無事に追放されたので、平民ライフを満喫したい
20000字程度です。
読みにくいところがあったら申し訳ありません。
広い心で読んでいただけると幸いです。
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「アリシア・ルーランドとの婚約を破棄させていただく!」
「分かりました!」
わたしは目の前に立っているマイケル・ジョーシュ・セントレアに向かって、勢いよく返事をした。
「ア、アリシア…、いいのか…?」
「えぇ、いいですよ」
わたしはまたもや笑顔でこたえる。
「これを聞けば、そんなに余裕ぶってもいられないだろう。君は、国外へと追放されるのだ!」
「はい!喜んで!」
「喜んで…?」
殿下の顔がキョトンとしているが、かまってはいられない。わたしは急いでいるのだ。
「殿下は、誰か忘れたけどお好きな方と添い遂げてください。では、失礼します!」
「お、おいっ!待て!」
殿下が何かを叫んでいた気がするが、わたしは無視して部屋から出て行った。
部屋の外には、1人の青年が立っていた。
「予定通り、婚約破棄と国外追放よ!」
「お、よかったですね!お嬢」
彼は、わたしの護衛であるロイ・スタンツである。わたしより3歳年上のロイは、我が家の使用人の息子だ。彼の両親は住み込みで働いていたので、彼も屋敷に住んでおり、小さい頃からいつも一緒に遊んでいた。いわゆる幼馴染だ。
昔は違ったのに、いつからか立場を気にして敬語になってしまい、少し寂しい気持ちを抱えていた。
「さぁ、早く屋敷に帰るわよ。まだまだやることはたくさんあるんだから!」
「今日はバタバタですね」
「先に計画してたから、これでもやることは少ない方よ。当日、急に言われる人たちはもっと忙しいんだから!」
「そんな人、滅多にいないから大丈夫ですよ」
「ここに!います!言われたひと!」
「うわーほんとだーみえなかったー」
「棒読みダメ!絶対!」
そんなことを言いながら馬車に乗り込み、わたしたちは帰路についた。
* * * * *
話は1週間ほど前にさかのぼる。わたしは大事な話があると言って、両親に時間をもらった。
「わたし来週あたり、殿下に婚約破棄されます」
「どういうことだ?!きちんと最初から話しなさい」
殿下が、運命の出会いをして、真実の愛とやらを見つけたこと。殿下のお相手に嫉妬したわたしが、その人に嫌がらせをしたという噂が流れていること。そして、婚約破棄に向けて準備をしており、先程の噂を理由に、わたしを国外へ追放しようとしていることなどを伝えた。
「いろいろと聞きたいことがあるのだが…」
「なんでもどうぞ、お父様」
「まず、アリシアはその…殿下の想い人である令嬢に嫌がらせをしたのかい?」
「まさか!わたし、そこまで殿下のこと好きじゃないです」
「……、今のは聞かなかったことにしよう。婚約破棄されるとして、なぜそれが来週だと分かる?」
「王城のメイドさんたちに教えてもらいました」
「なぜメイドがそんなことを知っているんだ?」
お父様が不思議に思うのも無理はない。王子の婚約破棄なんて、なかなかの機密情報だ。
「あのバカ殿下…ゴホゴホ、マイケル殿下があちこちに言いふらしてるんです」
お父様が可哀想なものを見る目をしている気がするが、きっとわたしの気のせいだろう。
「話は戻るが、アリシアはやってもいない嫌がらせを理由に、国外追放となってもいいのか?」
「むしろ追放されたいです!」
「……嫌な予感がするが、追放されたら?」
「もちろん、平民として生きていきます!」
お父様とお母様がそろってため息をついた。さすがおしどり夫婦、息ぴったりだ。
お母様がここで初めて口を開いた。
「アリシア、本当に平民として生きていくの?」
「はい!アルバイトで貯めたお金もあるから大丈夫です」
わたしには、前世の記憶がある。ここは、前世で大好きだった乙女ゲームの世界だ。わたしは悪役令嬢のアリシア・ルーランドとして転生した。前世で、OLとして1人暮らしを満喫していたわたしには、貴族としての生活はどうしても合わなかったのだ。そこで、平民ライフをするための長期計画を立てた。
平民ライフを始めるにも、初期費用がなければ何もできないため、まずはお金を貯めることにした。両親に、平民の暮らしを知るのも貴族の仕事だから、アルバイトをさせて欲しいと頼み込んだのだ。
最初は渋っていたが、許可を出さないことで、自分たちの知らないところで働き出したら、たまったもんじゃないと考えたらしい。せめて自分が知っているところで働いてくれと泣きながら頼まれた。
説得の甲斐もあって(?)無事アルバイトをすることができ、平民として3年間働かなくても困らないだけのお金を貯めた。その後、殿下がゲーム通りに他の令嬢に恋をしてくれたおかげで、念願の平民ライフを始めることができるのである。
嫌がらせしないと追放されない!と気合いをいれて臨んだが、ストーリーの強制力が働いたらしく、やっていないことも全てわたしのせいにしてくれて助かった。
さすがに婚約破棄のタイミングはわからなかったので、花嫁修行のために王城に通い、メイドさんたちと楽しくおしゃべりしていて良かったと今になって思う。
「でも、1人でしょう?やっぱり心配だわ…」
お母様が心配症なのは昔からだ。
「そりゃあもう、1人でのびのびと…」
「俺もついて行きますよ」
「ロイ?!あなたそんな話、一言もしてなかったじゃないの!」
「お嬢、忘れたんですか?小さい頃、どこまでもお供しますって言ったでしょう」
まだわたしたちが幼かった頃、ロイに1度だけ尋ねたことがある。
『ねぇ、ロイ。わたしがすっごくとおくへいくっていったら、どうする?』
『そんなの、いっしょにいくにきまってる。それが"ごえい"だからな』
「あんな昔の話…」
「お嬢も覚えてましたか」
「でもロイ、そんなかっこいい言い方してなかったわ」
「いや、問題そこじゃないでしょ。大事なのは中身ですよ」
「2人とも、一旦落ち着きなさい。一応ロイは18歳という成人年齢を超えているが、ロイの両親には相談したのかね?」
そこで登場したのが、ロイの母親であるマーガレットだ。
「息子は昔から、アリシアお嬢様のためならなんでもやる、と申しておりました。それにもう大人ですので、息子の好きなように生きてもらえたらと思っています」
「ちょっと待て。俺はなんでもやるとまでは言ってない」
「そうは言っても、マーガレットだって寂しいでしょう?これはわたしの都合だから、ほんとにロイは残っていいのよ」
