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雨の日は歩きたくない。『九マイルは遠すぎる』

 

私の名前は岡本愛生(あき)と言う。


クラスでは委員長とか面倒な仕事を任せられていたり、なぜか憧れの対象みたいに崇拝されてしまっている。


それは別に良いのだけれど私だって人並みに悩むことだってある。

人間関係だって面倒だ。受験に向けた勉強も嫌になる。


そんな事を考え出すと私は夜、必ず眠れなくなるのだ。

(そんな夜、人はどんなことをするだろう?)


 大人はお酒を飲むらしい。ある人は温かい飲み物を飲むらしい。ある人は眠ることを諦めて起きることにするそうだ。

 私は、一先ず布団から出ると本棚に向かう。そして一冊の本を取り出し、ベッドに腰掛け読み始めるのだ。


 その日は、新年度で疲れ切った人達のためにあるのだと言わんばかりにある日本では唯一といえる祝日で出来た連休、GW(ゴールデンウィーク)を終えたばかりの5月、2週目だった。

奄美大島は梅雨(つゆ)に入ったとニュースで言っていた。関東はまだ梅雨には入っていない。しかし、今日は日本全国で雨が降っていた。


雨の中を嫌々高校まで登校したものだ。6限目には体育祭に向けた話し合いがHR(ホームルーム)でもたれた。私は、学級委員という面倒な仕事を与えられていたせいで司会という役目にさせられた。

担任の河原(かわはら)先生はこういったことは生徒の自主性に任せるタイプの人間で結構、投げやりだ。私はこういう先生が苦手だ。私がやるべき事が多くなるし、任せてくる仕事も面倒なことが多いからだ。長年こういう仕事を任せられたことがある私には容易に想像が付いた。



 HRはやはり簡単には進まなかった。

男子は比較的早くにやりたい種目に収まって行くのだが、問題は女子だ。あの子が障害物競走出るなら私もそれが良いとか、あいつと一緒に2人3脚やりたくないと言った人間関係が垣間見える。

 私は、教卓に立ったまま片肘をついた。


(早くしてくんないかな。そんなのどうでも良くないかな~)


 外を見れば朝から降り続く雨は一向に止みそうにない。今が6限目のHRだから帰る時も雨は降ったままだろう。

(今日はバスで帰ろう・・・)




 その雨は夜になっても止む気配はなく、布団に入った今でも雨音が聞こえている。

 布団に入り、雨音を聞いているとやはり昼間のことを考え始めてしまう。私は崇拝の対象に勝手にされてしまっていると言ったがそれは主に男子がそうだ。女子からあまり良く思われていないのは分かっている。

しかし、ああいった話し合いの時それを強く実感する。私の意向なんて一切聞かれずに進められる。そして比較的面倒なモノが割り振られる。


それならいっそ一人でも良いかと、思っていた。けれどそれはあのうるさくて小さい女の子が打ち破った。


「愛生ちゃんはどれがいい??」

桜ヶ丘夏海(なつみ)という小学生みたいなクラスメイト。その一言で私はいつも助けられる。



 今日は、雨が一日中降っていたから雨に関係する本を読もうと思った。

 本棚を見るとハヤカワ文庫の青が目に止まった。私はあまりハヤカワ文庫を読まない。完全に偏見だが、ハヤカワ文庫を好きな人には変人が多い気がしてしまう。よく言えばクリエイティブな人が多いイメージだ。だから私の本棚にはハヤカワ文庫の本はそれしか無かった。

 

 題名は『九マイルは遠すぎる』だった。ハリイ・ケメルマンによって40年以上前に書かれた推理小説の連作短編集だ。

 すべてニッキイ・ウェルト教授(探偵役)と名前は忘れてしまったのか名前が登場しないのか郡検事の友人(語り手)二人の物語だ。


 推理小説というと勝手に誰かが死んでそれを捜査して「犯人はあなたでしょ?」というコナン君のような定番の話を想像するかもしれない。

 しかし、この小説は面白い。この本に載っている短編8編すべてが安楽椅子探偵なのだ。安楽椅子探偵ともアームチェア探偵とも言い、実際に現場には行かずに語り手や助手のような存在の話だけで探偵役が純粋な推理だけで解決まで導いてしまう話だ。


 私はこの手の話が割と好きだ。人が直接死ぬことがないことも一因だと思う。すべて語り手によって語られるだけなのでリアリティが薄くてまだ耐えられる。それに語り手の話を読むのはお母さんの読み聞かせを聞くのと似た感覚で就寝前に読むには最適だ。


そう考えた私はその本を手に取った。


 表題作を読む。これは短編だから32ページしかなく読みやすいのだ。

 話は「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない。ましてや雨の中となるとなおさらだ」という会話がすべての始まりだ。

 何の脈絡もない10語ないし12語の文から私が想像し得ない推論を立てられると言い張る教授に対し私(郡検事)との言い争いで私がふと頭に浮かんだこの文だけで教授は思いもよらない結末まで行くのだ。 

 

 しかし、こんな一文で話がぽんぽん進むのがすごい。私は人の話を聞くのが苦手で全く弾ませることが出来ない。このせいでよく人との関係を諦めたものだ。

 「私」と「教授」はお互い良い大人なのに実に楽しそうに酒を飲み、チェスをして、話をするのだ。そんな友人に恵まれれば楽しいことだろうと想像してみる。酒の味を、チェスのルールを、そしてそんな友人を。

 

 この本で一番読んでいて面白いのは最初の部分にある序文だ。ハリイ・ケメルマン、作者本人がこのお話を書くに当たっての物語が書かれている。その中で一番私の中に残っている部分がある。




“作家はしばしば、いっぺんの物語を書き上げるのに、どのくらいかかるかと問われることがあるものである。ここにそのひとつの答がある。それは一日で済むかもしれないし、十四年かかるかもしれない、どちらと見るかはひとそれぞれの見かたによる。“




 この本を書くにあたり実際に教授であったハリイ・ケメルマンが教壇にたった時に学生たちにたまたま新聞にあった先の9マイルの話をしたそうだ。その文を彼は14年も考え続けたそうだ。その文から想像された話を彼は一日で書き上げたのがこの表題作になる。


 私は、14年経てば三十路(みそじ)だ。そのときになってそんな些細な事を覚えていて、まだ考えることが出来るのだろうか?


 雑多なことを考え始めると段々、まぶたが重くなってきた。もう一度、布団に入り明日に備えて眠ることに専念するのだ。私は雨の日には外に出たくない。そういえば9マイルは14.5キロくらいだそうだ。晴れていてもそんな距離を歩いたことがあっただろうか。

 

明日はきっと晴れているだろう。もう雨の音は聞こえない。

(明日は歩いて学校に行ってみようかな。)


そう思える程には私は学校に嫌な印象をすでにもって居なかった。


参照:『九マイルは遠すぎる』ハヤカワ文庫 ハリイ・ケメルマン(1995年版)

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