6(Ⅰ終わり)
「……要約すると」
警察局リアフィアット支部、第一聴取室にて。
誘拐事件の経緯書類を作成するため、ナツは参考人の一人であるスプートニクと対面していた。――痛む頭を抱えながら。
「攫われたクリューちゃんが例の倉庫に拘束されていることを知って、いてもたってもいられなくなったあなたは、単身、倉庫に彼女を助けに行った。そこで人質に取られているクリューちゃんを発見したはいいが、犯人たちに見つかってしまい、更に犯人たちに襲い掛かられ、たまたま持っていた商売道具を使って無我夢中で応戦した。どうやったかは自分でも覚えていない、気がついたら全員その場に倒れていた……と。そう言いたいわけね?」
「どこからどう見ても正当防衛だな」
「犯人全員気絶させておいてなぁぁにが正当防衛よ!」
悪びれず、ふんぞり返って証言をするスプートニクに、ナツは思わず書類を放り出し、机を叩いてそう叫んだ。
「明らかな過剰防衛でしょうが、まったく……! 犯人たち、よほど怖い思いしたのか、全員記憶障害出ちゃってるのよ。クリューちゃんに出会ったところからすっぽり記憶抜け落ちちゃってるみたいで、無理やり聞き出そうとしても震えて『助けて、助けて』って叫び出すんだから、お話にならないわ。まぁ、目撃者の証言で、彼らが犯人だってことははっきりしているけれど」
「記憶喪失か。そりゃあよかった。脅した甲斐があったってもんだ」
「何がいいのよ!」
晴れやかな笑顔で頷くスプートニクが非常に腹立たしい。
犯人の証言が取れないのは警察局としてなんとも痛手だ。しかしそんなことには一切関係もないとでも言いたそうな自称『善良な一般市民』は、足を組んだ横柄な態度のまま、軽く腕を開いてこう言った。
「とにかく。俺の冤罪が晴れたのならさっさと解放してくれ。もうあれから三日だぞ、毎日臭ェメシ食わされた上、テメェと顔つき合わせて楽しくもねェ話させられてると、気が狂いそうだ」
「私だって本当ならあなたの顔なんか見たくないし、話なんかもっとしたくないわよ。でも、仕事なんだから仕方がないでしょ。……けどまぁ、おめでとう。今日であなたの聴取はおしまいよ、同僚が手続をしているからちょっと待っててちょうだい」
椅子から立ち、床に落とした書類の束を拾い上げる。
――不意にナツの手が止まったのは、その中の一文に、今回の事件の被害者であり、ナツの友人であり、そしてスプートニクの部下である彼女の名前を見たからだった。
「……ねえ、スプートニク?」
いつもの通り、名を呼んだところで返事はない。
けれど狭く静かな部屋の中である、彼が聞いているのは確かだった。
「ここからは、今回の件とは全然関係ない、ただの世間話なのだけど」
そう前置きをしながら――それを言うことに、一瞬、躊躇いを感じる。部外者の自分が口を挟んで良いことなのだろうか、と。
けれど思い出したのは、泣きわめく友人の姿。そして友人は、『それ』に気づけることはないだろう。気づいていて、なおかつそれを言える立場にあるとしたらそれは、自分だけだ。
椅子にもう一度腰かける。書類に視線を落とし、その中にある友人の名前を見つめながら、ナツは、友人の雇い主へ静かに尋ねた。
「あなたどうして、クリューちゃんに隠し事をしているの?」
向かいの席で、スプートニクが顔を上げる気配がした。
気づいていないとでも思っていたのだろうか? まさか。
「あなた、よく夜、誰かに会いに行くでしょう。あれ、ほとんど、この市にとある職種の人がやって来た日と一致するのよね」
視線を感じる。けれどナツは彼を見ない。書類を眺めているふりをする。
どんな表情をしているか想像ができなかったから。
「リアフィアット市訪問記録によれば、現在リアフィアット市に滞在している非永住希望女性は十二名。うちハルカの宿屋に滞在している女性訪問者は一名。昨日から薬師の女性が滞在しているわ。――あなたが酒を飲んで朝帰りする日は、ほとんどが、リアフィアット市に医療関係の旅人が訪問しているときなのよ」
正体の知れぬ緊張感を心臓のあたりに覚えながら、囁くようにナツは言った。
「……クリューちゃんが、ときどき陰で、咳き込んでいることには気づいているわ」
あるときは接客中に、あるときは店での買い物中に、そしてあるときは道の端で。口にハンカチを当て、空咳を繰り返していることを、ナツは知っていた。
最初は風邪かと思っていた。喉が弱いのかと思っていた。
それにしては、回数が多すぎた。
「クリューちゃんに内緒であなたがやっていること、街にやってくる医療関係者へ大金を渡して口を噤ませ、あなたが彼らに聞いていること。それ、彼女に……彼女の体調に関係することなんでしょう?」
彼は何も言わない。石のように黙っている。
少し待っても答えはなく、だからナツは言葉を重ねた。
「ねえ、スプートニク。そのこと、私に話してみる気はない? 力になれることなら、できる限り協力するわ。あなたのためじゃない、あの子のためによ。……自慢じゃないけど私、敏腕警部なんて呼ばれていて、警察局内でも一目置かれているんだから。それに、私はあなたと違って女だし、あなたにはできないけれど、私にならできることもあるかもしれない。だったら――」
「クーが重犯罪人だったらお前はどうする」
突如告げられた突飛な発想に、ナツははっとスプートニクを見た。
驚いたことにその顔に、いつもの人を食ったような笑みはなかった。組んだ足は解かれ、また灰の瞳は妙に暗い光を湛えていて、姿はまるで別人のように見える。若干気圧されながらも、ナツは彼の問いかけに思考を走らせた。
あの彼女が、犯罪者だったら、だって?
