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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅴ 彼女の想い
98/277

3-5

 警察。

 通された部屋でクリューは呆然と、貸馬車屋店主の言った言葉を反芻していた。

 警察。悪いことをした人は警察に連れて行かれて、刑務所に入れられることをクリューは知っていた。本当は自分は悪いことなんてしていないけれど、無実の罪で捕まってしまう人も中にはいると知っていた――物語でそう読んだことがあった。

 そして刑務所に入ったあとは、何年も何年も、他の怖い犯罪者の人たちとそこで毎日を過ごさなくてはならなくなるのだ。かつてその場所に関して「飯もマッズい」と語ったのは顔をしかめたスプートニクだった。……なぜそんなことを彼が知っているのかはわからないが、とにかくたくさんの怖い人と一緒に、美味しくないご飯を食べて、ずっとずっと生活しなくてはならないのだ。

「……でも」

 それは全部、浅はかな行動をした自分の責任だ。家出なんて悪いことをしようとして、悪いことに宝石を使おうとして、だからばちが当たったのだ。

 目の前の紅茶とクッキー――さっきの女性店員が「よかったらどうぞ」と持ってきてくれたが、これが最後の食事だと思うと、手を付ける気には到底なれなかった――が歪んで、クリューは両手で目を擦った。

 大丈夫。自分は昔、もっともっと、ひどいところにいたことだってあるのだ。それに比べたら、刑務所なんて大したことではない。刑務所は、頑張って、ちゃんと仕事をして、刑期を勤め上げたらまた外に出てこれると本にあった。大丈夫、時間はかかるかもしれないけれど、またここに戻ってこられる。

 そうだ、遠く離れてしまっても忘れられたりしないよう、仕事の合間にスプートニクへ手紙を書こう。買い足したばかりのひよこの便箋が、まだ部屋にたくさん――

 そこまで考えて、はた、と気付く。

 刑務所にいる間、吐き出した宝石はどうしたらいいだろう。刑務所の悪い人や職員の人に気付かれないよう隠して持っているのにも限界がある。悪い人に気付かれたら、またいつかの二の舞だ。だとしたら、手紙に混ぜて、こっそりと……そう考えたところで、更に、気付く。

 クリューが刑務所にいる間にスプートニクは、婚約者と結婚してしまうかもしれない。

 そのことに思い当たった瞬間、さっと、クリューの頭から熱が引いた。そうだ、手紙を出したところで、悪い子からの手紙なんて縁起が悪いと、受け取ってもらえないかもしれない。刑務所に入るような悪い子の場所なんて、もう、ないかもしれない。

 ましてや、悪い子の吐き出した宝石なんて。

 ……婚約者。

 クリューを助け、微笑むファンションの顔を思い出す。あのときは救いの女神のように見えたそれが、今はもう、クリューを見下すためのものとしてしか思い出せず、ただ憎らしくて仕方ない。

 あのときあの人がいなかったら、今頃自分はこの街にいなかったのに……恩人であるはずの人に、そんな思いを抱くなんて。自分は、なんてひどい子なんだろう。

 ひどい子は、刑務所に入って、一人きりになっても、仕方ない。

「クーは……」

 呟いた名前は震えていて――込み上げてくる感情を自覚した、その瞬間。

 もう会えないかもしれない人の声が、扉の向こうに聞こえた気がした。






 結論から言えば、『四度目の正直』などというものは、諺にもなければ実際に起こることもまた、なかった。

 扉をくぐりやってきたのは、警察官ナツだった。警察ですが、と言ったナツに「知ってるよババァついにボケたか」と答えたら怒り始めたため、些かの無為な時間を過ごすことになってしまったがそれはさておき。

 曰く、貸馬車屋から「宝石店の従業員が迷子になっていたので保護している、引き取りに来てほしい」と通報があったらしい。そこで保護者であるスプートニクのところへ身元引受の要請にやってきた、と。――まったく、手間をかけさせる。

