107.ばけものたちの閉幕
ココが踏み込んだ衝撃で床が割れる。
直後、遅れて轟音が響き渡った。
「…………ッ!」
瞬間、キリエの眼前に右手を握りしめたココが迫る。
その拳は素手であろうとも建造物を数秒で解体できる代物だ。
食らえばダメージは免れない。ここまで近づかれた時点で失敗だったとも言える。
キリエは確かな焦りを見せながらも光の障壁を何重にも展開する。
直後、拳が障壁に真っ向から激突した。
『ちょ、うわー☆ 衝撃が実況席のほうまで!』
衝突時の爆風だけで周囲の瓦礫や小石の類が一掃される。
観客席に張られた頑丈なバリアが不安になるような挙動で揺れる。
「くっ……!」
「…………珍しい顔してるじゃない。いつもの余裕はどこに行ったの?」
笑みすら浮かべるココの拳が少しずつ障壁にめり込んでいく。
全力で防御しているはずなのに防ぎきれない。
いつの間にかココが強くなっていたのか。それとも――――
「今のあなたが弱くなったのか」
「……っ」
「答えは両方、よ!」
右腕に力を込め、膂力で障壁を突破する。
加速した拳はキリエに直撃し、その身体を砲弾のように吹き飛ばした。
しかしキリエはすかさず空中で体勢を立て直すと、全身を光に変えて飛び立つ。
目で追えない速度。光の尾だけが空中に残り、乱雑な模様を描き出す。
ココは動かない。
視線すら動かさず、さりとて身体の緊張は抜かず――おもむろに振り返ると、背後から迫って来たキリエの飛び蹴りに上段蹴りを合わせる。
「飛び回ろうと思考は読める。私に近接戦を挑むなんて自殺行為よ」
「それはどうかな!」
高速で飛び回るキリエ。
それについていくココ。
目で追えない速度で動く彼女たちは、ステージのあちこちで激突する。
そのたびにステージが――いや、スタジアムごと揺れる。
目まぐるしい戦いを繰り広げながら、キリエは自らの行いについて思い返す。
諦められるというのは、悲しい。しかし、だからと言って他人の志を奪うのは正しいことではない。
自分だって昔は最強のキューズになるという子どもじみた夢を抱いていた時期があったのだから。
その夢は思わぬ形で叶ってしまったが、みんなが誇れる目標となるという新しい夢を、本当は今も抱いている。
(……気づかせてくれたのは、サクラ。そしてココだ)
ココと打ち合いながら、彼女の能力で歪められるクオリアのコントロールを補正し続ける。
その精度は少しずつ上がって来ていた。いや、本来の力を取り戻しつつあるのだ。
クオリアは心の力。精神が安定すればそれに比例してクオリアの操作や出力も上がる。
「いけっ!」
至近距離で生成した数本の光の矢をココにぶつける。
半分ほどは弾かれたが、もう半分は命中した。
苦悶の表情を浮かべるココだが、その攻勢を止めることは無い。
とにかく至近距離へ。
徒手空拳で戦うココの勝ち筋はそれしかない。
ならば、キリエとしては距離を離してやればいいだけだ。
「光輪!」
キリエを中心として生じた惑星の環のような光輪がココの拳を受け止めると高速回転し、凄まじい勢いで弾き飛ばした。
「くっ……!」
着地し、返す刀で巨大な槌を思わせる拳圧を飛ばすココ。
だがキリエは動じることなく光の矢で相殺する。
彼我の距離は開いた。
キリエはその手にありったけの光を凝縮し、最後の攻撃を始める。
眩い光に目を眇め、相対するココはうっすらと笑った。
「……あとね」
「なんだい?」
「私も、一度だってあなたに勝つのを諦めたことは無いのよ」
その言葉に。
キリエは泣きそうな笑みを浮かべて、
「……ありがとう、ココ」
キリエの手に巨大な光の剣が顕現する。真横に振り抜く。
音もなく、莫大な輝きがステージ全域を切り裂き――ココのアーマーを吹き飛ばした。
* * *
試合が終わり、しばらく後。
SIGNに届いた文言に従い、サクラはスタジアム内の廊下を歩いていた。
こういった関係者以外立ち入り禁止とされる区域に立ち入るのは初めてで、実際スタッフらしき人たちが視線を向けてくるも、サクラのつけている赤い腕章――最条学園生徒会の証を見て、納得したように歩いていく。
改めてものすごいネームバリューを持った学園に通っているんだな、と身が引き締まる想いだった。
壁も床も天井も白で統一されているので迷いかけたが、送られてきたマップを逐一確認したり、周りの人に聞くなどしてようやく目的地にたどり着く。
シンプルな扉には『最条キリエ 様』と書かれた張り紙がしてある。
「うう、緊張する……」
とは言え待たせるわけにもいかないのでおずおずとノックをすると、中から入室を促す声が聞こえた。
「おじゃましま~す……」
部屋に入ると、顔のいい女が二人いた。
目が潰れるかと思った。
「ぅおわ」
「……どうしたんだ?」
中は白を基調とした清潔感のある控室で、ドレッサーが並んでいるだけでなく奥には更衣スペースがあり、よく見れば簡易的なシャワー室まで備え付けられている。
部屋の中央には大きなモニターやソファなどくつろぐための設備も完備されていた。
ドレッサーの椅子にはキリエが座り、ソファにはココが腰を下ろしていた。