よく笑い、よく泣き、よく怒り。生活態度の乱れた同居人を叱り、だらしない店主の代わりにいつも店を守っている、あの、しっかり者の彼女が?
「そんなこと……」
「例えばの話だ」
あるわけないでしょう。と続けかけた言葉を遮るようにして、スプートニクはそう言った。ひどく気だるく、疲れたような声音だった。
「お前は確かに、あれを案じているかもしれない。あれの身を心から案じて、友人として、心から力になりたいと思っているのかもしれない。だけど、それでも。――例えばあれの背負ったものが、生き抜く術が、法に触れるものであったとしたら、お前はそれを支持できるのか。例えお前が支持したとしても、『お前の所属する組織』は、お前にそれを支持することを許可するのか?」
「それは……」
ナツはそのとき、即答すべきだった。
無論だと、勿論だと即答し、組織など関係ない、彼女を助けたいと胸を張ることが、彼女の友人としてあるべき姿だと、『頭では』分かっていた。しかし――
――できなかった。
答えられぬナツを前に、スプートニクは勝ち誇ったように笑った。
「だから言わない」
せせら笑った。
そしてそれが、問いに対する、彼の答えだった。
だけど、でも。頭の中で逆説が回り、必死に反論を考える。けれど彼女がスプートニクに伝える言葉を組み上げるより、制限時間を迎える方が早かった。
ノックが二回、のち聴取室のドアが開く。隙間から、ナツの同僚が顔を見せた。
「ナツさん。スプートニクさんの釈放準備、できました」
「『釈放』か。やれやれ、俺は余程、警察局に嫌われているらしい」
足を組み、だらけた姿勢で、お世辞にも高価とは言えない椅子の背もたれに寄りかかりながら、いつもの冗談めかした口調でスプートニクは言った。
先ほどの暗い瞳はもう、どこにもなかった。
「さァ、ナツ。俺は晴れて自由の身になった、もう帰ってもいいんだろう?」
大きく左手を広げたそのしぐさ。もうお前に話すことはないと、あざけり笑われているような気がする。半分は被害妄想だろう――半分は確かに馬鹿にしているのだろうが。苛立ちを覚えるけれども、それを彼にぶつけたところでみっともない八つ当たりにしかならない。ふうっと深く息を吐くことで怒りを捨て、ナツは軽く右手を振って見せた。
「もういいわ、さっさと帰ってちょうだい。あなたがうちにいるせいで、受付が仕事にならないのよ」
「受付が? どういうことだ」
「エントランスに行けばわかるわ」
案内するわね、と告げて椅子から立ち上がる。向かいでスプートニクも席を立つのを確認してからナツはドアへと足を進めた。
片手でドアを押さえたまま敬礼をする同僚の横を通り過ぎ、廊下へ出る。取り調べ中の第二聴取室、無人の第三聴取室の前を通り過ぎ、手洗い脇の階段を下りて一階へ。
緑と光の差し込む窓を横目に、講堂と資料保管庫の脇の廊下を歩いていると、
「だからっ!」
静かな庁内に、突然、大声が響き渡った。
滲む怒りの色の濃さに、やはり今日もやり合っているようだ、とナツは思わず苦笑する。スプートニクを見やると、訝しげに眉を寄せていた。どういうことだと問いたそうにしているが、説明するより見てもらった方が早いだろう。行く足を速める。
廊下を曲がった先、警察局リアフィアット支部のエントランス。そこにある来訪者受付がその声の発信源だった。
そして激高しているその人は、他でもない。
「よくわかんないけどとにかく、早くスプートニクさんを返してください! スプートニクさんは何も悪いことしてないんです! 他でもない被害者のクーが何度もそう言ってるじゃないですか、なんでわかってくれないんですか!」
「だから、彼は今、事情聴取の最中で――」
「そうやっていろいろ難しいこと言って返してくれないのは、スプートニクさんのこと疑ってるからですよね!? ひどいです! 確かにスプートニクさんは普段から人に疑われやすいし、恨まれやすい性格してるけど、でも、悪いことしてないんだから! だからえぇと、これは……そうです、『ふとうなこうそく』で、『えんざい』です! それでえっと、『ゆゆしきこと』です!」
受付机をべしべし叩きながら抗議の声を上げているのは、ナツもスプートニクもよく見知った人。彼の店の従業員、クリューだった。
誰から教わってきたのか知らないが、ポケットからメモ帳を取り出して、慣れない言葉を吐くクリュー。腕を振り回してああだこうだと文句を述べる彼女を、受付の女性二人が困った顔で宥めている。
「あれから毎日こんな調子なのよ」
「……成程。理解した」
