チャプター4‐13
チャプター4‐13
【夜:海底研究所】
「49 14 122 48…………49 14 122 48…………あった!」
ハルの告げた番号の部屋は、一際大きな扉が立ちふさがっていた。分厚い鋼鉄のスライドドアには僅かな隙間が空いている。どうやらハルが消える間際に、かろうじてこじ開けたものらしかった。
関が両腕をグリードに変えてそこに指を突っ込む。渾身の力をもって、彼はそれを開帳せしめた。部屋内部は暗く、一メートル先も見えなかった。
「明かりはどこっスかね…………これかな?」
来世が手当たり次第に壁面のスイッチを押して回ると、その内の一つが反応した。部屋の正面の壁が音を立てて開き、超水圧に耐える極厚の強化ガラスを隔てて、深海二千五百メートルの暗黒があらわになる。
低い起動音の後に、基地の外のライトが灯り、それは深海のクレバスを関たちの目の前に照らし出した。どうやらこの部屋は、件の『海溝』の断崖絶壁を臨む形で立てられているようだった。窓の右隣の壁際には、今まで関たちが『発信機』と呼んできた、黒い円盤を何枚も合わせ作った黒い球の、さらに巨大なものが鎮座していた。
基部には小さく『H.YOSHIDA』とある。
「この中に春子が…………」
関はすぐ側の機械を調べ始める。
「これを開けるボタンがどこかにあるはずだ。二人とも、手伝ってくれ」
キリタニと来世も手分けして手がかりを探り始めた。
「気を付けてね。どういう状態で保管されてるか分からない以上、扱いは慎重にならないと。特にスイッチにキャップがかぶせられてたり、あるいは近くに鍵穴があるか、もしくは警戒色の縞で囲まれてたりするものは、迂闊に触っちゃだめだからね」
しかしキリタニの言葉も、焦る関と、機械類に強くない来世にはあまり響いていないようだった。
無我夢中でスイッチを探す関の背後で、来世があるボタンを押すと、目の前のモニターに何かが表示された。それはやはりあの『発信機』の図解だった。
「キリタニ君、これって手がかりになるっスかね」
「見せて」
来世の元に駆け付けたキリタニは、近くにあった球を転がすタイプのマウスでクリックを何度か繰り返す。
(BIS、EED、δ、θ、α、β、γと銘打たれたグラフ。単位はヘルツ。横軸は薬物の投与量か。フェノバルビタール、フェニトイン。見覚えがある単語ばかりだが、一体どこで見たんだっけ?)
あるファイルを開いた時、少年の目は大きく見開かれた。
「嘘だろ…………」
同時に関もまた発見をしていたようだった。手書きの文字で『開』と書かれたメモが真下に貼られたスイッチを見つけたのだった。
「あった、これだ!」
「待つんだ、セキッ!」
キリタニの制止も聞かずに、関はスイッチを跳ね上げた。石臼を引くような音と共に球を取り囲む円盤が取り除かれ、次第に球状の培養水槽が明らかになってゆく。関の手が固く握られる。彼の心にはハルが言い残した言葉が未だに反響していた。
(正義を為すのよ、進)
やがて円盤はすべて水槽の後ろ側に引っ込んでいった。しかし関は視界に飛び込んできた光景を、到底受け入れることは出来なかった。
「これ、は…………」
淡く発光する水色の培養液の中には、幼馴染みの春子の見知った姿はなかった。
代わりに、一つの脳髄とそこから伸びる延髄、それを主幹として枝分かれした全身の神経だけが抜き出されて、電極を接続されて浮かんでいた。
両足に張り巡らされていたであろう神経束が纏められ、両手を広げたような恰好で固定されているのは、どこかキリストの磔刑の図の様だった。
(それがウォッチャーの使命なのだから)
関は膝から崩れ落ちた。今彼が目にしているものは予想を完全に超えていた。彼の口は馬鹿みたいに開けっ放しのまま閉じられず、もつれた舌が何か言葉を紡ごうとして、それでも失敗するのを繰り返した。
「だって、からだ、って…………」
パクパクと口唇を動かすさまは、酸素不足にあえぐ魚のようだった。
驚愕は来世にも共通していた。彼女はハルの負傷の度合いがどの程度のものか見当もつかなかったが、しかし心のどこかでは自身の『プラネットエックス』が対処できる班にの者だと予想していた。だがその予想も今や完全に覆されていた。
