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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅳ 宝石商会
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2-7(9/20追加)




 彼が現役の宝石商であった頃のことを、スプートニクは知らない。スプートニクが宝石商を業とし、この宝石商会を知ったときには既に彼はそこの頂点トップとして君臨していたからだ。

 顧客からの信頼の厚い宝石商であったこと、工房に勤めていた時代があったこと、彼自ら作ったアクセサリーは幾らの値をつけても飛ぶように売れたこと、そして何より、宝石商の互助組織であるこの会を作り、たった一代でここまで成長させたこと――そういった彼の顔はスプートニクが直接見たわけではなく、皆、当時を知る人間から聞かされたものだ。

 ただ、彼の現役時代の武勇伝の誰からか始めて聞いたときに、スプートニクにはその話が老害の法螺であるとは思えなかった。それだけ彼の存在は現在の商会内において大きなものであったし、だからこそ、スプートニクにとって出来ることなら相対したくない人だったのである。

 しかし今、目の前でその彼が、スプートニクを見下ろしている。

 腹の底まで貫くような三白眼が、スプートニクに向け言った。

「息災そうで何よりだ」

「お陰様で」

 定型句を答えながらスプートニクは、クリューを部屋に置いてきてよかった、と心底思った。声こそ震えていないものの、自身の頬が引き攣っているのが鏡なしにもよくわかったからだ。そういう彼を見てあれは、面白がって笑うか、それとも「スプートニクさんをいじめないでください!」と頬を膨らますか――いずれにせよ、ひどく面白くないことになる。

 痛む良心は特別ないが、探られたくない腹は持っている。目を合わせないようにしながら、スプートニクは彼の言葉を聞いた。

「景気はどうだ」

「そうですね、まァ、悪くはありません。リアフィアット市のような辺境ですが、他に店がないことや、昔からの上客が訪れて下さることもありますし、おかげさまで悪くない商いは出来ておりますよ」

「お前は昔から固定客を多く持っていたからな。上手く集めたものだ」

「恐縮です」

「褒めているように聞こえるのか」

 釘を刺すように言われて、自身の唇がひくりと震えた。

 クルーロルはスプートニクの『商売』のやり方をよく知っていた。拠点を持ち収入の安定した今でこそ、そういう手口で顧客を増やすことはそうそうしなくなったものの、資産家の女性を適当に誑し込んで物を買わせる手法は彼の十八番であったし、当然のことながらこの人は、スプートニクのそういう阿漕な商売方法を良く思っていなかった。

 帰りてェ。

 俯き、彼の視線を粛々と浴びながら、しみじみと思う。後のすべての予定を放り投げて、一人静かに旨い酒を飲みたい。あれと夕食を食いに約束をしていたような気がするし、それからあの女と飲む約束もあったような気がするが、構うものか。この街に酒場などいくらでもある、宿にいったん帰るのはやめて、約束をしたのとは別の酒場でたらふく飲んだ後、女でも買って適当な安宿を確保して――

「うちの養女むすめと何を企んでいるのかは知らないが」

 不意に、低い声でクルーロルが言った。

 ムスメ。この人には長年連れ添った妻がいるが、子宝には恵まれなかったそうだ。代わりに、身寄りのなかった娘を一人、養子にしたという。

 その娘も現在、父親同様、宝石商会に職員として在籍していた。性格は引っ込み思案でいささか消極的ではあるが、その分仕事ぶりは几帳面で正確で、とても優れている。――商会内でそういう評価をされている、その『娘』とやらが誰のことか、スプートニクは知っていた。

「企むなんて滅相もない。いえ、昔の縁がありますし、そうでなくても彼女はとてもご聡明な方ですから、どうしてもいろいろ甘えてしまいますが」

 形ばかりの笑みを浮かべながら、かぶりを振って答えてみせる。

 あの女に『ユキ』の名を与えたのは、他でもないこの商会長ひとであった。いや、夫妻のいずれがその名を考えたのかまでは知らないが、彼女を養子として育て、また現在彼女の後見人となっているのは紛れもない彼だった。

 ただ、あの女が彼の養子になったのは、幼き日のユキが何らかの策を講じ実行した結果なのか、それともただの偶然なのかまでは、スプートニクは知らない。聞いたところであの女は、素直にそれを話しはしないだろう。

 一度口を閉じてしまえば再び開くために結構な精神力を必要とする。そのことがわかっていたから、スプートニクは口の動くままに言葉を続けた。

「私にとってユキさんはとても頼りになる方です。あァ、しかしやはりクルーロルさんとしては、大事な一人娘が一介の宝石商と仲良うしているのはご不快に思われるもので――」