「スルーなのはもうつっこまないでおくとして、俺も一緒に行きます」
「でも…」
「お嬢」
「…………わかったわ。ロイ、ついてきてくれる?」
「―――仰せのままに、お嬢様」
「………2人とも、感動的な場面で申し訳ないが、わたしたちのことを忘れてないかね?」
「あっ、ごめんなさい。お父様」
「謝るということは、忘れていたと…」
「お父様、違うから!拗ねないで!」
こうしてわたしの平民ライフは、ロイとともにスタートすることとなったのだ。
それからは怒涛の毎日だった。まずは平民ライフをする拠点を決めなければならない。さすがに住む街くらいは教えなさいと言われ、ロイと2人で相談することにした。
「わたし、いま住んでる街しか知らないのよね。ほかの場所はさっぱりわからないわ」
「よくそれで、1人で行くなんて言いましたね」
「生活能力はあるのよ」
「それもどうだか」
「本当だから!」
「まぁそれはおいといて、俺の両親がハルモント出身なのは知ってますか?」
「この国の出身じゃないことは知ってたわ」
隣国のハルモントといえば、果物で有名な国だ。
「ハルモントのフクナってところの生まれなんです。住みやすくていいところだって言ってました」
「そこいいわね!どれくらいかかるの?」
「ここから徒歩1時間です」
「徒歩で?1時間??」
「昔は家から屋敷に通ってたらしいんですけど、徒歩1時間というビミョーな距離を旦那様が案じて、それならいっそのこと住み込みでよくない?ってなったらしいですよ」
「お父様、さすがだわ」
「ここからそんなに離れてないけど、一応国外です。どうですか?」
「そこにしましょ!ほんとに楽しみだわ!」
「……追放されるのを心待ちにしてるのは、この世でお嬢くらいですよ」
「ん?なんか言った?」
「いーや、なんにも言ってません」
「そうと決まれば早速準備よ。まだ貴族だから、馬車を好きなだけ使っていいのよね」
「そんなルールありましたっけ?」
「馬車で30分もあれば着くでしょ。物件とか家具とか、時間があるうちに見ておきましょう」
「……はいはい」
馬車に揺られて30分。わたしたちは馬車を降りて、フクナの門をくぐった。この世界ではどの国も言語が統一されており、パスポートなどが無くても行き来できるところが素晴らしいと思う。
フクナは思っていたよりも大きな街で、活気があるところだった。
「さて、まずは家探しね」
「2人で暮らすとなると、ある程度の広さは必要ですからね」
「そうよね……はぁっ?!」
「どうしました?」
「どうしましたって、一緒に住むつもりなの?」
「当たり前じゃないですか。何のためについてきたと思ってるんです?」
「それは、まぁ…」
今さらだが、ロイは攻略対象者かと思うくらい麗しいのである。考えてみてほしい。そんな美形といきなり同居なんて―――
「無理。耐えられない」
「…そんなに嫌ですか。でも我慢してください」
「違うのよ!全然嫌じゃないの!…っていうのもおかしいけど、ほんとに違うの!」
「お嬢、もう分かりましたから」
結局、ロイに押し切られ、アパートを借りて2人で暮らすことになった。
拠点とする街を決め、住む部屋の契約や家具の購入などに奔走しているうちに、あっという間に時間が過ぎ、冒頭の追放劇へと繋がるのである。
殿下から追放を告げられたその日のうちに、屋敷にも正式な通達がきた。荷物はあらかじめまとめてあるため、それを持って、今からわたしは家を出る。
「婚約破棄ならまだしも、まさか追放まで本当だったなんて…」
「手紙の出し方は伝えたね。きちんと連絡するんだよ」
お母様もお父様も、わたしのことを心配してくれている。社会人になるために独り立ちする気分だ。
「お父様、お母様、今まで育ててくれて、ありがとうございました!」
―――いよいよ、わたしの平民ライフが幕を開ける
* * * * *
感動的な別れをしてから1時間。フクナの門をくぐったわたしたちは、新居へ行くまでに買い物を済ませることにした。
「ロイは、なにか食べたい物ある?」
「アリーが食べたいのでいいよ」
平民になるため名字はないが、さすがに本名をそのまま名乗るのはどうかと思い、昔のあだ名だったアリーと名乗ることにした。ロイが久しぶりに呼んでくれて、なんだかくすぐったい気分だ。
ロイがそう言うのならば、わたしがずっと食べたかったものを作ろうと思い、材料を買い揃えていく。
必要な食器も買って、わたしたちは新居へと向かった。家具などの、自分たちでは運べない大きなものを業者に運んでもらう時間が近づいていたからだ。
「買い物楽しんじゃったわね」
「まぁ、間に合ったから大丈夫ですよ」
それからすぐに業者がきたのだが、ここで事件がおきた。
「こちらの手違いで、ベッドが1つしかなくて…」
ロイと同じベッドは、さすがにわたしの心臓が危ないと思い、ベッドを2つ買ったのだが、トラブルで1つしか届いていないらしい。
「明日必ず持ってきます!申し訳ありません!」
業者が謝りながら帰る中、わたしは困惑してしていた。他のものは揃っているため、生活するのには困らないが、1番ないといけないものが届かないなんて…。
「お嬢、お腹減りました」
「こんなときに何いってんの!」
「たかが一晩でしょ?俺が床で寝ます」
「そんなのダメよ!」
「そんなことよりお嬢、飯にしましょう。お嬢が作ってくれるんでしょう?」
わたしが気にしていることを"そんなこと"呼ばわりし、さらに食欲に走るとは…。
「………分かった」
わたしはベッドのことは一旦忘れることにして、キッチンへと向かった。
「で、なんで横から覗いてくるの?ロイ」
料理を始めてから、ロイがずっと見てくるのだ。そんなロイを横目に、わたしは大好きなハンバーグを作ろうと、飴色になるまでじっくり炒めた玉ねぎとお肉をせっせとこねる。
「お嬢がほんとに料理できるか心配で」
「どうせできないと思って、からかうつもりだったんでしょ」
「そんなことありませんよ。ところでお嬢」
「ん?なに?」
わたしは、こね終わった肉を丸めながら答える。
「屋敷で一度も料理なんてしたことないのに、どこで覚えたんですか?」
わたしの手が止まった。平民として暮らしていけることをアピールをするのにとらわれて、すっかり失念していた。わたし、相当浮かれてたんだな…。
「えーと…、あ!そうよ、アルバイトで覚えたの!」
「……お嬢、どこでアルバイトしてましたっけ?」
「………………雑貨屋です」
そう答えたわたしに、ロイが呆れた顔で聞いてくる。
「さすがに無理があるなって思いませんでした?」
