明星─千黄紫黒
「ねー、千黄ってさー。何で名前三つも使ってんの?」
「何ですかいきなり」
電車内、二人しかいない車両の中、666は千黄に名前の理由を尋ねていた。
「いやさー、何でわざわざ三つも名前使ってんのか気になって」
千桜四石、千黄紫黒、殱鏖死刻。
わざわざ三つの名前をその日その日で使いまわす千黄。666はそれに疑問を感じていた。
「何かそういう事情でもあるのかなーって思ってたけどー、そういうの無いみたいだしー」
椅子に座ったまま、666は上体を左右に揺らし始める。
「まあ、一応理由は有りますよ。ただ、今は言いません。帰ったら姦に聞いてください」
「えー」
口を尖らせる666。しかし、千黄に意見を変える気は無い。
その後も666は追及を続けるが千黄は一切答えない。その内666もあきらめて景色を眺め始めた。
一駅、二駅、三駅……二人は時たま会話をしながら列車に乗り続ける。
少し前のお化け屋敷や富士山程では無いが今回の依頼も相当に貪底街から離れていた。
「ねーねー、今回の依頼って何だっけ?」
「今回の依頼で行く場所は少し離れた村落です。内容は、まだ夜中なのに昼間と間違えるような明るさになることが何度もあった、と言うものですね」
へー、と少し興味を持った雰囲気で666が呟く。しかし、それ以上何かを話すことは無かった。
二人はそのまま列車へと乗り続ける。いつしか辺りに人の住めるような場所は減り、代わりに山が目立ってくる。
『終点、天鳴、終点、天鳴」
「降りますよ」
「はーい」
終点の合図で二人は降車していく。駅は、無人。乗り降りをする人はおろか、駅員さえいない。
完全な無人駅へと二人は降り立った。
「人いないねー」
「こんなもんですよ、田舎の駅は」
辺りを何度も見渡しながら666は千黄に並んで歩いて行く。千黄のペースは遅く、必然的に二人の歩みはノロノロしたものとなった。
666が辺りの田んぼをのぞき込んだり、用水路に張り付いた虫を見つけたりと活発に動き回る傍ら、千黄は淡々と歩みを進めていた。
その内に飽きが来た666は千黄の元へと戻って来た。
「何もないね、ここ」
「田舎なんてそんなものです」
田園にあるあぜ道を進み、二人は大きな屋敷へ向かう。
たどり着いた二人を出迎えたのは老婦人だった。
それを見て666が千黄に耳打ちする。
「この人は普通に年取ってるよね」
「ええ、普通のご老人です」
少し前の依頼で、魂さえ老人になっていた若者を見ている666は年寄りの年齢に敏感になっていた。
「ようこそ、良く来て頂きました。えっと…」
「千黄です。千黄紫黒」
「ようこそ、千黄様」
老婦人が頭を深々と下げる。それを見た666が何故か偉そうに胸を張った。
こちらです、と老婦人が案内を務め、千黄ら二人もその後に続く。通されたのは見事な座敷であった。
「旦那様、ご依頼の方がお見えになられましたよ」
「おお…」
いたのは、老人。どう見ても百歳は超えているであろう老人が布団に寝かされている。
「すみませんな…この年ですと起きるのが辛く…」
「いえ、構いません」
弱弱しいしわがれ声で老人は話す。
「最近ですな…この辺りに夜が来ないことが有るんです。始まりは……一月前でしたな。
あの日……昼はいつも通りの日だったのですが……夜にならなかった。いつまでも空に太陽が輝いていたんです。夜を過ぎ、朝になり始めてもまるで昼の様に太陽は高くに有りました。その後は、まるで何事も無かったかのように昼になり、日は沈んでいきました。
最初それに騒いでおったのは、儂の様な年寄りだけじゃったのですが……色々理屈をつけて納得しておった若い連中も、五度も同じことが有ったら相当に不気味がっていました……。
原因も全く分かりませんし、何処に何を言っても本気にされない。……自分でも余り信じられないこれを、引き受けて下さったのはあなただけです。どうか、どうか解決をお願いします」
そこまで聞いて千黄はゆっくり頭を下げた。
「依頼された以上、必ず解決します」
・・・・・・・・・
「さて、取りあえずあっちの山に行きましょうか」
