お隣さんとお隣さんの噂
藤代と偽装の恋人契約を結んでから、早くも2週間が経過していた。
1年生のアイドル藤代三葉に彼氏がいる、という噂でざわついていた校内も、相手が俺だとわかると次第に波が引くように、話題にならなくなっていった。
どうやら月島曰く、「近藤ならともかくアレが彼氏とかないない」派が主流らしい。
アレって。
そんな空気の中、相変わらず藤代とは登校・下校を共に過ごしているわけだが。
「……綾崎先輩、最近、ちょっと様子がおかしいんですよ」
「様子がおかしい? なんのだ、水城のか? あいつはいっつもおかしいだろ」
「陽花ちゃんはまぁ、確かに時々あれってなりますけど……っていや、そうじゃなくて!」
お、いつの間にか水城さんから陽花ちゃんに呼び方が変わってる。
あいつ、順調に藤代攻略を進めてるようだな、ほんと、するすると人の懐に入り込むのがうまい奴だ。
「水城じゃないとしたら、何がおかしいんだ?」
「なんか、変な噂が流れてるみたいでして」
「噂?」
「前に、これから男子の告白断る時は、綾崎先輩の名前出しますよって言ってたじゃないですか」
「ああ、言ってたな」
おかげでそれから数日ほどは、異様に注目される羽目になったんだ、忘れるわけがない。
「それで今日もいつも通り、綾崎先輩の名前を出したんですけど……その……」
「もういつも通りなんだそれ……それで、なんだ?」
「実は……」
*
『ごめんなさい、今、2年の綾崎先輩とお付き合いしていますので、貴方の気持ちには応えられません』
ペコリと頭を下げながら、この2週間、毎日のように続けたお断りの言葉を口にした。
もはやこれではテンプレート回答だ、勇気を出して告白している彼らに対して、その点だけは少し、心苦しい。
それも偽装の恋人関係である綾崎先輩の名前を出すのだから、心痛は2倍だ。
というか、どうして綾崎先輩と付き合っている、と噂が流れているのに未だにこういった告白がなくならないんだろう?
不思議だなぁ。
ついつい首を傾げそうになるのを我慢し、これで終わりかな? と立ち去ろうとしたところ。
『……藤代さん、正直に答えてほしいんだけど……』
『……え? あ、はい、なんでしょうか?』
『藤代さん、実はあの2年の人に、脅されてるんでしょ?』
『おどされてる……?』
おどされる。
脅される。
脅す。 恐れさせて自分に従わせようとすること。
誰が? 私が、綾崎先輩に脅されて、従わせようとされてる?
想像もしていなかったその言葉に、思わずぐらり、と世界が回りそうになりました。
どうして私が脅されている、なんて思ったのでしょうか?
むしろ私としては、綾崎先輩に無理矢理お願いして付き合ってもらっているという考えです、脅している側、と言い換えてもいいくらいです。
日々迷惑をかけているのもわかっているので、そろそろ何かお返しがしたいと考えている方だというのに!
『噂になってるよ、藤代さんがあんな人と付き合うのはおかしい、って、脅されてるんじゃないかって』
『それは……』
『もし本当に脅されてるんだったら言ってほしいんだ、お、俺が、あいつから藤代さんを守るから!』
噂になってるって……一体どこで、そんな噂になっていたんでしょう。
周りからはそんな声は全く上がっていなかったので、もしかしたら私の知らない水面下で進んでいたんでしょうか?
……これは私の落ち度です。
はぁ、と一つため息をつき、深呼吸をしてから心を落ち着けます。
『多分、藤代さんも言い出せないような弱みを握られてるんだって、でないとあんなぱっとしない奴に……』
『そのような噂があるのは初めて伺いました。ご心配いただき、ありがとうございます』
もう一度ぺこりと頭を下げると、目の前の男子がぱっと笑顔を浮かべました。
何がそんなに嬉しいのでしょうか?
『ですが』
『っ』
『私が綾崎先輩に脅されている、などという事実はありませんし、ありえません』
『う、嘘だ! でないとあんな奴と付き合うなんておかしい――――』
『私がどなたとお付き合いしようと、それは私の責任であり、私の自由です』
『で、でも!』
『そのような噂が流れている、というのも不愉快ですので、出来れば私が否定していた、と、貴方にその噂を教えられた方にも伝えておいてください』
それだけ最後に言い残すと、私は屋上を後にしました。
心に言いようのないもやもやを抱えたまま……。
*
「と、いった感じでして」
「ふぅん?」
「その話を聞いて、思わず『なんでですか!?』って言いそうになりましたよ」
「危ないところだったな」
それにしても……俺が藤代を脅してる、ねぇ。
「その噂、どれくらい広まってると思う?」
「正直言ってわかりません、それとなくクラスの子に聞いてみたんですが、知らないって子もいましたし」
「なるほどなぁ、でも知ってる子もいたってことだな」
「ですね、どっちかというと、運動系の女の子なら耳にした、って子が多いかもしれません、陽花ちゃんは知りませんでしたけど」
「あいつはそういうのとは無縁だからな……興味もないだろうし」
それにしても噂と来ましたか。
これは一度流されると、なかなか払しょくが難しいかもしれない。
この噂を盾にされるとこちらの動きも軽く制限される、上手い手だと思う。
その噂を上書きできるような何かがあればいいんだが……さて、どうしたものか……。
今後の立ち回りを考えていると、藤代がこちらをじぃっと見上げていることに気が付いた。
「どうした、藤代?」
「あ、あの、ですね」
「おう」
「その……」
「なんだ?」
藤代にしては、妙に歯切れが悪い。
何かを言いたげにじっとこちらを見ていたかと思うと、急に目線をうろうろとさせだし、挙動不審だ。
こういう時は急かしてはいけないと相場は決まっているわけで、じっと藤代が落ち着くのを待つ。
「綾崎先輩!」
「お、おう」
「今週末、私とデート、しましょう!」
……………うん?