106.ファースト・キル
数えきれないほどの光の矢が迫り来る。
それらの軌道を、ココはごく一瞬のうちに読み取った。
(――――躱せない)
結果、どこへ逃げても隙間なく着弾する光の矢から逃れるのは不可能だと判断した。
ならばどうするか。
黄泉川ココの思念のクオリアは比類なき強力な異能だが、あくまでも直接戦闘には使えない。
人間の思考を弄って操ることはできるが、逆に言えばそれが通じない相手には無力だ。
プロの上位キューズたちは、デフォルトで精神系クオリアへの強靭な耐性を持っている。
だからココにできるのは、相手の表層意識を掬い取って次にどんな攻撃をしてくるかを読んだり、少しだけ相手の思考に指向性を持たせることだけ。
あとはもう自らの肉体を使って戦うしかない。
(でも)
矢が頬を掠める。
最小限の動きで矢の雨をくぐり抜けていく。
『これは驚異的っ! ココ選手、目も眩むような光の矢の群れをかわし続けてるぞー!』
避けられない。
なら曲げればいい。
キリエの思考に可能な限り干渉して、本来通るべき軌道からずらす。そうして安全地帯を作る。
「だがココ! その程度で私が止まらないことも知っているだろう!」
バリアから離れ、着地したキリエの背後に光点が輪状に展開された光輪が輝く。
すると、そこから矢が洪水のように溢れ出した。今までの連射の実に数倍の量だ。
だが。
「あなたも知っているわよね。それくらいで私を打ち負かせはしないってこと」
襲い来る矢。
大半は動き続けるココを自ら避けるように逸れていったが、やはり避けきれない――しかし。
その矢の先端を渾身の力で殴り飛ばす。
「避けきれないなら弾くだけ。あなたの矢より私の拳の方が強いのよ」
ガガガガガ! と削岩機のような音が連続し、そのたびに弾かれた矢があちこちのバリアにぶつかり、歓喜を含むどよめきが上がる。
少しずつ、少しずつ、まるで城壁を削り取っていくかのようにココは距離を詰めていく。
「やはり通じないか。ならばこうするまでだ」
撒き散らされていた矢が軌道を変える。
寄り集まるようにして重なり、一つの巨大な光芒と化す。
「――――閃光」
それは、ただの一本の矢。
しかしその規模は今までの比にならない。
そしてココの積み重ねられた戦闘経験が正確に状況を判断する。
この速度。そして威力。
回避も迎撃も不可能だ、と。
結論が出た瞬間、閃光が直撃した。
まるでタンクローリーと正面衝突したような格好で吹き飛ばされる。
数十メートルを飛んだココは床で一度跳ね、そのまま倒れる。
ぴし、とアーマーにヒビが入った。
『”閃光”直撃ーっ☆ やーばいって、なんであれ原形留めてんの!?』
『リミッターのおかげですね。あれが大幅にクオリアの出力に調整を施している上に、攻撃を受ける側もリミッターの生成したアーマーでダメージは軽減されますから』
『マジレスありがとう! だけどこれ勝負決まっちゃうんじゃない……?』
うっすらと上がる白煙の中、キリエは深く息をつく。
キリエはクオリアの使用において無尽蔵に近いスタミナを持つ。だがココを仕留めるための乱射はそれなりに消耗が激しかった――あれだけの量を撃っておいて『ちょっと全力で走りました』くらいで済んでいることがそもそも異常ではあるのだが。
ともあれ、キリエは倒れたココをただ見つめる。
圧倒的なフィジカルを持つココも徹底して近づけさせなければこんなもの。
普段のように観客を楽しませるような戦い方では無く、容赦なしに抑え込めば問題なく勝ててしまう。
(――――結局は君も、私を独りにするんだ)
少しずつキリエの瞳の奥が冷めていく。
今に始まったことではない、キリエはずっと孤独を抱えていた。
君臨するということは並び立つ者がいないということ。
やはりこの場所へ届く者はいない。ならばサクラも――と。
そう考えていた。
「だから……言ってるでしょう」
だが。
ココの身体がわずかに動く。
「それくらいで……私を打ち負かせるとでも思ったのかしら、って」
倒れない。
圧倒的なダメージを受けてなお、ココのアーマーは健在だ。
所持者を守るリミッターが展開するアーマーの強度は、本人の精神強度に比例する。
意志が強ければ強いほど、固く丈夫になっていくのだ。
だから砕けない。ヒビこそ走っているものの、砕けるにはまだ遠い。
『――――ちょっとちょっと、ココ選手すごくない!? あの人あんなに丈夫だったっけ!?』
そんなことはない、とキリエは思う。
もともとココは試合に対してのモチベーションはそこまで高くなかった。
恐ろしく強いのは間違いないが、そのアーマーは彼女の意志を反映したように脆かったのだ――もちろん凡百のそれよりは数段強固ではあったのだが。
勝っても負けても無表情。ただ力があるから強者としての役目を果たしているだけといったスタンスを貫いていたはずだ。
何が彼女を突き動かしている?
