5-1
僭越ながらそちらは私の所有物ですのでご返却頂けますか、と。
そんな感じのことを極力彼らにもわかりやすい言葉に変えて伝えると、ようやく彼らはスプートニクの存在に気が付いたようだった。
「ンだテメェ」
睨みつけてくる、柄の悪い男三人組。それに構わず、スプートニクは軽くあたりを見回した。
倉庫内に所狭しと積まれた大量の巨大紙袋には『スターチ』と書かれている。何が原料か知らないが、おそらくはトウモロコシあたりだろう。紙袋の裾から漏れた微量の粉末スターチが、床のあちこちに散らばっている。空気もひどく粉臭い。
服も汚れるだろう、さっさと家に帰って着替えたい。
「ヤんのかコラ」
「サツかテメェ、つかどっから入ってきたよあァ?」
口角泡飛ばしながら、頭の悪そうな文句を飛ばす男たち。まったく悪いのは頭の中身だけにすればいいのに、せめて言葉くらいは取り繕う努力をすればいいのにと思うが、そうもしないのはなぜだろう。まさか、知能の低い自分を誇りに思っているとか? だとしたら非常に滑稽だ。
思い、スプートニクが小さく笑ったのが不快だったのか。彼らの纏う雰囲気が変わるのがわかる。けれどスプートニクは何を恐れることもなく、片手を腰に当て斜に構えた格好のままで、彼らと対話を試みた。
「権力の犬と一緒にするとは、失礼甚だしいな。俺はただ、うちの従業員を返してもらいに来ただけだ」
「従業員? あァ」
三人のうち一人、茶髪の男が呟く。一瞬訝しげな表情を浮かべたが、「これのことか」と床に転げたクリューを無理やり引いて立たせると、彼女の喉に刃物を当てた。クリューがヒッ、と短く痛々しい声を上げる。
――ひどく、怯えていた。
「クー。俺だ、わかるか」
試しに声をかけてみる。しかし彼女は俯いて、何かを堪えるように歯を食いしばっている。瞳はこちらを見ようとしない。荒れた栗色とブラウス、スカートはあちこちスターチで汚れている。
カサリ、と足元で音がして、視線を落とす。自分が紙袋の端を踏みつけていることに今ようやく気がついた。拾い上げて中を覗くと、洗浄剤とシルバーワイヤーが入っている。近くに転がるもう一つの袋からは、食いかけのカヌレが一つ覗いている。まさか誘拐犯が人を攫った後に呑気にパン屋で買い物はするまい、クリューが買って持っていたものをこの男たちが勝手に喰い散らかしたといったところだろう。
「返してほしかったらカネ用意しろよ、カネ! 身代金持ってこいやァ!」
茶化す様に叫ぶ茶髪。それに乗っかってゲタゲタと品なく笑う男たちを、スプートニクは冷めた目で眺めた。
――最初から、返す気などなかった癖に。
一報から三十分が経過しても誘拐犯たちからの連絡がなかった時点で、スプートニクは彼らの狙いが身代金ではないことに気付いていた。彼女を誘拐した理由に、身代金以外の狙いがあるとなれば、思い当たるのは一つしかなかった。彼女の『体質』だ。
しかし少女一人を『飼う』には、リアフィアット市は些か治安が良すぎる。となれば宝石を吐かすだけ吐かせて、あとはどこかの好事家に売り飛ばすとかそのあたりだろうが、実際にどうするつもりだったのかはスプートニクにはどうでもいい。
金銭を要求する粗野な口調を聞いているのにも飽きた。というか、煩わしくなった。
スターチのせいかそれとも男たちの品のない言葉のせいか、痒みを覚える耳を小指で軽く掻きながら、
「ナマ言ってんじゃねェぞガキどもが」
いやいや御冗談を――そんな感じのことを極力以下略。
「……あン?」
すると笑い声は、ひたりと止んだ。眉を寄せ、三者三様にこちらを睨みつけてくる。しかしそんなもので怯むほど、スプートニクの人生経験は浅くなかった。
肩幅程度に足を開き、腕を組んで。
そして彼の考えうる限り最も簡単な『解決法』を、口にする。
