113.ビター・アフター・フェスティバル
転移機能による直撃の回避は間に合わなかった。
『はあ、はあ……くそっ』
最後の一撃を食らったことでボディスーツが悲鳴を上げ、あちこちがショートしている。
このぶんでは修理も難しい。おそらくは処分することになるだろう。
サクラの放った磁力列車砲はアンノウンに直撃していた。
しかし、その際に起こった大爆発の直前、何とか転移機能が発動し、現実世界へと帰還することができたのだ。
だが受けたダメージは大きく、身体がまともに動かない。
路地裏の壁に身体を預けつつ、何とか歩くのがやっとだった。
クオリア使いでもない自分があれほどの攻撃を食らっても生きているのはやはりこのボディスーツの効果だろう。
『天澄、サクラ』
怒りと、憎しみ。
荒れ狂う暴風じみた感情をぶつけられるのは苦しかった。
あれほどに敵意をぶつけられる子だとは思わなかった。
それだけ柚見坂ハルのことが――そして、彼女の口にしていた空木エリという少女に思い入れがあるのだろう。
『……それでも……』
目的のためには犠牲が必要だ。
何を踏みにじっても、罪のない子どもたちが搾取されない世界のために。
* * *
サクラの開けた錯羅回廊への入り口は開きっぱなしだったのだ――と。
あの後ココから聞いた。
『幸いだったのはあのゲートが適性のある人にしか見えなかったという点かしら』
あの時ハルの部屋にいた警備隊員からすると、突然サクラが消えたように見えたらしい。
ココは、襲撃されたのがハルだという報告を受けたことでサクラの行動を予測し後を追ってきたそうだ。
とはいえその予測が当たっているかに関してはあまり自信が無かったらしいが。
サクラ自身、普段と比べてもかなり後先考えない大胆な行動を取ったという自覚はある。
「…………」
病院のベッドに横たわり、クリーム色の天井を見上げる。
アンノウンを撃退した後、コントロールを失った自身のクオリアに全身を蝕まれかけたサクラはココによって助けられ、気を失った。
入院措置を取られたと知ったのは目が覚めた後だった。
勝てはしたものの全身の傷は治りきっていない。その時はハルが意識不明だった以上、すぐに傷を治せる者はおらず、別の治癒のクオリア使いに自然回復力を上げてもらったうえで通常の治療を受けることになってしまった。
お見舞いに来てくれた生徒会役員の先輩たちからは「心配していた」「無事でよかった」「今度からは相談してくれ」――などなど。
そんな温かい言葉の数々をかけられたサクラはただ落ち込むばかりだった。
相談すべきだった。ココが来てくれたからいいものの、あのままでは取り返しのつかない事態になっていたし、そもそもアンノウンに返り討ちにされたらどうするつもりだったのか。
「……やめよう。あんまり考えすぎても仕方ない」
サクラはベッドから起き上がり、着替えなどが入ったボストンバッグを肩にかける。
今日は退院日だ。あとは簡単な手続きを済ませて帰るだけ。
だが、その前に寄るところがある。
「ハルちゃん……」
スマホを取り出し、ブックマークしていたページを開く。
ハルが襲撃される直前に約束した花火大会の公式サイト。開催日の日付は今日だ。
約束してからいろいろあって、その上入院していたこともあってあっという間に当日になってしまった。
* * *
ノックをして、『は~い』という間延びした返事を聞いてから横開きの扉を開ける。
室内に置かれたベッドには、柔らかな笑顔を浮かべるハルがいた。
「いらっしゃい、サクラちゃん。今日退院だったよね」
「……はい」
サクラが搬送された後、ハルは目を覚ました。
他の被害者たちも同じく。
傷自体は軽いものだったので、もう大きな問題は無いらしい。
念のため検査が必要なのでもう少しだけ入院が必要らしいが、すでに問題なく立って歩ける程度には回復しているそうだ。
