114.花に焼かれて落ちる雫
祭りを楽しむ楽しそうな声が聞こえる。
河川敷にはたくさんの出店が立ち並んでいた。
人混みの混雑具合は思ったほどではなく、サクラはひとりきりでとぼとぼ歩いていた。
(…………来ちゃった)
退院したその足で花火大会の会場を訪れた。
いつの間にか、という感じだった。
仲のいい人を誘ってと言われても、そんな気にはなれない。
周りを見てみれば仲睦まじく寄り添うカップルか姦しくお祭りを楽しむグループのどちらかで、サクラのようにひとりで来ている人は見当たらなかった。
本当なら、サクラも二人で来るつもりだったのに。
(あ…………)
訪れている人々の半数くらいは浴衣を着ている。
サクラはラフなタンクトップとショートパンツ。
そう言えば色々とばたばたしていて浴衣を買うのを忘れていた。
見せる相手もいないのだからこれで良かったのかもしれないが。
心残りがあると言えば、ハルの浴衣姿が見られなかったことだ。
「綺麗だっただろうなぁ……」
サクラは眩しそうに目を細める。
想像が及ばないくらいに想いが募る。
胸がいっぱいになって、思わずため息をついた。
「あら?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには浴衣姿の少女が二人。
クラスメイトの山茶花アンジュと、お付きのメイドが並んでいた。
「あ……アンジュちゃんと、マドカちゃん……」
「メイドです、天澄様。それでは私はこれで」
シュッ、という音がしそうなくらいに素早く、瞬きの間にメイドが姿を消す。
「余計なことを……」とアンジュが何やら首を振っていたが、こほんと咳払いをしてサクラへ向き直った。
その頬はあちこちの提灯のせいか、うっすらと施されたメイクのせいか、それとも別の理由か――うっすらと赤く染まっている。
アンジュはサクラのことが好きだ。
入学当初、取り巻きに見放された時に庇ってくれたサクラに惹かれた。
プライドの高さゆえこれまで素直になれずにいたが、しかし――今この時は絶好のロケーションである。
花火大会。そのうえメイドは気を遣って二人きりにしてくれた。
「んんっ……あなた、もしかして一人ですの?」
「あ、あはは……ええまあ」
だが。
面倒見のいいアンジュは、サクラの様子がいつもと違うことを感じ取ってしまう。
浮かれた気分は、すぐに霧散した。
「……なにかありましたの?」
「それは……」
言いよどむサクラ。
アンジュはあたりを見回すと、躊躇いがちに手を差し伸べた。
「人が多くなってきましたわ。ここで立ち止まっていると邪魔になりますし、とりあえず行きましょう」
「アンジュちゃん……はい」
浴衣の袖から伸びる白く細い手を取る。
少しひんやりして、しかしその奥に確かな体温が感じられる手だった。
* * *
「あの通り魔事件で柚見坂さんが!?」
アンジュが(サクラからすると)珍しく驚いて声を上げる。
あの事件はそれなりに話題になっているらしいが、被害者については伏せられていたようだ。
被害者は全員キューズということもあり未成年。不必要な注目が集まるのを良しとしないキューズ協会の方針なのだろう。
ハルを最後に通り魔事件がぱったりと止んだこともあり、すでに話題として風化しつつある。
「はい。その……今は意識を取り戻して、もうすぐ退院できるみたいなんですけど」
「そう……」
ほっと胸を撫で下ろすアンジュの様子に、やっぱりいい人だな、とサクラは思う。
頬を撫でるぬるい風が、二人の間を吹き抜けていった。
「激しい訓練をしていると生傷は珍しくありませんから、あの子には良くお世話になっていましたの。たぶんうちの学校で柚見坂さんに治療された経験の無い方は居ないのでは無くて?」
「……ええ、きっとそうですね」
治癒力を上げるのではなく傷を直接治すことのできるハルは、保健委員として八面六臂の活躍を繰り広げていたようだった。それこそ救護の道に進むなら引く手あまただろう。
サクラも何度も治してもらった。命を助けてもらったことだって何度もある。
「あたしは、ハルちゃんを守れませんでした」
「……あなたがどうにかできることだったのですか?」
違う、と理性は言う。
しかしそれでも納得はできなかった。
「わかってます。頭ではわかってるんです。いつもそばにいて何もかもから守るだなんて、そんなのは不可能だし、やっちゃダメなんだって」
だが同時にこうも思ってしまう。
例えハルに疎まれようと、そうするべきだったのではないかと。
「要するに、無力感に苛まれているということですわね」
「……あはは、そうですね」
「それならおあつらえ向きの話があります。あなた、『夏季合同合宿』には参加するんでしょう?」
「へ? 合宿?」
初めて聞いた単語だ、という顔をしていると、アンジュは深くため息をついた。
「あのね……夏休みが始まってすぐメールが来たでしょう。さまざまなキューズ養成校から優秀な戦歴を治めた一年生が集められる合宿だって。あなたは最条学園の一年ではわたくし以外で唯一のDランク生徒なんだから、呼ばれてるはずですわ」
「あ、あー……その時期はちょっと、連絡とか全部見てなくて……」
終業式の日にエリを失ったサクラは精神を病んだことで他人との関わりを断っていた。
その場で軽くメールをチェックしてみると、アンジュの言った通りのものが届いていた。
優秀な戦歴――とやらを治めていると、認められているのだろうか。
「結局、無力感は強くなることでしか払拭できません。わたくしがそうでしたもの」
「アンジュちゃん……」
「あ、ほら、もうすぐ花火が始まりますわよ。あのあたりが空いてますわ」
一緒に行きましょう。
そう言って笑顔で差し伸べられる手を、サクラはじっと見つめた。
細くしなやかな手。
おそるおそる手に取ると、わずかにびくりと震えたのがわかった。
お互いにゆっくりと握って、静かに歩き出す。
温かい。二人の体温が混ざる。
アンジュの優しさが伝わって来て、凍傷を起こしたような心が癒えていくのを感じる。
「ほら見て、上がりますわよ!」
珍しく無邪気な笑顔に釣られて空を仰ぐ。
ひゅるるる、と笛の音がして、光点が昇っていき――ぱっと大輪の花が咲いた。
はあ、と感嘆の吐息が隣から聞こえた。
遅れて、ドン! という重い音が振動となって胸を打つ。
矢継ぎ早にいくつもの花火が打ち上げられ、夜空が光の洪水で塗り潰されていく。
(…………ああ)
空いた手を胸に当てる。
鼓動は穏やかだ。
ハルと手を繋いだ時はあれだけどきどきしていたのに。
(ハルちゃん、違うんです)
仲がいい人と一緒に来たかったわけじゃない。
(あたしはハルちゃんと来たかった。この花火をハルちゃんの隣で見たかった)
天澄サクラは、他の誰でもない、柚見坂ハルを求めていた。
それはなぜか。
(好きだから)
一緒に居たいのも。
守りたいのも。
今そばにいないのがたまらなく寂しいのも。
(ハルちゃんのことが好きだから)
花火の音に揺らされた涙腺から頬に伝う雫を止めることはできなかった。
自分の気持ちも、止められなかった。
輝く夜空の下で、少女は初めて自分の気持ちを自覚した。