お隣さんは羨ましい
「大丈夫か、藤代?」
あのあと昼を終え、陸上部の方で用事があると言う月島・水城コンビと別れ、少しだけ疲れた顔を見せる藤代を労っていた。
「はい、ちょっと……思ってた以上に、明るい方でしたね……」
「そこははっきりとうるさい奴だったって言ってもいいんだぞ?」
「ふふっ、でも、賑やかでいい人だと思いましたよ?」
「まぁ、悪い奴ではないのは確かなんだよなぁ……あれだし」
「あれですしね」
くすりと笑う藤代に、苦笑で返す。
ああいうタイプは、恐らく藤代の周囲にはいない種類だ。
自分で紹介しておいてなんだが、あれと藤代が友達になってよかったかどうか、というのはわからない。
それでも、藤代が本気で嫌がっている素振りがないのは幸いだった。
ただ今後、水城に振り回されて困っているような時は注意してやらないといけないので、しばらくは見守る必要があるかもしれない……。
あいつも強引だからな、結構。
「これまで、私の周りには水城さんみたいに元気の塊! って感じの人はいませんでしたので、新鮮でした」
「あんな奴が早々いてたまるか……うるさくて仕方ないぞ」
「でも、可愛いじゃないですか」
「見た目はな」
「私と水城さん、どっちが可愛いと思いますか?」
「そこはノーコメントで」
「むーっ……」
隣で不満そうな顔をする藤代を無視して、目を遠くの山へと飛ばす。
流石に桜も散って、目を楽しませるような光景はもうこの近辺にはない。
聞こえてくるのは生徒たちの話声と、昼休みだというのにどこからか微かに聞こえる、楽器の音が少々。
あとは風に揺れる木々の音といったところだろうか?
「……いいなぁ」
だからだろうか。
藤代の漏らした小さな呟きが、やけにはっきりと聞こえたのは。
「何がいいんだ?」
「いえ、水城さんが羨ましいな、と……」
「……あれのどこに、そんなに羨ましいと思うところがあった?」
「あんなに好きになれる人がいるんだ、っていうのが凄く羨ましいです」
そう話す藤代の表情は、本気で水城を羨ましいと思っているのがわかった。
「そんなにいいものなのかね、恋愛って?」
「くふふ、綾崎先輩も私と同じで恋愛ってよくわかんねー! って人ですもんね」
「ああ、さっぱりわからん」
正直なところ、俺には藤代の気持ちもよくわからない。
水城を見ていても思うのは羨ましいではなく、辛くないのだろうか? という気持ちのほうが大きいからだ。
あれだけ好きだ好きだと言ってもその思いに応えてもらえないというのは、だんだんと疲れてこないんだろうか? と、どうしても思ってしまうのだ。
近藤にしたってそうだ。
周囲を扇動までして藤代と付き合って、それで何かいいことがあるんだろうか?
俺みたいな偽物の彼氏を用意して拒絶されて、それでもまだ好きだと思えるのは凄いとは思うが……。
確かに、藤代は整った容姿をしているし、少し人見知りなところはあるが、実際に話してみるとなかなか面白い奴だとも思う。
まだ付き合いだして短い時間しかたっていないが、人としては非常に好ましい少女だ。
だが恋愛的な観点で見ると、どうだろう?
これは、俺が人間として冷めすぎているせいなのだろうか?
「正直、私もいまだに人を好きになるってよくわかんないです」
「うん」
「でも、うちのお母さんはお父さんと一緒にいて、いつもニコニコして、凄く幸せそうでした」
「……」
「たまーにお父さんに調子に乗るな! って頭叩かれて涙目になってましたけど、それでも嬉しそうでしたしね」
「それはただのドMなだけなのでは?」
かもしれません、と藤代が控えめに笑う。
かもしれませんというか、絶対そうだよ間違いない、母に対する認識を改めろ。
「水城さんもお母さんと同じでした。凄く幸せそうに笑ってるんですよね……お母さんと同じように笑える水城さんが、私は本当に羨ましいです」
「そっか」
「人を好きになるって、きっといい事だけじゃなくて、辛いこともあると思うんです。それでも……」
「それでも私は、お母さんや水城さんみたいに、あんな素敵な笑顔になれる恋がしてみたいです」
その時藤代が浮かべた表情は、学校内でいつも見せているような綺麗な微笑みでも、俺といる時に見せる素っ気ない表情や、少し怒った時に見せる表情でもなく。
穏やかで、柔らかくて……それでいてどこかあどけなさすら感じる、そんな表情で……隣で見ている俺ですら思わず息を飲むくらいに美しく、そして可愛らしかった。
俺に、恋愛的な意味で藤代を好き、という感情はない。
それでも彼女のそんな表情が、俺の心臓を高鳴らせた。
(――――その顔は反則だろ、お前)
体の中にたまった熱を追い出すように一つ、ため息をつく。
「……藤代ならできるだろ」
「できますかね?」
「ああ、俺が保証してやる、お前のお母さんみたいに幸せな、本当の恋がお前にもできるよ」
「だといいんですけど……はぁ、私も綾崎先輩と同じで恋愛経験値0だからなー」
「あ、ごめん、やっぱできないかも」
「もーっ、なんでですかー!」
藤代の怒り2割といったいつものなんでですかを聞き、ほっとした自分に戸惑いを感じるのだった。