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【特別編】クリスマスおめでとう!! クリスマス・キャロル

今日、何がおめでたいのか?

そんなことはさておき幸せな、暖かな気持ちを持ち過ごせれば勝ちだと思います。



目が覚めたというのに、カーテンの隙間から室内にさす光はまだ弱く、開ききらない目に優しい。


(まだ、夜が明けてないのかな……)



 寝ぼけた頭で考える。

 先週の金曜日から高校は冬休みに入った。つまり月曜日だというのに朝早く起きる理由はないのだ。まだまだゆっくり眠ることができるということだ。うまく働かない頭と心地よく暖まった布団の中でその幸せを噛みしめながらもう一度、目を閉じた。



 完全に目が覚め、リビングに行くともう時計は昼の12時を指していた。もう少し早い時間だと思っていた。

 私の時間感覚が狂ってしまった原因は、カーテンが開かれた窓を見ればあきらかだった。

 まだ昼の12時だというのに車がヘッドライトを光らして家の前の道を走っている。それにいつもは見えているはずのすぐ裏にある山を見ることが出来ない。

 どうやら街全体を濃い霧が覆い尽くしてしまっているようなのだ。

 今日はクリスマス・イブである。しかし、これといって用事もなく、霧のせいで昼過ぎまで眠ってしまったことがただただ現実として私に襲ってくる。



 日本ではクリスマスといえば子どもにプレゼントが渡される子どもにとって最高のイベント、というくらいの認識しかない。

 なにも用事はない、とさっき言ったけど夜にはきっとお母さんがご馳走を作ってくれると思う。毎年そうだから。


 高校三年生になってさすがにもうサンタクロースはこない。しかし、この毎年のご馳走とホームアローンみたいな映画がテレビで放送され、街の様子すべてが、なんだか特別な日にしてくれる気がする。

 家の中でも、クリスマスツリーやリースを飾り付けたのはつい先週のことだ。外は明日になれば、片付けてお正月の装いに変わる街にいつも驚く。

 なかには、バレンタインデーくらいまでイルミネーションをしている遊園地とかもあるのを何かで見たことがある。

 子どもだけでなく、クリスマスという日に大人達も本気で商戦に挑んでいるのが分かる気がする。



 夕飯はやっぱりご馳走だった。

 ビーフシチューにピザに生ハム―――とんでもない量のご飯になっていた。

 お腹もいっぱいになり、お風呂で暖まり、寝る準備は整えた。



 しかし、というかやはりと言うべきか目は冴え渡っていた。



 遠足前の子どものように興奮してしまい眠れなくなってしまった幼少時代を思い出した。

 クリスマスは、サンタクロースが寝ている間に枕元にプレゼントを置いといてくれるのが毎年楽しみでイブの夜は中々寝付けないでいたことを思い出したのだ。

 外を見てみると夜になっても霧は変わらず広がっていて電灯の光がロウソクの火のようにゆらゆらと揺れているように見えた。サンタクロースはトナカイの光る鼻を頼りに飛んでいくのなら事故必須だろう、と考えてみた。


(そういえばクリスマスの霧の夜を舞台にしたお話の小説あったなぁ)


 私は、布団から一度這い出て、パーカーを羽織った。そして、本棚に真正面から眺める。


 私が探していた本はブックカバーがされ、本棚の奥側にあった。前に読んでから長い年月が経ったのが感じられた。

 ブックカバーをしたままでもこの文庫本を特徴付ける物が一つある。それは、茶色の紐がページの間に挟まっている。これ一つで新潮文庫だと分かってしまう自分が少し怖い。

 ブックカバーを外すと暖炉の燃える部屋でクリスマスツリーの近くに年齢の分からない男性が立っている絵が描かれている。ディケンズ著の『クリスマス・キャロル』だ。



 これを初めて知ったのは小学生の頃に観たアニメーション映画を見たのがきっかけだったと思う。幽霊が出てきて鼻の特徴的な性根の腐ったおじいさんを改心させる、というくらいにしか覚えてない。

 その映画の原作になったのがこの小説だ。当時、映画を観て面白くて原作も買って貰ったが、あまりの難しさに読めた記憶がない。そのまま放置してしまったのだろう。

 今、改めてこの本を手に取ってみると普通の文庫に比べて薄く感じる。実際、本編のページを後ろからめくってみると184ページとなっている。このくらいのページ数の本はマクベス以来だと思う。

 この本を書いたディケンズが英国人のためか本編に幾度かシェイクスピアの作品が例えで登場するのも読んだ事がある身として嬉しい。


 本を読み始めてみると、主人公のスクルージさんの性格がひん曲がっているのが露骨に書かれている。


 生きている必要のない人間を個人の感性で判断し、牢獄や救貧院にでも入れろ、入れない奴は淘汰されるべきと、寄付をお願いにきた紳士を撃退したのが分かりやすい例だと思う。


 物語は一緒にお店をやっていたマーレイ爺さんが亡くなって7年経った所から始まるが、実際この相棒が生きていた時のスクルージはどんな感じだったのかは分からない。


 そしてこのマーレイ爺さんの霊がクリスマス・イブ前夜に突如としてスクルージの前に現れるのだ。


 その後、過去・現在・未来それぞれのクリスマスの霊が現れる。それによってスクルージは様々な場面を連れて行かれる。


昔の自分の寂しいけれど幸せがあったクリスマス。

自分が雇っている書記の貧しいけれど暖かなクリスマス。

そして、自分が死んだ後ことを祝福されるクリスマスの幻影を見せられて段々とスクルージは心を入れ替えていく姿が書かれている。


 心入れ替え、別人のようになったスクルージを、受け入れくれる人もいれば、笑いものにする人もいるというのはとても現実的な終わり方ではあるけれど、それを当然のように受け入れるスクルージもとても現実的な考えが出来る人間だと思った。


 ハムレット然り、突如現れる知り合いの霊という物は生きている人間の生き様というものをいとも簡単に変えてしまう姿がよく見られる気がする。

 実際、私も先祖様の霊でも現れて生き方を変えろと言われたら心入れ替えてしまう気がする。しかし、それ以上に恐怖が勝ってしまう気もする。


 本を読み終えると、夜はさらに深まっていた。しかし、物語とは一日違うと言え同じ時分で、さらに霧がたちこめる日となれば、なんだか幽霊が現れそうで目が冴えてしまったのだ。

 これでは眠るために読んだ本が無駄になってしまう。でも、それはそれで良いのでは、と考え始めていた。


(だって今日はおめでたいクリスマスだもの)


 幽霊が現れたって悪い事が起きる訳ではない。スクルージみたいに人生の転機となることだってある。

*急いで書いたので誤字脱字ありましたら心の目で読んでください。

あと作者自身とくにキリスト教徒という訳ではございません。


参照:『クリスマス・キャロル』ディケンズ(村岡花子訳)  新潮文庫(平成23年)

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