「テメェらぶちのめしてそいつ持って帰ればいいだけの話だろうが」
「バっ……カにしやがって!」
しかしその解決法は、彼らにとって気に召すものではなかったらしい。
激高した二人――クリューを拘束しているのではない二人――が、ポケットから小振りの刃物を取り出して、こちらに駆け寄ってきた。
黒髪の男と、眼鏡をかけた長身の茶髪。服装を観察するに何か他に武器を隠し持っている様子はない。服のセンスもあまり良くなく、纏ったものはいずれも古びたジャケットとシャツ、特に黒髪のパンツには穴すら開いていて……とそこまで観察して、しかしやめた。
観察が無益だと思ったというわけではない。
ただ、敵がいったいどんな格好をしていて、どんな武器を仕込んでいたところで、
「孰れも雑魚に、変わりはねェ」
足が速かったのは茶髪の方だった。黒髪よりも数歩早くスプートニクのもとにたどり着くと、「食らえェェっ!」などという使い古されて垢のついていそうな威嚇の言葉とともに、刃を握った手を彼の腹目掛けて真っ直ぐに打ち込んできた。しかしスプートニクは身を捩ってあっさりかわす。突き出された腕を掴んで引き、勢いよく後部に放ってやった。袋の山に頭から突っ込んでいく。
スプートニクが空いた左手で腰袋から目当てのものを引き抜いたのと、黒髪が彼のもとにたどり着いたのは同時だった。衝撃に破れた袋から溢れ出したスターチの波に茶髪が溺れ飲み込まれていくのを横目で見ながら、今度は上方から無造作に振り下ろされたショートナイフを、小型金床で受け止める。
「刃物の使い方ヘッタクソだなぁ、えェ?」
「……ッるせ――」
文句は最後まで聞かず、軽く手首を動かしてナイフを弾く。
黒髪が体勢を崩した瞬間、勿体ないなと思いつつ、先ほど紙袋から回収した瓶の蓋を開けて大きく振った。中身を黒髪の顔に思い切りぶちまける。
「ぐぁっ!」
「沁みるか?」
面白いように仰け反ったあと、左手で顔を覆い腰を折る男に、スプートニクとしては当然のことを問いかける。黒髪は眉間に皺を寄せながらもなんとか瞼を上げて、彼を見た。
「何しやがったテメェ……!」
「そいつは洗浄剤、宝石の汚れを落とすための薬だ。そんなものを眼球にぶちまけられたらどうなるか、いくら頭の悪そうなお前でもわかるよな?」
勿論、まったくのハッタリだが。
今放ったのは弱酸性の宝石洗浄剤だ。多少浴びたくらいで失明していたら自分の目はいくつあっても足りない。病院で呆れた医師に目薬を処方されるのが関の山だろう。
けれどそんなものなど知らない黒髪は、情けない悲鳴を上げて、固く目を閉じたままナイフを大きく振り回し始めた。素人に毛の生えた程度に過ぎない破落戸は、争いの最中に敵から目を離すとどうなるのかもわからないらしい。
隙だらけの懐へ入るのはいとも容易い。スプートニクは空の瓶を放り捨て一気に距離を詰めると、黒髪の右肩に彫鏨を勢いよく突き刺した。
「いっ、ギャァァアァァァァァッ!?」
ナイフを取り落とした黒髪は煩い悲鳴を上げながら、仰向けに倒れた。肩に刺された鏨を左手で掴もうとする、が、
「させねェよ」
それよりスプートニクの踵が鏨を踏んで押さえる方が早かった。
体重をかけて押し込んでやると、悲鳴がさらに大きく、耳障りになる。あまりにも喧しいので少し力を抜いてやると、黒髪は「ひ、ひぃっ、ひぃっ」と、痙攣するように息を吸った。男の喘ぎ声ほど聞いて不快なものはない。涙を流しながらぱくぱくと口を開閉しているけれども、恐怖のせいか言葉が出てこないようだった。
踵は鏨の上に置いたまま、上半身を折って、落としたナイフを拾い上げる。
「っていうかお前な、鏨がちょっと刺さった程度でギャアギャア騒ぐな。そもそも人にこんなもん向けておいて、返り討ちに遭う覚悟もないっつうのはどういう――」
――その瞬間。