老人の話を聞き終わった二人は、村から少し離れた森へ来ていた。まるで手入れのされていない雑木林、木々が日を遮り薄暗く、所々に木の根が突き出ており足場が悪い。
そんな悪路を千黄は苦もせず歩いて行く。666は何度か足を取られていたが途中から無理矢理全てを踏みつぶして突き進んでいる。
「この辺はいろいろ面白い物がいますね」
無造作に千黄は木にしがみついていたカブトムシをつかみ取った。
「おおーでっかい」
666の言う通りにそのカブトムシは十センチを超える超大型だ。角の形も良い、売れば良い値が付くだろう。
そんなカブトを放り棄て千黄は言う。
「まあこれは置いておいて」
「置くってか棄てたけどね」
「この辺り、割と色々不味い事になってます」
「へー」
理解しているのかいないのか、棒読み極まる返事を666は返す。
「山から地脈が流れていますが、その流れが途中で滞っている。その所為で」
千黄は一旦話を切って屈みこむ。
「辺りに過剰なエネルギーが噴出している」
千黄が何かを手に持って起き上がる。
それは尋常でない大きさのカブトの幼虫だった。
丸々と太ったその体は、千黄の手のひらほどもある。明らかに異様なサイズだ。
「こんな風に辺りの生物も噴出したエネルギーの影響を受けている。原因は兎も角、この件を速めに解決しないと色々と面倒事が起こりますね。具体的には、この辺りでわんさか見たこともない大きさの生き物が現れるとか」
千黄の話を聞いて、666はおおー、とよく分からない返事をする。
「どうやら地脈の噴出点はあちらの山頂の様ですし、さっさと行ってしまいましょう」
「おー。……そういやその原因って分かってるの?」
「ええ、まあ」
さらりと千黄は答える。
「え、じゃあさっさと対処すりゃいいじゃん」
「私もそうしたいんですけどね……」
珍しく千黄が言いよどむ。その顔には普段と違い多少の気だるさが浮かんでいた。
「対処できるようになるまで時間がかかります。最短でも、今日の夜までかかりますね」
「え~、そんなかかるの?」
「かかります」
完全な真顔で千黄は言い放つ。
「今回はそこそこ厄介な相手ですので……働いてもらいますよ」
「えー」
666の抗議はあっさりとスルーされ、千黄はさっさと歩き出した。おいて行かれた666もその後をのそのそと着いていく。
一時間もしない内に、二人は山頂へとたどり着いていた。
「富士山よりは楽だね」
「当たり前でしょう。この山精々三百メートルくらいですよ」
石に腰かけ、666は暇そうに体を揺する。
辺りの景色は非常に良い。だが、それだけだ。これと言って老人の言ったような異変は見え無いし、感知にも引っかからない。
つまりは、暇だ。
「あー、今すぐこの辺に隕石振って来ないかなー」
「振らせたらいいでしょう」
「そういうのはなんか違う気がするようなしないような」
どうでもいい事を話しているが、千黄はキョロキョロと何かを探している。……偶に明らかに視界外の物を見つけたりしているが。
「あった、これですね」
「んー、何見つけたの?」
「見てください、これは……」
「バカでかいカブトムシです」
「いやそれかい」
思わず、と言った様子で666がツッコミを入れる。
「何ですか、この発見に文句でも?」
「いや、確かにでかいけどさあ」
千黄の手に収まらない程の途轍もないサイズ。世に出せば研究者が群がってくるだろう。
「ここから思いっきり地脈が噴出していますからね。栄養を吸収してこのくらいのサイズにはなるでしょう」
そう言ってまたカブトムシを放り投げる。
「まあ、何にせよ今は何もできませんね。大人しく山頂で待ってましょう」
「ゴルフしたい」
千黄の言葉を全て無視して666が突拍子も無い事を呟く。
「良いですよ、用意は自分でしてくださいね」
「やった!」
666が指を鳴らす。その瞬間、山頂には明らかに不釣り合いな大きさのゴルフコートが出現した。隣にはキャリーバッグも用意されている。
「千黄は何使う?」
「何でもいいですよ」
「じゃドライバーね」
やりやすさもルールも何もかも無視してゴルフが始まった。
先手は666。ティーショットにもかかわらず使っているクラブはパターだ。
「せりゃ」
