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魔法使いのこと、現状のこと。どれにも答えが出ず、書類をめくりながら唸る。
夜が更けるのも相まって、目が虚ろになってきた弟を見兼ねたか、やがてユキは困ったように笑って「まったく」と言った。
「ま、あんまりここで悩んでいても仕方ないし。資料室にでも行ってみる? 場所が変われば気分も変わるかもよ。最近、何冊かいい本入ったし」
「……それもそうだな」
答えると、彼女は嬉しそうに笑って立ち上がった。何をそんなに喜んでいるのだろう、と怪訝に感じたが、すぐに思い当たる。そういえばこの女は、昔から読書が好きだった。
ユキに誘われて部屋を出、廊下を歩く。資料室は同じ並びにあって、それほど遠くはなかった。二部屋隣、廊下を挟んで向かいの部屋。大きさとしては、応接室を三つ並べてぶち抜いたくらいか。地下に書庫があって、古いものはそちらに収められている。
「新しい本、もう読んだのか?」
「少しだけ。装飾品の世界も技術の進歩が目覚ましいね。ちょっと勉強しないでいると、すぐに知らない技術が普及しているから侮れない」
「最近気になったものは?」
「鍍金の技術かな。そういえば、近所の工房が新しい機材を仕入れたって」
「へェ」
『資料室』と札の下げられた戸の前にたどり着くと、ユキがポケットから鍵を取り出した。差し込み、捻る。戸を開けると、書籍独特のすえたにおいが鼻を突いた。
「お前は昔から、本が好きだったよな。あと、宝石も」
明かりを一つ一つ、手ずから灯していくユキの背に向けて言う。が、彼女はその言葉に振り返ると、不思議そうに首を傾げた。
「あの頃は、よく外で走り回ってたように思うけど。ていうか、私そんなに宝石好きだったっけ?」
「お前、最後に会ったとき、俺にくれたろう。『はじめてのほうせき』」
「……そうだったっけ」
本当に覚えていないのか、しらばっくれているのか。
少し前、宝石の勉強をしたいと言うクリューに貸してやった本。あれはスプートニクが幼い頃、彼女に貰ったものだった。実親を亡くし、身寄りを求めて遠くの家に養子に行くことになった彼女が、気まぐれにスプートニクへくれたもの。
結局捨てられずに、この歳になってしまった。
「アンタが泣き喚いてうるさかったから、何かあげたことは覚えてるけど」
「泣いてねェ」
まったくの記憶錯誤である。
「あれのせいで俺は、宝石商なんぞになっちまった」
「じゃ、今のアンタがいるのは私のおかげ、ってことか。感謝の意を表してくれてもいいよ。主に金銭で」
「抜かせ」
肩越しに振り返り、嫌な笑みを浮かべながら人さし指と親指で輪を作るユキへ一言、吐き捨てる。
たくさんの本の山。彼女の言うとおり、ここに揃っているのは宝石に関する業務を生業とする人間にはひどく重宝する資料ばかりだったが、今のスプートニクはそのどれもを読む気にはなれなかった。答えの出ないことばかりで気が逸っているときにどんないい本を眺めたところで、身になるものは少ないとわかりきっていたからだ。
椅子を引き、腰掛けながら思いを馳せる。昔のこと、彼女に貰った本のこと。
肘をついて顎を支えながら、スプートニクはぽつりと尋ねた。
「あれ、返した方がいいのか」
「今更要らないよ。あったところで読みもしないし。要らなかったら捨てちゃって」
「いや。ちょっと使ってる」
「使う? 何に。鍋敷き?」
「んなわけねェだろ。……クーが宝石の勉強したいって言うからさ、貸してるんだ」
どうもその答えが意外だったらしい。背表紙に触れるユキの手が突然止まった。振り返った顔は明らかに驚きを現していて、つい苦笑する。
「ちょっと見せてやったら気に入ったらしくて、今度続きの巻も貸してくれって言われたよ」
「……そっか。役に立ってるなら何より」
本棚から取り出した書籍へ視線を落としながら、彼女は言った。
その様子は、どうも何かを隠そうとしているようにも見えたが、それがどういう意味を持っているのか、スプートニクにはわからなかった。彼女の行動の意味を全て見抜こうとするのは、自分にはまだ、荷が重い。
「俺にあれをくれたのは、暗に、お前が貰われていく先の家を示していたんじゃないのか」
「違う。偶然」
再会したユキは、宝石商会長の娘として生きていた。だから彼女は、去りゆくときに自分に宝石の本を託したのだろうと、自分はそこにいるという無言のメッセージなのだと、てっきりそう思っていたのだけれど。
しかし彼女はあっさりと、そしてはっきりとかぶりを振った。
その言葉がどこまで本当やら、スプートニクには見当がつかない。けれどそれでも、
「でも俺は、ここに来ればまたお前に会えるような気がしていたよ」
「しらっじらしい」
珍しくも本音を口にしたというのに、何が気に食わないのか、ユキはひどく腹立たしそうにため息をついた。
本を抱きながら、まったく呆れた、とばかりにかぶりを振る。
「今だから言うけど、こっちだって、新規管理の会員としてアンタを紹介されたときはすごい驚いたんだからね。なのにアンタはしれっと『クルーロル宝石商会所属、スプートニク宝石店店主スプートニクです。どうぞよろしく』なんて言うんだから」
他人の口から自身の名乗りを聞く機会などそうない。彼女の言葉にスプートニクは、若干の居心地の悪さを覚え――
……?