ただ一人キリタニだけが唇を噛んで、耐えがたいある衝動を必死に抑えていた。彼が直前まで見ていたモニターには、脳波のスキャン図と、球状の装置のくるくると回転する3Dモデルが映し出されていた。
誰も、何も言うことが出来なかった。
沈黙を突き破って地響きが巻き起こる。非常電源が揺れる代わりに今まで眠っていた機器が目覚め始めたようだった。あちこちのメーターやモニターが火花と共に一斉に作動する。ハルの脳の入った水槽の水が泡立ち始めた。すぐ隣に見える海溝は、その深淵から怪しいピンク色の光を漏らしていた。
途方もないエネルギーがそこから流出しているようだった。警告音が研究所に響き渡る。
『警告。水温上昇、水温上昇。係員は至急、施設緊急温度調整システムを作動させてください。繰り返します。水温上昇、水温上昇。係員は至急…………』
寒々しかった部屋の中はあっという間に蒸し風呂のようになった。点滅する赤色灯の下でキリタニが二人に呼びかける。
「…………ボクらは今すぐここを脱出しないといけない。立つんだ」
「…………」
関は少年の言葉など耳に入っていないようだった。ただ呆然として水槽の前に座り込んでいる。関よりも早く自分を取り戻した来世が彼の手を取り、無理やりにも立ち上がらせようとした。
「ほら、行くっスよ。ヤバい状況っス」
「…………からだ、って何度も…………だから僕らはそれを…………」
「行くっス、関くん。アタシたちは今ヤバい状況なんス」
「…………でも」
「いいから行くぞオラァッ!」
手の甲で関をぶつと、来世は小柄な彼の体を担いでキリタニの元に向かった。三人は懸命に出口を目指した。途中彼らの姿を見咎める者もあったが、警報の鳴り響くてんやわんやの中では誰もしつこく彼らを捉えようとはしなかった。取り押さえようと向かってきた何人かは、ミスト・ポッドの触腕によって打ちのめされた。
入って来た時のワープゲートは既にロックされていた。おそらく地上と海底の両方の申請と承諾があって初めて開通するシステムなのだろう。
「どうする。タグルート社地下に繋がる通路を…………いや、同じことか」
必死で頭を巡らせるキリタニの横で、関を背負った来世はある扉を見つけた。
『EXIT』の文字の下に、緑色の光を漏らす古びて薄汚れた扉。彼女がタグルート社地下から異空間に迷い込むきっかけとなったのと同じ扉。それが今、来世たちを誘うかのように研究所の廊下に出現していた。
少しの逡巡の後、彼女はキリタニの手を引いて扉を蹴破り、中に転がり込んだ。
【夜:府の中心街】
(ゼノ・ガールは来そうにないな。上羽の方に何かあったのか? 無事だといいが…………)
クローバーが狂ったように追いかけるのは、街を走るグラボイドだった。いつかのオーバールックよりも数段凶暴な攻撃が彼を襲う。すんでのところでグラボイドは街路樹の植えてある地面の中に身を吸い込ませた。
彼はクローバーを出来る限り人々の非難が終わった区域に誘い込もうとしていた。
(このまま御所の方まで誘導できれば、一気に被害を減らせる。土の地面がある所だからグラボイドの潜行もやりやすくなる。今はもう少しだけここに潜って…………)
そう思ったのも束の間、グラボイドは彼の体を包む土ごと宙に巻き上げられた。
『は?』
クローバーの鋭いかぎづめは、犬がそうするかのようの地面を削り、ついにグラボイドを掘り当てたのだった。空中に浮かぶ彼の体は、巨大な手によって横殴りに側のビルに叩きつけられた。女神の顔はビルの側面に生じたクレーターの中心を確かめるが、そこにグラボイドの姿はなく、窓のガラスが人間一人分大に穴が開いているだけだった。
『…………ごふっ』
ビルの奥に転がるグラボイドが血を吐いた。叩きつけられる直前、窓ガラスを撃って亀裂を入れておいたおかげで、衝撃をある程度軽減することが出来た。しかし、だからといって全てのダメージを帳消しにするのは不可能だった。
槇原の脇腹には、巨大なガラス片が深々と突き刺さっていた。
クローバーの金色の瞳が建物を覗き、次いでその禍々し爪の付いた指が、部屋の中をほじくり回した。
『…………クソが、こっちは、まだ…………』
歯を食いしばって体を転がして指の追跡から逃れる。彼が腹這いで横方向に移動すると、怪獣の指と目が交互にビルの外からそれを追った。
脇腹から流れる血が、彼が這いずり回った跡として残った。
