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それは、『クリューちゃんお帰りパーティ』の日のこと。
時間にして夕刻、喫茶店フィーネにて。
本日のパーティの主催であるスプートニクは、フロアの一番奥に立ち、ぐるりと店内を見回した。
パーティは予定通りに準備ができた。壁は色とりどりの紙で折られた花や星形のオーナメント、パステルカラーのガーランドで飾りつけがされ、すべてのテーブルにはきれいな花瓶と、花が活けてある。「酔っ払いが出るだろうからキャンドルは使用しなかったわ」というのはエルサの英断である。
クリューは店内すべてを見回せる最奥のテーブルに座り、照れたように笑って、
「緊張しますね!」
と言っているが、集まっているのはどうせ顔見知りばかりである。
誰が作ったのやら用意周到なことで、彼女は金色の紙で作った冠を被っていた。いっそ『本日の主役』とでも書いた襷でも用意してやれば良かったか。
「さて、そろそろお集まりかしら。……静粛にー、静粛にー」
隣に立つエルサの、両手を打ち合わせる音が二回。それだけで店内の騒めきは音量が下がった。同時に皆の視線がこちらを向いて、クリューの背中が意味もなく伸びる。
「それでは、パーティ開始の挨拶と乾杯の音頭を、スプートニク宝石店店主スプートニクさんより頂きたいと思います」
座ったクリューから、「スプートニクさん頑張れー」と小さな声援が飛ぶが、アンチョコを必要とするほどの気取ったことを言うつもりもない。
腰に左手を当て、息を吸い。
全員に聞こえるように、声を張った。
「えー、ただ今ご紹介に与りましたスプートニクです。この度は当店主催の『クリューおかえりパーティ』に予想を遥かに超える人数のご参加を頂きまして誠にありがとう馬鹿野郎ども限度を知れ。また、ヴィーアルトン市現地でのご協力者様方には、お力添えを心より感謝いたします。……さて、パーティにおきましてまず注意点をいくつか。空いた皿とグラスはできる限り自分で処理してください。譲り合いの精神を大切に。好き嫌いは許さん、頼んだものは責任持って食え。弁当箱の持ち込みは発見次第、窃盗で速やかに警察へ被害届を提出します」
挨拶を、上機嫌な彼らは聞いているのかいないのか。
「そして最も重要な点。本日の会は参加費無料、全額スプートニク宝石店の出資となっております。弊店的にはド赤字の出血大サービスであり、今後のご近所付き合い等々考えましても、酒の消費量は、極、力、控えめに――」
「スプートニクさーん、酒おかわり」
「こっちもー」
「まだ乾杯もしてねェだろうが飲んだくれども!」
エルサも、いそいそと嬉しそうに追加の酒を注ぎに行かないでほしい。
「とにかく明日以降、スプートニク宝石店へのご来店とご用命を心よりお待ちしております。それでは皆様、グラスをお取り頂きご唱和ください。当店従業員の無事の帰りを祝し、併せて、本日お集まり頂きました皆様のご健勝とご活躍と『ご平穏』を切に祈念致しまして――」
一拍。
スプートニクの合図に、全員大きく息を吸い。
グラスを高く高く掲げ、
「――乾杯!」
そして。
宴が始まる。
*
「む……」
枕がごろろ、と妙な音を立てたせいで、クリューは目を覚ました。
ここは……家ではない。喫茶店フィーネ、その床だ。どうも、パーティの最中に寝てしまったらしい。
暗かったはずの窓の外は、だんだんと白みつつある。
身を起こして初めて、自分がスプートニクの腹を枕にして寝ていたことに気付いた。聞いたのは、スプートニクの腹の音だったようだ。
ぼんやり寝ぼけた頭で、パーティの様子を思い出す。昨晩はものすごい大騒ぎだった。大人たちは酒を浴びるように飲み、子供たちはおいしいケーキを山ほど食べた。クリューはパーティに来ていた魔法使いたちや街の人たち、全員とお喋りをしたはずだ。
参加者にはたくさんのプレゼントを貰った。玩具や菓子、花束といったものから、華やかな歌や音楽、踊りまで。
クリューのリクエストで、嫌々ながらも曲に合わせてくるくる器用に踊るスプートニクの姿はとにかく格好良くて、クリューの胸の中で一生の宝物になった。
それに対抗して、というかユキに指示され乱入したソアランの下手くそな踊りはスプートニクとは別の意味で皆の目を引いて、おかしくて仕方なかった。クリューが「おにいさま、頑張れ!」と声をかけるとぱっと嬉しそうに笑ったけれど、それで踊りが上手くなるわけでもなく。
そんな中、『魔法使いからのサプライズゲスト』として、クリューの両親という人も現れた。父のことも母のこともやっぱり思い出すことはできなかったけれど、その姿を見た瞬間、なぜか胸が痛くなって、何も言えなくなって、二人に抱き締められると、ただただ幸せで涙が溢れた。
目が真っ赤になるまで泣いて、頬が痛くなるまで笑った一晩だった。
店内を見回す。あちこちに見知った顔が転がっている。毛布を借りて寝入った人、酔い潰れたらしく酒瓶を抱えた人、様々だ。クリューは毛布を掛けていたけれど、スプートニクはただ床に転がったままでいる。
厨房の方から、水の音と食器のぶつかる音が聞こえる。きっと、喫茶店フィーネの店員たちが片付けをしているのだろう。
「クーは……」
けほん、と空咳。一つ、宝石が零れた。
ヴィーアルトン市から長い距離を帰ってきて、また、リアフィアット市での日常が訪れた。一度離れて戻ってきて、ここはとても素敵な街だ、と改めて思う。
クリューが産まれてから、この街にたどり着くまでの道のりには、たくさんの辛いことがあった。怖いことがあった。忘れてしまって、今も思い出せないことだってたくさんある。
だけどスプートニクと一緒にこの街に来られて、この街の人たちと出会えて、この街で働き、この街で暮らすことができて、本当に良かったと思う。
でも。
「……それでも」
それは、クリューの言葉ではなかった。
床に転がったままのスプートニクが、いつの間にか起きていた。起きていて、クリューを見ていた。
ぼんやりと店を見渡すクリューの姿に、今、クリューが何を考えているのか察したのだろう。笑わない灰色の瞳が、クリューを映している。
「それでも、行きたいか」
街を昇る朝日。
楽しかったパーティ。
優しい人たち。
決心が揺らぎそうになる。
――それでも。
「はい」
頷く。
自分で決めたことだから。
「クーは、学校に行きたいです」




