〔3〕
鬼退治を科せられたのは豪腕の戦士ではなく、か弱い乙女だった。
弱くはないな、と、自宅に帰る道すがらアカリは考えた。
猫のように俊敏な身のこなしで鬼の攻撃を避け、長い金属棒を使い素早い打突を繰り出す。
あの金属棒が、メイの武器なのか?
銀色に煌めき、美しい音色で場を浄化する金属の棒。
マンションのエレベーター・ホールまで来たアカリは、家に帰る前に頭を整理したかった。
エレベーター・ホールからエントランスを抜け、駐車場裏手の非常階段に回る。
まず、推薦が受けられなくなったことを言おう。
それから、満留が鬼で、鬼退治してるのが同じ年頃の女の子で、その子は本当は死んでいて……。
「ああもうっ! これじゃ完璧に、頭が変な人だし!」
非常用の外階段を三階まで上ったところで、アカリは膝を抱え座り込んだ。
「誰の頭が変だって? オレの頭、そんなにヘンかな?」
頭上の声に顔を上げたアカリは、思わず息を呑む。
非常階段から通路に繋がる手摺りに、オジゾー君が立っていたのだ。
「あの、危ないんですけど」
「メイが言う通りキミは冷静だね、アカリちゃん」
オジゾー君は透き通る笑みを湛えながら、黒い大きな鳥が舞い降りるように手摺りから降り立った。
アカリは周りを見回したが、メイの姿はない。
「……まだボクに、用があるんですか? メイはいないみたいですけど」
「うん、キミを見込んでお願いがあるんだ。メイを、あの子を助けて欲しい」
「助ける? ボクが?」
座り込んでいるアカリの高さにあわせて、オジゾー君が膝を折る。
「そう、キミが。実はね、メイが〔業〕を奪われたのは自殺だけが原因じゃないんだ。理由を知りたいかい?」
アカリは、深く息を吸い込んだ。
聞いてしまえば、たぶん後には引けない。しかし自分は既にスタートラインに立ち、ゴールの向こうを見たいと思っている。
そのためには、走る理由が知りたかった。
「教えて」
覚悟を決めた態度に、オジゾー君が真顔になった。
穏やかでありながら、心の奥底まで見透かしてしまう眼差し。
裸にされたような居心地の悪さで、アカリは目を逸らす。だがその耳元に、オジゾー君が顔を寄せて囁いた。
「メイの自殺はね、偽装自殺だったのさ」
驚いてオジゾー君に顔を向けた途端、アカリは後ろに飛びずさった。
あまりに顔が近すぎた。
坊主頭でも、やはり素晴らしく綺麗な顔だ。
心臓が、ドキドキする。
「ぎそうじさつ……って何?」
やっとの思いで、聞き返した。
「偽装自殺というのは、簡単に言えば自殺の真似だよ」
アカリの動揺を無視し、オジゾーくんは続ける。
「数年前からメイの両親は仲が悪くて、離婚寸前でね……。そんな時、仲の良かった先輩がアドバイスしてくれたんだ。自殺騒ぎを起こせば、離婚を思い留まってくれるかもしれないって。棒高跳び選手は高い所から落ちるのが得意だから、下の植え込みを目掛けて飛べば大して怪我をしないですむと言われて、メイはその気になったんだ。もちろんそれは、〔羅卒〕の罠だった」
「そう、それがどうしても解らないんだけど!」
勢いよく、アカリは立ち上がる。
「自殺しちゃった人は、誰でも鬼に口とか足とか手とか奪われるの? 奪われた人はみんな、取り返しに来なきゃならないの? じゃあ、世界中にメイみたいな可愛そうな子が沢山いるって事?」
大きく溜息を吐き、オジゾー君は困ったように微笑んだ。
「キミは質問を挟まず、人の話を聞くことが出来ないようだね。つまりメイは元々死ぬ気なんかなくて、両親を自分の思い通りにするため自殺を利用したんだ。これは世を儚んで死を選ぶ者に比べたら、大罪なんだよ。大罪を犯した者は、境界線で鬼に捕まる。鬼は犯した罪の数だけ〔業〕を奪う。メイは〔略取の手〕と〔逃避の足〕と〔姦計を聞く耳〕を引きちぎられ、〔懐疑の目〕を抉られ、〔欺瞞の口〕を裂かれた。本来なら、目も見えず耳も聞こえない芋虫のような姿で、餓えと渇きに苦しみながら、尖った石の河原を未来永劫這いずり回るはずで……」
「やめて! 酷い、酷すぎるよそんな事! オジゾー君のバカッ! サイテイ!」
ボロボロと涙を流しながら、アカリが叫んだ。
驚いて口を噤んだオジゾー君は眉根を寄せ、優しさと憐れみを込めた手をアカリの肩に置いた。
「メイの罪は重い、でもオレは彼女を救ってあげたかった。だから試練を与えたんだ、メイなら出来ると信じてね。メイは良く戦い、奪われた四つの〔業〕を取り戻した。ところが、あと一つの〔業〕を取り戻せば現世にいられなくなるので迷っている。メイが鬼を見逃せば、どちらにせよ地獄行きだ。これは試練だから、オレは黙って見守るしかない」
「ボクはどうすればいいの? 鬼を見逃しても地獄に堕ちると教えればいいの?」
オジゾー君は右手の人差し指を立て、アカリの唇に添えた。
「ダメ、ルール違反。メイが自ら、鬼を倒そうと思わなくてはいけないんだ……。君は、メイをどう思う? ただ、可哀想な女の子?」
アカリは、激しく首を振る。
「違う。可哀想って思うだけじゃなくて、力になってあげたい、友達になってあげたい、少しでも悲しいことから助けてあげたい」
「メイも、自分だけじゃなく誰かを助けたいと思った時、贖罪が叶う。君にはメイを好きになって欲しい。おそらくメイは、君に応えようとするだろう。友達の信頼は、親や教師よりも強い力をくれる。そして裏切りは、深い闇をもたらす……」
一瞬だけ、オジゾー君の口元に冷たい笑みが浮かんだ、気がした。
改めて見れば、やはり慈愛に満ちた美しい顔がそこにある。
思い違いだろう。
「ボクは、メイを好きになれると思う。鬼を退治するまで頑張れって、メイはボクに言った。その言葉を信じるよ」
「頼んだよ、アカリちゃん。二人の友達を救えるのは、君しかいない」
二人?
意外な言葉に目を瞬かせた時、足下に置いた通学用のエナメルバックから携帯のメール受信音楽が鳴った。
こっそり学校に持ち込むため、電源を切ってあるはずなのだが……。
嫌な予感から急いでメールを開くと、ユウコからのものだった。
『差出人・海老塚ユウコ/件名・ゴメン/
私はアカリにヒドイことをしました。友達を裏切るなんてサイテイです。もうアカリに会えません。これから満留に会って推薦は断ります。だからって許してもらえるとは思わないけど、本当にゴメンナサイ』
メールを読んだアカリは、思わずオジゾー君を見た。
オジゾー君はニッコリと笑い、頷く。
「満留の本当のターゲットは、ユウコ君だ。ユウコ君が危ない」