お隣さんと手料理と
「綾崎先輩、はいこれ」
「なんだ、これ?」
藤代から差し出された物体を前に、思わずぽかんとしてしまった。
小さな手に乗っているのは、見間違いでなければタッパーと呼ばれるものだ。
半透明になった部分から、じゃがいものようなものが見えている。
はい、と再度差し出されたので思わず受け取ると、手のひらにほんのりと温かみが広がった。
「なんだって、肉じゃがですけど?」
「や、そういうのを聞いてるんじゃないんだけど……なんで?」
ぱちり、と瞬きをすると、ようやくこちらの意図が伝わったのか、藤代からため息が返ってきた。
いつもはこちらがため息をする方なのに、お株を奪われた気分だ。
「だって綾崎先輩、さっきのが晩御飯だって言うじゃないですか」
「まぁ、夜なんて食べても食べなくてもあんま変わらんし」
事実、夜なんてもう寝るだけなんだから、食べなくても問題ないくらいだと思う。
朝と昼さえしっかり食べていれば、人間は大丈夫なはずだ。
「朝はいっつも野菜ジュースですし、お昼だってなんか適当に食べてるじゃないですか……そのうち倒れますよそんな食生活だと」
「この1年、まったく問題なかったから大丈夫だと思うけど……」
「今はまだ若いから大丈夫なだけですねわかります」
そう言いながらちらりと台所を見て、呆れたように目を細める藤代に対して言葉を詰まらせた。
「お米はありますか? あるならそれと一緒に食べててください」
「いや、ないな」
「なんだったらあるんですか、この家……」
「野菜ジュースと栄養ドリンク?」
そう言うと、大きな冷蔵庫があるのにもったいない……とまたため息をつかれた。
解せぬ。
「まぁいいです、私はアイロンがけしますね」
「ありがとうお母さん」
「誰がお母さんですか、まったく……ちゃんとごはん食べて、部屋片づけて、規則正しい生活をしてくださいね?」
「お母さん……!」
はいはい、と言いながら部屋へと入っていく藤代を見送ると、頂いたタッパーをテーブルに置いた。
確か、コンビニでもらった割りばしがあったはずだ。
冷蔵庫からお茶を取り出し、椅子へと腰掛ける。
藤代が毎日、自分で弁当を作って持ってきているのを見て知っているので、料理の腕については心配していない。
タッパーの蓋を開けると、久しぶりの肉じゃがの香りに、思わず笑みを浮かべそうになってしまった。
こんな家庭料理らしい家庭料理を食べるのはいつぶりだろうか?
いつもは栄養ドリンク一本で満足する胃から、早く食べさせろとの催促がきた。
それでは早速……と、じゃがいもから手を付ける。
「美味い……」
しっかりと味が染みたじゃがいもの甘味が口の中に広がる。
玉ねぎもしっかりと形を残しており、手間をかけて作ったんだろう、というのがよくわかる。
食べやすいように結ばれたしらたきの存在が、また憎い。
これはあれだ、白いごはんが食べたくなってしまう……!
「どうですか綾崎先輩、お味の方は?」
「すげー美味い、やるな藤代」
「ふふーん、料理には私、ちょっと自信があるんです」
「勉強もできてスポーツもできて料理もできてでなんなのお前、完璧超人なの? 身長以外欠点ないの?」
「身長の話はしないでください、私は今めちゃくちゃ機嫌が悪いですよ」
じろり、とこちらを睨みつける藤代に、肩を竦めて返す。
アイロンを持った相手を怒らせるのは危険だ。
「つーかなんか悪いな、食べ物もらったうえ、そんなことまでさせて」
「仕方ありません、彼氏がだらしないと、私もだらしなく見られますからね」
「偽装彼氏だけどな」
「偽装だからこそ、しっかりしてもらわないといけないんですよねぇ……」
先ほどまで皺の入っていたシャツが、みるみる綺麗になっていく。
「それに、綾崎先輩には色々と助けてもらってますから、こんなんじゃまだまだ釣り合わないですよ……」
「そんなに色々した覚えなんて、全然ないんだけど」
「言っておきますが、鍵の件だけでも、私すっごい助かってるんですよ?」
そう言ってこちらに微笑みながら俺を見つめる藤代の表情があまりにも……アレすぎて、思わず顔を逸らしてしまった。
くすくす、と笑い声が聞こえてくる……どうやらそんな俺の様子がおかしかったようだ。
「あー、あの時な! 懐かしいなぁ……あの時の藤代、めちゃくちゃ態度悪かったし!」
「あ、あの時はまだ綾崎先輩の事、警戒してたんですっ!」
「ま、引っ越し当日から一言も話したこと、なかったし警戒すんのも当然だわな」
今はさすがに警戒心を抱かなすぎではないか? と思うが。
そんな意思を込めて藤代を見るも、こちらの考えがまったく伝わっていないのか、きょとんとした顔を返された。
もうちょっと、俺を警戒してくれ、せめてパジャマで男の家に来るのは勘弁してくれ。
「そういえば、落とした鍵って結局見つかったのか?」
「うーん、それがどこにもなかったんですよねー、警察にも届いてなかったですし」
「部屋の鍵は交換したんだよな?」
「もちろんです、いつまでも同じ鍵なんて気持ち悪いですしね……よし、アイロンがけ終わりっと」
「悪いな藤代……あ、肉じゃがもごちそうさん、美味かったよ」
「はい、お粗末様でしたー、タッパー、そのまま返してくれていいですからね?」
「いや、さすがに洗って返すわ、そこまでは悪い」
いくら家事をしない男だとは言え、洗い物ができないなんてことはない。
お湯で軽くよごれを落としてから洗剤で丁寧に洗い、水気をふき取る。
藤代が帰る頃には、ちょうどいい感じになるだろう。
「さてっ、と……そろそろいいか、藤代?」
なんだかほっこりした時間を過ごしてしまったが、忘れてはいけない。
そもそも今日藤代がうちに来たのはこんなことをするためではなく、今後学校内でどう振舞うかの相談のためなのだから。
しっかり打ち合わせをしておかないと、今後は登下校すらままならないかもしれない。
それほどの危機感を、俺は抱いている……の、だが……。
「ふぁい……なんだか私、眠くなってきました……」
「ってなんで人のベッドで横になってんの!?」
というかアイロンかけて寝ようって、お前何しにうち来たんだよ……。
当初の目的を完全に忘れた藤代の寝姿に額を押さえつつ、思わず深いため息をついてしまった。