ついにグラボイドが部屋の壁際まで至った時、クローバーはぐっと顔を近づけた。未だ割られていないガラスを隔てて両者は睨み合う。
この時にはもはや槇原の変身は解けていた。どうにか壁に背中を預ける際にガラス片が揺れ動き、その痛みが彼をさいなんだ
マキハラはかすれる視界を堪えて、唯一残った変身部位のアームキャノンを構える。彼は迫りくる死の恐怖を見ないふりをしながら、なるべく不敵に笑って照準を合わせた。
内部で引き金が引かれるが、がちりと音がしただけで結局弾は排出されなかった。彼の腕時計にはとうに残弾無しの表示が浮かんでいた。
彼はそのままクローバーから視線を外そうとしなかった。弱り切った彼の腕には、腕時計に仕込まれている自爆機能をセットする余力も残されてはいなかった。
いよいよ槇原が覚悟を決めた時、クローバーはつと顔をそむけたかと思うと、そのまま今までの道を戻って行ってしまった。
「待て、そっちには…………!」
槇原は焦りから身を起こすが、その拍子に脇の傷から激痛が走って顔をしかめた。
彼の努力も虚しく、クローバーは新たな破壊の嵐を巻き起こそうと、槇原の誘導を全て無に帰すように逆の方向へ去って行った。
槇原の顔には様々な人間が浮かんでいた。父親、母親、弟の有男、先ほど別れた千鳥、親友の関、同じ頭脳役として案外仲良くやっていけたキリタニ、出会ったばかりの奇妙な女性の加藤来世、その他の人々。各人の顔を思い浮かべながら、槇原の意識は遠のいていった。
銃口が下ろされ、静寂が満ちた。
割れた窓ガラスから、涼やかな夏の夜の風が一陣吹き込んだ時、残弾無しを告げていた彼の腕時計の画面は、ろうそくの炎を吹き消すかのように、ふっと消えてしまった。
【夜:京子の自宅前】
千鳥は汗をかきつつ、自分の体力を越えて走っていた。彼女が向かっているのは京子の自宅だった。先ほどわずかの間だけつながった通話の中で、彼女は自分の家にとどまっているという点だけを聞き取ることが出来た。
(あの子ん家の近くに、隣の県と繋がるトンネルがあった。あそこにドゥームを配備されてたらまずい!)
そんな千鳥の不安を更に煽るかのように、道行く彼女の目の前にあるものが現れた。それは、今まで千鳥が何度となく対峙してきた、あのビュイックだった。傷一つない滑らかな車体は、場違いな美しさを醸し出していて、それがなおさらその不気味さを引き立たせていた。
「やれ、ゼノ・ガール!」
千鳥の体から紫色のスマートな影が飛び出し、トランクごと内部の『発信装置』兼『制御装置』を破壊した。
千鳥は全身全霊をかけて親友の元に向かった。今や心臓ははち切れんばかりに脈打ち、肺は燃え尽きそうだった。乾いた口の中に髪の毛が入るのも気にせず彼女は走り続けた。やがて『志賀』の表札がかかった家が見えて来る。
ブレーキをかけず、走る勢いのままにチャイムを押し込み、応答を待つ。二、三秒の時間が永遠にも感じられた。
玄関の開く音がして千鳥が顔を上げると、そこには待ち望んだ姿があった。ライムグリーンの眼鏡をかけた京子が、心配そうに千鳥を出迎えていた。
「千鳥ちゃん…………?」
たまらなくなって千鳥は彼女に抱き着いた。汗に濡れたシャツが肌に引っ付いたが、ほとんど気にならなかった。
「京子、生きてた…………ッ!」
その拍子に目から少し涙が零れ落ちてしまった。
「生きてた、生きてた!」
「え、何。どうしたの? 怖いことでもあった?」
状況が飲み込めていない京子は、自分に縋りついて泣く親友の姿に戸惑いを隠せなかった。千鳥は頭を振って京子から離れ、袖で涙をぬぐってから彼女の肩をもって正対する。
「いい、京子。今から私が言うことをよく聞いて。これからとってもヤバいことが起こる。私たちがさら
われた時よりも、もっとヤバいことが起こるの。沢山の人が被害にあうし、その全部は防げない。だから私は、これから京子と敬を出来る限り安全な所に連れていく。今から敬の家まで行くから、一緒についてきてくれる?」
京子は親友の突然の物言いに怯んだが、一度恐怖を体験した者として比較的すぐに落ち着きを取り戻した。
「で、でも芦田君を迎えに行くなら、私は家にいた方がいいんじゃないかな。足手まといになっちゃわない?」
「それじゃ駄目。私の家に侵入した奴らと同じ類だから。それに、何より私が耐えられない。もう手の届かないところに人を置いとくのはムリ…………」
