3-2(10/11追加)
――あのあと。
準備された応接室は、先ほどユキと使った部屋とは異なっていた。
あの女はこの部屋にも、例の隠し通路を作っているのだろうか。考えたところで答えは出ないし、あったところで現状逃げ出すわけにもいかないのだが――思い、ため息が出る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。答えの出ない、出したところで何の現状改善にもなりはしない問題を抱えながら、スプートニクは向かいに座る男を見た。
「……えェと」
それに特別意味はなく、ただ何から喋ったものか、と呟いただけだった。けれどそれだけでも、男の肩はびくり、と跳ねる。どうやら灸を据え過ぎたらしい。
ただこれでは話が進まない。スプートニクは少し下手に出てやることにした。
「先ほどは失礼を致しました。私はクルーロル宝石商会所属の、リアフィアット市がスプートニク宝石店店主、スプートニクにございます。クルーロル宝石商会会長のクルーロル氏より、あなたのお話を伺い、解決するようご依頼を承りました。何か宝石商の事件に巻き込まれた、とのことですが?」
一語一語を噛み砕くように、言ってやる。
すると彼は、はっと顔を上げた。暫く迷うように、瞳を揺らがせていたが、
「あ、ああ……ああ。そうだぞ」
何か吹っ切ったようにそう言うと、眉に皺を寄せて、恨めしそうにスプートニクを睨みつけた。しかしその動作も、また物言いもどこか演技染みているのは、緊張のせいか、それとも何か腹に抱えているのか。
「俺は、俺は被害者なんだ」
「ハイハイ」
何度も聞いた言葉に飽きを感じる。
適当にあしらい、スプートニクは鞄から小振りのノートを一冊取り出した。常に持ち歩いている、雑記用のそれだ。開きながら、にっこりと営業用の笑みを作る。
「恐れながら私、その事件とやらについて存じ上げておりませんで。詳しいお話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……ああ」
――ラッシュ、と名乗ったその男は、忙しなく指を組み替え、落ち着きのない様子で話し出した。
「俺にはマリーという恋人がいるんだけどな、プロポーズをしようと思って、宝石商に、婚約指輪の作成の依頼をした。白金で、ダイヤモンドが使われているものだ。代金は、前金で金貨五十枚」
「ふむ」
それはそれはおめでとうございます――と上っ面だけは祝福してやりながらスプートニクは考える。
前金制度を使う宝石商は珍しくはない。嫌な顧客に当たってしまえば、商品を作るだけ作らせて直前でキャンセル、ということもある。スプートニクは数割の内金を貰うことで保険としているが、受注の時点で全額を貰いたがる宝石商はざらにいた。客には優しくないかもしれないが、こちらだって飯を食わねばならないのだ。
また、金額の多寡も問題ではなかった。金のある男は大体が、愛した女に高価な指輪を贈りたがるし、金はないが形だけでも、と安い指輪を贈りたがる男だっている。金貨五十枚――確かに安くはないが、婚約指輪としては間違った金額ではないだろう。
ここまでは普通だ。と、なれば。
予想はついた。まったく下らないことをする商人もいたものだ。いや、ただの詐欺師で、商人ではないかもしれないが。
スプートニクは言った。
「代金の持ち逃げ、ですか」
「そうだ」
ラッシュ氏は頷いた。頷いたまま、頭を上げようとはしなかった。
「その男はクルーロル宝石商会の宝石商だと言っていた。だから、ここに責任を取らせようと思って来たんだ。あの宝石商の代わりに、指輪を用意しろと」
「……なるほど」
金貨五十枚。装飾品としては珍しい額ではないが、再度やすやすと用意できる額では、ない。受付であれだけ暴れたのも当然だ、とは口が裂けても言いたくないが、気持ちはわかる。
と同時に、クルーロルが懸念をするわけだ、とスプートニクは思った。何せ、自分のところの名を詐欺の道具とされているのだ。信用第一のこの商売、嫌な芽は早く摘んでおかなければならない――が、あの口ぶりでは、被害は一度や二度ではないのだろう。
恐らくは警察に被害届を出し、また犯人の特定に人員を裂いてはいるが、いまだに捕まえられていない現状。
と、なれば。
思い出されるのは警察よりも身軽で、有能で、えげつない『あの女』のこと。
恐らくクルーロルは、支店検査にかこつけて、あれに指示を下すために来たのだろう。いけ好かないその咎人を、なんとかして捕まえろと。
育てられた恩なのか、他に何かあるのかは知らないが、あれはクルーロルに逆らえない。文句の幾つかは毎度言っているが、最終的には指示の通りに動く。だからクルーロルが『貸してやる』と言ったのなら、あの女は確かにスプートニクの駒となってくれるのだ。
敵には死んでも回したくないが、味方に出来るのならこれ以上のものはない。
手駒にあの女がいるのなら、どうにもならないこともどうにかなる。そんな確信めいたことを思うと、自然と頬に笑みが浮かんだ。
あの女のことだ、三日もあればその詐欺師を捕まえて、白日の下にその顔を晒すだろう。――晒された顔の形が、元と同じかどうかは知らないが。
ともかく代金は、犯人とやらから徴収すればいい。慰謝料として少し色を付けた回収も、不可能な話ではない。自分はただこの男の要望のままに、指輪を作ってやればいいだけの話。
だから。
「畏まりました」
その言葉を吐くに、躊躇いはなかった。
胸に右手を当て、深く、礼をする。
「そのご依頼、不埒な詐欺師に代わりまして、このスプートニク宝石店がお引き受けいたしましょう」
そして頭を上げ、向かいを見ると、彼は上目遣いでスプートニクを見ていた。疑うような、琥珀の瞳。
とはいえ、信用できないのも尤もだ。同じ宝石商に、財産の一部を搾取されたのだから。
思いながらも顔には出さず、頭の中に、聞くべきことを羅列する。指輪の号数、デザイン。予算は金貨五十枚程度で確定か――いや、そんなことよりも。
まずはこれを、指定してもらわなければ。
「プロポーズの日取りはお決まりでしょうか。それまでには」
指輪の、納期である。
婚約指輪、制作の手法はロストワックスか、それとも彫金か。婚約指輪であるからには、生半可な石や金属を使うわけにもいかないから、それらの手配も必要だ。いずれにせよ、日付が決まれば手配のスケジュールを決めやすい。だからそれを聞いたのだ、が。
――スプートニクは自信家だ。その自覚がある。そうでなければ商人は勤まらないし、ましてやその店に従業員を抱えることなんて出来ないと思っている。
しかし、このときに関しては違っていた。
自らが自信と慢心を履き違えていたことを、もっと早くに気付くべきだったのだ。
聞いたはずの言葉を、受け入れるのを頭が拒否した。
「……今、なんと?」
喉が合湧き、声がかすれる。ノートの端に、ペン先が点々と、意味のない染みを作った。
つまらない嘘であれ、冗談であれと願った――しかし彼は。
「だから困っているんだ!」
やはりどこか演技染みた様子で、それでも喉が割けんばかりの勢いで、絶叫した。スプートニクが聞いた言葉を、打ち消してはくれなかった。
「本来指輪の受け渡し日だったのは、今日。なのにいくら待っても宝石商はやって来ないし、これはまさか、と思ってここに来たんだ。繰り返すぞ、本来の受取日は今日の昼。プロポーズの日取りは――」
無茶苦茶だ。スプートニクは頭を抱えたくなるのを堪えた。