えぇ、思いました。いくらなんでも雑貨屋で料理はないだろうと。
「まぁ、細かいことは気にしちゃダメよ」
「細かい……?」
「ほら、火をつけるから離れて」
ロイとの話を強制終了させて、ハンバーグをのせたフライパンを火にかける。しばらくすると、ジューッといういい音と、美味しそうな匂いがしてきた。洗い物を済ませ、サラダを作るためにきゅうりやトマトを切る。
せっかくだからと、わたしはロイに声をかけた。
「ねぇ、ロイ。見てるだけじゃつまらないでしょ?レタスちぎってくれる?」
「いいですけど、俺そんなに器用じゃないですよ?」
「気にしないから大丈夫よ。食べられればなんでもいいわ」
「わかりました」
「レタスちぎり終わったら、トマトやきゅうりと一緒にお皿に盛りつけてね」
「はいよ」
こんなふうに、ロイと料理する日がくるなんて思ってもみなかった。なんだか楽しい。
「新婚みたいね」
冗談半分でそうつぶやくと、横からレタスが潰れる音がした。慌てて隣を見ると、ロイがレタスを握り潰しているではないか。
よっぽど驚かせてしまったに違いない。
「ロイにそんな気があるなんて思ってないわ!びっくりさせてごめんなさい」
「いや、その…」
「大丈夫よ、今のは冗談だから安心して」
冗談で言ったのに、それを否定している自分がなぜか苦しくて、もう二度と言わないと心に決めた。
いろいろあったが、無事に夕食が出来上がり、2人で席につく。
「んー!おいしい!」
久しぶりに料理をしたが、それなりに美味しくできたと思う。
実は、こっそりやりたかったことがあるのだ。それは……ハンバーグにかけたデミグラスソースの残りをパンですくって食べること!以前なら行儀が悪いと怒られたが、今のわたしを咎める人は誰もいない。
「これから毎日、お嬢が作ったものを食べられるんですね」
「一応、そうなるわね」
そう答えると、ロイがニコッと笑ったので、わたしも微笑み返す。
「お嬢が皿をどれだけ割るか楽しみです」
「手料理が食べられて嬉しい、とか言うのを期待して損したじゃないの!」
このとき、わたしは忘れていた。まだ最大の問題が残っていたことを―――
* * * * *
わたしとロイは、1つのベッドの前でバトルを繰り広げていた。
「だから、一緒に寝よって言ってるじゃないの!」
「俺だって、さっきから床で寝るって言ってるでしょう!」
ロイに風邪でも引かれたら大変だ。わたしが一晩だけ耐えればいいのに、ロイがなかなか分かってくれない。このやり取りでは埒があかないと思ったわたしは、先に布団に入ることにした。
「ほら、こっち来て。一緒に布団に入ろ」
と言って、布団を手でトントンと叩いた。
ロイは「平気だ、考えるな」などと呟きながら天井を見ている。何を考えてるんだろ…?
「じゃあ、わたしが寂しくて眠れないってことにするから」
「設定を作ればいいってもんじゃないんですよ」
ロイは、ふぅーっと大きく息をついた後、渋々といった様子で布団に入ってくれた。
お互いに背を向け「おやすみなさい」と言って目を瞑る。
―――だが、ロイが隣で寝ていると思うと、やっぱり眠れない。
「ロイ、起きてる?」
「……寝てますよ」
「起きてるじゃない」
2人でくすくすと笑い合う。
「ロイ、もう敬語じゃなくていいのよ」
「俺にとって、お嬢はお嬢ですから」
「外では普通に話してくれるのに…」
「怪しまれるから仕方ないでしょう」
「でも、もう、立場を、気に、しなくて…」
おや、と思ったロイがアリシアの方を見ると、アリシアはすでに夢の中だった。
「立場を気にしておかないと手が届くと思ってしまうなんて、言えるわけないだろ」
* * * * *
次の日の朝、目が覚めたときにはロイがいなかった。もう起きているようだ。
「意外とぐっすり眠れたわね」
ロイと話している途中に寝落ちしてから、一度も目が覚めなかった。わたしから話しかけたのに、ロイに悪いことしたな。
なんだかいい香りがすると思って部屋を出ると、ロイが朝食を作ってくれていた。
「ロイ、おはよう」
「おはようございます」
「昨日はごめんね」
「え?お嬢がいびきかいて、よだれ垂らしながら寝てたことですか?」
「うそ?!」
「嘘ですよ」
ロイがわたしの反応を見てゲラゲラ笑っているので、グーパンチをお見舞いした。お腹を抱えてうずくまっているが、自業自得だ。
ロイが作ってくれた朝ごはんを食卓に並べる。目玉焼きとベーコン、それからこの世界の主食であるパンだ。
「ロイ、作ってくれてありがとう」
「簡単なものしか出来なくてすみません」
「そんなことないわ」
いただきます、と手を合わせて食べ始める。
「ロイは今日、仕事を探しに行くのよね」
貯金はあるし、働くことよりも、さっさと屋敷を出てフクナで暮らすことを優先したため、いまは2人とも無職なのだ。
「はい。お嬢は留守番をお願いしますね。ベッドの搬入の時以外は開けたらダメですよ」
「子どもじゃないから大丈夫よ」
そんなことを言いながら朝食を食べ、ロイはすぐに家を出て行った。
家の掃除や荷物の片付け、ベッドの運び入れなどで1日が終わった。さすがに今日は忙しかったなぁと思い、晩御飯の準備をしようとすると、ロイが帰ってきた。
「お帰りなさい!どうだった?」
「ちょうど、フクナの入り口の門番の募集をしていたので、そこにしました」
「働くところが見つかってよかったわ。でも、いいの?」
「いいって、何がですか?」
「だって…」
わたしが1人で生活できると分かったら、きっとロイは屋敷に戻るのだろう。ロイがここにいる理由がないからだ。なんだかんだでロイは優しいから、わたしと一緒にいてくれるだけなのに、働く場所なんて見つけたら、離れにくくなるのではないだろうか。
そう思ったのに、急にロイに伝えるのが怖くなってしまった。
「ううん、なんでもないの」
「気になるんですけど…」
「晩ご飯は鮭のムニエルにするけど、ロイも手伝ってくれる?」
「話、そらしましたね?」
「気のせいよ」
* * * * *
アリシアが国外追放を言い渡された次の日、アリシアの実家であるルーランド家の屋敷に、なぜか追放した張本人であるマイケルがやってきた。
「アリシアはどこだ!追放しにきてやったぞ!」
対応したのは、アリシアの父親だ。
「あの、殿下、大変申し上げにくいのですが…」
「なんだ?」
「娘のアリシアは昨日、意気揚々と出て行きました」
「……………意気揚々と?」
「コホン、失礼。意気消沈した様子で出て行きました」
「昨日、婚約破棄と国外追放を告げたばかりなのに、もう出ていったのか?
