10.デート(広義)
デート。
デートである。
「むむむむ……」
サクラは日曜日の早朝、色とりどりの私服とにらめっこしていた。
キューズになるためにこの学園都市に来たとは言え、必要最低限の制服やトレーニングウェアだけでなくプライベート用の私服も用意してある。
何パターンか用意した組み合わせを代わるがわる身体の前に当てながらなおも唸り続けていると、段々とどれも微妙なのでないかという考えに陥りそうだ。
Tシャツにブルゾン、膝上スカートを合わせてみる。
とりあえずこれが一番無難……のような気がするが自分ではよくわからない。
親の前で来た時は『似合ってる』と言われたのだが……。
いつかあたしにもデートをするときが来るのかなあとぼんやり憧れたことはあるが、こんなに早くその時が来るとは思わなかった。
(いやわかってる、わかってるよ)
もちろん、友達同士のお出かけをデートと呼ぶのは珍しくないし、ハルもそのつもりだろう。
ただ、繰り返し言うがデートなのだ。
その実態がどうであろうとデートはデート。
そしてその相手は初対面の時から『ちょっといいな……』と思っていた初めての友達なのだ。
これが気合いを入れなくてどうするというものだろう。……そのはずだ。
「そう! これはあたしの初めてをかけた大事な一歩なんだよ!」
サクラは勢いよくパジャマを脱ぎ捨てる。
上も下も空中に舞い上がった後、ふわふわと落下して……その床に落ちる前。
ぽこん、とスマホに通知音。
「あれ、SIGN? どれどれ」
ブラとパンツだけ残した裸体のままベッドの上に放られていたスマホを確認する。
SIGNはこの学園都市で一般的に使われているメッセージアプリだ。
もし使ったことがないなどと言おうものなら、四方八方からインストールしろと集中砲火を受けること待ったなし……くらいには普及している。
個人やグループを作ってのチャットやビデオ通話も可能で使いやすく、サクラも入都した日から利用している。
「ハルちゃんだ」
スマホの液晶に表示されていたのは『ハルちゃん』の表示。
内容は、
《おはようサクラちゃん。ごめんね、言い忘れてたけど今日は制服で来てくれる?》
《あと別に動きやすい服も持参してね》
《『お頼み申す!』と正座しているアライグマのスタンプ》
とのこと。
「そんなあ……」
がっくり項垂れる。
あれこれ悩んでいたのはなんだったんだという気持ちと、服の悩みが無くなって助かったという気持ちが同居していた。
視線を下に移すと、当たり前だが下着姿の自分が見えた。
「……い、いちおう一番高いやつ履いていこうかな」
気合いの入れどころが間違っている。
* * *
「あ、サクラちゃん。おはよう」
「おはようございますっ!」
待ち合わせ場所は最条学園前だった。
遊びに行くのに学園前? とよぎったが、休日に見るハルはひときわ可憐に見えたのでどうでも良くなった。
見慣れた制服ではあるが、シチュエーションが違うと気持ちも変わってくるらしい。
「それで今日はどこに行くんですか? あたし学園都市のお店とかにはあまり詳しくなくて……」
「あ、それは大丈夫。こっちだよ」
ついてきて、と歩き出すハルの後を追う。
なんと今日はエスコートしてくれるらしい。すでに若干どきどきしているサクラだったが、この純粋な期待が数分後裏切られることを彼女はまだ知らない。
* * *
学内にそびえ立つ見上げるほどに巨大なガラス張りの要塞。
そう形容して差し支えない建物がサクラの目の前に立ちはだかっていた。
「えっと、ハルちゃん。ここは……?」
「トレーニングセンターだよ?」
「とれーにんぐせんたー」
確かに、入り口に設置された薄いガラスのようなモニターには『最条トレーニングセンター』と表示されている。
最条。聞いたことがある……というかサクラたちの通う学園の名前であり、サクラが憧れ尊敬している生徒会長にして最強のキューズである最条キリエと同じ名前である。
サクラもこの建物の存在は知っていたが、入学から何かとバタバタしていて訪れることは無かった。
なんでも、同じようなトレーニングセンターは学外にも作られており、生徒ならタダで利用できるらしい。
それだけ国を挙げてクオリアやキューズ産業に力を入れているということだし、相応の経済効果を生んでいるようだ。
「学内に建てられてるだけあって他より設備が充実してるみたいだね。さ、行ってみよ~」
先導するように歩き出すハル。