「私が懸念しているのは」

 しかし。

 その努力も無駄な頑張りだったようだ。彼の放つたった一言で、スプートニクの口は横一文字に塞がり、喉は絞められたように言葉を失ってしまう。

 何も語らなくなったスプートニクを前に、彼は変わらぬ様子で続けた。

「お前たちが宝石商の肩書を汚すのではないかということだけだ」

 クルーロルの視線が動いて、何やら低い場所を見る。視線を追い、そしてそれの映すところを知ってようやく、自身が知らずの内に右手を背の後ろに回していたことに気が付いた。そしてその手は、鞄の持ち手を握っている――ユキから受け取った書類他一式を仕舞った、あの鞄を。

 隠すように持っていたそれを慌てて体の横に下げ直す。その挙動すら不自然であると気付けたのは、残念ながら既にそうしてしまった後だった。

 彼がその行動及び鞄の中身について、追及することはなかった。けれど。

「問題を起こすなよ。名を貶めたときは、私が直々に罰してやる」

 クルーロルの大きく太く、傷の多い指が。職人を思わせるそれが、また別の意味合いを持ってスプートニクの目に届く。

 ゆっくりと瞼を落とし、視界からあらゆるものを排除して。

 細く長く息を吐きながら、スプートニクは彼に対し、深く一礼をした。

「……かしこまりまして」

 その言葉を、彼がどう取ったかは知らない。まさか心からの忠誠とは、認識しなかったろうが。

 けれど自身の養女むすめ及びスプートニクの『問題』に関し、それ以上何かを言うことはなかった。答えたスプートニクを無言でしばらく見下ろし、フン、と短く息を吐くと、また地の底から響くような声を吐く。しかしその声音は、幾分重みが減っていたように、スプートニクには聞こえた。

「ただ、一つだけ忠告だ。お前も気を付けるといい」

「は?」

「最近、宝石商を騙る詐欺の話をよく耳にする」

「詐欺……、ですか」

 スプートニクの記憶にそれと合致する情報はなく、だから答えたものは自然と曖昧な返事になった。

 リアフィアット市はほぼスプートニクの独占市場であるし、また参入したいと思う商人もそうはいない。宝石店の経営が軌道に乗っているのを見て、ならば自分にもとやって来た宝石商もいるにはいたが、いずれもスプートニクが手を下すまでもなく勝手に去って行った。旅商人の身であった頃はいざ知らず、今は商売敵と言えるような相手はいない。ここ最近、同業を陥れるような真似はしていなかったはずだ。――たぶん。

 ただそれでも、誤解をされてはたまらない。念を押すように言っておく。

「私ではありませんよ」

「わかっている」

 向けられる視線から、殺気はもう消えていた。「そもそもお前は宝石商を『騙って』はいないだろう」と、呆れたように告げられる。確かに自分は正真正銘の宝石商だ。取り扱っている品のうち一部の仕入れ先が、通常と少々異なってはいるが。

 だったら。自身の眉間の皺がますます深くなるのを、自覚する。

「どういうことです?」

「私もまだ、詳しい説明は受けていないが――」

 と、彼が言いかけたと同時。

「だから何とかしろってさっきから言ってンだろォがよオラァ!」

 廊下の向こうから、怒鳴り声がした。

 次いで、ガタンと騒がしい音が一発。女性の短い悲鳴がそれに続いた。

 クルーロルがそちらを見る。つられて、スプートニクの視線もまた。

「受付、ですかね」

「何が起きた」

 眉ひとつ動かさず、ただ、声の端に少しだけ怪訝の色を滲ませる。

 ――クルーロルの気が逸れたその瞬間は、好機と言うよりはどちらかというと「これを逃せば退路は二度とやってこない」という危機感に近かった。

 口早に、言う。

「商会は何やらお忙しいようですね。では、用も済みましたので私はこれにて」

 腰を折って簡単に例をすると、スプートニクは廊下の奥を向いた。表玄関から出れば騒音の正体と鉢合わせるだろう、裏口へ向かいかけたのはそう思っての策だったが――

 その判断には何の意味もなかった。そそくさと脇を行こうとするスプートニクを、しかし彼の手は逃さない。

 彼はスプートニクの右の二の腕をがっちりと掴んだ。そして、

「お前も来い」

「い、いや、あの。失礼ながら私、この後に予定が――」

 半ば引き摺られるように連れて行かれながら言うが、スプートニクの都合などこの人は聞いてくれない。「どうせうちの娘と飲むんだろう」と『予定』の内容すら見透かされて、スプートニクは珍しくも、涙混じりのため息をついた。

 ――帰りてェ。





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