9-2
頼んだわけではないのに、早朝なのに。
クリューの出発を見送るため、街の皆が集まってくれた。
「今日は、お集まり頂きありがとうございます」
スプートニクに合わせて、クリューはぺこん、と頭を下げた。
――今日は、クリューの、旅立ちの日だ。
弁当と、水筒と、酔い止めの飴。大事なぬいぐるみと、日記帳と、お小遣い。
ヴィーアルトン市までの荷造りは、前の晩のうちに済ませていた。だから朝に慌てることはなくて、ただ用意していた朝食を食べて、服を着て、髪を梳かして、淡々と、準備をした。
街にはちょっとだけ霧がけぶっている。だけど、馬車が走れないほどではない。クリューたちは店の前で、クリューのための馬車がやってくるのを待っていた。
教科書や制服など、学校生活に必要な荷物はすべて、エルキュール宝石学校の構内にある学生寮に送ってもらっている。だから鞄の中に入れたものは、リアフィアット市からヴィーアルトン市までの道に必要なものだけだ。
ヴィーアルトン市についたら、一度クルーロル邸に寄って、クルーロルに挨拶をして、それから、学校の寮に行く。学校では同じく入学生となったリーエと待ち合わせをしている。体験学校への旅立ちと違って、一度行ったことのある街だし、知っている人が誰もいないところへ行くわけではないから、今度の訪問に不安なことはない。
不安なことは、ないはずだ。
だけど。
「ハンカチ、持ったか」
「はい」
「ぬいぐるみ、忘れてないか」
「……はい」
「もし何か忘れ物あれば、ユキに頼んで、戻ってこいよ」
「……」
「あー……」
「……」
「ハンカチ、持ったか」
同じ質問を聞かれるのは、何度めだろう。
集まった皆は、最初こそめいめいに励ましの言葉をかけてくれたが、今は、静かにクリューの旅立ちのときを待ってくれている。
「あの、さ」
何を思い出したのか、スプートニクが不意に口を開いた。
「お前が帰ってくるの、ちゃんと待ってるから」
待ってるから。
その一言は、涙が出そうなくらいに、嬉しかった。
「はい」
――朝霧の中から、車輪の音と蹄の音が聞こえてくる。間もなく一台の馬車の姿が見えて、それはクリューたちの前で止まった。
馬車の戸が開いて、中から顔を見せた人は。
「よう」
今回も今回とて、ヴィーアルトン市までの同行人はラウ。クリューとしては、心底、人選が気に入らないが、仕方がない。
「お前は休憩取らなくて大丈夫か。馬車に乗りっ放しも疲れるだろう」
「うむ。私は大丈夫だ」
腕を組み、椅子にどかりと座る様は、痩せ我慢をしているわけではないようだ。
――出発の準備は、整ったことになる。
ただ。
あと一つだけ。
「あの、あの、スプートニクさん」
学校に行く前に、リアフィアット市を発つ前に。
クリューには、スプートニクに言いたいことがあった。
「ん?」
スプートニクの綺麗な瞳が、いつものようにクリューを映して――
言わない方がいいと、思った。その方が、お腹が重たくならなくて済む。
だけどそれは、駄目だと思った。
「クーは……」
言わない方がいいと思うのは、クリュー自身が言いたくないだけだ。
ちゃんと言うのだ。
言わなきゃ、駄目なのだ。
だから。
「クーは、スプートニクさんが大好きです」
勇気を出して、一息に言った。
ずっとずっと、言いたかったことを。
「……どうも」
だけど、なんとなく。
伝わっていない気がした。
「俺も……なんだ。お前が従業員で、助かったことも、多くあるから」
あ、これ伝わってないな。と確信した。
「ええと……」
せっかく勇気を出しても、勇気の意味が伝わってないのでは意味がない。ちょっと考えて、話し方を変えることにする。
「スプートニクさんは、覚えてますか」
「何を?」
「私を雇うとき、私に言ってくれたこと」
クリューは、覚えている。
――お前の『体質』を使って、俺の願いを叶えてくれ。それが叶ったときには、俺の命に代えてでも、お前のそれを治してやろう。
言われたそのときは、考えもしなかったこと。この、宝石を吐くという『体質』が、治ったら。『体質』が、なくなったら。――その後は。
スプートニクは、逡巡するような沈黙の後、「ああ」と頷いた。「覚えてるよ」
クリューが覚えていたことを、スプートニクも覚えていた。同じ思い出を持っていることに、くすぐったいような、不思議な気分になりながら、クリューは少しずつ、自分でも考えながら、話を続ける。
「私、もうちょっとしたら、『体質』がなくなります」
それは、魔法使いファンションが――ユキが、ヴィーアルトン市のスプートニクの病室で、二人に教えてくれたことだった。クリューの宝石を吐く『体質』は、子供の頃だけのもので、大人になる前になくなってしまう。魔法の研究者であり鉱石症にも詳しいという彼女の言葉に、きっと、間違いはないのだろう。