気の抜けた掛け声とともに音速を遥か彼方に振り切る一打が放たれる。当然、OB。だったが、空中でいきなりボールが反転する。
余りにも不自然極まる挙動でボールはホールへ入っていった。
「よっしゃ一発!」
「じゃあ次私ですね」
出鱈目なフォームの666とは違い、千黄は極めて精確なフォームでクラブを振るう。
音を立てて飛んだボールは当然の様にホールへと落ちた。
「こっちもホールインワンですねー」
用意されたコースはかなり広い。どう見てもパー5……起点を五打として用意されたものだ。それにあっさりと一打で叩き込んだと言う神業。
にもかかわらず千黄の表情に達成感の様な物は無い。いつも通りの淡々とした無表情だ。
一方の666は相変わらず入るはずのない場所に打ち込んでいるが、やはり空中でボールが物理法則を振り切った挙動をし、無理矢理一打で入っている。
どう考えても不正だが千黄は特に何も言わず、プレーを進めていく。
「次ラストコースですね」
「おー」
ここまでどちらも一コース一打しか打っていない。勝負……と言うよりは暇つぶしの色が強いこのゴルフだが、それでもどちらにも負ける気は無かった。
「せーい」
矢張り気の抜けきった掛け声と、それに見合わぬ剛球が放たれる。そして先ほどまでと変わらず一打でホールへと叩き込まれた。
「次、私ですね」
千黄の一打。ボールは一切の狙いを違わずホールへと向かって飛んでいく。
と、いきなりコースが大きく姿を変えた。バンカーが森に、グリーンが池に、ホールの位置も違っている。
「おし、これで私の勝ちだ」
変えた本人は腕を組んで鼻を鳴らす。その顔には勝利を確信した笑みが浮かんでいる。
「いえ、引き分けですね」
現れた木にボールが当たり、逆の方向へ飛ぶ。更に追い風が吹き、どんどんとホールの方へと近づいて行った。
「ええええええ!」
666の驚きを他所に、真逆に用意したはずのホールへとボールはとび込んだ。
「引き分けですねー。そろそろいい時間ですし、片付けてください」
「はーい」
引き分けて不満を抱えながらも、666は大人しくコースを消し去る。あっという間に元の山頂が姿を現した。
既に太陽は大きく傾き、沈もうとしている。夜まではもう少しだ。
「今の内に準備しておきますよ。666、出来る限り頑丈な防壁を即座に出せるように。それと熱にも対策を。最低限、6000℃は防いでください」
「はいはーい」
666は雑な返事と裏腹にしっかりと指示通りの用意を進めていく。
ほんの数分で千黄の指示通りに完成したようだ。
「終わったよー」
「ではこちらへ、後十分で色々起きますので」
千黄が地面に線を引き、666をその後ろに下がらせる。一方千黄自身は線から十歩ほど前で腕組みをして佇んでいた。
「あれ、千黄そっちでいいの?」
「ええ、私は此処でないと意味が無いので」
防御の指示をしたにもかかわらず、自分から離れたことに666は疑問を覚える。だが、あの千黄のいう事だとそれ以上深く考えようとはしない。言われた通りの場所に腰を据えるのだった。
666から距離を取った千黄は、虫よけのスプレーを体に吹き付ける。そして自分の目の前に水の入ったペットボトルを置いた。
「準備完了ですね」
そう言って千黄はその場に座り込む。その視界に映るのは、大量の星。
「666、星が綺麗ですよ」
「おーほんと、きれいだねー」
メトロノームのごとく平坦な声と、途轍もない棒読みな声が交差する。
「ねー、十分って長くない?時間配分ミスってね?」
「そうだったら良いんですけどね……まあ、待っていてください。火をつけるのにはどうしてもそれくらい必要ですから」
666が千黄の手元を覗くと、木の枝と皮を擦り合わせ火を点けようとしているのが見えた。
「そんなのしなくても私なら直ぐ点けられるんだけどー」
「私が点けないと意味が無いので」
666の言葉を一蹴し、千黄は枝を両手で擦り続ける。しかし、冬場の乾燥した木なら兎も角夏場の木では火をつけるには相当な時間がかかるだろう。
だが、千黄は木を一ミリもずらさずに擦り、一切の無駄を無くしている。やがて煙が立ち上り、吹きかけた息と掛けられた木くずに反応して火がこった。
ここまで、九分と三十秒。