背後に気配を覚え、言葉を切って大きく飛び退く。
直後、スプートニクの立っていた場所を刃が切り裂いた。
見ればナイフを握ったスターチまみれの男が一人、肩で息をしながらこちらを睨みつけていた。放り込んでやったスターチの海からようやく復活したらしい。眼鏡はスターチの中にでも落としてきたようで、掛けていなかった。眉根に皺を寄せ目を細めているのは、余程の近眼なのか、それとも怒りのせいか。
ついでに床に転げたままの黒髪の方にも視線をやると、そちらは泡を吹いて気を失っていた。先ほどまであんなに賑やかに声を上げていたというのに、なぜだろう――と考えて、思い出す。そういえば後方からの不意打ちから逃れる際、鏨の上に置いていた右足をうっかり踏み込んだような。
「まァいいか。取り敢えず一人」
最終的には全員潰すことに変わりないのだ。
さて、次のはどうしてくれよう。迫る刃を或いは避け、或いは拾ったナイフで適当に受け流しながら腰の道具入れに手をやったとき、触れたのはリングサイズゲージだった。指輪を作成するとき使用者の指のサイズを測るあれだ。指で撫でると輪同士が触れ合い、ざらり、と金属質の音が鳴った。
「くそっ、くそっ! 逃げんな、テメェ!」
毒づきながらナイフを振り回す茶髪。黒髪よりも刃物の扱いには長けているようだが、妙に狙いが甘いのはやはり、近眼が隘路となっているのだろう。
それを無言で捌きながら、スプートニクはリングを束ねているワイヤーの接続部を外し、リングを幾本か抜き取った。それに簡単な細工をして、うち一本を茶髪に向けて無造作に放る。勢いのないそれは茶髪の手によっていとも簡単に弾かれるが、怪我をさせること、怯ませることが本意であったわけではないので構わない。
罵声を受けながら適当に攻撃を避け、距離を取り、そうして相手を走らせながら握った『それ』の具合を見。
――そろそろか。
振るわれたナイフを大きく弾いて体勢を崩させると同時に、駆けて少し距離を取り、先ほど拾った黒髪のナイフを、茶髪の膝より少し下あたりに狙いをつけて放る。どうしてそんな場所を、と茶髪がほんの少しでも疑念を抱けたならそのあとの悲劇は防げたろうに、残念ながら彼らの足りない頭ではそこまで気が回らないらしい。
おそらくはただの、狙いの甘すぎる一投と見たのだろう。避けようと大きく跳ぶ――その瞬間を見計らって、スプートニクが左手に握ったリングを大きく引いた。
と。
「う、わぁっ――ぎゃあっ!?」
スプートニクの狙い通り、茶髪は跳ねた瞬間に体勢を大きく崩した。そのまま落下、尻を強かに打って、悲鳴を上げる。と同時に、自分の右足を見てぎょっとしたような表情をした。シルバーワイヤーが、彼の足に絡みついていたのだ。
先ほどスプートニクがリングに細工したもの、そして茶髪を転げさせたものは、他でもない、クリューに頼んで買わせたシルバーワイヤーだった。そしてその先は、スプートニクが握った左手のリングへと通じている。
あまりにも計画通りに事が進みすぎて、スプートニクは思わず笑った。
「目が悪いってのは難儀だな、え?」
「うるせ……あ、っ?」
毒づきかけて、しかし途切れる。
気づいたらしい。――伸びたシルバーワイヤーが拘束しているのは、自身の足一本だけではないことに。
「ヒッ」
きらきらと白く光る糸。
短い悲鳴を上げ、外そうと慌ててシルバーワイヤーに指をかけるが、もちろんのこと、素手で切断できるほど銀は軟くない。
「さようなら」
恐怖に彩られる茶髪の表情を心行くまで楽しんだ後、スプートニクは、今度は右手のリングを引いた。リングに絡んだシルバーワイヤーの先は、非情にも彼の首に通じている。
銀色は美しく光りながらじわじわと彼の喉を締め、応じて悲鳴は細くなる。
そうして命乞いすらできなくなった声は、やがて途切れた。