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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅰ 宝石吐きの女の子
5/277

4-2



「それにしちゃあ、幼児体型すぎるしな」と。

 かつてスプートニクからクリューへ初めてかけられた言葉は、そんなどうしようもない鄙語であった。

 彼が思い浮かべた『それ』とは何だったのかは知らないが、いずれにせよみすぼらしいものとして見られたことには間違いない。けれどそれにクリューが怒りを覚えなかったのは、気力も体力もなくしていた彼女にかけられた、久しぶりの『罵声以外の声』だったからだ。

 床に眠っていた――気絶していたのかもしれない――彼女が聞いたその言葉は、当時の彼女にしたらまったく聞いたことのない声だった。けれど背に触れた何者かの手からすればその言葉は彼女にかけられたものであるようで、となれば無視をしていれば賊の誰かに間もなく甚振られるのは自明である。瞼を上げ、埃でざらざらした床から重い頭をゆっくり上げると、端正な顔立ちの青年と目が合った。

 当時のクリューには、見たことのない顔だった。人に悪印象を与えない、整った小奇麗な服装をしている青年。下げた四角く丈夫な鞄は物売りが重宝するそれで、そのあたりから察するに彼は、旅の商人といったところか。眉を寄せながら「なんだ、このガキ」と訝しげに言うあたり、口こそそれほど良くないようだが、彼女を捕らえていた賊の仲間というわけでもなさそうだった。

 けれどもこんな賊のアジトに、どうして旅の商人などが。

 襲われ、得物として捕らえられてきたにしてはその目に恐れはない。服装と荷物にも、傷や欠損はないようだ。

「へ、へへ、兄さん。何かお気に召したものはありましたかい?」

 更に驚いたことに、別の部屋から両手を擦り合わせつつ出てきたのは賊の頭の男だった。どうやらこの青年の機嫌を取ろうとしているようだが――

 片膝をつき、クリューを見ている青年を見ると、男は目を剥いた。

「そ、そいつはっ」

「おいオッサン、これはなんだ? ああ、いや、いいや、こいつに聞こう。――はじめまして、嬢ちゃん。俺の言葉がわかるか?」

「はじめ……まして」

 数年ぶりに吐いた、謝罪以外の言葉は、非常に掠れたものとなった。

 誰かはわからない。けれど彼女に対する悪意はないようだった。

「おお、言葉は通じるな。重畳だ」

 クリューの挨拶へ、楽しげに声を上げる青年。それから、名と、年齢と、ここにこうして寝転がっている理由を聞かれた。「まさか『賊のねぐらに侵入して仮眠を取るのが趣味なんです』とは言わないだろう?」と、おどけたように。

 さて、どの質問から答えるべきか――まずは名か。

「……わたし、は」

 しかし言葉は続かなかった。

 遮ったのは、胃か腹か、体の奥からものがせり上がってくる感覚。

「ふ、うっ」

「おい。どうした?」

 苦しげに呻きだした彼女を見て、青年は怪訝そうに眉を寄せた。

 異物感。やがてそれは喉に至り、彼女の食道と気管を詰まらせる。体を折って咳をし、いつものように吐き出そうとするが、今日はいかんせん体力が足りない。昨日、今日と食事を抜かれたせいだ。