千黄は点いた火に木くず、それと懐から取り出した物をくべ、更に燃え広がらせていく。
九分五十秒の時点で火は人の頭ほどの大きさになっていた。
「これで十分ですね。では666、防御を」
千黄の言葉に従い、666が防壁を出現させる。
その直後、太陽と見まがうほどの光球と熱が出現した。
「え?、なん、えー?」
余りにも急に出現した予想外に666が何とも言えない声を上げる。その間にも光球は凄まじい熱と光を放ちながら空を移動している。
不思議な事に、確実に熱は放たれているにも関わらずそれが周囲に引火した様子は無い。どころか、先ほど千黄の起こしていた火が段々と小さくなっていく。
「しかしまあ、予測はしていたとは言え実際に見ると割と凄いですね。百鬼夜行の最後尾、太陽と見紛う大妖、空亡。見立てとはいえ、中々に強大です」
放たれる光に目を細め、しかし普段通りの無表情のまま千黄は淡々と話す。
666の防壁で熱は防がれている。それでも防壁外から流れ込む空気は熱の影響で乾燥し切り、内側の水分を奪っていく。
カラカラに乾燥した空気の中、千黄は変わらぬ調子で話を続ける。
「人が認識することで妖怪は生まれる。なら、太陽でさえ妖怪と見立てられたなら妖怪となるでしょう。
しかし、足りない。
古くから知られていたわけでも、万人が知るわけでも無い空亡には存在を成立させるだけの力が無い。
故に、辺りから熱を、光を、地脈を吸い上げ己の力とし、存在を維持し続ける。
しかしまあ、昼に現れることができていればいくらでも熱と光を得られるでしょうに、百鬼夜行の終わり、夜の間にしか現れられない空亡には昼に現れる事ができない。精々自分が現れることで辺りを昼の様にするだけ。地脈に至って吸い上げられるようにしたにも関わらず昼の間は完全に放置。
そんなもので私の予測は覆せませんね」
千黄の目の前に置かれたペットボトル。それは絶妙に防壁の外に出ており、開けられた蓋から蒸発した水は、防壁によって熱を取り除かれ湿気を含んだ空気として千黄に流れ込んでいた。
しかし、それでも喉は乾く。
時間が経てば乾燥した空気によって唇はひび割れ、喉にさえダメージが行くだろう。
そうなる前に千黄は話を終え、666に指示を下す。
「666、さっきの火にあなたの一部を混ぜてあれに吸収させました。眩しいのでさっさと斃してください」
「……分かったけどさあ、体の一部とか勝手に持ってかないでよ」
やりやすくなったけど、と呟き666は目線の先の空亡を遮る様に手を翳し、そのまま何かを潰すように握り込む。
その瞬間、浮かんでいた空亡が爆ぜる。
あっという間に光と熱は掻き消え、辺りに平穏が戻った。
「さて、終わりましたね。666、さっさと帰りましょう。背中に乗せてください」
「はいはーい」
666の背中に千黄がしなだれかかる。
一瞬もせずに二人は雲の高さにまで飛び上がっていた。
来た時とは違い、さしたる会話をする事もそんな間も無く二人は家へと帰り着く。玄関の扉を開けた二人を、明らかに怒っている姦が出迎えた。
「ねえ、私の財布持っていったの、あんたら?」
「はい」
「え、言うの?」
大人しく財布を渡した千黄を訝しみながら、姦は財布の中身を確認する。
「…………ほとんど入って無いんだけど」
「まあ、色々使いましたからね」
半日以上乗り続けた電車賃、水の入ったペットボトル、虫よけスプレー、その他もろもろで計三万円ほど。
元々余り入っていなかった姦の財布を軽くするには十分な金額だ。
「……あんたさぁ、もう、あれだわ……」
「■■」
言語を超え、意味が直接頭に響く。
その直後、長大な剣が千黄の首めがけて振るわれた。
禍々しい軌跡を残して振るわれたそれは、千黄が身を屈めたことで回避される。だが、攻撃はそれで終わらない。
上方より衝撃が降る。その場を飛びのいた千黄の数ミリ手前に、底の見えない穴が開いた。
「へーい、流石にやり過ぎじゃねー」
平坦な調子で666が姦に声を掛ける。が、反応は帰って来ない。否。
姦の首が前を向いたままグルリと回転する。目に正気の色は無い。
「──────!!!!!」
音にならない何かを口から放ち、姦が千黄へ襲い掛かる。回避は間に合わない、絶死の一撃が振るわれた。