108.アンノウン
数日後、夏休みの生徒会室には生徒会のメンバーが勢揃いしていた。
サクラが心に傷を作るに至った事件――空木エリのことについて全員に共有する必要があるからだ。
口頭で説明するわけではなく、現在キリエたちに向かって手をかざしているココのクオリアを使って行われている。
思念のクオリア。
この力でサクラの記憶を読み取ったココが、今度はその記憶を映像としてキリエたちの脳へと転写しているのだ。
「…………」
スミレ色に輝いていたココの瞳が徐々に光を弱め、そして元に戻るのを、サクラはじっと見つめていた。
自分の記憶を誰かに見てもらうというのは、あまりいい気分とは言えない。少なくとも見返すのが苦しくなるような記憶だからだ。
案の定、キリエたちの眉間には深い皺が刻まれていた。
「……なんなの、これ」
静寂を打ち破る低い声を上げたのは、二年生書記の銀鏡アリスだった。
俯いたことで垂れた白い前髪で表情は読みにくいが、真っ白な肌が輪をかけて青白くなっていた。
その声色に宿るのは、怒りだろうか。テーブルの上に乗せられた手はきつく握りしめられている。
「……天澄」
「はい」
「あんた平気なの?」
ツインテールの幼い外見の少女――同じく二年生会計の花鶏カナがそう問いを投げかけてきた。
普段からいかに自分を魅力的に魅せるかを優先して動く彼女は今、まるっきり無表情だった。
それは何も思っていないというわけではなく、必死で押し殺しているのだと付き合いの浅いサクラにも理解できた。
「平気では……ないです」
「だったら!」
パイプ椅子を蹴倒してカナが立ち上がる。
泣きそうに顔を歪めて、肩を震わせている。
「カナ」と呼びかけるアリスの声も無視して、サクラを見下ろす。
「だったら、もっと……辛そうな顔とか、悲しんだりとか……泣いたりとか、してもいいのよ……?」
「……そこはもう、過ぎちゃったので」
苦笑いを浮かべるサクラに、カナは何か言いたげだったが深く息を吸い込むと無言で椅子を起こして座り直した。
「銀鏡たちのSIGNをブロックしたのって今のが原因だったんだね」
アリスは静かにそう言った。
冷静に見えても、手は震えていた。
「はい……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。でも……今度からは頼ってほしいな。辛いときは力になるからさ」
サクラは何も言わずに頷いた。
もし、あの時。何もかも拒絶していたあの一週間に、アリスを始めとした生徒会の面々に助けを求めていれば何かが変わったのだろうか。
少なくとも今、こんな顔をさせることは無かっただろうが。
正直な話、サクラはアリスとカナとはプライベートで仲良くするような間柄ではない。
だが本来、顔も知らない誰かのために生徒会役員になった人たちだから、誰よりも面倒見は良いのだ。
だからこそ彼女らは本気でサクラを想って苦しみ嘆いている。
「……キリエ?」
室内に満ちる静寂をココが破った。
呼ばれたキリエは静かに顔を上げる。
「仮称・『アンノウン』。あのボディスーツの女性は錯羅回廊へ自由に出入りし、モンスターを使役し、空木エリさんの救出を妨害した。私は彼女のことが許せない。生徒会長としても、個人としても」
それはこの場にいる全員が同じ気持ちだった。
明らかに悪意を感じる行動を持った者があの異空間に出入りすることの危険性はもちろん、なによりサクラの心を深く傷つけた張本人であることが最も大きな理由だ。
「これより我ら生徒会は錯羅回廊の調査だけでなく、アンノウンの正体を暴き、可能なら捕縛することを目的に活動しようと思う。反対意見のある者は?」
誰も、何も言わなかった。
言わずとも心は同じだった。
「一筋縄じゃいかないわよ。瞬間移動のような能力や、私と戦えるくらいの戦力があるんだから」
「その上、妙なクオリア? を持ってるよね。傷を治したりモンスターを活性化させたりできるあの光の針みたいなやつ」
「会長は心当たりないんですか? 光と言えば会長でしょ」
カナの向ける追求に、キリエは首を横に振る。
「少なくとも私にはそんなことはできない。そうだな、例えば私の用いる光を太陽光のような『力を活性化させるもの』と定義し解釈を広げれば不可能ではないかもしれないが……少なくともアンノウンの能力は光のクオリアではないと思う」
「…………そもそも何者なんでしょうか、あの人」
サクラの投げかけた問いに、議論が止まる。
錯羅回廊に出入りできる。明らかに学園都市の技術を――それも最先端のものを取り入れたと思しき妙なスーツ。
そして、あの謎のクオリア。
「少なくとも学園都市の生徒だとは思うわ。あの子のスーツ、右手首の形状がリミッターを覆うようになってたから」
「リミッターは学園都市に所属する場合は例外なく装着しなければならないからね。そして自分で外すこともできない」
そこで銀鏡がゆっくりと手を挙げた。
「その……空木エリさんみたいに秘密裏に生み出されたキューズってパターンは?」
「……ああ、ありえるだろうが……どうだろうね。私はあのスーツで顔を隠してることに意味があるんじゃないかと思うんだ」
「それは、ただ単にあのスーツがそういう形状ってだけなんじゃ?」
「いいえ、もちろんその理由も含んでいるでしょうけど、アンノウンがサクラのことを知っている風だったのが引っかかるわ」
「どういうことですか?」
「アンノウンは、」
そこでココは口をつぐむ。
言いづらそうにしていることは明らかだった。
サクラはアンノウンと初めて会った時のことを思い出す。
『――――お前は他人からの施しを、ある種病的に忌避している。恩は作らない。作ったとしてもすぐに返す、それも貰った分以上に……』
『いつまでそうやって何もわかってないフリをするつもりなんだ?』
アンノウンはサクラから事情を聞き出そうとはしたものの、明らかにそれ以上のサクラの内面を理解していた。
その時のサクラは動揺から半ば反射的に彼女の言葉を否定したが、それでも否定しきれないくらいに鋭く切り込んできたのだ。
「私をよく知っていて、その上顔を知られたら困る人。……アンノウンは私の周りにいる誰かってことですか」
サクラの落としたその言葉に、ぴり、と緊張が走る。
その可能性を考えれば、この中にアンノウンがいることもありうるのだ。
誰も、何も言えなかった。疑いたくないし、この中に犯人がいると考えたくない――仮にそうだとしたらこちらの情報は筒抜けだ。
「そこまで」
ぱん、とキリエが手を叩き、張りつめた空気を打ち切った。
「確かに可能性としては無視できないが、そうと決まったわけじゃない。とにかく出来る範囲で手がかりを集めてみようと思う」
「……そうね。差し当たっては錯羅回廊の適性から洗っていくのが良いでしょう」
そのやりとりがいまいち理解できなかったサクラが不思議な顔をしていると、ココが察したように視線を向けてきた。
「錯羅回廊に入って来てるってことは少なからず適性があるってことでしょう? うちの生徒は全員入学時に適性を検査されてるから、誰が適性持ちで誰がそうでないかがリスト化されてるのよ」
「そうだったんですか……知らなかったです」
「ま、強弱考慮しなければ適性持ちって結構いるから簡単にアンノウンが見つかるわけじゃないけどね」
「それでもある程度は絞れるでしょ」
カナの言葉にアリスが反論する。
湧き上がりかけた疑いの空気は、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
その後もアンノウンについての議論は続き――そんな中、キリエだけが時折上の空だった。