千鳥の真剣な眼差しに感じるところがあったのか、京子は素直に分かったとうなずいた。
「でも、お父さんとお母さんは?」
「京子の両親には後で連絡する。だからすぐにここを…………」
千鳥が京子の手を引いた時、彼女たちの目の前に二体の異形の者たちが現れた。
ゾンビのような風貌でありながら、頭にはガラス製の四角い箱を被っている。京子の前に出た千鳥の腹の裂け目から、ゼノ・ガールが躍り出た。
『こんにちは、志賀京子。私はゼノ・ガール。初めましてではありませんね。詳しい説明は後に回します。今は出来る限り私と上羽千鳥から離れないようにして下さい』
簡潔に述べてから、ゼノ・ガールは活路を切り開くべく、二体のドゥームに立ち向かっていった。
【夜:府の中心街】
関たちが脱出を果たしたのは、前回とはまた違った出口だった。光が漏れる扉を開けた彼らは中心街の、まさしくクローバーが通り過ぎた後の壊滅的な被害を受けた区域に出た。
「何スかこれ!?」
一変した街の様子を見て来世が驚きの声を上げる。折れた街灯からは火花が散っていた。
「『クローバー』って奴がやったんだろう。これだけのことをしでかすんだ、鉢合わせるのはまずい。霧の煙幕を張っておくが、充満するまでの間は気を付けていてくれ」
少年の袖から霧が噴出し始めた時、関が来世の背から降りて、微かに呟いた。
「…………槇原は」
来世からいたわりの視線を向けられながら、関はあたりを見渡した。
「ああ、街の人の救助に向かったんだっけ。でもそれはチドリも同じだよ」
「そうじゃない」
「え?」
「…………あいつは今、ピンチに陥ってる…………分かるんだ…………急がないと」
腕を伸ばしてあたりの建物の建物の屋上の辺を掴み、関はひらりと身を翻してどこかに飛んで行ってしまった。驚くほどの機動力を発揮して、立ち並ぶビル群の屋上を跳ねる関を、キリタニと来世は必死で追った。
彼らが傷ついた槇原を発見するのは十分後の話だった。
【夜:駅前のタワーの頂上】
吉田千怒がいるのは、先ほど大爆発を巻き起こした駅のすぐ目の前にある、ホテルの上に建てられたタワーの頂上に立っていた。眼下のロータリーには消防車が急行していた。
駅舎の正面改札のガラス天井は崩れ、炎に燃え上がる校舎内からは、人々が酸素不足とやけどでのたうち回っているが見えた。遠巻きに火事の様子を眺める人々の中には、ショックからむせび泣く者もいた。その肩を抱く人間もまた、衝撃のあまりに顔面蒼白となっていた。
夜空を昼のように照らす炎を背景に、千怒はくるりと後ろを向く。
府の中で一番高いこの建物からは、東から北、西にかけてを山で囲まれた府の全容がかなりよく見渡すことが出来た。
彼は先刻駅を爆破させてように両腕を掲げる。ヨガのような動きでゆっくりと、円を描くように。目の前に広がる府の半分を包み込むかのように両手を動かすと、府の街並みを囲う山々の尾根に、禍々しい緑の光の筋が浮かび上がる。
「ようやく、住みよいところになる」
目を瞑った千怒が手に力を込めると、彼の体はタワーの突端から浮かび上がった。千怒は正体不明の濃い緑色の光球に包まれた。
ほどなくして彼の動きと連動するように、山の尾根の筋から光のカーテンが立ち上がった。オーロラのように揺れ動きながらも、濁った排水のような緑色のそれは次第に曲がり、ついには府の半分をすっぽりと覆う巨大な光のドームに変化した。
「『庭』の次は客人だ」
【夜:海溝のゲート】
同時刻、海底基地では、ハルの脳と神経をおさめていた制御装置は、まさしくその役目を果たしているところだった。警報装置が鳴り響く中、研究員たちが右往左往して必死に海溝のゲートと建物型ドゥーム『コリンウッド』の接続状態を維持していた。
ハルの脳は制御装置の一部品として、ドゥーム世界との通行可能の状態を保ち続けた。そこに彼女の意思があったかどうかは分からない。警報装置が『警告。水温上昇、水温上昇。係員は至急、施設緊急温度調整システムを作動させてください』と繰り返していた。
制御装置から伸びるケーブルの先はコリンウッドの中に入り、やがてその病院風の内装は失われ、ただ岩壁が奥深く伸びる巨大な洞窟へと転じていた。果ては見えず、生者の姿はどこにもない。
