを買ってから帰ろうか、と思っていたところ。
「あっれ、サクラじゃん」
「え?」
すれ違いざまに声をかけられたので振り向くと、そこにはすらりと背の高い少女がいた。
オフショルダーのトップスにデニムを合わせていて、顔は大きいサングラスと頭に被ったキャップのツバで良く見えない。
「わかんない? ほら、ダイアだよ」
わずかに下ろしたサングラスから垣間見える整った顔立ちでやっと理解した。
人気アイドルグループ『LIBERTY』のリーダーを務めるダイア。
前に偶然知り合った少女だ。
「わあ、ダイアちゃん!」
「あ、ごめんけどボリューム抑えて。身バレする」
「おとと」
慌てて口を押さえる。
知名度の高いダイアは少し注目を引くだけで簡単に正体を悟られてしまう。
普段は今のように変装しているらしいが、それでも目立つのだ。
「どうしたんだよ、またそんなに落ち込んで」
「い、いやあ……あはは」
言いづらい。
友達を好きになってしまったことで顔を合わせられず、逃げてきてしまった――なんてこと。
この前の相談は初対面だったことと、深刻過ぎる悩みだったことが逆に背中を押してくれた側面がある。
ただこれに関しては本当に個人的なことというか、自業自得の面が強い。
だから助けを求めるのは気が引けたのだ。
「それよりダイアちゃんはどうしてここに?」
「ああ、今度ライブするハコの下見に行く途中だよ」
「ハコって、会場のことでしたっけ。っていうかライブ……あるんですね。知らなかったです」
「おう。あっ、もしかしてうちの公式アカチェックしてなかったな?」
「それはちょっと、最近忙しくて。ごめんなさい」
「あー冗談冗談。別にいいって、いろいろあるんだろうし」
ダイアは少し視線を落としサクラの制服と腕章を見つめる。
その瞳がどこか鋭く感じられ、まるで針で刺すようだった。
「ねえ、もし暇なら付き合ってくれない?」
「付き合うって、下見にですか?」
「うん。サクラなら構わないし、あと誰かと一緒に居た方が身バレしにくいんだよね。私を助けると思って、どうかな」
ここ数日のスケジュールを思い浮かべる。
特に今日やらなければならないことは無いし、暇と言えば暇だ。
それに自分が同伴することが助けになるのなら、特に断る理由は無い。
「いいですよ! 行きましょうか」
「ほんと? やったぜ」
白い歯を見せて子供のように笑うダイア。
何となく、彼女の人気の理由が少しわかったような気がした。
圧倒的なビジュアルと、親しみの持てる雰囲気――それはもう、人を惹きつけて仕方ないのだろう。
* * *
二人が訪れたのは学園都市にいくつも存在する多目的ホールだ。
多目的ホールと言ってもその実体は本来と少し違い、一つの建物に様々なホールがいくつも内包されていると言った形である。
LIBERTYはその中でもコンサートに使われるホールを使うことになっているらしい。
広大な一室の片側に舞台、それを取り囲むように無数の座席。
その二階席の最後列中心にサクラとダイアは座っていた。
「スタッフさんに言って通してもらうダイアちゃん、業界人? っぽくてかっこよかったです」
「そう? 正直今でも気持ち的には一般人の延長なんだけどね」
私自身、前はアイドルオタクだったし――とダイアは昔を懐かしむように目を細める。
その視線はステージへと注がれていた。
いつか応援していた誰かのライブを幻視しているのだろうか。
「結構遠いけど、ここからでもステージがはっきり見えるね。ステージ側からもお客さんの顔は後ろの方まで良く見えるんだよ」
「それは……いい話ですね」
「でしょ? ライブしてるとみんなのキラキラした顔が見えて私まで嬉しくなるんだ」
そう言うダイアの瞳も負けず劣らずきらめいていて、本当にアイドルが好きなんだなと実感できた。
ライブで誰かを喜ばせる。それは、少しキューズに似ている。
「サクラは最条学園の子なんだよね。じゃあキューズなんだ」
「えへへ、まだ駆け出しですけどね」
「……そう? わりと噂に聞くけどな。新進気鋭の選手だって」
すごいじゃん、と端的に称賛するダイア。
ダイアの言葉はいつもストレートで、だからこそ刺さりやすい。
だが、今のサクラはその言葉を正面から受け止めるのが難しかった。
「まだまだですよ。私はもっと強くならないと」
「そっか……。ねえ、サクラ」
改まった声色に、思わず瞬きを繰り返す。
ダイアはまっすぐサクラを見つめていた。
「サクラはキューズやってて、辛くなったりしないの?」
「え……」
「辞めたいって思わない?」
その問いに答えようとした。
そんなことはない、と。
だが喉が詰まって声が出ない。
そう、サクラは即答できなかったのだ。
あれほど望んでいたキューズになったというのに――間違いなくそこには、苦しみがあったのだ。