お隣さんと綺麗な月と
その後、まだやることがある、と桜井さんと別れた俺は、疲れ果てていた。
正直泣かせるつもりなんてなかったし、女の子相手に言いすぎたかもしれない、と自己嫌悪に陥りそうだ。
おかげで、藤代の部屋の鍵の件も聞き忘れてしまった。
……まぁ、いいか。
もし桜井さんがやったんだとしたら、自発的に藤代に謝ってやって欲しい。
あれで一番怖い思いをしたのは、藤代だしな。
……俺も、いろんな意味で怖かったけど。
まぁ、今日やる事は全部終わった。
帰ろう、帰ってさっさとシャワーを浴びて寝よう。
藤代が後で、とか言っていた気がするけど、知ったことか。
そんなことを考えながら歩いていたので、近くに来るまで、その存在に気が付かなかった。
だからこそ、こう思った。
「お、遅かったですね、ゆーくん」
「……何してんの、お前?」
思うどころか、口に出していた。
そりゃそうだろう。先に帰れ、と言っていた藤代が校門のところにいれば、そりゃぁ何してるのか、と言いたくもなる。
「私もちょっと、放課後に用事があったので……ゆーくんを待とうかなと」
「いや、待つのはいいけどなんでこんなとこにいるんだよ、帰れって言ったろ?」
「いやー、あはは……私もちょっと、用事があったと言いますか……」
「ならメッセージ飛ばしとけよ、図書館にでもいたら迎えに行ってやるんだから」
「そ、そうですか……? すいません……」
「ったく……もう暗くなり始めてるのに……なんかあったらどうすんだ……ん?」
なんだか、いつもより藤代が静かだ。
これだけ言えば、いつものように『なんなんですかー』だの『なんでですかー』だのが飛び出してもおかしくないのだが。
不思議に思い藤代の顔を見ると、俯いて何かをブツブツと呟いていた。
何を言っているのかは聞き取れないが……正直に言って怖い。
さっき女神だの天使だの言われてたが、長い髪で表情が隠れているあたり、どちらかというと邪神寄りな気がする。
マジで怖い。
……あ。
もしかして、俺に怒られたと思ってぶー垂れてるんだろうか?
ふふふ、そういうところが子供だって言うんだよな。
おーい桜井さん、見てるか?
君の女神様はちょっと怒られたらいじけるようなやつなんだぞー?
「な、なんですかそのニヤニヤした顔は……」
「いーや? なんでもない……ま、お前も早く大人にならないとな」
そう言いながら髪をくしゃくしゃっとかき回してやると、今度は俺の顔を見ながら動きを止めてしまった。
おかしいな……髪がぐちゃぐちゃになるからやめろ、と怒るところじゃないのか?
それどころか口をパクパクして、金魚の真似事を始めるほどだ。
ふーむ……これはもう、本格的に様子がおかしい。
もしかしたら、風邪でも引いたのかもしれないと額に手のひらを当ててみるも、熱はないようだった。
ふむ。
「おい、藤代? 藤代ー聞こえてるか? おーい」
ぱたぱたと目の前で手を振っても無反応。
さてどうしたものか……と思うものの、流石にいつまでもこんな場所にいるわけにもいかず、かと言って置いていく、などありえない。
俺はこれでも、女の子に優しいのだ。
となると、俺が取れる選択肢など限られているわけで。
「はぁ……しゃーない! 藤代、嫌なら嫌って言えよ!」
そう、一言伝えてから、藤代の小さな手を取り、歩き出した。
これで動かなかったらどうしようと思ったが、手を引けばふらふらと歩き出してくれたので一安心だ。
最悪、タクシーを呼ぶかと思っていたのでホッとする。
「お、今日はお月様が綺麗に出てるぞ藤代」
「はぇ……?」
「まだ呆けてんのかよ……ほら見てみろよ、月が綺麗だな……あー月見バーガー食べたい」
「……季節限定……ベーコンエッグ……つ、月が綺麗!?」
その一言に、なぜか物凄い反応を返された。
え、月見バーガーそんなに食べたいの?
でも、さっき藤代が言ったように季節限定商品だし、そもそもこの辺に店がないんだよなぁ……。
残念。
「藤代」
「ひゃいっ!? ……え、あ、え? ゆ、ゆーくん!?」
「おう、やっと帰ってきたな藤代……ほら見ろよ、月が綺麗だぞ」
「月が綺麗……月が綺麗……」
「なんか反応悪いな……おーい、そろそろ再起動したか?」
「ええ……ちょっと待って……月が綺麗って……そういうあれだよね……? ま、まさかゆーくんがそんな……」
あ、ダメだわ、全然再起動できてないわ。
むしろぼーっとしていた先ほどまでのほうがまだマシだったまである。
「はぁ……ほら、藤代」
「だ、ダメですゆーくん! た、確かにゆーくんは男子の中では好ましい方ですし色々お世話になってますしどっちかっていうとまぁ好きかな? ん? 好き? 好きって何!? いやそういう好きじゃなくて言うならそのほら親類とか兄妹的な好きといいますかー!!」
「何言ってんのお前……ほら上見ろよ、月が綺麗だろ?」
「上……?」
そう言って空を見上げた藤代が、また動きを止めた。
なんだ、今日はほんとダメな奴だな……腹でも減ったのか?
「おーい、そろそろ帰らないと晩飯遅くなるからさ、そろそろ動いてくんないか?」
「………………綾崎先輩は、夏目漱石、って知ってますか?」
「昔の1000円札の人」
「ですよねー」
「? っていてっ! な、なんだお前!? なんで蹴られてんの、俺!?」
「ふーんだふーんだ! ゆーくんのバーカバーカバーカ!!」
「わけわかんねー!」
そう言いながら、執拗に脹脛を蹴ってくる藤代に対し、先ほどまでのように黙ってついてきた時の方がまだマシだったな……。
そう、思うのだった。