「左様でございます」
「どういうことだ?まるで追放されるのが分かっていたような動きだな」
あなたがペラペラしゃべっていたからです、などとは言えないので、その場にいる全員が黙ったままやり過ごす。
「勝手に出て行ったのならそれでいい。貴族から平民になったのだ。今頃泣き崩れているだろうなぁ!いい気味だ」
たぶん誰よりも喜んでいると思います、とも言えないので、全員で静かに殿下を見守る。
「それならもう用はない。行くぞお前ら」
アリシアの父親は、部下を引き連れて出て行くマイケルを見送ったが、疑問に思ったことが1つあった。
「わざわざ屋敷まで来て、自ら追放しようとするなんて聞いたことないぞ…?」
どういうことだと聞きたいのはこっちだ、などとぶつぶつ言いながら、屋敷の中へと戻っていった。
* * * * *
ロイが仕事を見つけてきた日の夜は、それぞれのベッドで寝た。さすがに各自の部屋はないため、寝室の端と端にベッドを置いたのだ。
翌日の朝は、ロイと同じくらいの時間に起きることができた。ロイの顔色が、昨日よりも良い気がする。
「昨日よりも顔色が良いわね」
「寝相の悪いお嬢と一緒に寝ないだけで、睡眠の質がぐっと上がりましたよ」
ニヤリと笑いながら言うロイに、優しいわたしは蹴りを入れて差し上げた。
今日から働きに出るというロイを送り出した後、わたしも仕事を探すために家を出る。しばらくゆっくりしようかなとも思ったのだが、特にやりたいことがあるわけでもない。
まずは、今朝ロイから聞いた、求人募集の案内がある場所へ向かうことにする。街の中心にある噴水の横に大きな掲示板があり、そこにフクナの求人が全て張り出されるそうだ。
のんびり歩いていると、店が多く並んでいる通りに出た。果物を取り扱っている店もたくさんある。さすがハルモントだ。
そのうち、ロイと食べ歩きなんかをするのもいいかもしれない。
しばらくすると、大きな噴水が見えてきた。噴水の横には大きな掲示板がある。
「きっとこれのことね」
かなり大きな掲示板だ。フクナのイベントやお知らせなどのチラシが貼ってある。その中の一画に、求人募集のスペースが設けられていた。
「どんな仕事にしようかな」
思っていたよりも種類が豊富だ。何にしようか悩み、ひと通り眺めていると、ある求人が目に入った。
「ラール」というカフェのものだ。たしか、ここにくるまでに見ているはずだ。かわいらしい外観のお店で、一度訪れてみたいと思った記憶がある。とりあえず案内を読んでみた。
・働く時間は朝から夕方まで
・キッチンで料理の手伝いがメインの仕事、接客業もあり
・休日週2日
・休みの融通ききます
給料も悪くない。ここの店主は神か………?
その紙には、働きたい人はいつでもお店にきてね!と書いてあるので、そのままお店に向かうことにした。
噴水から家の方向へ歩いていくと、赤い屋根のカフェがあった。扉を開けて中に入る。まだ朝早いからか、客はまばらだ。
「掲示板の求人を見てきました!ここで働かせてください」
「あの紙見てきてくれたの?助かるー!じゃあ奥の部屋に入って待っててね」
そういってくれたのは、ナタリーさんだ。夫のジェイクさんと2人でラールの経営をしているらしい。柔らかい雰囲気で、良い人そうだ。
求人にあった条件で問題ないことを伝えると、その場で即採用となった。なんと、お昼にはまかないもつくらしい。
「ちょうど1人辞めちゃったところでね。忙しいときは娘が手伝ってくれるんだけど、もう結婚してるから頻繁には頼みづらくって…」
こちらとしても、働くところがすぐに決まってありがたい。
「精一杯頑張りますので、よろしくお願いします!」
せっかくなので、ラールでお昼を食べてから帰ることにした。1番人気というオムライスも美味しそうだが、デザートのフルーツパフェも捨てがたい。
「よし、両方食べよう」
太る?そんなの関係ない。わたしは食べたいのだ。
待っていると、ナタリーさんがオムライスを運んできてくれた。出来立てあつあつを口に運ぶ。
卵がトロトロでとってもおいしい!
これはまかないも期待できる。あれ、太る…?いや、気にしたら負けだ。その後、わたしはフルーツパフェもしっかり平らげた。
ナタリーさんたちに挨拶してから店を出る。そして、帰りに便箋を買ってから家に帰った。家族に手紙を書くためだ。
あまり細かく書くのも面倒だったので、働く場所が見つかり、楽しく生活している(まだ数日だが)ことをざっくり書いた。ロイは特に伝えることはないと言っていたので、宛名として、父の偽名を書いた封筒に入れて郵便局へと向かう。
郵便局で切手を買い、それを貼ってポストに入れたあと、買い出しに出かけた。今日は涼しく、あったかいものが食べたくなったので、ポトフの材料を買うことにする。
人参が安く買えたと喜んで帰っていると、たまたまロイに会った。無事、仕事が見つかったことを伝える。
「ラールってカフェがあったでしょ?」
「アリーがかわいいって言ってたところか」
「そうそう。あそこで働くことになりましたー!」
「料理運んで転ぶところが目に浮かぶな」
「転ばないから!」
* * * * *
平民ライフを始めて10日もたつと、ある程度の生活の流れができた。朝、わたしがロイを見送り、しばらくしてからわたしも家を出て、ラールへと向かう。
「おはようございます」
「おはよう、アリーちゃん。今日もよろしくね」
ナタリーさんとジェイクさんに挨拶した後、着替えてキッチンに入る。午前中はそんなに忙しくないが、お昼頃になると席がいっぱいになる。ジェイクさんの料理を手伝いながら、ナタリーさんと一緒に接客をして、と大忙しだ。
それが落ち着いたら、ジェイクさんが残った食材で作ってくれたまかないを食べる。このまかないが、ほっぺが落ちるかと思うくらいおいしいのだ。
おやつ時もかなりお客さんがくる。わたしも食べたいなぁ、と考えながらパフェを作ったり、パンケーキを焼いたりするのだが、これがけっこう楽しい。フルーツのつまみ食いが最近の楽しみだ。もちろん、このつまみ食いはジェイクさん公認である。
ラールは夕方には閉店する。ちょうどその頃に、仕事を終えたロイが迎えに来てくれるのだ。ナタリーさんには、兄が迎えに来てくれると伝えてあり、仲良し兄妹で通している。
閉店作業はナタリーさんたちに任せて、わたしはロイと帰る。帰りに献立を相談しながら買い物をして、家に着いたら2人で夕食を作る。
――恐ろしいくらい順調に、日々が過ぎていった。
* * * * *
