102.かげり
「つ、疲れた……」
肌を焼く真夏の夕日に項垂れながら、サクラはふらつく足取りで学内を歩いていた。
ここ最近は特別補習と並行して、トークアプリ――SIGNをブロックした相手に謝罪をしに行ったりとかなり忙しい毎日を送っている。
それを考慮されたのか生徒会周りの業務は休止ということにしてくれた。
相談窓口という役職上、そもそも夏休み中は仕事が激減するのだが。
そんなわけで補習謝罪謝罪補習謝罪補習謝罪謝罪謝罪補習というようなスケジュールだったわけである。
補習に関してはサボっていたことを加味して時間も期間も増えているのに加え、謝罪に伴う心苦しさで、サクラはへろへろになるまで追い詰められていた。
一週間ほど訓練をサボっていたこともあり、体力の衰えを如実に感じる。
「……まあ、全部自業自得なんですけどね……」
救いだったのは、謝りに行った相手がみんな快く許してくれたことだろうか。
あのアンジュですら『……今元気ならいいですわ』と素直に返してくれた――むしろ誰もかれもに心配されていた。
どうしてそんな行動を取ったのかについても聞かずにいてくれた(自称新聞部のヒトミコに限っては根掘り葉掘り聞こうとしてきたので逃げた)。
失ったものは大きかったが、得難いものはすでに持っていたのだと思い知らされる。
今の自分は前を向けているのだろうか。
少なくとも、自室に突っ伏していたときよりは進めている気はするが。
「あとは明日追試を受けて終わり……そしたら……」
やるべきことは無数にある。
夏休みはキューズの公式大会が大いに盛り上がる時期だ。
サクラも最条学園のキューズとして参加が推奨されている。いや、結果を出さずにいれば最条学園にいる資格を失う以上、出る必要がある。
サクラ自身としてもそうするべきだと思う。
前に進むためには当たり前のことを当たり前にこなしていかなければ。
そしてもうひとつ。
こちらは立場上強制されているわけではないが、ある意味ではもっと喫緊の課題が存在する。
「エリちゃんのことも聞かないと」
空木エリ。
学園都市で設計・製造された『デザイナーズベビー』と呼ばれた彼女の正体が詳らかにされた際、
『特徴としては色素の薄い髪や肌、特に赤い瞳がチャームポイントみたいです』
そんな文言が耳に残った。
その特徴には心当たりがある。
月光のような金色の髪に雪のごとく透き通る肌、そして何よりルビーのような赤い瞳を持つ少女――最条キリエ。
最条学園の生徒会長で、学内最強……ひいては学園都市で最強のキューズ”キング”の称号を持つ少女。
神にオーダーメイドされたとも称される彼女の美貌は、デザイナーズベビーの外見的特徴と一致する。
思えばエリを初めて見た時誰かと似ているような気がした。それはきっと、キリエのことだったのだ。
思い過ごしかもしれない。
あなたは人工的に造られた人間ですか? と聞くのは間違いなく失礼だし、激昂されても文句は言えない。
しかし、無関係とも思えない。
そんなふうにもやもやと考えを巡らせつつ、自販機でスポーツドリンクを購入していると。
「おや、サクラじゃないか」
「えっあっ、キリエさん」
神々しいまでの美貌を引っ提げて、当の最条キリエが歩いてきた。
キリエも手首のリミッターを自販機のセンサーに押し当てて桃味の飲料水を購入している。
この人もジュースとか飲むんだな、と少し失礼なことをサクラは思った。
「特別補習のほうはどうだい?」
「あ、明日の追試を受けたら終わりです」
「それは重畳。大変だろうが頑張ってくれ」
未だにこの人の前では緊張してしまう。
見目の麗しさ、纏うオーラ、そして高い実力を兼ね備えた傑物――その上、サクラが学園都市に来るに至った理由そのものであり憧れの象徴だからだ。
あの賽の河原のような日々の中、テレビでキリエの試合を見なければ、サクラは今ここにはいなかった。
「すみません、先輩……色々と迷惑かけちゃって」
「いいさ、何かがあったことはココから聞いているし――その件に関しては生徒会メンバーの前で話す機会を作ってくれるんだろう?」
「はい」
エリの一件は錯羅回廊と密接に関係しているので、生徒会には共有しなければならない事件だ。
特にエリの出自を学園都市全体に暴露したあの映像を提供したのは、錯羅回廊に侵入している謎の女性。エリのポケット内でサクラを妨害しようとしたことからも、明確な意図をもってあのような行動を起こしたことは間違いない。
「……悪いね、肝心な時にいてやれなくて」
「いえ、そんな……! 先輩は悪くないです!」
慌てて否定するサクラだったが、キリエは沈痛な面持ちで首を横に振った。
「最強のキューズだ何だと言われていても、手が届く場所にいなければ持ち腐れだ。これじゃ何のために強くなったのかわからないよ」
その考えには覚えがあった。
無力感だ。
強くなっても守りたいものを守れない。
キリエほどの強さがあっても、そう感じることがあるのか。
ならば強さに意味は無いのだろうか。誰かを助けるのに必要なものは、いったい何なのだろう。
考え込むサクラを慮ったのか、キリエは優しく微笑む。
「すまない、愚痴を言ってしまったね。そんな顔をさせるつもりは無かったんだが……」
「いえ……。キリエさんは何のために強くなったんですか?」
「……必要に駆られたからだよ」
キリエは桃のジュースで唇を湿らせると、思い出を懐かしむように夕日を見つめた。
いや――それはあたかも、過去を忌むようなまなざしにも見えた。
「物心ついたころ、私は親戚の家で育てられていた。あの理事長の孫ということもあって、私は大層な期待を向けられていた。だが……以前君には話したことがあったね、数年前まで私はあまり優秀なキューズでは無かったと」
「は、はい。確か高1の時にいきなりクオリアが目覚ましく成長したって」
今でこそ光のクオリアの使い手として学園都市の頂点に君臨するキリエだが、当時の彼女のクオリアは高速のクオリアと定められていた。単に高速で移動ができるだけであまり強いとは言えない能力。
その上強豪ぞろいの最条学園の中、キューズとして大成するのはほとんど諦めかけていたと彼女は話してくれた。
そこまではサクラも知っている。
しかしキリエが口にするのは想像もしていなかった過去だった。
「結果至上主義の私の育て親は以前の私が気に入らなかったみたいでね……試合に負けるたびに狂ったように怒鳴られたよ。家から閉め出されたり、食事を抜きにされたり……あの時はそれが当たり前なんだと本気で信じていたっけ」
「……え」
夕日のオレンジで黄金の髪を輝かせながら、キリエはまるで何でもないことのようにそう言った。