しかしサクラは慌てて声を上げる。
「ハルちゃん隊長! デートはどうなったんでしょうか!」
「訓練だよー。女の子と女の子が休日一日いっしょにいれば、それはデートだよー」
有無を言わせぬとはこのことだった。
ほわほわした笑顔からは考えられないくらいの強引さでそのまま歩いていく。
サクラはがっくり肩落としをしながら後をついていった。本日二度目である。
ガラスの自動扉をくぐると清潔感のある内装に迎えられる。
視線を横に向ければ広々とした空間にトレーニング器具の数々。
特にクオリアに関連した特殊なものではなく、学園都市外にもありそうな普通の設備だ。
と、受付で手続きを終えたハルが戻って来た。
いつものんびりしているのに感嘆するほどの手際の良さである。
サクラとしてはすっかり気圧されてしまって、思っていたのとは違う意味でどぎまぎするばかりだ。
「安心してね~。昨日がんばってトレーニングメニュー作って来たから!」
よくよく考えると動きやすい服と言われた時点で気づくべきだったのかもしれないが、初めてのデートで浮かれポンチと化していたサクラには無理な話であった。
* * *
「ひい、ひい、はあ……もう無理ですー!!」
「サクラちゃん頑張って。ほらあともう少し、残り5kmだよ」
「ご、きろは、少しじゃない気が……するんですけどっ!」
サクラは走っていた。
何の変哲もないランニングマシンの上で、必死に走っていた。
ここに来てからトレーニングしっぱなしで、時刻はすでに昼過ぎだ。
いくらクオリアで身体能力が強化されていると言っても、ここまでの運動量はさすがにキツいものがある。
ただ、ハルはその強化具合を加味してメニューを組んでいるようだった。
ランニングを終えれば次は筋トレだ。
もう汗に濡れたジャージは脱ぎ捨てられ、シャツとハーフパンツのみになっていた。
もはや一種のランナーズハイになりながら、サクラは必死にメニューをこなす。あんなにうきうきしていた朝のことが遠い昔の出来事のようだった。
「はあっ、はあっ、はあ……終わった、終わりましたー……」
床に仰向けになって必死に呼吸する。
空調が効いているはずなのに、全身から湯気が出ていると錯覚するほど暑かった。
「お疲れ様~。よく頑張ったね」
はい、と手渡されたスポドリを一気に半分ほど飲み干す。
水分の抜けた身体に染みわたっていくようだった。
こうして落ち着くと、やはり気になることがある。
「ふう……ハルちゃんはどうしてあたしをここに連れてきたんですか?」
「わたし、前に言ったじゃない? 努力して自信をつけるしかないって。だからとりあえず身体を動かしてみなきゃって思ったんだ」
「あ……」
サクラは今、生徒会に勧誘されている。
しかし自分の力の足らなさから返答を迷っていた。
ハルにデートの提案をされたのは、その話をした直後のことだった。
「もちろん今日一日ですぐ強くなれるわけじゃないよ。でも、必死に身体を動かしたらすっきりしたでしょ」
「それは確かに!」
疲れてはいるが、心地よいくらいだ。
身体の中の悪いものが全部抜けていったような。
「わたしも昔キューズを目指してた時、悩んでることがあったらこうしてトレーニングに集中してたんだ。……デートなんて言ってごめんね」
「そんな! それは……ちょっと期待してましたけど、ハルちゃんは意地悪でこんなことする子じゃないですし、今日は楽しかったですよ!」
ぺかー、と効果音がしそうなくらいに笑顔を浮かべるサクラに、ハルは騙した罪悪感からか少し苦笑した。
サクラは普段とても明るい子だ。それは付き合いの短いハルにもわかる。
しかしクオリアが使えなかったり、生徒会のことで落ち込むことが続いてしまっている。
そんなサクラに何とか元気になってもらいたくて、ハルは不器用にも今日の”デート”を提案した。
もしかしたら嫌われるかもしれないとは思っていた。しかし、今サクラは目の前で嬉しそうに笑っている。
「ねえ、サクラちゃん。そんなにわたしとデートしたいって思っててくれたの?」
「それは、まあ、はい。恥ずかしいですね。えへへ」
照れ笑いを浮かべるサクラの耳元に、ハルはそっと口を寄せると小さく囁く。
「じゃあサクラちゃんが生徒会のことに答えを出せたら――ほんとのデート、しよっか」
「えっ!?」
そろそろ着替えて帰ろう、と更衣室に歩いていくハルの背中を、サクラは少し赤く染まった頬のまま呆然と見送った。
柚見坂ハル
備考:わりと体育会系