平民ライフを始めてひと月ほどがたった。今日は2人とも休みだったので、街を巡ってみることにした。
「どこから行こうか?」
「まずは1番近い通りから行きましょ!」
雑貨屋、パン屋、ケーキ屋…さまざまな店があり、見ていて飽きない。夢中になっていたら、いつのまにかお昼の時間が近づいていた。
「アリーは何か食べたいものあるか?」
「あのね、行ってみたいお店があるの」
「じゃあそこ行くか」
わたしがロイを連れて行ったのは、パスタ専門店だ。このあたりでは有名なお店だと、ナタリーさんが教えてくれた。
「ロイ、パスタ好きでしょ?一緒に来たかったの」
「…ありがとう」
「他にも、ロイと行きたいところがたくさんあるの!だから….」
これからもいろんなところに行こうね、と続けようとしたが、言えなかった。
わたし、無意識のうちに、ロイがずっと一緒にいてくれると思ってるんだ。
いま、毎日がすごく楽しい。ロイがいることが当たり前で、離れていくなんて想像できない。
最初は1人で生きていくのだと思っていたのに、ロイがいなくなると考えると、どうしてこんなに心がざわざわするんだろう。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
わたしはロイを手を引いて、店の中に入っていった。
お店は昼時で混雑していたが、なんとか座ることができた。メニューを開くと、カラフルな写真が並んでいる。どれも美味しそうで迷ってしまう。
「アリーはなにと迷ってるんだ?」
決めかねてるわたしを見たロイが声をかけた。
「海鮮クリームパスタとボロネーゼなんだけど…」
ロイは、わたしに何も言わず店員を呼び、注文し始めた。
「海鮮クリームパスタとボロネーゼ、お願いします」
注文を終えたロイに、さすがにわたしは申し訳なくなった。
「ロイ、それわたしが食べたいって言ったやつよ」
「俺も食べたかったから頼んだ」
「…ありがと」
ちょっと嬉しかったなんて、ロイには内緒だ。
* * * * *
ロイと、お互いのパスタを少しずつ分けて食べた後、少し早いが家に帰ることにした。まだ引っ越しの片付けが完全に終わっていないのだ。2人でやればすぐに終わるだろう。
家に向かって歩いていると、ずっとロイと話していたからか、少し喉が渇いてきた。
「ねぇ、喉渇かない?」
「そうだな」
あたりを見渡すと「ハルモント名物!フルーツジュース」と書かれた看板が見えた。
「フルーツジュース飲もう!」
ロイとともに看板のほうへ向かうと、屋台が出ていた。わたしはピーチ・マンゴー、ロイはオレンジ・パイナップルを頼み、おばさんがしぼりたてのジュースを入れたカップにストローをさして渡してくれた。
ジュースを持って、ロイと近くのベンチに座った。わたしが注文したピーチ・マンゴーは、フルーツの甘さがしっかり感じられて、よく冷えたジュースが乾いた喉にしみわたる。
「ロイ、これすっごくおいしいわ。ハルモントの果物ってなんでもおいしいのね」
すると、ロイがわたしのカップに近づいてきて、そのまま飲み始めた。
「ん、美味いな」
わたしはびっくりして動きが止まった。
これ…間接キスじゃん………。
ロイは何事もなかったかのように、自分が注文したジュースを飲んでいる。
「ちょっと!ロイ!」
「あー、悪い。アリーも俺の飲むか?」
わたしのジュースだけ飲んでずるい、と怒っていると勘違いされたらしい。何食わぬ顔でカップを差し出されたことがなんだか悔しくて、わたしもロイのジュースを飲んだ。
「…おいしい」
「だろ?」
このときお互いに、こいつ気にしてないなぁと思って、それぞれショックを受けていたなんて、気づいていないのである。
* * * * *
家に帰ると郵便が届いていた。
「ロイ、お父様から手紙がきたわ」
宛名がちゃんとアリーになってる。差出人の名前も父の偽名だ。そこまで隠さなくても、と考えながら封を開けると、2枚の手紙が入っていた。わたし宛が1枚、もう1枚はロイへの手紙だった。その手紙をロイに渡す。
「マーガレットたちも寂しいと思うの。次はロイも一緒に書きましょ」
「そうですね」
手紙には、元気そうで良かった、体調を崩さないようになどということが書いてあった。心配性な両親らしい手紙である。
自分の手紙を読むのに夢中になっていたアリシアは、手紙を読んだロイの表情が少し険しくなっていたことに気づかなかった。
その日の夜、アリシアが寝たのを確認したロイは、もう一度手紙を開いた。もともとそこまで睡眠を取らなくてもいいように身体を慣らしているため、少しくらいの夜更かしは問題ない。
問題なのは手紙の内容だ。当たり障りのないことが書いてあるように見えるが、この手紙にはルーランド家に代々伝わる暗号が仕込まれている。アリシアの護衛だったロイは、万が一のために教えられていたが、まさかこんなところで使うことになるとは思っていなかった。
デ ン カ ガ ア リ シ ア サ ガ ス チ ユ ウ イ
「殿下が、アリシア、探す、注意……、なにがあったんだ?」
詳細は分からないが、殿下がアリシアを探しているから、危険がないように注意しろ、ということだろうか。でも、追放したのになぜ探す必要がある?
「やっぱりついてきて良かったよ」
遠く離れたアリシアの寝顔を見つめながら、ロイはそう呟いた。
* * * * *
アリシアの元に手紙が届く何日か前、王城ではマイケルが騒ぎ立てていた。
「なぜ急に執務が滞り始めたんだ!」
「アリシア様がいなくなったからでございます」
「…….は?アリシアになんの関係がある?」
実はアリシアは、マイケルに恋愛に集中してもらうため、花嫁修行の"ついで"に、かなりの量の執務をこなしていた。アリシアがいなくなったことで、執務の処理が追いつかなくなり、王城の中は軽いパニック状態なのだ。
さらに運が悪いことに、国王夫妻は長期の出張で国外へと出ている。国王夫妻はアリシアを気に入っていたため、マイケルはあえて2人がいない時期にアリシアを追放したのだが、それが仇となってしまった。
部下から、アリシアに助けられていたことを聞いたマイケルは、頭を悩ませた。新たな婚約者であるシャロンは、次期王妃となるための教育を始めたばかりだが、あまり芳しくないと聞いている。愛するシャロンには無理をさせたくない。
そうだ。良いことを思いついた。
「アリシアを連れ戻せ。側室にして、執務だけをやらせておけばいい」
「そのようなこと、国王様がお許しになるか…」
