朝食にしよう
夜が明ける。
この魔女の家は山の上にある。ここから見える日の出は美しい。
森や川など、ここから見渡すことができる世界が、光に染まっていくのをゆっくり見ることができるのだ。
フーリエはその光景が大好きだった。毎日見ても飽きない。
自然の生み出すアートをを十分に堪能して、彼女は家の中へと戻っていった。
「ポメ、悪いけどブルを起こしてきて」
彼女がそう言うと、ブルが寝ている部屋のドアがひとりでに開く。
もちろん、彼女が魔法で開いたのだが。
するとポメと呼ばれた毛むくじゃらの影が、ブルの部屋へと駆け込んでいく。
勢いそのままにベッドに飛び乗ると、ワンワンと吠えた。
「うわぁ」
突然の襲撃に飛び起きたブルの身体を、しっかりと避けてポメは床に着地し、なおも吠えた。
「シッ、静かに。あぁ、えっと」
どうしていいかわからない。
ただでさえはっきりしない寝起きの頭に、入ってくる情報が多すぎる。
ここはどこ?魔女の家だ。
うん、師匠の・・・フーリエの家だ。
自分が寝ていたのは布団の中で、そう言えばこんなに何かに接近されるまで目を覚まさなかったことなんてない。
そう、何かだ。この吠えているのは何だろう?
こんな風に鳴く生き物は知っている気がする。
確か犬だ。狩りをする人間が森に連れてくることがあった。
でも、こんなに毛むくじゃらではなかったと思う。
混乱している割には、色々なことを考えていた。
そこに彼女が入ってきた。
吠えているそれを両腕で抱き上げると、笑顔で語り掛ける。
「ありがとう、ポメ。ただブルは仲間なんだから、そんなに吠えてくれるな」
しっぽを振ってワンと一鳴き。返事をしたかのようだった。
「あぁ、おはよう。この子はポメ。紹介がてらあんたを起こしてもらったのさ」
今度はブルの方に優しい声を向ける。
ブルは上半身だけを起こしたまま、上目遣いで彼女を見たまま無言だった。
「おはようってわかるかい?人間には挨拶ってのがあって・・・」
「わかる。朝はおはよう。昼はこんにちは。夜はこんばんは」
ブルの言葉に今度はフーリエが驚いた。
「おはよう師匠。ちょっと考え事をしてたんだ。ごめんなさい」
かわいい!フーリエは抱きしめたくなるのを堪えていた。
実際にはポメを抱く腕に力が入って、苦しそうな鳴き声でハッとなったのだが。
「それって犬?俺が知ってるのと違う」
フーリエは一瞬彼のこれまでの生活に思いを馳せた。そして彼の言っているのは猟犬のことだろうと察した。
「ポメね。この子も犬だよ。犬にも色んな種類がいる。この子はポメラニアンって種類なのさ」
彼女にはネーミングセンスがない。この犬が雄だったら、ラニアンという名前だったろう。
ブルというのは、彼女にしてはよく考えたものだった。
「そうか、ポメ。よろしく」
ベッドから起き上がった彼は、ポメの頭を撫でた。
さっきあれほど吠えたのが嘘のように、大人しく撫でられた犬の顔も心地良さそうだった。
「よし、朝食にしようか」
魔女の一声で一人と二匹、いや三人はその部屋を後にした。
「おっと、その前にあんたに服をやらなきゃね」
当たり前と言えば当たり前だが、ブルは何も身に着けていなかった。
動物やら魔物やらを見慣れている彼女は、特段気にもしていない。
しかし、食事中に不快なものが見えるのは、万が一にも避けたい。
それに彼女は彼に対して、人間と同等の知性を感じていた。
ならばいつまでも裸でいさせるわけにはいかない。
「ほらこれ。昨夜のうちにだしておいたんだよ」
そう言って手渡したのは大き目の白い布だった。
腕を通す部分と、真ん中辺りに丸い穴の開いたシンプルな丸い布。
いわゆるローブと呼ばれるものだ。
「一応新品だぞ。私が一回袖は通したが、大きすぎたのでな」
農民は少し話が変わってくるが、庶民が新品の服を入手できることなどまずない。
広めのこの家と言い、彼女はかなり良い暮らしをしているようだ。
「おぉ、服!人間っぽいな、それ」
ブルは喜びを隠そうともせず、受け取った布をひらひらと、表にしたり裏返したりした。