クリューが雇われたときスプートニクが願ったことは、メロンパンのおいしい店のある街で、自分の宝石店を営むこと。リアフィアット市で宝石店を開いた彼の夢は、叶ったのだ。
そして。
ユキの教えてくれたことが、確かなら。
あと数年で、クーの願いも、叶うことになる。
「そしたら、クーがスプートニクさんと一緒にいる意味は、なくなると思いました」
「それは」
クリューの言葉に被さるようにして、スプートニクが何かを言いかけるが――それは言われないまま、口を閉じた。かぶりを振って、改めて答えたことは、
「……お前がそうと思うなら、そうかもしれない」
なぜか、絞り出すような返事だった。どうしてだろう。クリューの心を慮ってくれたとか? そんなことをするような人だったろうか。
だけど、だけどいずれにせよ――
それはクリューの中で当然のことで、こくん、とクリューは頷いた。
二人が互いに望んだ願いは、叶うのだ。そして残るのは、優秀な宝石商が一人と、失敗ばかりで頭も良くなくて、宝石も吐けない、半人前の女の子。
取り得のない、未熟なだけの女の子。
そんなのが、優れた彼の隣にいてはいけないのだ。
「でも」
自分はふさわしくない。わかっている。
だけど、それでも。
「クーはスプートニクさんと一緒にいたいと思いました」
その願いは、捨てられなかったのだ。
――たとえばいつか、他の誰かと笑い合う想い人を、前にする日が来たとして。
いいんです、なんて。
クリューには、言える気がしなかったのだ。
だから。
「スプートニクさん」
クリューは彼の目を、真っ直ぐに見る。もう、しばらくは見られないだろうその瞳を。
そして言う。
「クーは、スプートニクさんが好きです」
「……はぁ」
「世界で一番、大好きです」
「どうも」
「およめさんになりたい、の好きです」
「はぁ……」
沈黙。
のち。
「……っはぁ!?」
スプートニクが目を見開いた。クリューが本当に伝えたい種類の『好き』は、ちゃんと彼に伝わったようだ。
そして伝わったのならもう戻ることはできない! クリューは一気にまくしたてた。
「クーはスプートニクさんが好きです! しょっちゅう女の人と遊ぶし、たくさんお酒飲むし、煙草も吸うけど、嘘もついてクーのこと子ども扱いするけど、それでもかっこよくて、優しくて、お仕事に一生懸命で、クーのことたくさん見てくれるスプートニクさんがすっごく好きです!」
「す、いや、あの、く、クー、ちょっと、待、え?」
迫るクリューの勢いに押され、後ずさりするが逃がさない! スプートニクのシャツをボウタイごと両手で掴んで、クリューは一気に想いの丈を伝える。
「だから、だから! クーは『体質』がなくなっても、スプートニクさんのお隣にいられるように、学校でたくさんお勉強をして、頑張って、すごくすごく、すごくなってリアフィアット市に帰ってくるので、だから学校が終わって、卒業して、帰ってきたそのときは――」
そのときは。
クリューは息を吸った。
大事なことは、大きな声で、はっきりと!
「クーをスプートニクさんのおよめさんにしてほしいです!」
すっかり言葉を失って、魚のようにぱくぱくと口を開閉するスプートニク。彼もこんな顔をすることがあるのだと思いながら、クリューは彼のシャツを離した。
自分が叫んだことの内容を自覚して、クリューの顔がどんどん熱くなっていく。これ以上スプートニクと向き合っていることすら恥ずかしくなって、クリューは急いで馬車の中に駆け込んだ。
中で待っていたラウが、驚きと喜びとにまみれた顔で、クリューのことをぎゅうと抱きしめ、頭をぐしゃぐしゃに撫でてくれた。
「おお、よく言った!」
「髪の毛触るのやめてください!」
開いた窓から、外を見る。
あまりのことに腰を抜かしたか、地面に座り込んだスプートニクが呆然とこちらを見上げていた。その目は大きく見開かれ、顎は外れたようにぱかんと開いている。スプートニクとはずっとずっと一緒にいたけれど、こんなにも彼を驚かすことができたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
そんなクリューとスプートニクの様子を見て、ナツが笑っている。エルサも。他の皆も「よく言った!」と笑っている。
皆が笑っている。だからクリューも楽しくなって、笑った。
笑いながら、頭の上まで、高く高く手を挙げて――
「行ってきます!」
そしてクリューは、リアフィアット市を旅立った。
自分の望んだ、未来のために。
*
リアフィアット市は大陸東部に位置する、ルカー街道の宿場町として栄えた中程度の街である。
年間を通して温暖な気候から、多種多様な果物・花卉の産地としても知られているその街は、魔女協会の支部こそないけれど警察局の治安維持活動は非常に優秀で、未解決の事件はゼロに等しく、とても暮らしやすい土地だ。
そんな街の片隅に、店員二名の小さな宝石店があった。――『スプートニク宝石店』。