「いいからさっさと探し出せ!どうせ、セントレア国内でウロウロしているに違いない、徹底的に調べろ。ルーランド家で匿っている可能性もあるな。とにかく連れてこい」
部下たちは「そんなことより、自分たちで頑張って働けば、全て丸く収まるのでは?」などとは口が裂けても言えず、マイケルに向かって一礼した後、それぞれの役割を果たすべく動き出したのだった。
* * * * *
それからマイケルは、血眼になってアリシアを探したのだが、セントレア内のどこにもいない。アリシアの屋敷にも立ち入り調査を強行し、物も全部ひっくり返して探したが、痕跡さえも見つけられなかった。
「まさかとは思うが、本当に国外へ行ったのか?」
「もし国外へ行ったのならば、すでにかなり離れた場所まで行っている可能性が高いですね」
「さて、どうするか…」
歪んだ笑みを浮かべるマイケルを、もはや誰も止めることはできなかった。
* * * * *
お父様から手紙が届いて数日がたった。
「行ってらっしゃい」
「お嬢、分かってますね?」
「ロイが出たら鍵を閉める、わたしも出たら鍵を閉める、人通りが多いところを歩く、ロイが迎えに来るまで絶対に待つ」
「ちゃんと守ってくださいね」
「分かったわ。早く行かないと間に合わないわよ」
「……じゃあ、行ってきます」
「気をつけてね!」
お父様からの手紙が届いた後、ロイが約束事といって、さっきわたしが言ったことを伝えてきたのだ。
小さな子どもじゃないし、手紙がくるまではそんなことを言ってなかったから不思議に思ったが、ロイがあまりにも真剣な顔をするので、断れなかった。
「何かあったのかなぁ」
話して欲しい。だけど、あの顔のロイはおそらく話してはくれないだろう。
「わたしも準備しないと」
ロイに言われたとおりに鍵を閉めて、わたしも出かける準備をはじめた。
* * * * *
「アリーちゃん、今日はもうお客さんいないから、あがっていいわよ」
「でも、普段よりだいぶ早いですよ?」
「大丈夫よ!たまにはアリーちゃんが先に待って、ロイくんを驚かせたらいいじゃない」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。お先に失礼します」
ナタリーさんとジェイクさんにお礼を言ってラールを出る。
ロイはいつ来るんだろう、びっくりしてくれるだろうか、なんて考えながら待っていると、通りの奥にロイがいるのが見えた。
「あ、ロイー!」
わたしは大きく手を振ろうとしたが、その手が止まる。ロイの隣には、同い年くらいの女の子がいた。2人で楽しそうに話しながら、こちらに歩いてくる。その光景を見ると、なんだかもやもやしてきた。
「………帰ろ」
わたしは1人で帰ることにした。家に帰っていることはロイにも分かるだろうし、ここから家までそれほど距離があるわけでもない。そう考えたわたしは、家に向かって歩き出した。歩きながら、ロイのことを考える。
いつかこんな日が来ると思っていた。でもそれが嫌な自分がいる。
あぁ、きっとこの気持ちは―――
その瞬間、腕が裏路地の方へと引っ張られ、口を塞がれた。首元に冷たいものが当たった感覚もある。おそらくナイフだ。
「大人しくしろよ」
耳元で声が聞こえる。かなりガタイが良さそうだ。わたしはゆっくりと頷く。ロイの言うことをちゃんと聞いておけばよかったと後悔しても、もう遅い。
「灯台下暗しだな。こんなに近くにいるとは思わなかったぜ」
そのまま体ごと引きずられ、さらに奥へと連れ込まれる。そこにはなぜか馬車があった。これに乗せられ、どこかへ連れて行かれるのだろう。馬車のまわりにも何人か待機しているのが見える。わたしを捕らえている男を倒せたとしても、この人数に囲まれていたら逃げられない。
―――――助けて ロイ
「お嬢にさわんじゃねぇよ!」
待ち望んでいた声が聞こえ、急にわたしの体が吹っ飛ぶ。
「ロイ!」
「お嬢、なんてとこに連れ込まれてるんですか。おかげで探すのに苦労しましたよ」
そんなことを言いながら、襲いかかる男たちを次々に倒していく。ほんのわずかな時間で、ここにいるやつらを全て倒してしまった。
ロイって強いんだ……。
恐怖と驚きで座り込んだままでいると、ロイがわたしに駆け寄ってきた。
「お嬢、怪我は?!」
「平気よ。ロイこそ」
怪我してない?と言おうとすると、ギュッと抱きしめられた。
「…………遅くなって、すみませんでした」
「ううん。助けに来てくれてありがとう」
「怖かったでしょう?」
「ロイが来てくれるって信じてたから、全然怖くなかったわ」
「嘘つけ。手が震えてますよ」
そう言ったロイが立ち上がり、わたしのことを抱きかかえた。
「とりあえず、ここから離れましょう」
「歩けるからおろして!わたし重いでしょ!」
このままだと、わたしの心臓が先にどうにかなってしまいそうなのに、ロイは走り出した足を止めてくれない。
「おろしませんよ。また勝手にどこかへ行かれても困りますからね」
ロイが迎えに来るのを待たずに帰ったことか…。
「先に帰っちゃってごめんなさい」
「なんで待ってなかったんですか?」
「アリシア様!ロイ様!」
ちょうどその時、わたしたちを呼ぶ声が聞こえた。ロイも足を止めて振り返る。
「ソフィ、グレイク!」
わたしたちを呼んでいたのは、婚約破棄などについて教えてくれたメイドの1人であるソフィと、騎士のグレイクだ。2人とも、王城に通っているときに仲良くなった。
「なんでここにいるの?」
「私たちは国王の命により、アリシア様を保護しに参りました」
「保護?」
「マイケル殿下がアリシア様を狙っています」
「ちょっと待って。なんでわたしが狙われるの?」
「詳しい話は後で。わたしたちは味方です。信じてください」
「お嬢、そのメイドについて行け。それが1番安全だ」
顔つきが変わったロイが、わたしをおろした。わたしだけが逃げるように聞こえるのは、きっと気のせいではない。
「ロイはどうするの?」
「俺にはたぶん、やることがある」
そう答えて、ロイがグレイクのほうを見た。
「話が早くて助かる。マイケル殿下があちこちに部下をばらまいているんだ。ハルモント内だけでいいから、鎮圧を手伝って欲しい」
「そんなことだろうとは思った。ってことで、俺はお嬢と一緒に行けない。早く逃げて…」
わたしは背伸びをして、ロイの胸元を掴んでこちらに引き寄せ―――――キスをした
「絶対、帰ってきてね」
そう伝えたものの、恥ずかしくてロイの顔を見ることができない。
「行こう、ソフィ」
「はい、アリシア様。こちらです」
