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短編

距離0センチまで

作者: 桜倉ちひろ

コチラは、深大寺恋物語に投稿した作品です。

落選作品で申し訳ないのですが……ちょっとでも楽しんで頂ければと思います。

 「お昼は何が食べたいですか?」

 朝井貴美子あさいきみこにそう尋ねるのは、三〇分前初めて会ったばかりの齢三〇になる前園琥太郎まえぞのこたろうだ。時刻は午前一〇時三〇分。これから少しぶらりと歩いてどこかの店へ入ればなかなかいい頃合いになるなぁと考えながら、貴美子は無意識のままその質問に答えていた。

 「天ぷら蕎麦かな」

 言ってしまってから『しまった。素直に食べたいものを言っちゃ駄目でしょ』と内心思ったものの後の祭り、少し笑われてしまった。笑われたことに対し、流石の貴美子も気恥ずかしさを感じるが『こんなんじゃあ見限られるだろう』と諦めた。

 元々乗り気で受けたわけでもないし……と心の中で言い訳していると、琥太郎の母は貴美子の態度を不快に思わなかった様で、構うことなく嬉々として新しい提案をしてきた。

 「二人で深大寺へ行ってらっしゃいよ。花見も兼ねていいでしょ」

 言外に『縁結びのお祈りしてきたら』という含みを感じ、そのことに戸惑いつつも反対する理由もない。そのまま双方の母に別れを告げ、二人は今、二〇センチの距離を保ちながら隣を歩いている。


 「見頃ですね」

 何を話せばいいのかと悩んでいた貴美子の横で、琥太郎が突如立ち止まって空を仰いだ。それに倣って貴美子も同じ姿勢になると、眼前に満開の桜が広がる。無言で同じ光景を見つめながら『こういうのも悪くないかも』とふと貴美子は感じた。

 程なくして琥太郎が薦めるお店に到着すると、メニューを広げもせずに琥太郎が天ぷら蕎麦を二つ注文した。

 「すみません、付き合せてしまって」

 自分を気遣って同じものを注文させてしまったと思い貴美子が謝罪をすると

 「私も食べたかったので」

 そう言って琥太郎は、涼やかな瞳を少し細め軽く微笑む。さらりと大人の対応をする琥太郎に好感を抱きながら、貴美子も微笑んだ。


 お見合いと聞いてどんな人が来るのかと不安を抱いていたが、殊の外琥太郎は良い男だった。お世辞にもとびきりの男前などではないけれど、服装は清潔感があるし対応も誠実で、道を歩いていても貴美子を内側に歩かせる配慮までみせるジェントルマンだ。

 僅か一時間程度の付き合いしかないものの、どうしてお見合いなんてものを望んでいるのか不思議なほどである。余程厄介な性格でも持ち合わせているのかと訝りながら、貴美子は一先ず蕎麦を味わってからと考え合掌した。

 食べ始めれば貴美子はまた今の状況を忘れて無我夢中で蕎麦を食べていた。有名な深大寺の蕎麦とあってのど越しも良く、文句なしに美味しい。すっかり琥太郎の存在を忘れるほど蕎麦に魅了され、自分の食べっぷりを凝視されていることに気が付いたのは、そば茶を飲み干して湯呑みを置いた時だった。 その視線に気づいてしまうと、恥ずかしさで貴美子は縮こまる。そんな彼女を琥太郎はただ微笑みながら見つめ『そろそろ行きましょうか』と努めて優しい声音で呼びかけた。頷く貴美子を確認すると、さっさと立ち上がって会計を済ませてしまった琥太郎に、店を出てから貴美子が割り勘を申し出るも拒否されてしまう。

 紳士的な琥太郎に好感度がさらに高くなりつつも、貴美子は彼とのお見合い話にいよいよ不審感を抱き始めた。


 「前園さん、お見合いしなくてもいい人いるでしょう?」

 折角だから……と深大寺へ向かう途中、どう考えても見合いなどする必要がないだろう琥太郎へ貴美子はストレートに質問をぶつけた。

 けれどそれに琥太郎は不快な表情を浮かべるでもなく、申し訳なさそうな顔をしながらゆっくりと歩きつつ話を始める。

 「正直に話すと、結婚しようと思った人が居ました。でも家庭に入るのは嫌だからと断られたのです。両親も早くに孫……というより後継ぎが欲しいと煩くなってきて。両親には恩があるし、店を潰したくもない想いは私にもあります。それならいっそ見合いでもしてさっさと身を固めても良いかなぁって」

 返ってきた真相に、貴美子は胸が痛んだ。それは彼女自身にも覚えがある感情だったからだ。

 一年前、仕事一筋でろくにデートも出来ずにいた貴美子は恋人に捨てられた。それにも懲りず無心に仕事をしていたら、次は体を壊して倒れてしまった。病気休みを取ることとなりひと月の静養の後復活してみれば、主任ポストに出来損ないと名高い後輩が貴美子を押しのけて座っている。それも彼が男だからと言う理由で。

