3-3
昨日5/1(金)に3-2を追加しました。ご注意ください。
「いらっしゃいませ! ――あら、こんにちは、クリューちゃん」
続いてクリューがやってきたのは、喫茶店フィーネだった。
扉を開けると、いつものように、すぐに明るい声が飛んでくる。カランカランと鳴り響くドアベルに負けないほどの鮮やかな挨拶は、ウェイトレスのエルサのものだ。
店内を見回して姿を探すまでもなく、彼女の方からやってきてくれる。「今日はどんな御用?」とポニーテールを揺らして尋ねるエルサに、注文を口にしようとして――それより先に、伝えることがあることに気づく。
「あの、あの、昨日はごちそうさまでした。あと、くまさん、ありがとうございました。大事にします」
「とんでもない。可愛がってあげてね」
いつもと変わらぬ彼女の笑顔に、ほっとする。先ほどのナツとの会話で、自身がどれだけ緊張していたのか今更ながら気がついた。
ふう、はあ、と二度深呼吸して、顔を上げる。
「あの、おべんと、作ってください」
「お弁当?」
「はい。明日の朝、欲しいです。数は、えっと……三つ、くらい」
「三つ?」
人さし指、中指、薬指を立てて見せると、彼女も同じように指を立てた。エルサは首を傾げ、一本一本数えるように自分の指を折りながら、
「クリューちゃんと、スプートニクさんと、あと、どなたが召し上がるの?」
「違います、全部、私が食べます」
答える、と。
エルサの首が、更に傾いた。
「そんなに食べたら、お腹痛くしちゃうわ」
「あの、ええと、ちょっとずつ、食べるから」
「ふうん……」
納得したのかしていないのか、曖昧な返事をするエルサを、上目遣いで見る。クリューを映すその瞳が、どこかナツに似ているように思えて、自然と息が止まった。
けれどその間も長くは続かない。エルサは大きく頷いた。
「わかったわ。明日の朝に、お弁当三つね。取りに来る? それともスプートニク宝石店にお届けする?」
「取りにきます!」
持ってこられるだなんてとんでもない! スプートニクに気付かれるわけにはいかないのだ。ぶるんぶるんとかぶりを振り、彼女の言葉に被せるようにして強く答える。
そうしてしまってから、はっと、拒絶が過ぎたろうかと不安になった。慌ててエルサを見上げるが、彼女は怪しまなかったようだ。いつも通りに微笑んで「かしこまりました」と言ってくれた。
「他に何かご注文はあるかしら」
「クッキーと、チョコとか、お菓子も欲しいです。できるだけ、たくさん」
「ん。用意しとく」
お支払いは明日の朝によろしくね、との言葉に深々頭を下げ、「よろしくお願いします」と告げる。そしてクリューは、晴れ晴れとした気分で、喫茶店フィーネを後にした。
これで、食事の心配は解消された。
あともう一つ、クリューの計画に必要なものは――
*
届いた郵便は、ユキからのものだった。
日常使いのできるアクセサリーを仕立ててほしいというリクエストに応え、預かった宝石を加工して返したことへの郵便。彼女は細かいところまでよく見る客で、何か一か所でも気に入らなかったり不備があったりすると、妥協を許さずやり直しを命じてくる。……とはいえその分の支払いは確かにするし、スプートニクの仕事を高く評価してくれるのもまた彼女という人であって、だから彼女の存在は、確かにスプートニク宝石店の優良顧客と言えた。
内容は、アクセサリーを確かに受け取ったということ、文句のない出来栄えであるということ、提示された値段で購入するということ。それから、
『これはお礼。よかったらクリューちゃんに差し上げてちょうだい、きっと役に立つから』
と、白い箱の中身の説明らしき文が書かれていた。
蓋を開けてみると、中には小瓶がひとつ。透明なガラスの奥に収められたたくさんのそれは、彼の『商売道具』に似ていたけれど――成程、と思わず笑みが漏れた。これは確かに、使い方によってはひどく有用なものとなりそうだ。
――そう考えたと同時、ドアベルが鳴った。
箱の蓋を閉じながら顔を上げる。スプートニクが挨拶をするより早く、客の方が言った。
「こんにちは」
それは喫茶店フィーネの店員、エルサだった。
ポニーテールを揺らして挨拶をする様子はいつも通りだが、店のエプロンをつけたままだ。仕事中であるところをわざわざ抜け出してきた、といった様子に見える。それだけ急いで来たのだとすると、買い物が目的の訪問ではないのだろう。となれば……予測を立てていると、不意にエルサが「あら」と言った。
彼女は例の、熊のぬいぐるみを見ていた。
「お洋服作って頂いたのね。とっても可愛らしくなって」
「どうも」
縫ったはずの場所をもう一度辿るのは、確かに腹立たしくはあったが、決して難しいことではなく、服はすぐに縫い上がった。
熊の手を摘み、握手するように振るエルサを視界の端に収めながら、スプートニクは姉からの手紙を再読する。一文字抜いてみたり読み方を変えてみたり、思いつく数通りの読み方を試してみるが、暗号だとか裏の意味だとか、そういうものはないように読めた。ただの手紙と判断して良さそうだ。
――視線を感じて、手紙から顔を上げる。
エルサがじっと、スプートニクを見ていた。
「なんだよ」
「ごめんなさいね、ちょっと気になることがあって」
後ろに手を組んでにっこり笑い、おどけたように首を左右に傾ける。
なんだろう。眉を寄せて見せると、彼女はこんなことを言った。
「スプートニクさん、明日、お出かけのご予定が?」
言外に込められた意味を読み取るのは、難しいことではなかった。
「……クーか」
「明日、お弁当三つ欲しいんですって」
名前を呼ぶ声がため息混じりになったのは、不可抗力だ。まったく、どいつもこいつも。
「あいつは明日、有休を取るそうだ。俺は雇い主として、従業員の休暇中の過ごし方までは干渉しない。エルサ、お前も俺に文句つけに来たのか。だったら帰れ、仕事の邪魔だ」
「文句?」
「あの馬鹿が来て『保護者として気にならないのか』だとよ。余計なお世話だ」
「あら」
と、彼女は目を丸くした。口に手を当て、嫌だわナツったら、と呆れたように言う。
「スプートニクさん、充分に心配しているじゃない。ねえ?」
「……なんだよ。どういう意味だ」
「いいえ」
意味有りげな視線と言葉に、問いを返すが逃げられた。涼しげな目元を窓の外に向けて、「そろそろお店に戻らなくっちゃ」などと呟く。
頭の尾をいたく楽しそうに振りながら、扉に向かうウェイトレス。そのまま帰っていくかに思われたが、扉に手を掛けた瞬間、
「あ、そうだわ、スプートニクさん。最後に一つだけ、伝えておくわね」
不意に言われた。返事を忘れ、つい目を見開いてしまう。
けれど彼女はそんなスプートニクに構うことなく、ただ可愛い笑顔のままで、彼の確信を突く一言を告げてくれたのだ。
「そのパーカーの布地、全部、裏表反対よ」
……扉が戻り、一人残され。
重い腕を伸ばしてぬいぐるみを引き寄せると、確かにエルサの言った通り、パーカーの生地はすべて裏面が外になっていた。
深い深い、ため息が漏れる。自分の滑稽さとか、不甲斐なさとか、格好悪さとか、そんなものに。
どれだけ自分は、意識を散らしているのかと。
そして同時に、頭の端で不完全燃焼を起こしていた思考が、顕在化する。あれはいったい、何がしたいんだ。もしや、これが噂の『反抗期』というやつだろうか――
思ったそのとき、入口扉のドアベルが鳴った。
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