8-1(4/12追加)
魔法少女に脅迫されたことで精神的に疲弊しただろうクリューに対し、暫くの暇を出す必要があるかと考えていたが、意外にも彼女の快復は早かった。元よりそれほどのショックはなかったようで、足の怪我と疲労で翌日丸一日寝込んだスプートニクの方が、遥かに重傷だったと言えよう。
ただそんなクリューも、魔法少女が何故か彼女の『体質』を知っていたことは気にしていたらしく、ベッドの脇で震えながら語る様子はひどく痛ましかった。とはいえスプートニクが「そんな事実はないと魔法少女に伝えた」「雇い主の証言に魔法少女も納得していた」と答えると、流石馬鹿もとい素直な彼女は安心したように胸を撫で下ろしていたが。
丸一日寝込むと全身の倦怠感は嘘のように取れた。が、少なくとも三日は安静にとの老医師の言葉を守って――正確には彼自身に守る気はなかったがクリューが許さなかったのだ――ベッドで手芸に勤しむことにした。ぬいぐるみの目を直し、ついでに、あまりの質の悪さに加工のし様がなく放置していたルビーの欠片を使って、クリューの銀細工を補修、仕上げてやる。折れた耳は新たな銀粘土を接着剤代わりにして修復し、念のため補強としてリボンを巻く。ルビーは罅の多いそれであったが、暖色系の生地で作られたぬいぐるみにルビーはよく合った。
数日ぶりに双眸を得たぬいぐるみへネックレスをかけてクリューに返すと、予想通り、彼女は驚きと喜びに声を上げた。きっと今晩からまた、あれと一緒に眠るのだろう。
――そうしてあれから、五日が経った。
「ありがとう、ございましたっ」
クリューの見送りの挨拶とともに、カランカラン、とドアベルが鳴った。
店も通常通り再開し、そこに魔法少女が現れることもなく。事件前とさほど変わらぬ日常がようやく帰ってきたことを実感する。変わったものがあるとすればクリューの指輪の存在程度のものだが、それにさほどの違和感はなかった。慣れとは恐ろしいもので、最初こそ指輪の存在をあれだけ気にしていた彼女だったが、今はもう自分の体の一部のように振る舞っている。大事にしていないというわけではなく、そこに収まっているのが当然といった感じか。
深く礼をした頭を勢いよく上げるクリューの様子をカウンターから眺めていると、不意に彼女が頬に手を当てて、とろけるように笑った。
「うふふ」
「何だよ。いきなり妙な笑み浮かべやがって」
「いえ。お客様、すごく喜んでらしたから、なんだか私も嬉しくなって」
先ほどの二人組の客は、一組のペアリングを買って行った。出会って一年の記念なのだそうだ。彼らがいつまで仲睦まじくあるのかなどわからないからスプートニクにはどうでもよかったが、クリューはそれとはまた別の思いを感じていたようで、「いつまでも幸せでいてほしいです」と言った。
そして、今度はスプートニクに向けて笑いかける。
「お客様が嬉しそうで、私も楽しくて、スプートニクさんがいて。……なんていうか、やっぱり、いいですね」
「何が?」
「こういうのが、です」
どういうのだろう。
理解が至らず、首を傾げて見せる。けれどそれすらも嬉しいようで、彼女の表情が崩れることはなかった。
「ずっとこうだったらいいですね」
「ずっとこう、ねェ――」
それもそれで諸々問題ありそうだが、とスプートニクが言いかけたのを遮って。
入口扉のドアベルが鳴った。いつもより数割増しで、けたたましく。
「ん。あァ、いらっしゃいませェ」
同時に急き足で入ってくる人影が視界の端に映って、何をそんなに慌ただしくしているんだと思いながらそちらを見る。入ってきた人影は、女性だった。茶色いセミロングの、比較的可愛らしい印象をした女性。ただ、他人として街ですれ違ったとしたならそれほど記憶には残らないだろう部類の外見をしていた。
欠伸を噛み殺しながら来店を迎える挨拶をする。対して真面目な店員は、接客態度に難ある店主をこっそり睨みつけてから、彼女の下に歩み寄った。
「いらっしゃいませ、お客様。何かお探しの品でもおありでしょうか」
しかし『客人』は答えない。どころか、クリューを見ようともしなかった。真っ直ぐに、じっと一点を見つめている。
客人の、視線の先にあるものに、スプートニクは気付いていた。
気付いていて、敢えて言わなかったのだ。
「お客様?」
しびれを切らしたクリューがもう一度、声を掛ける。
するとようやく、彼女は口を開いてくれた。まるで囁くように、万感の思いを込めたかのように。
「――会いたかった」
「え」
震える唇はゆっくりと吊り上がり、笑みの形に変わる。白い手は胸の膨らみの前で組まれ、見開かれた瞳は表情の変化に伴い細められてゆく――呆けたように声を上げるクリューのことなど、文字通り眼中になく。やがてその表情が完全な喜色に彩られたとき、彼女は我慢ならなくなったとばかりに、強く叫んだ。
「会いたかったわ、スプートニク!」
店に入ってきて早々に見せた反応からするに、恐らくそう来るだろうと、予想してはいた。が、予想できていたからといって、客人の言葉をすぐさま受け入れられるかというとまた別の話だ。見覚えのない顔と身に覚えのない再会の挨拶に、スプートニクはつい眉根を寄せる。
客人は狼狽えるクリューを置いたままカウンターにつかつかと寄ってくると、スプートニクをじっと見つめ、首を傾げた。
「忘れたの? 私のことを」
「そもそも知らん。誰だお前」
物言いによればどうも客ではないようだ。また、行きずりの女をいちいち覚えているほどスプートニクは情に厚くもなかった。だからそう問いかけると、やはり後者のうちのいずれかなのだろうか、彼女は傷ついたように目を見開いた。
「ひどい、私たち、あんなに……夜じゅう語り合ったこと、私は忘れていないのに。ね、そんなひどい嘘、やめて。私、どうしてもあなたともう一度お話したくて」
「す。すぷ。スプートニク、さ。おし、お、お知り合いで?」
スプートニク以上に混乱しているらしいクリューの引き攣った声が、視界の外から投げかけられる。
しかしスプートニクは答えない。頭の一部が目の前の女に対し強烈な違和感を訴えていたからだ。この女の顔をどこかで見たことがあるような気がしたのである――否。この顔を見たことは、ない。少なくとも、覚えてはいない。けれど何か、思い当たるものが。
顎に手を添え、無言を貫くスプートニクへ、女は更に一歩寄った。
「ね。お願い、ちょっとだけでも、時間をちょうだい。話がしたいの」
「あ、あの、あの。失礼ですが店主は今、業務中で――」
「あァ。わかった」
その言葉は単純に『既視感の正体に気付いた』という理由から口をついて出ただけで、決して『承諾した』という意味合いではなかった。驚いたように目を剥いたクリューとぱっと表情を輝かせた女を見るに、彼女等は後者として取ったようだったが、間違いを訂正するのも億劫だったし、いずれにせよ時間を取ることには変わりなかったから黙っておいた。
立ち上がり、再びの黙考。加工室か、それとも。少し迷ってから、スプートニクは歩き出した。
「クー、お前は店番していろ。……来い」
クリューの何か言う声が耳に届くが、店を置いては来られまい。機嫌を損ねた従業員を後々どう宥めるかを算段しながら、スプートニクは入り口扉に手を掛けた。
■お知らせ
8-1思いのほか短かったので、明日(4/13日曜日)夜に8-2を追加します。
よろしかったらお付き合いください。