不意に、何か。
なんだろう。
腹の奥に、小さく引っかかるものが。
けれどユキはスプートニクの変化に気づかないのか、それとも無視することにしたのか、拗ねた様子のまま話し続ける。
「顔合わせのとき、気づきもしなかったじゃない。私に」
「……それだけ本性隠して、名前すら違っていれば他人の空似かと思うだろ。長いこと会ってなかったんだし――いや、それより。ちょっと待った」
「何。どうしたの?」
ユキの問いかけに、答える間も惜しかった。無駄なことを喋ってしまえば、そのとっかかりはあっさりと霧散してしまうような気がしたのだ。
あの頃の話を振ってきたのはそっちのくせに、と、文句を残しながらも、彼女は口を閉じてくれた。静かになった資料室で、スプートニクは鞄から彼女の作った『調査書』を取り出し、めくる。
――あった。
「…………」
この男は、確かに言っている。
それに。
「な、ユキ」
「何?」
「お前、信仰してるものとか、あるか」
話が繋がらないと思ったのか、彼女は不思議そうに瞬きをした。
「何、突然。シソ様の話? 香辛料として使うと美味しいことは信じてるけど」
「奴らが信仰してるのは紫蘇じゃねェだろ。……魔法使いの話じゃなくて。信仰って言うと大げさだけど、お前でもゲンとか担いだりするのかな、と思って」
「そりゃ誰しもあるでしょ。割った卵が双子だったら『今日はツイてるな』って思うし、前触れなくカップが割れたら嫌な気分になるし――」
と、そこで。
彼女は言葉を切った。
暫し思考。のち、目を細め、唇を吊り上げる。どうやら彼女も、スプートニクが何を言いたいのかわかったらしい。見る者の背筋を舐めるような笑い方。
「ひとつ聞きたい」
「なァに」
「模倣犯がいる確率は」
右手の人さし指を、唇に当てる。
天井の隅、暗い辺りを見上げて、んん、と短く唸り、
「私、殊勝な性格だから」
とまったく心にもないであろう前置きをしてから、彼女はスプートニクの問いに答えた。
「一パーセントってところかな」
つまり、余裕を見てもその程度ということだ。
「じゃあ」
「『ひとつ聞きたい』って言ったよね」
とはいえその笑みである、スプートニクの推測は間違っていないらしい。が。
スプートニクは腕を組み、眉を寄せた。
「いずれにせよ証拠がない」
「ないなら作ればいいじゃない」
「作る……作る、なァ」
「あら、嫌だ。作り手が作るのを嫌がったら駄目でしょう」
渋る彼の元へ、ユキは踵を鳴らして歩いてくると、持っていた本でスプートニクの頭を軽く叩いた。その本の中身は――
「婚約指輪の制作、ね。どうせアンタのことだから、加工技術の方は心配してないはず。となれば困っていたのは、石とプラチナの入手のことじゃないの? 特に、プラチナなんて希少な金属、たかだか一晩で手に入るような代物じゃないものね」
図星を突かれ、返す言葉なく唇を尖らせる。
それを見て、ユキはくっ、と短く笑った。
「ないならつくる。当然でしょ?」
「……それしかないか」
湧いてきた感情は、決意、諦め、いずれにも似て、いずれとも違っていた。
「頭脳労働、頼まれてくれるか。この頭じゃ到底、無理だ」
「『お願いしますお姉様』は?」
「………………おネガイシマス。お姉様」
血を吐くような思いで依頼の言葉を口にする。自分が頭を下げることを嫌うのは、恐らく幼少期のこの女との思い出のせいだろう、などと思いながら。
弟の、苦虫を噛み締めたような表情。それに彼女は満足そうに頷いて、それから首を傾げた。
「畏まり。他は出来るの?」
愚問だ、と思った。
楽しげな様子のユキを見上げ、スプートニクは笑ってみせた。あの顔に――この女がしばしば浮かべる、あの底意地悪い笑みに似せて。
「任せろ」
頭が眠気に澱んでも、手が、指が覚えている。




