チャプター2‐3
チャプター2‐3
【夕方:ポンプ室】
咥えている肉の管から、何かが彼女の体内に送り込まれた。千鳥はうっすらと目を開けた。水滴が二粒落ちた。一つは彼女の目元に、もう一つは、ほくろのある口元に。
今、天井から逆さに吊られた彼女の目の前には、普段から愛用しているミントグリーンのイヤホンがポケットから垂れ下がっていた。足元はアスファルトにも似た質感の、泥のようなもので固められていた。
弾力を伴う肉の管が千鳥の口腔内から喉を通り、胃に達するまで続いている。そのため、嚥下が出来ず、また呼吸も苦しかった。
「…………」
体全体を粘液が覆っている。石膏のように足元を固定するものは、どうやらこれが固まったものらしかった。千鳥が薄目を開け、眼球だけを動かし、首を巡らすと、そこはどうやらある程度の広さのある小屋か何かの様で、天井からは、同じように何人かの人間が逆さに吊るされていた。それらは皆、自分と同じくえんじ色の弾力のある肉管を口にくわえさせられていた。卵の腐ったような臭いが部屋に満ちていた。
吊るされた人々の中には、親友の志賀京子の姿もあった。
部屋には、怒号と痛々しい骨がきしむ音、銃声、そして人ならざる者の断末魔が飛び交っていた。その合間を縫って、どこからか多量の水が流れる音と、大きな機械が稼働している音が聞こえる。
千鳥の真下に、異形の怪物の死体が転がされる。やせぎすの手足に、先端が矢じりのような形の鋭い尻尾、肥大した長頭を持つ怪物の胸のあたりには、深紅の宝石が砕けて散っていた。この世のものとは思えない醜い造形に反応する間も無く、千鳥は再び意識を失った。
【夕方:ポンプ室】
ここで戦っているのは、変身した関と槇原だった。
グリードが左右の手で、それぞれなんとか小型の二体のドゥームの動きを押さえつけていた。首根を掴み、彼らの口腔内にある、杭打ち機さながらに飛び出す尖った舌に腕を傷つけられないよう、握力で首の向く方向を固定する。
守りの薄くなったグリードの胴体めがけて、三体目が飛び掛かった。グリードはとっさに両手に持つ同類で防御しようと試みるが、それも間に合いそうになかった。ドゥームの口の中から現れたもう一つの口が、関を貫かんとして急接近する。
しかし空中で牙をむく敵は、こめかみを撃ち抜かれ、その反動で横っ飛びに飛んだ。間髪を入れず発砲音がして、グリードの両脇にいる二体も、胸部に風穴が開いた。
弾丸を発射したのは、変身した槇原だった。重火器に変化した右腕の銃口からは、白い煙が立ち上っていた。
グリードの手の中の二体は、今まではグリードの手を振りほどこうと、手足を振り回して抵抗を続けていたが、今となっては力なく、だらりと腕をぶら下げていた。グリードは指を広げてそれらを捨てた。
『RRrr…………』
『礼なら、ちゃんと話せるときに言ってくれ』
無線機を介したような、ノイズ交じりのくぐもった声が槇原の変身体から発せられた。変身した彼は身にまとった迷彩柄のマントをひるがえし、物陰に隠れて銃撃を始めた。
グリードは肩をすくめ、別のドゥームに攻撃を仕掛けに行った。
【夕方:ポンプ室】
槇原の変身体の名前は『グラボイド』と言った。名前は彼自身が名付けたものだ。
黄土色の体は植物の茎を思わせる細さだったが、右手は複雑な機構を持った巨大な銃器となっていた。頭にはすげがさに似た帽子をかぶり、その陰からは、機械的な赤い大きな単眼が覗く。
その野性味あふれるモノアイのウォッチャーは、迷彩柄(比喩ではなく、本当のミリタリー的なカモフラージュ柄だった。グリードにせよ、グラボイズにせよ、あしらわれているデザインがいずれも極めて現代的だというのが、彼らの外見の共通の特徴だった)のマントを羽織っていた。マントにすっぽりと身を包むと、彼の体の直径は元の何杯も太く見え、樽のようなシルエットになった。
(ザクみたいだ)
「ザクみたいだって思っただろ」
「うん」
「赤くペイントすると何と速度が、気持ち、1.5倍くらいになる」
「プラシーボじゃないか。本当に気持ちかよ」
グラボイドが火器に変化した手首をひねると、掌にある銃口が展開、変形し、超小型のミサイルの弾頭が顔を覗かせた。グラボイドはそれをドゥーム達に向かって打ち込んでゆく。ミサイルが彼らを追尾し、着弾すると、爆発が腕や頭を吹き飛ばした。一発発射する度に、反動を抑えるため、肘にある小型のバーニアが姿勢制御のために火を噴くが、それでもグラボイドは、逐一もう一方の手でアームキャノンを固定していないといけなかった。
しばらく戦闘が続いた後、ゴムボールのように部屋中を立体的に跳ねまわり、最後は正面から突っ込んできた一体を、鼻先三寸のところでグラボイドが撃ち抜いたのを最後に、部屋には生きているドゥームの姿はなくなった。
いずれの死体も、急速に水気を失った乾いた土のような質感に変化していた。
『これで最後か?』
電子音声が聞く。
「ああ…………いや、ちょい待ち」