ソフィとともに走り去るアリシアを、ロイは呆然としたまま見送った。
「おーい、生きてるかー?」
グレイクがロイの目の前で手を振るが、ロイはアリシアが走り去った方を見つめている。
「………………なぁ、グレイク」
「どうした?」
「死んでも帰るぞ」
「………ロイ、落ち着け。死んだら帰れないぞ」
「うるさい。早く剣よこせ」
* * * * *
わたしはソフィとともに走り続け、街の外れにある馬車に乗り込んだ。馬車の中にはもう1人の仲良しメイドであるカミラもいる。わたしとソフィが乗り込むと、すぐに馬車が動き出した。
「アリシア様、わたしたちを信じてくださって、ありがとうございます」
「こちらこそ、保護してくれてありがとう」
だが今の状況には、正直疑問しかない。
「そもそも、なんでわたしが保護されるの?」
そこでわたしが聞いた内容は、まったく想像していなかったものだった。まさか、追放されるために執務を担っていたことが、自分の首を絞めることになるとは…。
「でも、国外出張に行っていた陛下たちが、よく殿下の異変に気付いたわね」
「マイケル殿下の様子が変だと、ルーランド公爵が早馬をとばして下さったんです。それから詳細を調べて、ちょうど出張先だったハルモントから、アリシア様を保護するための捜索を始めました」
お父様はおそらく、国王夫妻の滞在先を知っていたのだろう。知らぬ間に、お父様にも助けられていた。帰ったらお礼を言わなければならない。それに、国王夫妻の出張先によっては、話の流れがまったく違うものになっていたかもしれない。会ったらちゃんとお礼をせねば。
「そういえば、なんでグレイクもいたの?というか、グレイクとロイがあんなに仲良しだったなんて知らなかったわ」
「ご存知なかったんですか?アリシア様が王城にいらっしゃる時間、一緒に来られたロイ様は、王国騎士団とともに稽古を受けていたんですよ」
「えっ、そうなの?」
「グレイク様と互角の実力を持つお方で、王国騎士団に何度も勧誘しては、そのたびに断られたと聞いています」
たしかグレイクは、王国騎士団の中でもトップクラスだったはずだ。そのグレイクと互角に渡り合えるほどの強さなら、鎮圧の手伝いを頼まれるのも頷ける。
「全然知らなかったわ…」
「私も知りませんでした。アリシア様とロイ様がお付き合いをされていたなんて!」
ソフィの爆弾発言を聞いたカミラの目が、爛々と輝きだす。
「まぁ、いつの間にそんなことに?!詳しくお聞かせくださいませ」
カミラが興味を持ってしまったので、真っ赤になってしまったわたしの代わりに、ソフィが先程の出来事を話した。
わたしがやったことに間違いないのだが、聞いているだけで恥ずかしい。
「でもね、恋仲とか、そういうわけじゃないの」
そこはきちんと訂正しておかなければ、ロイにも悪い。なんでロイにキスしたのか、わたしにも分からないのだ。あのときはなぜか、ロイが遠くへ行ってしまうような気がして、気づいたら体が動いていた。
そんなことを話しながら馬車に揺られ、たどり着いたのは、国王夫妻の別邸だ。詳しい場所は伝えられていないが、ハルモント内であることをソフィが教えてくれた。ハルモントとセントレアは、国王同士の仲が良く、お互いの領地に別邸があるそうだ。
ソフィとカミラに先導されて中に入る。2人によって案内されたのは、小さな部屋だった。もう夜も更けて外も真っ暗なので、カミラが電気を付けてくれた。
「今日はもう遅いので、このままお休みください。私たちもお手伝いします」
「大丈夫よ。わたしはもうそんな身分じゃないもの」
「これは陛下から厳命されているので、私たちにやらせてください」
「………お願いします」
2人がいろいろと身の回りの世話をしてくれた。こんなふうに扱われることも久しぶりだ。食事は、あまり食欲がなかったので遠慮した。
おやすみなさい、といって、ソフィとカミラが部屋から出て行く。1人になると、考えるのはロイのことばかりだ。ロイが強いとは聞いたものの、心配なことに変わりはない。
この日の夜は、どんな夜よりも長く感じた。
* * * * *
次の日のお昼頃、部屋で休んでいると、カミラが慌てた様子で部屋に入ってきた。
「ロイ様が戻られました!」
わたしはそれを聞いて、部屋を飛び出した。そのまま全速力で階段を駆けおりる。玄関へと走っていくと、ロイの姿が見えた。
「ロイーーー!」
真正面から躊躇なくロイの胸に飛び込む。ロイは、わっ、と言いながらも受け止めてくれた。
「お嬢、危ないですよ」
「……ロイ、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「無事でよかった」
「俺けっこう強い方なんで、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「でも、ロイが痛い思いをするのは嫌だもの」
ぱっと見たところ、大きな怪我はなさそうだ。安心したからか、寝不足からか、なんだか身体がふらふらする。
あれ?なんで視界が揺れてるんだろ…
「お嬢?!どうした?!」
ロイが呼んでる声が聞こえる。返事をしないといけないのに、わたしはそこで意識を手放した。
* * * * *
目が覚めると、ロイを迎える前の部屋に寝かされていた。ロイが戻ってきたことが夢だったらどうしようかと焦る。
「お嬢、気がつきましたか」
声が聞こえたのでつられて見上げると、ロイが隣で手を握ってくれていた。右手の温もりにほっとする。
「わたし、どれくらい寝ていたの?」
「2時間くらいですかね。もう日が落ちかけてます」
「そっか。運んでくれてありがとう」
「あんまりびっくりさせないでください。もう身体は大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ」
ちゃんとロイに伝えなければならないことがある。
「ロイ、助けてくれて、帰ってきてくれて、本当にありがとう」
「俺はお嬢の護衛ですから。でも、今回みたいな思いは二度とごめんです」
「わたしもよ」
「そうだ、昨日聞きそびれたんですよ!なんで俺を待たずに先に帰ったんですか?」
できれば言いたくない。ヤキモチだったとバレてしまう。
「………言わなきゃダメ?」
「言わなきゃダメです」
「………ロイ、かわいい女の子と帰ってきてたでしょ?」
「女の子……?あー、あれは同僚の妹さんで、どうしても送って欲しいって頼まれたんです。ラールの近くで別れましたよ」
え、じゃあわたしの勘違いだったってこと?