「こちらです」と穏やかに笑う女性店員に導かれやって来たのは店の奥。ちなみに店の隣には馬屋が併設されているが、どう空気を入れているのか、生き物臭さは感じない。

 さて、うちの我がまま娘はこの中かと、改めて戸に視線をやったとき。

 まるで彼を待っていたかのように唐突に、戸が開いた。

 驚きに声を上げなかったのは鍛錬の賜物というわけではなく、単純に声を上げるだけの余裕もなかったからだ。戸がスプートニクの、鼻先を掠めていっただけで済んだのは奇跡だった。あと半歩でも踏み出していようものなら、思い切り頬が張られていただろう。

 何事かと、数歩後退。開いた戸のノブを握って荒い息を繰り返しているのは、栗色の髪のちんちくりんだった。ただでさえ鳶色の瞳がいつもより更に大きく見えるのは、涙のせいか、それとも何かに興奮しているのか。

 荒い息の中で途切れ途切れに、彼女は彼の名を呼んだ。

「す、ぷー、と、にく……さ……」

「よう。奇遇だな?」

 軽く手を上げ小首を傾げ、茶化すように挨拶してやる。

 ストーカー予備軍から家出人にランクアップしようとして失敗、結局迷い子に落ち着いたらしいクリューは、スプートニクの姿を認めるとほんの少し頭を引いた。目を見開き、下唇をきゅっと吊り上げていたが、やがてぼろぼろと涙を落とし始める。

「す、スプートニクさん、わ、私、ごくちゅうから、ごくちゅうから、おてまみをっ」

「ごくちゅう? ……獄中? 何?」

「せめて、せめておてまみだけは、ひぐ、お手紙は、だけは、受け取ってぇっ」

「ったく、またなんか訳のわからん思考に飛んだな――ってうわお前汚きたねェ!」

 鼻水を垂らしながら駆け寄り、抱き着こうとするクリューの頭を掴んでそれ以上近づけないようにする。が、スプートニクの拒絶は彼女の心に更なるショックを呼んだらしい。両手を前に突き出しながら、叫ぶ。

「クーの、クーの手は罪に汚れてしまいましたぁっ」

「誰が比喩の話をしてるか、物理的に汚ェんだよ……ああ、ったく。ほら」

 軽く屈んで視線を合わせると、ポケットからハンカチを取り出して、彼女の目を、頬を、顎を拭い、そして最後に鼻に当てる。ぶいー、とハンカチの持ち主にまったくの遠慮ない様子で鼻をかむと、クリューは幾分落ち着いたようだった。

 あとは自分でやれ、とハンカチを渡す。自身の涙と鼻水で湿った男物のそれを両手で握り締めながら、クリューはスプートニクを見上げた。

「この、このハンカチをどうかクーに、最後の、最後のおくりものとして」

「最後? なんだか知らんが、ンな安物、欲しけりゃいくらだってくれてやる。が、まずは帰って洗濯してからな。――すみません、うちの従業員がご迷惑を」

「フン」

 適当な営業用の笑顔を作って、ちょうど別室から姿を現した老人へ挨拶をする。この杖を突いた小柄な老人が貸馬車屋の主人であることを、スプートニクは知っていた。年老いているが眼光は鋭く、口はいつもむっつりと一文字に結んでいる。

 と。彼の声を聞いて、なぜか怯えたように、クリューの背筋が伸びた。けれどそんなものなど意に介さない様子で、彼はぼそぼそと続ける。

「従業員の教育はしっかりしておくんだな」

「教育?」

 家出を企んだことでも話したのだろうか。それで怒られたとか?

 けれど極端に青ざめたクリューの様子からすると、そういうことでもないようだ。スプートニクの腕をつかみ、大きく首を左右に振った。

「ち、ちが……あの、あの……く、クー、お、おうまさん、ほしくて……でも、おか、お金、足りなくて、それで、その、その、これ」

 一度ポケットに入れ、抜き出した手は拳になっている。どうやら何かを握っているようだ。不思議に思っていると、彼女はスプートニクの目の前で、その拳を開いてみせた。

 手のひらの上に乗っているのは、緑色の宝石一つ。表面がやや曇っているのは、傷があるのではなくクリューの手が汗ばんでいるからだ。それは昨晩彼女がスプートニクの背で吐き出したのと、同じに見えた。エメラルドにも似ているが、グリーンガーネットかもしれない。正確なところは鑑定すればわかるだろうが、今大事なのは宝石の真価ではない。