 酸欠に意識が遠のいていく。もう駄目かと思ったそのとき、がくん、と体が持ち上がった。

 天に召されるとはこういう感覚か――と思ったがそうではなく、

「軽いな。ちゃんとメシ食ってんのか、お前」

 青年の左腕が、彼女を持ち上げていた。突然かぎ型の格好で宙に浮かされ、頭に血がのぼる。

「悪ィな嬢ちゃん、ちょっと手荒くするぞ」

 早口でそう断ると、青年は、彼女の背中を強く叩いた。

 一度、二度。三度目に背を叩かれたとき、ようやく彼女の喉を塞いでいたものが、埃の床に転げ出た。

 唾液にまみれた、青い宝石。

 ――彼が瞠目したところを見たのは、後にも先にもその一度だけである。

 肩で息を繰り返すクリューをそっと床に寝かせると、青年は、空いた右手で宝石を取り上げた。

「これは」

 唾液と埃に指が汚れるのにも構わず、彼はそれを明かりに透かした。「見事だ」と称賛を口にして、彼女の額に左手を伸ばし、汗で張りついた前髪を指の腹で取り払う。

「大きさもそこそこで、純度も高い。こりゃあ、なかなかの価値のある宝石だ。加工すれば如何様いかようにも売れるだろう――なあ、嬢ちゃん。これはどういうことだ? どうしてあんた、こんなもの、飲んでたんだ」

 きらきらと灰の目を輝かせながら尋ねてくるその人を見返す。と、彼の肩越しに、狼狽する男の姿が目に入った。

 彼が誰かは知れない、けれどあれの仲間でないのなら。

 クリューは枯れたか細い声で、自分のことを、彼に話した。宝石を吐く体質であること。資金源としてその男たちに『飼われ』ていること。

 すべてを聞き終えた青年が、「ほォう」と深く頷いたとき。

「ち、違います! 違うんですよ、兄さん!」

 弾かれたように、男が声を上げた。引き攣れた、裏返った声。

 青年は振り返りもせず、ぼそりと呟くように問う。

「何が違う」

「そ、そいつ、俺等の仲間で――それで、ちょっと、そう、き、虚言癖があるんですよ! 俺等の奪った獲物を、朝方、当てつけに飲み込みやがって。その宝石は多分それです、そう、朝からずっと、みんなで、吐け、吐けって何度も言ってたんスよ! 第一、宝石を創るなんて馬鹿げた嘘、兄さんなら信じるわけないッスよねェ!?」

 アハハハ、と、乾いた、焦りの滲む笑いが響く。クリューは彼らの重要な資金源のひとつである、手放すのが惜しいのだろう。

 虚言癖、彼らの仲間と言われたところで、悔しいと思う感情も、論を組み立てるだけの気力もクリューにはなかった。だから反論することはしなかった、が。

 青年は何を聞かずとも、自分の中で可能性を取捨選択していたらしい。クリューの肩を掴んで横を向かすと、「失礼」と一言つぶやいて、彼女の襤褸のようなシャツを少しだけ持ち上げた。痩せこけた、傷の多い腹が露わになる。首と顎、背、肩と足を同じように観察してから、ぽつりと言った。

「腹部の傷には、古いものも多いな。ここ数時間で出来たものには到底思えない。ついでに言うと、痣は古くも新しくも、多くが腹部に集中している。――さて、あんたたちはどうして腹ばかりを狙って暴行していたんだ?」

「そ、それはっ」

 あのう、その、と視線をあちこちにやりながら言い訳を必死に考えているようだが、青年はもう男に関心を持っていなかった。クリューの、手入れもされていない栗色の髪を撫でながら、穏やかな声で問いかける。

「大丈夫か、嬢ちゃん」

 悪意なき言葉をかけられたのはいつぶりだろうか。とうに枯れたと思っていた涙が、頬をぽろぽろ伝っていった。「おお、泣くな泣くな」とからかうように言われるが、それすら温かい。

「そうだ、食い物を持っていたかな」

 何か食わしてやろう、と彼が鞄の鍵に左手をかけた――そのときである。

 青年の背後で、男が動き。

 壁に立てかけられている、鉄の長棒を手に取った。

「あっ……!」

「うん?」

 けれど青年はまだ、それに気づいていない。

 助けないと、と思うが体が動かない。腕を持ち上げるのも非常に大儀で、危ない、と全力で上げたはずの声は掠れて消えた。青年のすぐ後ろで、男が瞳孔の開いた目で笑いながら、鉄棒を大きく振りかぶる。