「そうだったの。わたし、てっきりロイの好きな子かと思って…」
「俺が好きなのはお嬢です」
今度こそわたしの思考回路が止まってしまった。やっぱり夢なのかと思って自分の手をつねるが、すごく痛い。
「この際だから全部言いますけど、俺はずっと前からお嬢が好きです。でも身分差があるから、お嬢の護衛として一生お仕えしようと決めていました。ルーランド家を出て行くお嬢についてきたのも、俺のわがままなんです」
ロイがそんなことを考えていてくれたなんて知らなかった。
「ロイ、わたしね…」
「別に、お嬢に何かして欲しいわけじゃないんです。本当は伝えるつもりもなかったんですよ。お嬢が隣で笑っていてくれたら、それでよかったんです。だから、いま聞いたことは忘れてください」
ロイはこちらを見ずに立ち去ろうとする。
「待って、ロイ!聞いて!」
わたしは慌ててロイの袖を掴んで引き留めた。
「わたし、ロイが好き!大好き!」
どうやったらこの思いが伝わるのかわからなくて、とにかく言いたいことを言いまくることにした。
「ロイの笑顔が好き。ロイの優しいところが好き。ロイの手が好き。ロイが美味しいって言いながらご飯を食べてくれると嬉しい」
「…あんまりかわいいこと言わないでください」
今度はロイの顔が赤くなる。わたしは楽しくなってきて、思いつくままに話し始めた。
「ロイがついてきてくれて、本当は嬉しかったの。ロイがいなかったら、こんなに幸せじゃなかったわ。これからもずっと一緒にいてほしいなぁ、なんて…」
急に息ができなくなる。ロイにキスされていると気づいたときにはもう、唇のあたたかさは消えていた。
「………離してって言われても、離しませんからね。覚悟してください」
「わたしだって、ロイのこと離してあげないんだからね!」
ふふっ、と2人で笑い合う。思いが通じ合うのって、こんなにあったかい気持ちになるのか。
「お嬢、いろいろあって、すっかり忘れてたんですけどね」
「なに?」
「お嬢がキスしてくれたとき、俺の中にもこんな感情があったんだっていうくらい舞い上がりましたよ」
自分でも顔が赤くなっているのがわかる。
「それは言わないでー!!」
この絶叫は屋敷中に響いたそうで、メイドたちが何事だとすっ飛んできてくれた。
* * * * *
その後、わたしとロイは国王夫妻と話すこととなった。
「この度は、マイケルが迷惑をかけたこと、本当に申し訳なく思っている」
国王夫妻がわたしたちに向かって頭を下げる。
「頭を上げてください!保護していただいて、この別邸にも泊まらせていただいて、本当にお世話になりました。ありがとうございます」
「礼を言われるまでもない。こちらとしても、息子の暴走をギリギリまで止められず、すまなかった。ロイ、王国騎士団の手助けをしてくれたそうだな。感謝する」
「はっ!ありがたき幸せ」
「マイケルはもう君たちに近づくことはないから、安心してほしい」
マイケルがどうなったかを、わたしたちに伝えるつもりはないようだ。知らないほうが幸せなこともあるし、こちらから聞くつもりもない。
「詫びとして何がいいかと考えたのだが、アリシアの国外追放を取り消し、爵位を戻そうと思うのだ。どうかね?」
「爵位、ですか…?」
「あぁ。もちろんロイにも相応の爵位を与えよう。伯爵あたりはどうだ?」
わたしもロイも、驚きすぎて声が出ない。ただの護衛だった者に伯爵なんて、普通ならありえない話だ。
わたし自身の答えはもう出ている。でもロイはどうなんだろう?
そう思ってちらっとロイの方を見ると、ロイと目が合い、力強く頷いてくれた。
たぶんロイも、わたしと同じことを思ってくれている。言葉を交わしたわけでもないのに、不思議と確信がもてた。
「大変ありがたい申し出であることは重々承知しております。しかし、わたしたちは爵位を望んでおりません」
「アリシアならば、そう言うのではないかと思っていた。他に何か欲しいものがあれば言ってみよ」
「わたしたちは、今まで通りの生活を送りたいと思っています。それ以外のものは、何もいりません」
「領地も?」
「いりません」
「金も?」
「……いりません」
ちょっと悩んだだろ、とは誰も言わない。
「わかった。では国外追放の取り消しのみとしよう。いつでもルーランド家に帰りなさい」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
王妃が前に進み出た。
「一時的なものだとしても、あなたを娘のように思っていたの。困ったことがあったらいつでも頼ってね」
わたしも、厳しいけれど凛とした王妃様のことを慕っていた。
「はい。ありがとうございます」
* * * * *
別邸の場所は極秘であるため、来た時と同様に馬車で帰ることになった。せっかくなので、ルーランド家へと送り届けてもらうことにした。すでにお父様には、事の顛末を書いた手紙を出してある。
ソフィとカミラ、グレイクとは、ここでお別れだ。おそらくもう会うことはないだろう。
「助けに来てくれて、ほんとにありがとう」
「アリシア様のお役に立てて良かったです」
「アリシア様、お元気で!」
3人に見送られながら、ロイとともに馬車に乗った。
「ロイ、爵位のこと、断っちゃってごめんなさい」
「俺にはそういうの向いてないからいいですよ。むしろ断ってくれて、ありがとうございました」
「……やっぱり、お金だけでももらっておいたほうが良かったかしら」
「あんなにお嬢がかっこよく見えたのに、急にダサくなりましたね」
「冗談よ」
「真顔で言うのやめてもらえますか?」
* * * * *
ルーランド家につくと、家族みんなで出迎えてくれた。騒動のときには留学していて、屋敷にはいなかった兄のオスカーも帰ってきていた。
「お父様、陛下にいろいろと伝えてくれたんでしょう?本当にありがとう!」
「あぁ。無事でよかったよ、アリシア」
お母様は泣きそうな顔をしている。
「元気そうでぇ、よかったわぁ」
いや、泣きそうどころか、すでに泣いている。
「お母様も、心配かけちゃってごめんなさい」
ロイの方を見ると、マーガレットたちと楽しそうに話していた。笑顔で話すロイを見ていると、わたしも嬉しくなる。
「アリシア、本当に戻ってくる気はないのか?」
声をかけてきたのはオスカーだ。
「えぇ、お兄様。わたし、今の生活がとても気に入ってるの!」
「それならいいんだ」
「お兄様も、ありがとう」
「いい、気にするな」
そのあとも話し込んでしまい、すっかり長居してしまった。泊まっていけばいい、とすすめてくれたが、わたしたちは帰ることにした。家族と一緒にお昼を食べたが、貴族の生活ってこんな感じだったなぁと思い、むしろフクナでの日々が恋しくなってしまったのである。
「いつでも帰ってくるのよ」
「待ってるからね」
「ロイ、ちょっといいか?」
アリシアたちが別れの挨拶をする中、オスカーがロイを手招きする。ロイが近づくと、少し耳を貸せと言われた。
「泣かせるなよ」
誰を、なんて聞かなくてもわかる。
「もちろんです」
オスカーは、はっきりと答えたロイの頭をぐしゃぐしゃにしてやった。決して八つ当たりなどではない。
* * * * *
両親から、せめて馬車で帰ってほしいと頼まれ、断りきれずに馬車で帰ってきてしまった。1時間のウォーキングは、次回のお楽しみにするしかない。
家の鍵を開けると、ひと月ほどしかいなかった部屋なのに、とても懐かしく感じた。これがわたしたちにとっての日常だ。
ふと窓側を見ると、ロイの顔が夕日に照らされていて、思わず見惚れてしまう。
「どうしました、お嬢?俺の顔に何かついてます?」
「ううん。…って、違う!」
大事なことを忘れるところだった。
「ロイ、お嬢も敬語も禁止!」
「……少し時間がかかるかと」
「…………」
「お嬢?」
わたしはそっぽを向いた。
「わたし、お嬢じゃないもの」
「…………これは俺の負けだな」
ロイがわたしを後ろから抱きしめる。
「愛してるよ、アリシア」
「ねぇ、ロイ」
「ん?」
「ずっとそばにいてくれて、ありがとう」
―――これからも2人の幸せな日々は続いていく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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