Ⅲ 1(5/3追加)
彼が首を上げたのは、ドアベルの音が静かな店内に鳴り響いたからだった。
*
「ただいま戻りました」
帰宅を告げる声とともに姿を見せたのは、栗色の髪の少女一人。
手に下げた買い物鞄はやや膨れてはいるが、彼女の様子からするにそれほどの重みはなさそうに見える。代わって運んでやるまでには至らないだろう。
「おかえり」
だから彼はカウンターの椅子に腰掛けたまま、いつものように迎える挨拶をする。さすれば彼女はやはりいつものように、嬉しそうに微笑んだ。
リアフィアット市は大陸東部に位置する、ルカー街道の宿場町として栄えた中程度の街である。
年間を通して温暖な気候から、多種多様な果物・花卉の産地としても知られているその街は、魔女協会の支部こそなけれど警察局の治安維持活動は非常に優秀で、未解決の事件はゼロに等しく、とても暮らしやすい土地だ。
そんな街の片隅に、小さな宝石店があった。――『スプートニク宝石店』。
「――『首尾は?』」
「『上々です』」
店主スプートニクの意味有り気な問いかけに、買い物帰りの従業員クリューは同じく潜めた声で答えると、両目を固く閉じ口を珍奇に歪めてみせた。この様子なら、恐らく頼んだもののほとんどが手に入ったのだろう。
「『ご苦労。奴等に気づかれはしなかったろうな?』」
「『そんなへまを、この私がするとお思いで?』」
「『そうか。お前には無用の心配だったな』」
そして視線を交わすと、二人は揃って低く笑った。
――とはいえ実際に買わせたものは鑢や鑿、箆、洗浄剤など、どれもこれも法に則って販売されたもので、それも正しく対価を支払って購入しているのだが。
先日、本屋に行った際「何か面白いお話を読みたいです」と言ったクリューに、悪戯半分にスパイ小説――子供向けに幾分表現を柔らかくしたそれではあるが――を勧めてみたのがこのごっこ遊びのきっかけだった。スプートニクとしてはいつ頃彼女が「面白くない」と文句を言い出すだろうかと楽しみにしていたのだが、意外にもそれらは彼女の琴線に触れたらしく、ここ最近熱心に読んでいる。スプートニクが買い与えてやった最初の二巻分より先も、自身の給料で集め始めているらしい。
そこで、それほど気に入ったのならと、機会があればときどきこうしてごっこ遊びをしてやっているのだが、スプートニクとしてはやりとりより、そのたび作る彼女の表情の方が余程滑稽に思える。例えるならば、生まれて初めて辛いものを食ったときの赤子のような顔。どうもそれが彼女の思う『悪い笑み』らしいのである。
鏡を見せてやろうにも両目を瞑っていてはそれも出来ない。諸々間違っていることに彼女自身が気付けるのはいつの日だろう、そもそも気付ける日など来るのだろうかと考えていると、不意にクリューが「あ、そうだ」と呟き顔を元に戻した。
「どうした」
「忘れるところでした。さっき八百屋さんの前でエリィさんに会ったんですけど、赤ちゃん用の指輪を仕立ててほしいそうです」
それが市内のコンドミニアムに住んでいる女性の名であることは、スプートニクも知っていた。市内出身の男性と結婚をして、少し前に女の子を出産していたはずだ。婚約指輪と結婚指輪の手配もスプートニク宝石店でしてくれた。
「赤ん坊。ベビーリングか?」
「それです。珍しいですよね、赤ちゃんに指輪なんて。……飲み込んじゃったりしないんでしょうか」
不思議そうに首を傾げるクリューに、スプートニクは否定の意を込めゆるゆると手を振った。
「いや、ベビーリングってのは記念の品で、実際に子供にさせておくわけじゃないからいいんだよ。産まれた子供の生涯の幸福を祈って、両親が子供に贈るんだ。だけどそんな習慣、この辺にもあるんだなァ」