「くっ、くく、食らえェェェェッ!」

「……っ!」

 間もなくやってくるだろう悲劇を見たくなくて、クリューは固く目を閉じた。

 ――が。

 いつまで経っても、打撃音は聞こえてこなかった。青年の悲鳴も、また、男の醜い笑い声も。

 目をつむってから、十秒ほど経って。

 違和感に耐え切れなくなったクリューは、おそるおそる瞼を上げた。するとそこには、

「どうした、嬢ちゃん」

 驚くべきことに、先ほどと変わらずにっこりとほほ笑む、青年の姿があった。

 ――頭の上に右手を掲げ、死角から降り来たはずの鉄棒をいとも簡単に受け止めて。

「さて、と」

 鉄棒を握ったまま、青年はゆっくりと立ち上がる。

 男の体が、面白いようにびくりと跳ねた。

「ヒッ!」

 なんとか鉄棒を取り返し距離を取りたいようだが、果たして細い腕のどこからそんな力が湧いてくるのか、青年に握られた棒はぴくりともしない。男は鉄棒から手を離すと、震える足で後ずさりを始めた。

 ひどく怯えるそれを冷ややかな目で眺めながら、青年は棒で床をカツカツ叩き、わかりきったことを問う。

「これはなんだ? これは」

「っすす、すみませェェんっ!」

「オイ謝れって言ってねェよ。答えろよ。これでお前は、俺に今、何をしようとした?」

「すっ、すみま、すみませガッ」

 男の謝罪が途切れたのは、青年が鉄棒で男の頭を打ちつけたからだ。力も入れずひょいと振り回したように見えたが、脳震盪を起こしたのか、男はあっさり頽れる。立ち上がろうとしてもよろめいてまた、床に戻ってしまった。

 男が、緩慢な動作で起きて伏してを繰り返す。それを三度ほど眺めたところで、青年は「飽きたな」と言った。

「普段の俺なら、お前は達磨になるところだが――」

 鉄棒を振るって、男の背を打ち。

 短く声を上げてうつ伏せに倒れた男の左腕に、青年は右足を乗せる。それから左手の人さし指をクリューに向け、視線は男を見たままでほほ笑んだ。

「今の俺はすこぶる機嫌がいいから見逃してやる。おいオッサンよォ、『これ』も貰っていくぞ。いいな?」

 上機嫌そうに言う青年。その指し示す先を見て、男は目を剥いた。

「そ、それはっ」

「オッサン、あんた自分の四肢とこのガキ、どっちが惜しい」

 男の表情が、恐怖に歪んだ。それを見た青年の表情が、対照的に嗜虐に哂う。

「まずは左腕だ。五秒以内に答えろ」

「あぁぁぁぁぁぁッ!」

 青年の重心がゆっくりと右足に移動していき、男が悲鳴を上げてまた彼の顔が歪む。今度は痛みにだ。裏返った声で男が「何でも、何でも好きなモン持ってきゃいいだろうがよォ!」と叫ぶまで三秒とかからなかった。

「寛大な許可、痛み入る」

 まったく痛み入っていない感謝の言葉。男がほっとした表情を浮かべたのもつかの間、鉄棒がもう一度空を切り、今度は頭を打った。

 すると男は喋ることも、命乞いも、叫ぶことすらしなくなった。死んでしまったのだろうかと思ったが、よくよく見ると顔回りの埃が動いている。ただ伸びているだけのようだ。

 青年は鉄棒をぽいと無造作に放ると、今度はクリューを見、そして先ほどと同じように彼女の脇に片膝を立てて座り込む。そして改めて、挨拶をした。

「おう、嬢ちゃん」

「……?」

 すぐに返事はできなかった。目の前で繰り広げられる光景に呆気に取られていたからだが。

 けれど青年は怒らなかった。起き上がることもできない彼女を殴ることもまたせず、どころか彼女へにっこりと笑いかけると、こんなことを言ったのだ。

「俺はスプートニク、流れの宝石商だ。俺は、あんたを雇おうと思う」






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