 努力を続けた自分は何だったのかと会社に対して絶望しながらも、まだ病み上がりの身体を引きずり仕事に行っていた貴美子だが、復活後痛々しい程にやつれる娘を見て貴美子の母が泣きながら彼女の出社を引き留めた。そして半年前に退職したのだ。

 それが正しいことだったのかは分からない。

 社会人としては許されないけれど親を泣かせてまでこの仕事をやるべきなのだろうか、と涙を流す母を見ながらしみじみ思ってしまった。以来、自宅療養とは名ばかりの堕落した生活をしている。

 けれど、元来真面目な貴美子はいつまでも今の状況に納得しているわけでもない。いっそ結婚でもした方が親孝行なのでは……などと考えていた矢先、降って湧いたように今日のお見合いの話を母の友人の伝手で貰ったのだ。


 「なんか、分かります」

 いろんな想いを抱えながら貴美子が相槌を打つと、琥太郎は目を見張った。乗り気とは思えないほど飾らず自然に振る舞う貴美子が、同意してくれるとは考えてもいなかった。

 「お見合いなど否定されているかと思っていました」

 正直な気持ちを琥太郎が漏らすと、あまりにも奔放すぎた自分を恥じ、貴美子は恥ずかしさを誤魔化しながら謝罪した。

 「すみません、猫も被らなくて」

 そう笑いながら言うと、初めて琥太郎が声を出して笑い、それにつられて貴美子もクスクスと笑った。

 一しきり笑い終えると、琥太郎はふいにお見合い相手の条件について話を始めた。

 「若い人が良いという希望は、孫が欲しいと言う両親の願望があるからです」

 昨今、不妊に嘆く声も多い。その理由の一つには、女性の結婚が遅れていることも示唆されている。仕方がないこととは言え、女性にとっては辛い条件だけれど切実な問題でもある。それを重く受け止めながら小さく貴美子は頷き、続きを促した。

 「着付けの出来る人っていうのは、うちが呉服屋だからなのですが。一人目にお会いした人に着物は好きじゃないと言われたからです。身長が低めの方と言うのは……二人目にお会いした方に、背が低いと言う理由で嫌がられまして。その言葉をまた聞くのは流石に辛いなぁと」

 そう言う琥太郎を貴美子が見上げると、身長は一七〇センチ有る無しくらいと感じた。低いというほどではないけれど、人によればというところだろう。こうして条件を改めて説明されてみると、それに自分が当て嵌まるからとゴリ押しされた事情が貴美子にも見えてきた。

 身長一五五センチ、年は二六歳でまだ若いと言える年齢。社会人になって趣味で着付け教室に通った経験もあるから着物は好きだ。けれど本当に、こんな風に方程式に当てはめたようなやり方で結婚を決めてもよいのだろうか?

 そう悩んでいると、深大寺へと続く石段に到着した。けれどそれを上がる様子のない琥太郎を不思議に思って貴美子が見上げると、彼はこんなことを言い出した。

 「私が今から言うことを受け入れて頂けるなら、一緒に上へ行きませんか?」

 よく分からないが貴美子は琥太郎の提案にコクリと頷いて了承を示した。

 それを確認すると琥太郎は小さく息を吸ってからゆっくりと吐き出し、一言一言を大事にしながら貴美子へ想いを伝えた。

 「あなたに……朝井貴美子あさいきみこさんに、今、恋はしていません。愛もありません。けれど、これから仲良く過ごせる努力はします。こんな私で良ければ結婚を前提にお付き合い願えませんか」

 周りから音を失ったかのように、その言葉だけが貴美子の耳に響いた。あまりにもまっすぐで真面目すぎるその言葉に不覚にもドキリとする。こんなに飾らない告白、人生で聞かせてもらえるなんてことあるだろうか? もっと、女性受けする言葉だって選べるだろうに……

 そう思ったらおかしくて、貴美子の口角は緩やかに上がっていた。

 「夫婦って努力の賜物じゃないですか?」

 返事とは違う言葉を切り出した貴美子に、琥太郎はドキリとする。けれどそんな彼を構うことなく貴美子は続けた。

 「好きで結婚したって、ダメになる人いっぱいいるじゃないですか。結婚の後って努力なしに続かないと思うんですよ」

 貴美子がそう言うと琥太郎は静かに頷いた。

 「仲良くなる努力、ずっとしてくれますか?」

 琥太郎は参ったなと漏らしながら右手で目を塞いだ。彼はすでに、自然体でまっすぐな貴美子に良い感情を抱いていた。それは対する貴美子も同じように抱いている感情だった。そして追い打ちとばかりに貴美子は言う。

 「深大寺には行きません」

 この流れで階段を上らないと言う貴美子に琥太郎は慌てた。一体どういうことなのかと困惑する表情を隠さずに貴美子を見つめると、彼女からスッと手を差しだされる。

 「新しく結びたい縁はありませんから」

 そう言ってにこりと笑う貴美子に『やられた!』と言いながら、琥太郎は差し出された手を遠慮なくギュっと掴んだ。

 「努力は怠りません。ずっと」

 琥太郎がそう告げて引き寄せると、二人の距離は〇センチに変わった。

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