リアフィアット市には長らく宝石店がなかった。宝石屋の上客となる魔法使いがあまりやって来ない土地であるため、商売の拠点を置きたがる宝石商がいなかったのだ。そうであったから、スプートニクが店を構えるまで、リアフィアット市民が装飾品を発注する際は旅の宝石商がやって来るのを待つか、他の市の宝石店に出向くしかなかったという。
そんな地方であるというのに、装飾品を子供に贈る風習があるとは。そう思い呟いたのだが、クリューはぷるぷるかぶりを振った。
「あ、いえ。遠くに嫁いだ妹さんが、数年前お子さんに指輪を贈ったのを手紙で知って、自分も子供が出来たときはそうしたいと思っていたそうですよ。あとで旦那さんとお店来るってことです」
「成程な」
答えながらスプートニクは、幾つかのことを考える。ベビーリングの相場、作成に要する時間、準備すべき道具、石、素材――それから。
「詳しい住所は顧客録にあったはずだな。クー、お前ちょっと家まで行って、『デザインの相談なら空いている時間を伝えてくれればこちらから訪問する』って伝えてきてくれ」
「あ、はい。訪問営業なんて珍しいですね」
「そりゃまァ、こちらとしては至極面倒だが、赤ん坊連れての外出は何かと不便だろう。営業時間中に店の中で泣かれるのも嫌だし。伝言、出来そうか」
「任せてください。買ってきたもの片づけたら、すぐ行ってきますね」
荷物を持ち上げ、こともなげに笑うクリュー。そんな彼女の姿に、スプートニクはつい頬を歪めて笑った。
「頼んだ。……しかし、お前も成長したな」
「そうですか?」
「昔は一人で外に出るのだって出来なかっただろう」
彼女の来歴を考えれば当然のことかもしれないが、リアフィアット市に居を構えたばかりの頃のクリューは、店に出ているのもやっとだった。ドアベルが鳴れば慌ててスプートニクの後ろに隠れるような半人前以下の店員だったというのに、それがここまで人馴れ出来たのだから大したものである――と思うのは雇い主、もしくは保護者としての贔屓目だけではないはずだ。
誘拐騒ぎや魔法少女来訪の直後は、人見知りがぶり返したりはしないかと気になったが、それはスプートニクの杞憂であったようで、以前と変わらずのほほんとしたものである。魔法少女の件ののち数日間、「護身です」とフライパンを持って外出しようとするのを止めるのには手を焼いたが。
「褒美に頭、撫でてやろう。こっち来い」
手を振って招き寄せる。その程度で喜ぶほど幼くない、と怒り出すかと思ったが、やはりまだ甘やかされるのは嬉しいらしい。「スプートニクさんが私のこと褒めるなんて珍しいです」とへらっと笑うと、その笑顔のまま早足で寄ってきた、が。
そのあまりにも浮かれた喜びように、どうもからかってやりたくなって。
「はうっ」
撫でる代わりにその額へ、一発でこぴんをかましてやった。
驚いて、数歩後ろに後退。痛みにか、してやられた屈辱にか涙を浮かべ、唇を尖らせる。文句を言おうと何か言いかける――しかしそれより早く、スプートニクは、額を打ったのと同じ人差し指の先を真っ直ぐ彼女の眉間に向けると、こう告げた。
「『隙を見せるな。例えそれが親兄弟、恋人でもだ。――この指がナイフなら、お前は今頃生きてはいないぞ』」
と。
それが何の言葉であるか、すぐに思い当たったようだ。不満げな表情がぱっと明るくなった。が、すぐに眉を寄せ、目を固く閉じ。
「『肝に銘じておきます』」
またあの滑稽な顔をするのだから、スプートニクはついこみ上げる笑いを抑えるために、かなりの苦労をすることになる。
スプートニク宝石店の、少し昔の話。
(続く)
お久しぶりです。閲覧、お気に入り登録、評価、ありがとうございます。
いつぞや申し上げた「クリューの『はじめてのおつかい』話」です。
少しずつ進めていきたいと思います。少し更新不定期になるかと思いますが、良かったらお付き合いください。




