嫌がる娘。
道徳。
答えがない、もしくは安易に答えが出せない問題に対してさもそれが正解で、正義であるかのようにふんぞり返る「解答」が羅列され、さらにはまだ小さなコミュニティの中でしか生きられない私達にそれを刷り込もうとする教科。ひねくれているとは思うけれど、私、原見うずらはそう感じずにはいられない。
「……なので、州雅小学校のみなさんも、誰かがいじめを受けていたら、必ず助けてあげましょう。声をかけるのが、その第一歩です」
今日の道徳の授業は、全校児童が体育館で空の宮市の市議会議員である芦本美夜という女の人による講演を聞く、というもの。一時間も体育座りをしたままのこの姿勢は、正直辛い。早く終わらないだろうか。
◆
五時間目の道徳の授業から開放され、帰りのホームルームを終えた私は手早く荷物をランドセルに詰めて、帰路に就いた。今日のシフトはもう終わっているはず、このタイミングで帰れば途中でおかあと会えるかもしれない。そんな考えに支配され、私は冷静な判断ができていただろうか。
「こんにちは」
「……こんにちは」
私の行く手を塞いだのは、さっきまで私達に小一時間ほど講演をしていた今日の主役、芦本美夜議員だった。講演の始めの挨拶で、確か……28歳と言っていただろうか。実年齢よりは若く見えるけれど、小五の私からしたら28歳は「おばさん」だ。
「……なに、してるんですか」
「せっかく午後の講演だったから、下校するみんなに挨拶をしようと思ってね」
「……そうですか。さようなら」
「まあ待ってよ、原見うずらちゃん」
「……」
どうして、私の名前を知っているのだろう。講演のあとに児童代表としてお礼を言った六年生の人しか、この人に名乗っていないはず。
「驚いてるね? そういう顔してる」
「……当たり、です」
「お姉さんのトモダチにね、役場に勤めてる人がいるの。うずらちゃん『住民票』って知ってる? お姉さん、それ見放題なの。すごいでしょ?」
「……そうですね」
私は、警戒レベルをぐんと引き上げた。この人は、危ない人かもしれない。市議会議員とはいえ、勝手にそんなことしていいはずがない。
「お姉さん、この町に住んでる人の顔とか、名前とか、家庭環境とか、全部覚えてるの。全部ね。今日の講演の前にも、この学校にはどんな家柄の子がいるかなーって確認して、見つけちゃった。うずらちゃん家、シングルマザーでしょ。その上うずらちゃんのお母さんは……」
「それ以上は言わないで」
「えー……」
「言わないでって!」
「……そこが地雷なんだ、やっぱり」
「……誰だって、突っ込まれたくないことはあります」
「そうかな? お姉さんは、どんなことを言われても恥ずかしくない人生を歩んできたよ。うずらちゃんは恥ずかしいんだ。お母さんの抱えているものが」
「そんなことない! おかあは、おかあだからっ!」
「……まあ、それでもいいや。……ねえ? お姉さんとトモダチにならない?」
「なりません。さようなら」
「お姉さん市議会議員だよ? うずらちゃんがどういう立場か分かってる?」
間違いない。この人は……。
権力を振りかざす「悪い大人の人」だ。
「……お姉さんとトモダチになれば、うずらちゃんの家に降りかかる火の粉を払うこともできるよ? ねえ、お姉さんに、うずらちゃん達を守らせてよ。うずらちゃんも、お母さんも、そしてお祖父さんも……『社会的弱者』でしょ?」
弱者。
この人ははっきり、そう言った。
平気な顔して、言ってのけた。
「うずらちゃん覚えてる? お姉さんが講演で言ったこと。……『強い人は、弱い人を守らなきゃいけない』。……庇護欲、くすぐられちゃった。うずらちゃん達みたいな弱者を守らせてよ。私達強者に」
「……けっ……結構です」
「……ふーん、そういうこと言っちゃうんだ」
「えっ……?」
こういうとき、子どもというのは本当に無力だ。大人が引きずれば簡単に人気のないところに連れられるし、首も絞められる。
「ぐっ、ぐふぅっ……」
「よくないなぁ、こういうのは」
「うぅぅっ」
「……まっ、まだ小学生だしね。よくわかんないか」
「………………っ、けっけほっ……」
息が、苦しい。アザは残っていないだろうか。おかあに余計な心配をさせないだろうか。
「じゃあ、またね。怪しい人に付いていっちゃだめだよ」
よくない人に……目をつけられた。
芦本議員を睨みつけながら、私は息をととのえるのに集中した。




