チャプター2‐0
チャプター2‐0
【夕方:北校舎】
半月高校の北校舎は、いつも薄暗かった。陽が射さず、また人が通らない限りセンサーの反応しない電球のおかげで、建物の隅にはいつも薄暗がりがあった。その中の一室、扉の向こうからは、男が電話口で話しているのがくぐもって聞こえた。
「はい…………はい、分かってます。どうやら、何日か前に不備があったようです。いえ、よくあることです。大方、多数の人間に目撃され、噂そのものに引っ張られて、身動きできずにいるのでしょう。人間の心を読み取って生まれるような奴らですから。だから大丈夫…………ではありませんね、はい。仰る通りです。すぐに、山の機器の確認を取ります…………今日中? いえ、今日は授業もあるし、生徒に怪しまれますから…………はい、はい、仰る通りです。了解です。今日中に確認します。ええ、では後程連絡を…………」
沈黙があってから、電話機が投げつけられる音、続けて力任せに机を蹴たぐる音が聞こえた。
「…………なにが専務だカスめ。俺を見下しやがって…………どうせ負け組って思ってるんだろ。いつもいつも上から目線でよ…………ぜってーぶっ殺してやる、畜生、畜生、カスめ、ゴミめっ…………!」
チッ、という舌打ち。
たまたま女子生徒の一人が用があってこの部屋に立ち寄った。
彼女は部屋の中に入る。ドア越しには彼女の声だけが聞こえた。
「毛尾先生…………これ、提出物です。はい、それじゃ…………」
部屋の外で剣呑な物音と物騒な独り言を聞いていただけに、なるべく早く教室を去ろうとした彼女だったが、しかしそれは叶わなかった。
「え、ちょ、何、なんで脱いでるんですか…………近づかないで下さい」
ドタバタという物音が響き、
「いや、やっ、止めてっ! 誰か、警察…………!」
という悲鳴が混じる。取っ組み合う音は尚もしばらく続いて、一旦止んだかと思ったら、すぐに扉を破ってシャツと下着を脱がされた半裸の生徒が飛び出した。
彼女は扉から五メートルほどの所までは逃げおおせることが出来たが、しかし、何か見えない力が女子生徒の髪の毛を掴んで、床に叩きつけた。
「痛い!」
リノリウムの床を蹴る足はうまく摩擦がかからず、かかとが表面を滑るだけだった。彼女の体はそのままずるずると部屋の中まで引きずられていった。
なおもしばらくの間はとぎれとぎれの悲鳴が扉を通じて聞こえてきたが、それもじきに静かになった。
後は結局、薄暗い廊下に、固い扉が冷徹に立ちはだかっているだけだった。
扉の向こうにいる男は、毛尾弁吾という名だった。半月高校の生物教師だった。