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妻の疑い

全五話ですが、一話一話は短くて、全体としては短編くらいの長さです。

「次はいつ会えるのかな?」


 呟くようにかけた僕の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、彼女は去っていった。ザクッザクッと薄く積もった雪を踏み鳴らしながら。


 僕は鼻の頭をかきながら彼女を見送った。


 *


「あなた、浮気してるわよね?」


 うん、してるよ。


「っ!?」


 と…………あっぶない。思わず答えてしまうところだった。


「な、何を言ってるんだい? 急に」

 狼狽えているのがバレないように、つとめて声の調子を整えながら、僕は平静を装った。

 妻はそんな僕の様子を冷ややかに見ながら温かいスープの注がれた器を食卓に置いた。

「してるわよね、浮気」

 その射るような視線。

 三年前の、現役だった頃と全く変わっていない。

「し、してないよ。一体どうしてそんなこと」

「……してないの? なら、いいのだけれど」

 僕達二人、ランドとミリーと言えば、「ドラゴン狩り」の二つ名で知られた冒険者コンビだった。三年前にミリーが身ごもったのを機に結婚し、冒険者を引退して二人の故郷の小さな村に戻った。今は小さな畑を耕しつつ村の子供たちに剣術を教えたりしながら、つつましくも平和な日々を送っている。


「綺麗な人よね、マチルダさん」


 思わずフォークを持つ手を止めてしまう。

「か、彼女との仲を疑っているのかい? 何をバカな。か、彼女は山岳警備隊の兵士だよ?」

「私は綺麗な人だって言っただけじゃない」

「き、君のほうが綺麗だよ」

「……」

 今のはさすがにわざとらしかったか。妻の目には少しも嬉しそうな感情は浮かんでいない。ただただ「ごまかすのが下手な人ね」と言わんばかりに僕を呆れた目で見ている。

 結局僕は、咳払いをして話を打ち切るしかなかった。


 結婚して三年。妻のことが嫌いになったわけじゃない。夫婦喧嘩だってほとんどしたことはない。ただ、二人の仲は冷めていた。娘が生まれ、二人の関係はもはや「恋人」ではなく「家族」になったからだ。冒険していた頃、つきあい始めた頃のように、一緒にいてドキドキすることもなくなった。

 そう、それで「他に刺激を求めた」のだ。

 浮気をする理由としては、腐るほど転がっているありきたりな理由だと、我ながら思う。


 *


 カランコロン。


 客の来訪を告げるベルが鳴った。

 妻は、「来たわよ、あなたの待ち人が」という目で僕を見た。誰だろうね、と僕はつぶやいてみたがこれもわざとらしいことこの上ない。

 いつも、夕食後のこんな時間に彼女はやってくるからだ。

 僕は気まずい食卓を離れ、ドアを開ける。

「やあ、マチルダさん」

「夜分恐れいります。申し訳ないのですが、またご足労願えないでしょうか」

 事務的であることを強調するような早口で、マチルダさんは僕に告げた。

「出たんですね?」

 確認の意味で問う。マチルダさんは頷いた。

「仕方ない。……ミリー、ちょっと行ってく……」

 妻がいつの間にか背後に立っていた。

「また、「ドラゴン退治」?」

 妻は笑っていた。だが目は笑っていない。

「そ、そうだよ。放っておいたら村に被害が出る。退治しなきゃ」

「たまにはそちらで何とかなさったらよろしいんじゃありませんか? 山岳警備隊は何のためにあるんでしょうねぇ? マチルダ副隊長さん?」

「も、申し訳ありません奥様。我々の力不足で……ご主人に頼ることになってしまい、面目もありません」

 妻も酷なことを言う。ドラゴンを相手に戦える人間など、滅多にいないのをわかっているくせに。警備隊の連中だって素人じゃないが、狼や熊ならともかく、小型でも家の屋根ほどの背丈になるドラゴンじゃあ、歩が悪い。おまけに鳥のように空を飛び、トカゲのようにすばしっこく動く。加えて、炎もはくし毒を持っているものもある。そして知能が高く、子供だましの空砲じゃ追い返せない。

 ドラゴン退治は、専門家の仕事だ。引退したとは言え、過去数十体ものドラゴンを葬ってきた、名うての冒険者がいればそれに頼るのはむしろ正しい選択だ。

 妻だってそんなことはわかっているのだろうが、彼女は言うだろう。「ドラゴンが村を襲いに来ているというのが本当ならね」と。

「ミリー、やめないか。君だってよく知っている筈だろう? ドラゴンは並大抵の魔物とは違う。僕がやるしかないんだ。……いや、僕だって無事で済むとは限らない。これまでの六回はなんとかかすり傷くらいで追い返せたけど」

 我ながら卑怯だとは思う。このかすり傷だって、わざと作ったようなものだ。

「なら私も行くわよ」

 僕は慌てる。

「ば、ばか言わないでくれ。メリーはどうするんだ」

 メリーは二歳になったばかりだ。

「あなたが面倒見てればいいじゃない」

「ミリー。無理を言わないでくれよ。だいたい君はもう剣も振れないだろ?」

 引退してからもずっと剣を振る稽古を続けていた僕と違って、彼女は出産を経験したこともあり、すっかり現役時代と比べて筋肉が落ちてしまった。子育てをしていて体力はあるが、それでもとてもドラゴンのスピードについていけるとは思えない。

「本当に剣を振る必要があるのならね」

「どういう意味だよ?」

「さあ?」

 延々言い合いを続けそうな僕らにマチルダさんが口を挟んだ。

「あの、お時間が」

「そうだね。すまない。行くよ。ミリー、話は後だ」


 *


 夜更け過ぎ。

 そぉっと扉を開けて帰宅した僕を、妻はまだ起きて待っていた。

「た、ただいま」

「ずいぶんかかったのね」

「ちょ、長時間の戦闘でもうクタクタだよ……」

 僕は鼻の頭をかいた。

「倒せたの?」

「え、何を?」

「ドラゴンに決まってるじゃないの。何をしてきたの?」

「も、もちろん倒そうとしたさ。ドラゴンを」

 嘘だ。

「で、でも……流石に一人じゃ追い払うのが精一杯だった」

「へえ、じゃあ」

 妻はカツッと強めの音を立ててマグカップをテーブルの上に置いた。

「また何日かしたら、マチルダさんはあなたを迎えに来る……ってわけね?」

 飲みなさいよ、コーヒーよ、と妻に促されるままに口をつける。

「そ、そうだね、また来ることになるかもしれない」

 飲んでから、毒でも入ってやしないかと変な想像が浮かんでしまい、変な汗をかく。

「次はいつ?」

「いや、予定を決めてるわけじゃないから……」

 しまった。

 否定の仕方を若干間違えた、と気がついた時、妻は確信に満ちた顔をしていた。

「そうよね。相手はドラゴンだものね。予定なんて決められないわよねぇ?」

 少しも相手はドラゴンだとは思っていない顔で妻はゆっくりと言った。

「そ、そうだよ。相手はドラゴンだから」

 僕は内心、頭を抱えていた。

 もう、妻は完全に僕がマチルダさんと浮気していると確信を持ってしまっている。

 このままなんとなくで誤魔化し続けるのは限界だ。

 何か、手を考えないと。

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