着替えた後なのか彼女らは試合用の衣装であるドレスではなく最条学園の制服に袖を通している。
メイクも落とされ、見慣れた姿だ――たとえノーメイクだろうが、二人の外見はどこに出しても恥ずかしくないくらいに整っているのだが。
「いえ、だいじょぶです。呼んでくれてありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方だよ。急に呼ばれて驚いただろう……それに、試合も見てくれたわけだし」
「それはもちろん! だってキリエさんとココ先輩の試合なんて死んでも化けて出て見に行きますよ!」
「若干怖いわね……」
ココが引き気味だ。
前のめりなサクラに苦笑したキリエだったが、すぐに表情を引き締める。
「それで、どうだったかな」
抽象的な問いを投げかけるキリエの頬はわずかに固くなっているように見えた。
その意味は、問わずともわかる。
サクラは色々なことを考えて、話す内容をまとめて――一度それを全て投げ捨てる。
思っていることをそのまま話すことにした。
「……すごく、わくわくしました」
胸に手を当てる。
確かな鼓動が手の平に伝わる。
高揚がまだこびりついたように離れないのだ。
「始めてテレビで見たキリエさんの試合は、あたしの全てを変えました。あの時とはあたしもずいぶん変わりましたけど……感じた興奮は同じです」
「……そうか。それなら良かったんだが」
「でも今、キューズとして試合を見ると、やっぱりキリエさんは強いなって。漠然と見ていたものが鮮明に形になって見えてるようになったというか。キリエさんがどれだけ、どうして強いのかをはっきりと捉えられて、あたしとの差も明確になりました。まだ、雲の上です」
キリエはただ押し黙る。
自分の強さを肌で感じた者たち。思い知ってしまった者たち。
圧倒的な実力の差に膝を折ってしまった彼女たちのことを思い出した。
だが。
サクラの瞳は光を失っていなかった。
むしろこれまでよりもキラキラと――まるで真夜中に灯台の光を見つけた船乗りのように、希望に満ちた眼差しだった。
「キリエさんは急に力が覚醒してしまったって言ってましたけど……今日の試合を見てはっきりわかりました。ただクオリアが強いだけじゃ最強にはなれませんし、無敗記録なんて続きません」
「……そうね。能力にかまけてるだけのキューズなら私が負けっぱなしなわけがないもの」
サクラの言葉をココが補強する。
キリエはまだ、サクラたちの意図を組み切れないでいた。
サクラはあまり頭が良くない。
筋道を立てて理解しやすく話すことができない。
だから、思ったことをそのまま口にする。
「そうなんです! だから思ったのは、単にクオリアが最強になったんじゃなくて……キリエさんが積み上げた努力に見合う形にクオリアが進化したんじゃないかって! そうじゃないとあんな力、誰にも使いこなせないですよ!」
「――――え」
光のクオリア。
膨大な出力と、圧倒的な拡張性を誇る最強の異能。
しかし当然そのぶんコントロールは困難を極める。
キリエは、覚醒してすぐ今と遜色ないくらいに使いこなしていた。
だからこそ公式戦無敗を記録し、あっという間に頂点へと登りつめた。
考えてみれば当たり前の話だ。幼稚園児がいかな名刀を持ったところで剣豪にはなれないのだから。
「キリエさんはすごい人です。それは心の底から理解しました。だからこそ誰も勝てなかったってこともわかりました。……諦めてしまう人の気持ちも、ちょっとわかります」
「サクラ……」
「でも、その人たちに共感はしません! だってあたしの気持ちは変わらないから! キリエさんに勝ちたいって、今も思ってるから!」
だから、あなたは一人じゃない。
その言葉は胸にしまっておいた。
キリエの足元にも及ばないサクラでは、それを言う資格はまだ無いと思ったからだ。
「…………ふふ。だそうよ。良い後輩を持ったわね?」
からかうように笑うココからキリエは顔を逸らす。
ずっとひとりだと思っていた。
だけど、いたのだ。寄り添ってくれる誰かが、ここに。
「……ありがとう、サクラ。そしてココ」
「い、いえいえあたしは別に!」
「あれ、キリエ泣いてる?」
指摘されたキリエは慌ててほほを拭う。
そこにはしっかりと、濡れた跡が残っていた。
「うわ、ほんとだ……参ったな」
「キリエさんの泣いたところ、初めてみました……!」
推しの泣き顔を見て複雑ながらも興奮気味のサクラに、キリエは苦笑する。
この後輩は、何よりもかけがえのない存在だ。
情けない所を見せてもなお慕ってくれる。誰もが到達できないような高さに君臨するところを見せても、追いかけてくれる。
それは何にも代えがたい価値がある。愛おしいと、心の底から思う。
「……私だって泣くさ。だって人間なんだからね」
化け物と呼ばれたことは数えきれないほどある。
そのたびに疎外感を感じていたものだが――ああ。
『ばけもの、って。言われちゃったんです』
もしかしたら。
あの時から、サクラに不思議な親近感を覚えていたのかもしれないな、と。
何かがすとんと腑に落ちるのだった。