「私を襲った人、やっつけてくれたんだってね。ありがと。やっぱりサクラちゃんはいつもわたしを助けてくれるんだ……」
「…………っ」
思わず奥歯を噛んだ。
やっつけた? いや、違う。
「……いえ、取り逃しちゃいました。あたしはただ頭に血が昇って、それで……みなさんにも心配をかけるばかりでした」
「ううん、充分だよ。優しいサクラちゃんが怒ってくれたってだけでわたしは嬉しかったんだから……ちょっと不謹慎かな?」
サクラは首を横に振る。
苦い表情を崩せない友人に、ハルは困ったように笑った。
「わたしの方もごめんね。今日の花火大会、行けなくなっちゃった」
「そんな……っ! ハルちゃんが謝ることなんてひとつもないです! 悪いのはあの通り魔で……」
「ならサクラちゃんが申し訳なく思う必要も無いはずだよ。だって悪いのは通り魔さんなんだから」
だよね? と首を傾げるハルに、サクラは二の句が継げなくなる。
言っていることはわかる。あの襲撃さえなければ、何も起こらずに済んだ。
だが理屈を理解できても感情は別だ。
サクラは、あの通り魔――アンノウンと戦う時、後のことなんて考えていなかった。
ただ目の前の彼女を叩き潰したいという一心で力を振るった。
本当なら生け捕りにして連れて帰るべきだったのだ。
学園都市の裏で暗躍する彼女のことを調べなければならないのだから。
それが生徒会としての役割で、責任だ。
(わかってる。わかってるよ……それでも許せなかった)
ハルが傷つけられ。
そしてエリが消える原因を作った張本人だと聞かされて、冷静な判断などできなかった。
あの時サクラは、本気の殺意を抱いていたのだ。
なのに誰も責めてくれない。
一言でも叱責してくれれば救われたかもしれないのに、生徒会の先輩たちも、ハルも、サクラに優しかった。
その優しさはサクラにとって毒だった。エゴだというのは、自覚している。
そんなサクラの煩悶を察したのか、ハルはことさら明るい声色で言う。
「まあ何が言いたいかっていうと、お互い無事で良かったねってこと! だからサクラちゃんもあんまり自分を責めない! 悪い癖だよ!」
「う……ごめんなさい。でも花火大会……」
「もう、それは仕方ないよ。ね?」
小さい子供に言い聞かせるような口調に、サクラは少し羞恥を覚える。
それでもせっかくの約束を無しにしたくはなかった。
「あっ、ここの窓から花火見えたりしません? 一緒に見ましょうよ」
「さすがに無理だと思うなー。花火大会の会場、たしか窓の反対側でしょ?」
確認してみると、ハルの言う通りだった。
そもそも花火大会の開催時刻のころには面会時間は終わっている。
体調に問題は無くても、今のハルは経過観察が必要な身なのだ。
がっくりと肩を落とすサクラに、ハルは優しく語りかける。
「まあ、またどこか行こうよ。夏休みはまだ残ってるし、夏っぽいことはまだできるんじゃないかな」
「ハルちゃん……」
「誰か他に仲のいい人を誘って行って。わたしは大丈夫だからさ」
その笑顔に、ずきんと胸が痛んだ。
違う。ハルとでなければ意味がない。
そう言いたかった。
だが、サクラは口をつぐむ。
これ以上食い下がったって気を遣わせるだけだ。
一緒に居たいという気持ちをぐっとこらえ、サクラはぎこちなく笑う。
「……わかりました! ありがとう、ハルちゃん」
「うん。あ、そろそろ先生が回診に来る時間。あの先生、気むずかしいから今のうちに出た方がいいよ~」
「あはは。それじゃあまた来ますね。お大事に」
手を振るハルに同じように返し、病室を出る。
誰もいない廊下を少し歩き、ふらふらと壁に寄りかかる。
冷たい感触が頬に触れ、目の前がぼやけた。
「……っく。うう……っ」
目尻から滲むものを拭い、涙の気配を無理やり飲み込む。
泣く資格なんてない。
本当は、後悔しているのは、アンノウンを取り逃したことではない。
襲撃される前にハルを守れなかったことだ。
彼女だけは守りたかった。
他の何を置いてでも。