 つまるところ馬車の代金として、金の代わりにこれを提示したのか。しかし、

「……でも、そしたら、ぬ、ぬす、ぬ」

「アンタの店から盗って来たんじゃあないのか。それ」

「ぬすぅぅぅぅぅぅ」

 成程。クリューが世界の終わりのような表情で泣いていたこと、獄中だのなんだのと言っていたこと、すべてに合点が行った。

 いつもの吐き出したそれだとスプートニクにはすぐにわかったが、他人にはそんな事情、わからない。貸馬車屋の店主は、恐らくクリューが店から窃盗を働いたのだと思ったのだろう。そして彼女に何かを言ったと。

 クリューも、店主から贈られたものだとでも適当に嘯けばよかったのに、きっとできなかったのだろう。これは咄嗟の嘘をつくのが苦手だ――否。咄嗟でなくとも、嘘が苦手だ。

 怖がり、怯え、ぷるぷる震えるこれを見ているのは毎度のことながら大変楽しいが、ひとつの店の主として、従業員が盗人だという印象を持たれるのは面白くない。

 ここであれを使うのは予定外だったが、数は多分にある。ちょうどいいタイミングでものが届いた、と言えば聞こえはいいだろう。

 スプートニクはにっこりと笑って見せた。

「あァ。そのことでしたら、すみません。これですかね」

 そしてポケットから、あるものを取り出してみせる。

 あるもの――それは透明なセロファンに包まれた、固い、宝石のようなもの。取り出したものは、たまたまクリューの握ったそれによく似た緑色をしていた。

 ねじって綴じられたセロファンの両端を、つかんで引く。そして、

「口開けろ」

「ふぇ?」

 動向を見守っていたクリューに指示を出す。戸惑いながらも命じた通りに開いた口の中へ、スプートニクはその『宝石』を放り込んだ。

 クリューは口を閉じると、頬をもごもごと動かした。怪訝そうな顔はやがて驚きへと変わる。クリューはスプートニクの持ってきた『宝石』の正体を知ると、ぱっちりと目を丸くして、頬に両手を当てた。

「めろん」

「メロン味なのか」

 味見をしたわけではないから、そこまでは知らなかった。色によって違うのだろうか。

 貸馬車屋店主が眉を寄せる。

「なんだ、それは」

「飴玉です。宝石商会の職員から、うちの従業員にと送ってきたんですが、よく宝石に似ているでしょう? それを、これがいたく気に入って。それはいいんですが、どうも宝石だ宝石だと言って配って回る癖が」

 ユキがアクセサリーの礼状とともに送ってきたのは、宝石の形をした色とりどりの飴玉だった。フィーネチカの洋菓子屋で新作として打ち出したそうで、『口に含んでいてもおかしくない宝石、何かに使えないかと思って』とのことだ。

「はた迷惑な」

「私の監督不行き届きで、返す言葉もございません。子供のことと思い放置していたのですが、よくありませんでした。大変失礼をいたしました」

「フン」

 彼は背を向けた。もう話はいい、ということか。

 「すみません、うちの人が」と困ったように頭を下げる女性店員に一言二言詫びを入れ、それからスプートニクは、状況の変化についていけていないクリューを見下ろした。

「じゃ、帰るぞ、クー」

「あ、あの、あの……ええと」

 迷うようにあちこちを見回して、けれど自分を責める人がいないとわかると、彼女は不思議そうにこう言った。

「けいむしょ、は」

「入りたいのか?」

 尋ね返すと首がもげそうなほどに頭を左右に振った。小さな両手はスプートニクのシャツをがっちりと掴んでいる。

「店番頼んであるんだ、お前が帰らないなら俺は先に帰るぞ。それともなんだ、用はまだ終わってないのか?」

 いつもの調子を崩さず尋ねる。

 と、彼女は蚊の鳴くような声で答えた。

「……帰ります」

 たいそう短い家出だったな。

 と、言葉にするのは勘弁してやった。






■お知らせ

http://ch.nicovideo.jp/s-narou

 5月17日「小説家になろう公式生放送」様にて、私をご紹介していただけることになったそうで、会場へご挨拶に伺います。

 メインゲストではなくこっそりゲストです。

 どうぞよろしくお願いします。

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