「……キリエ。あなた一体どうしたの?」
「何がだ」
「クオリアの操作、調整、出力、何もかも精彩を欠いてる。いつものあなたが私を本気で叩き潰すつもりならとっくに私は負けてるわ」
「だから何だって言うんだ!」
上空が閃く。
一瞬のうちに無数の光点が星空のように広がった。
その光は弾丸となり、一斉にステージ全域へと降り注ぐ。
「…………サクラが、私に勝ちたいって言ったんだ。以前私に挑んだ無数のキューズ達のように」
ココは星空の弾幕をくぐり抜けていく。
弾丸を弾き、時折弾丸のベクトルを曲げて他の弾丸へとぶつけ、相殺する。
その攻撃が通じないと悟ったのか、今度はココの頭上に十本の剣が出現する。
どれだけ逃げてもぴったりと張り付き、その切っ先は全てココの脳天を指していた。
「あの子だって諦めるかもしれない。心が折れて、この都市を去ってしまうかもしれない! だから私はこの試合で彼女に私を諦めさせるんだ! 途方も無い目標を捨てればサクラだってずっとキューズとして活躍してくれる、将来を閉ざされることも無い!」
連続で剣が落下する。
避けるココの軌道を正確に追い、なおかつその先を予測していく。
「くっ!」
七本目の剣がココの肩を裂いた。
体勢を崩したところに、また一本。
残った剣が畳みかけるように襲い掛かり――同時にキリエは次の攻撃を用意している。
掲げた手から生じたのは、巨大な恒星のごとき光球。
剣への対処を全て台無しにするような規模の光が、一直線に飛来――剣を巻き込む形でココへと迫る。
「だから、私は――――」
「くどい!」
床が爆発した。
ココが叩きつけた拳によって砕けたステージの破片と衝撃波がキリエの攻撃をまとめて吹き飛ばす。
「黙って聞いてればぐだぐだと……あなた矛盾してるのよ。この戦いを見てサクラが挫折したらどうするの」
「……それは」
「まあ、そんなことにはならないでしょうけど」
おもむろにココは客席の一点を見上げる。
その周辺の観客にはファンサービスと思われたが――当の本人、サクラは浮足立つことは無い。
ただ真っすぐに、真摯な眼差しで試合の行く末を見守っていた。
ココはその姿を確認し、軽く微笑む。それだけで歓声が起きる。
「相手が強いくらいであの子は諦めない。本当に諦めてるのは、あなたの強さに心が折られてるのは――最条キリエ。あなた自身よ」
キリエが最初に倒したのは誰だったのか。
同志が去り、友人を失い、嫉妬と羨望と期待を集めるだけの偶像と化した。
その現実を前に心を折られたのは。
「わた、しが……」
「このエキシビションマッチには特に思い入れは無いけれど――そんな理由で勝ちたいと望むなら。あなたの無敗伝説はここで終わりよ」
ゆっくりとココは歩き出す。
君臨する王者の玉座へ向かって。