そんなところにふと硫黄臭のする風が吹いたかと思うと、洞窟の奥の暗がりから、ピンク色の靄と共に数多の異形の者たちが現れた。彼らは最初はゆっくりと、次第に駆け足になって、決壊した川の奔流のようにそこから溢れ出た。その勢いはとどまるところを知らず、人型、獣型、不定形、それらの配合、あるいはそのいずれにも属さない姿形の者たちは、皆一様に地上を目指して奔走した。
来世の暮らしていた『コリンウッド』は彼らを歓迎するかのように、狭苦しい廊下を幅広のものへと組み替えた。緑色の光の満ちる空間を抜け、ある者は研究所に迷い込んで職員たちを虐殺しながら、ある者はハルの脳と神経の入った容器を巨体で押しつぶしながら、異形の存在達は地上を目指した。
そしてついに、最初の一体がある出口から現れたかと思うと、さらにそこから、破壊された研究所から漏れ入る海水と共に、数えきれないほどのドゥームたちが野に放たれた。
緑色のオーロラのドームの中で、駅で起きた爆発に準ずるほどのパニックと恐怖が巻き起こった。
ある者は生きながら溶かされていったし、たまたま近くにいた人間と融合して別個の生命体として生まれ変われさせられた者もいた。もっともその程度ならば、ドゥームの世界ではたいして珍しくもない光景だったが。
体にミミズもどきを詰め込まれるのも、胸を槍のような尾で貫かれるのも、あるいは究極の快楽の中で死んでいくのも、全てみなありふれたものだ。
殺戮と蹂躙を本性として持つドゥームたちは、野蛮の限りを尽くして人々に襲い掛かった。彼らに寄生主を殺すことのためらいなどありようもなかった。同じことはユタニの研究所周辺でも起こっていた。
ドームの中に溢れる恐怖と絶望を一身に感じ取りながら、吉田千怒は生まれて始めて微笑んだ。歓喜と恍惚の中で彼はうっとりと呟いた。
「これぞ地上の楽園」
【夜:県境の道】
さらに同時刻、千鳥は芦田と京子と共に辿り着いたドームの果てで、手に血を滲ませてその緑色の光の壁を打ち壊そうとしていた。しかしオーロラらのように薄く儚い外見とは裏腹に、壁は彼らに退路を差し出す気配をまったく見せていなかった。
さらに同時刻、槇原は生死の境をさまよいながら、キリタニと彼の怒鳴り声の指示を受ける来世によって治療されていた。彼の青ざめた頬にはなかなか血の気が戻ってこなかった。
さらに同時刻、その隣では呆然自失の関がうつろな瞳で、夜空を覆う緑色のドームの天井を見上げていた。
今や彼らは完全に敗北を喫していた。
ウォッチャーたちは負けた。
大小を問わない、ありとあらゆる人々の元に訪れた不幸と悲劇にもかからわず、夜は刻々と深みを増していった。
『The Cabin in the Woods(邦題『キャビン』)』 2012年3月9日アメリカ公開、上映時間95分
監督:ドリュー・ゴダード
脚本:ドリュー・ゴダード
制作:ジョス・ウィードン
制作総指揮:ジェイソン・クラーク
出演者:クリステン・コノリー、クリス・ヘムワーズ、アンナ・ハッチソン、フラン・クランツ、ジェシー・ウィリアムズ
ストーリー:大学生のデイナ、ホールデン、マーティ、ジュールズ、カートは週末を近郊の森にある小屋(Cabin)で過ごそうと計画していた。道中、行き先を尋ねたガソリンスタンドの男から小屋にまつわる不吉な話を聞きつつも、彼らは到着。週末を楽しむ彼らであったが、その夜、突如として地下室の扉が開く。薄暗い室内には物が散乱していたが、デイナはその中からある日記を発見する。それはペイシェンス・バックナーという少女の日記で、バックナー一家が犯してきた恐ろしい罪の数々が記されていた。そして、日記の最後には、謎のラテン語文が書かれていた。デイナがラテン語を読み上げると、森の中に埋まっていたバックナー一家の死体が起き上がり、小屋を目指し始めた。呪文によって復活したバックナー一家は性交中のカートとジュールズを襲い、ジュールズを殺害。残りの若者を皆殺しにしようと小屋を襲撃する。
一方、ハイテク機器に囲まれた管制室でこの惨状を監視する人々がいた。彼らは小屋や森中に設置されたカメラで若者の動きを監視し、また薬物を散布したり、照明を調整するなどして若者たちの行動を誘導し、「怪物が彼らを殺しやすい状況」をセッティングしていたのだ。…………(※26)