「服を着るのは初めてだろう。こうするんだ」
フーリエの言う通りに布を被り、腕を通した。
少しダブダブに見えるが、動きを制限されるということもない。
新鮮な布の肌触りに、彼の顔が自然と緩む。
「そしてこの辺で紐を結ぶっと。ほら完成だ」
彼は笑顔でクルクル回ったり、飛んだり跳ねたりした。
「あははははは」
ついには笑い声が漏れた。
「すごいすごい。俺、服着てる」
ゴブリンの寿命や成長の速度がどのくらいかは、フーリエにもわからない。
けれどきっと彼はまだ子どもなのだ。あんなに無邪気に喜んで。
そんな様子を彼女もまた笑顔で見守った。
テーブルの上には二人分の食事が並んでいた。
ライ麦パンと豆のスープ、それにサラダ。
少し贅沢ではあるが、一般的と言えなくもない食事だ。
彼女は終始笑顔だった。
誰かと食事をするのは楽しい。
彼女のように一人で食事をするのが常という者にすれば、なおさらである。
彼女にとって何でもない料理を、うまいうまいと掻っ込む様を見るのも嬉しい。
「あんたが何を食べられるのかわからなかったから、そんな風に食べてくれると嬉しいねぇ」
「何でも食べる。人間みたいに料理しないだけ」
その言葉にうんうんと頷きながら、スプーンを握る彼の手を見る。
少しサラダを食べにくそうにする様子も、微笑ましく感じた。
もちろんそれだけではない、
改めてゴブリンの弟子がいるという状況を考えると、楽しくて楽しくて仕方ないのだ。
そうなる原因の中には知識欲や、探求心というものもあるのは間違いない。
「ところで昨日は疲れてるだろうから訊かなかったが、人間の言葉はいつ、どこで覚えたんだい?」
「たぶん最初から。腹減るとか、食べるとか、暑いとか寒いとか俺たちも人間と同じように感じることは最初から知ってた気がする」
「最初からって生まれた時からってこと?」
「そう。たぶん」
うーん、フーリエは腕組みをした。
魔物が言葉を覚えるプロセスがわかれば、他の魔物ともコミュニケーションが図れるかもしれないと思っていた。
しかし、その期待は見事に裏切られてしまった。
「でも挨拶とかは?人間の慣習でしょ?」
彼女が引っ掛かっているのはそこだった。
挨拶もそうだが、あまりにも会話が成立しすぎている。
服という単語も知っていたようだった。
人間のことをよく知っていなければ、こうはならないはずだ。
「リカルドに教えてもらった。リカルドは狩人だって言ってた」
狩人か。確かに森で人間と接触するのなら、その可能性が一番高いとは思っていた。
しかし、彼らほど魔物を警戒する人種もいない。
獲物を追うために俊敏さが求められる。重装備はできない。
魔物に襲われたらひとたまりもないから、魔物の気配には常に気を張っている。
「森で怪我してたから薬草を渡した。これ使えって」
「話したのか」
「話した。そうじゃないと薬草だとわからないから」
なるほど。それで少し謎は解けた。
助けられれば人間は悪い感情は持たない。
「それから何回か会ったんだ?」
「リカルドはいつも森の中で大声で俺を呼ぶ。ゴブリンくーん!!って」
あぁ、それで自分の名前をゴブリンだと。
狩人がわざわざ魔物に名前を付けようとはしないか。
それにしても、それしか彼を探す方法がないとは言え、森で大声なんて・・・。
「だから動物はみんな逃げる。リカルドはいっつも獲物を捕れないから、俺が捕っておいてあげた」
フーリエは人を見る目にはそれほど自信はないが、魔物を見る目には自信を持っていた。
この子は、良い子だ。
「それで代わりに色々教えてもらったってわけだね」
「そう。挨拶もそうだし、服や人間は家に住むってことも。他にも色々。でも、家の中がどうなっているかはわからなかった。
ベッドも布団も椅子もテーブルもスプーンも、師匠が教えてくれた」
「おまえは本当にかわいいねぇ」
椅子から立ち上がり彼の横に回ると、その頭を撫でた。
ブルは「かわいい」はリスやウサギに使う言葉ではないのかと思いながらも、撫でられる心地よさに身を委ねた。