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夏の誘惑は手強い。生存者ゼロ

 夏の誘惑は手強い。


 夕方のチャイムが子どもに帰りの時刻を知らせる。


 それを聞く私はずっと家の中だ。


 夏といえば様々な催し物が開催される季節でもある。しかし、その中でどれが一番楽しみかは人によると思う。


 七夕

 納涼祭

 花火

 盆踊り


 祭りだけでも数多くの種類が様々な場所で開催される。そして、私の答えは「午後のロードショーの熱い映画の連続」である。


 夏休み中の暇な学生達に向けた午後のロードショーのラインナップは実に素晴らしい。しかも、それが終わってすぐに刑事ドラマの再放送があるせいで午後はずっとテレビに釘付けになる。


 世間はお盆休みに向けて旅行や祭りの準備を着々と進め、猫の手も借りたいくらいだろう。

 しかし、私は午後ローの戦略にまんまとはまり、もう外では夕方のチャイムが鳴っている。


 こうなると高校最後の夏休みに私は女子として高校生としてこのままで良いのだろうか、と余計なことを考え始めてしまう。

 熱い屋外でラムネを片手に食べるたこ焼きもリンゴ飴もおいしいだろう。流行の音楽が大音量で流れ、ビール片手に浮かれた大人たちと混ざって踊るのも別に悪くない。むしろかわいい浴衣だって着てみせる。


しかし、私はそれには混ざらない。いや、混ぜられない。

  

 なぜなら誰にも誘われていないからだ。夏休みの予定なんて申し訳程度に入れられた写真部の活動くらいしか入っていない。

 写真部の他の部員も夏休みをまっとうに過ごしている人間はいない気がする。


 部長をする夏海は親が町内会長とかで地元の祭りに燃えているらしい。ある意味で夏休みらしいが女子高生らしくはない。きっと次の部活動で会う時は真っ黒になっているだろう。


 あとの男子二人は正直よく分からない。特に大和くんは活動範囲が広すぎてどこにいるかすら分からない。

 鶴間くんは……きっと家でしょう。


 そう考える私と鶴間くんはタイプ一緒なんだろうか。しかしあれと同じだと思われるのは心外だ。無趣味の彼は家でぼーっと過ごしているに違いない。


 それに比べて私は映画鑑賞に読書と充実している。異論は認め無い。だが、このままでは一日充実した気分にはなれない気がする。映画を観て、再放送のドラマを見ただけだ。


 夏の良いところは日が落ちるのが遅いところだ。しかも、驚いたのは台風が近づいているせいで昨日に比べて5度くらい気温が低いらしい。

 私は今日という一日が無為に終わらない為に散歩に出ることにした。半袖のポロシャツに歩きやすいようタイツにランニングパンツを履いた。首下と腕に日焼け止めを塗るのも忘れなかった。


 

 実際、外に出てみると風が強く、肌が冷えていくのが分かる。25度くらいを寒いと思ってしまうあたり感覚が狂っているのを物語っている。

 私が住んでいる地域は駅周辺だけが栄えている地方都市ありがちな構造だ。そのおかげで歩けばすぐに丹沢の山々と田畑広がる田園風景を拝めるのが個人的には好きだ。



 台風が近づいているせいか雲の動きは速く、山肌に沈み始めた太陽の輝きが緑生い茂る畑に波のように反射していた。

 田んぼは遮るモノがなく、風が吹き抜けるせいか余計寒く感じる。そのせいで前髪が完全に死んだ。いつもはかんぬきのされた門のように閉ざされたおでこが陽の光を浴びていた。


(陽の光に当たるだけで一日がこんなに清々しい日になるんだなぁ)


 田んぼ道で脚を止め、田んぼに風が吹き、雲が動いていく様を眺めていた。

 ただ、同じように散歩をしているのが私の年代は一人もおらず、高齢の方ばかりだった。なんだかもったいない気がした。


 陽が完全に暮れてしまう前に帰途に着いた。テレビでは台風情報のニュースが流れている。


 台風前は少し不謹慎だが、大雨や風がどれくらいのモノか分かっていないので少しわくわくしていた。そうまさに昼間に観た午後ローの映画も嵐や異常気象で世界が崩壊する映画だったから普段よりその感覚に襲われていた。


 ふと、そんな本があったのを思い出した。まだ読まずに積んでしまっていた本だ。なんせ400ページくらいある本で分厚かったから中々読む気分になれなかったのだ。この分厚さだと家でゆっくり読みたい。


 自室の本棚にまだ入っていない本だ。部屋の隅に置かれ、一番上にある本は表紙に埃を被っていた。

 そこから3冊したにあるその本を雪崩が起きないようゆっくり取り出した。


『生存者ゼロ 安生正』


 表紙には自衛官らしき男性がドアの空いた飛行機かヘリコプターから洋上石油プラントのようなものを見下ろす姿が描かれている。


 実際に本を開いてみると500ページ近くある大作だった。「このミステリーがすごい」大賞を受賞したらしい。なんだか期待出来る様子しか見えない。


 どうしてこれを今、思い出したかというとこれを買った本屋のポップが「まるで洋画を見たようなアクションと興奮ッッ」と筆で書かれていたのが記憶に残っていた。




 

 三等陸佐(少佐クラス)の主人公が将来を有望されていたが、落ちこぼれ薬にまで手を出してしまった感染症学者とまだまだ将来有望な女性昆虫博士を中心に政府からの命で謎の感染症(?)の被害拡大を阻止するため動いていく。そしてやっぱり、表紙にあった洋上石油プラントは重要なスポットだった。

 

 ヘリコプターに乗って洋上プラントに行くという姿だけでまるで洋画だ。この壮大なスケールだけで私は満足だ。

 それなのに謎の病から国民を保護するため奔走する姿にはたまらない。


 しかし、これではミステリーではないように感じる。肝はこの感染症の感染経路や実態が何か、というのを謎としている。

 政治的にも当時の政権を揶揄するような描写もあって少しくすっと笑えるような雰囲気もなんだか映画を観ているような満足感があるのだ。


 こういったミステリーもあるのかと驚いた。パニックアクション、サスペンス、ミステリーどういった枠組みでもこの本を語れるような小説だった。





 外はヘリコプターが飛んでいるような強風で窓がばりばりと音を立てている。台風は確実に存在し、近づいてきているようだ。



 明日もどこかで花火大会が予定されているかもしれない。きっと中止か延期だろう。夏休み前は台風が来ることを望む学生は多いのに休みが始まった瞬間、こんなにも嫌われてしまう台風が少し可哀想な気がする。

 しかし、それは何らかの形で被害を及ぼす。決して楽観視出来るものではない。


 常日頃から美しいモノも怖いモノは存在する。しかし、それらは時や場所によってレベルは変わってくるのが人間の摂理だと思う。



 夏休みはまだまだ終わらない。この本のわくわくを誰かと共有したくなった。



(今度の部活の時に持って行こう……)



 きっとこの本ならあの無気力な顔をする鶴間くんでもきっとわくわくにするに違いない。


参照:『生存者ゼロ』安生正 宝島社文庫(2014年)

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