スプートニクは気の抜けた、半笑いの表情を浮かべた。わかってくれたようで何よりだ。
賑やかに受付へ迫っている友人を見る。長い栗色と細い両腕を振り回し、きゃあきゃあ騒いでいるその姿は、何の変哲のない町娘のように見える、が。
そんな彼女が。
自分には教えられない、何かを抱えているらしい。
「あなたは、どうなの」
「うん?」
ナツより少し背の高い、彼を見上げる。
何に対する質問なのかわからなかったのだろう、不思議そうな声。それを受けて、仕方なく言葉を追加した。
「あなたはあの子を、守ることができるって言うの?」
いつもだらしなく、適当で、冗談ばかりで、本音がどこにあるのか知れない男。クリューの想いに気づいているのか、そして彼女をどう思っているのかもわからない。
だからこれもまた煙に巻かれるのだろう、そう思いながらの問いかけだったが――
「俺はあいつのために死ねるんだ」
――しかし彼はそうしなかった。
さらりと、まるで決まりきったことであるかのように吐かれた台詞。しかしその言葉の持つ重さに、ナツは目を剥いた。
「だけどあの、生真面目で心配性で、よく笑うだけが取り柄のバカに、そんな下らんこと言ってみろ。答えは泣くか喚くかいずれかだ、やかましいことこの上ない。だから俺は、俺が何をしているのかなんて言わないし、何を教えることもない。黙って、俺の為したいことをする」
しげしげと彼の横顔を眺めるが、語るスプートニクは眉ひとつ変えようとしない。一体この男は、いま何を考えているのか。何を考えて、そんな言葉を吐いたのか。
表情からはどうにも読み取り難く、じいっと眺めていると、目が合った。見られていることに気づいた彼は、ナツから視線を逸らし、フン、と鼻で笑う。何に対する笑みなのか、それはナツには分からなかったが。
彼は軽く髪を掻きながら「仕方のない奴だ」と呟くと、受付に向けて言葉を投げた。
「そのくらいにしておけ、クー。それじゃお前、ただのクレーマーだぞ」
すると、クリューがすぐに顔をこちらに向けた。スプートニクの姿を認めると、その瞬間に、怒りも受付に対する興味もなくなったようだ。みるみるうちに表情が明るくなる。
彼の名を呼び、嬉しそうに駆けてくる彼女の姿を見ながら、ナツはスプートニクへ、腹に生まれた純粋な疑問を投げかけた。
「どうして」
どうして彼は彼女のために、それだけのことが言えるのか。
けれど彼にとっては謎でもなんでもなく、わかりきっていたことだったらしい。一瞬の迷いすらなくすぐさま返されたそれへの答えに、そしてスプートニクの様子に、思わずナツは息を呑んだ。
なぜならそれは――
彼が初めてナツに見せた、裏表のない笑みだったから。
「約束を、したからさ」
やがてクリューがスプートニクの胸に、満面の笑顔で飛び込んでくる。
彼はそれを受け止めて、固く固く、抱き締めた。
*
クリュー。お前のその『体質』を使って、俺にその二つの願いを叶えさせてくれ。それが叶ったときには――
――俺の持つ何に代えても、お前のそれを治してやろう。
おしまい。
▲伊川なつさんにクリューを描いて頂きました。ありがとうございました!
宝石きらきらでとてもかわいらしい……!
次回予告:
ある日、スプートニク宝石店に一通の予告状が送りつけられる。
『近日中に、あなたの心と宝石を頂きに参上します☆-(>ωの) 魔法少女ナギたん』
はぐれ魔法使いとして名高い泥棒、自称『魔法少女ナギたん』との宝石攻防戦に、魔女協会も参戦し、リアフィアット市は大混乱! クリューの宝石は、ナツ率いる警察局のメンツは、そしてスプートニクの堪忍袋の緒はどうなる!?
「宝石吐きの女の子」第二話『魔女協会、来訪』絶対読んでね!
※書きません。
お付き合い頂きありがとうございました。お粗末さまでございました。
「宝石を吐く女の子」「宝石商」「ラブコメ」の三題小噺のつもりで書きました。2013/6/12の私の発作的なツイート(@nar_nar_nar)がプロットになっています。twilogあたりからどうぞ。
久しぶりにライトノベル風三人称一視点で物語を書いてみましたが、上手いことライトノベル風になっているかどうかは定かではありません。当初はもっと短くまとめる予定でしたが結構がっつり書いてしまいました。すみません。どうしてこうなった。けれど書いていてとても楽しかったです。いつかまた、続きを書けたらと思います。
アイデアをお貸し下さった千石柳一さんと伊川なつさん、それから彫金と宝石加工についての四方山話にお付き合い下さった夏野ゆきさんに重ねてお礼申し上げます。
ありがとうございました。