既に人間体に戻っていた関が、グラボイズの肩越しに手だけを変質させて伸ばした。吊るされた人間たちの間に、他の個体よりも一回り体が大きく、しっぽや体の各所にある棘が比較的発達したドゥームの姿があった。しっぽの先端の矢じりからは紫色の毒液が滴り、それは今まさに京子に尻尾を突き刺そうとしていた。最後の生存者はすぐに引きずり出され、紅の宝石は関の赤い正拳突きで砕かれる。最後の残党は手足を痙攣させると、すぐに動かなくなった。
「まだ一匹残ってたな」
槇原は機械的な一つ目からの姿から、二つの鋭い切れ長の瞳を持った人間体へと戻った。
「ありがとよ。多分、こいつがこの分隊のリーダーだ」
「分かりやすくそんな感じだな。他よりも体が大きいし、最後まで隠れ通してた」
「そういや腕だけ変化させてたけど、疲れたりしねぇの? 一五分ぐらいしか戦えないんだろ」
「全身丸ごと組み替えるよりは負担が少ないんだ」
「さいでっか」
関が煙を上げるドゥームの死体を転がす。
「けど、こいつが一族の大ボスってわけではないんだよな」
「ああ。群れの中では比較的大きいが、女王バチとすれば小さすぎるし、最近聞く誘拐事件を鑑みるに、もっと規模の大きな巣がなくちゃ辻褄が会わねぇ。しかも被害者の数も、これじゃまだ足りねぇ」
「でも僕ら、ここら辺一帯はかなり探したぜ。人気のない、それでいても水場が近い場所って限られてるだろ」
「まあな。ここで見つかった奴ら以外のことは明日に回す。調査開始したその日に見つかること自体が相当ツイてるんだからよ」
「とりあえずこの人たち下ろしちゃうか」
変身を解いた槇原は前髪をかき上げてため息をついた。
(こうしてる間にも、こいつらの卵がポコポコ産み落とされてるってか…………クソ忌々しい)
【夕方:ポンプ室】
ピエロ姿の奇人の目撃情報に続いて起こったのは、同時多発的な、誘拐事件、失踪事件だった。老若男女関係なく、突然にして人間がいなくなったという通報が相次いだのだ。
通報の中には、洗濯物を干している途中に少し目を離している時、階下から硫黄の匂いが漂ったかと思うと、二三の物音ともに愛娘が消え、ただ今まで遊んでいたぬいぐるみだけが転がっていた、といったものもあるという。
固い顎髭を蓄えた初老の男が槇原の自宅を訪ねたのは、五日前の事だった。一日の内に、四人。続いて翌日には、更に四人、今日は三人の行方不明の連絡が寄せられたと男は言っていた。男は木下という名前で、刑事だった。
事件現場や、被害者の日常的な行動を聞き取ってゆくうちに、事件の被害は『湯谷燃料』という会社に勤める従業員か、あるいはその親族に集中していたという事実に突き当たった。
「ユタニって言うと、タグルートの系列会社やな。同僚に、ダンナの事見てへんか電話して初めて、みん
な行方不明になってることに気が付いたんやと。まだ失踪届出してへん家もあるやろし、ホンマの数は分からへんけどな」
また、現場には、水溜まりが残されており、その成分はここら一体の河岸を流れる水のそれと一致したという。
「そういう訳やから、あんたらんとこに来たんや。得意やろ、こういうん。張男くん、君も学校で、お父さんかお母さんが湯谷燃料に勤めてるってやつおったら、ちょっと言ったげてな。おっちゃん、君がもう『仕事』を受けとるんかどうかは知らんけど。どうなん実際?」
木下の質問を曖昧に聞き流し、父に伝言を伝えて来ると言って、槇原は引っ込んだ。
(…………親父、今日には調査に出るって言ってたけど、ぜってー無理だよな)
彼の思い浮かべるのは、苦しそうな咳をしながら、手からあふれんばかりの錠剤を、少しずつ小分けにして飲んでいる父親の姿だった。
槇原は秘かに自室で『仕事道具』の手入れを始めた。
ともかく、関と槇原は以上のような理由で、今回の事件は水棲か、あるいは水を潜って移動することの出来るドゥームの仕業と見当をつけて、街にある河川が近く、人目のないような場所を捜索していたという訳だった。
「おい、いたぞ。上羽さんと志賀さんだ!」
関が逆さづりにされている一人を指さした。それこそが、上羽千鳥だった。
二人がいよいよ本格的に捜査に乗り出したのは、槇原が知らせを受け取った翌日、湯谷燃料の研究員を父に持ち、経済的に余裕のある家庭の多い(と言われている)半月学園の生徒たちの中でも、比較的大きな資産を持つと噂される才媛上羽千鳥とその友人志賀京子が、一昨日の別れを最後に、連絡が取れないというのを耳にしたからだ。
『Tremors(邦題『トレマーズ』)』 1990年1月19日アメリカ公開、上映時間96分
監督:ロン・アンダーウッド
脚本:ブレント・マドック、S・S・ウィルソン
主演:ケヴィン・ベーコン、フレッド・ウォード、フィン・カーター…………(※3)
あらすじ:ネバダ州の町に住む便利屋のバルとアールは、生活に困窮し、隣町のビクスビーに移住する。 道中町民の酔っぱらいエドガーを発見するが、彼は鉄塔の上で脱水症状で死亡していた。さらに、羊と共に何者かによって食い殺された老人の遺体も発見される。訝しむ彼らだったが、すぐにそれは砂中に潜む地底生物グラボイズの仕業だということが判明した。音を頼りに獲物を狩るグラボイドのために、砂漠という開放的な空間にも関わらず、逃げ出せない窮地に陥ったバルたち。果たして彼らの運命は…………。