4-2
「あら。あらあら、あらあらあら!」
と宿屋の女将が言ったのは、朝発ったはずの商人が昼過ぎにまたやって来たから、というだけではないはずだ。腕に抱いた子供を見て、彼女は目を見開き、口に手を当てた。
「どうしたのお客さん。その子……」
「街の外で行き倒れていたんで保護して戻ってきた。この街の子供じゃないか」
「行方不明になった子がいるなんて話は聞かないけどねぇ……かわいそうに。大丈夫?」
本当のことを言わず、行き倒れていた、としたのは説明が面倒だったからだ。
クリューはと言うと、包んだ上着の中で、顔を伏せて小刻みに震えている。どうも、人が怖いようだ。女将が顔を近づけると、きゅう、と小動物のように喉を鳴らして更に丸くなった。
「上の人間に連絡を取って、この娘の保護を要請しようと思う。ついては取り敢えず一晩……場合によっては二、三日、連絡がつくまで部屋を借りたいんだけどな、二人部屋を一室、頼めるだろうか」
「どうぞ、しばらくは空室があるから。それから……そうね、お医者さんは」
「頼む」
クリューを一度床に下ろし、二人分の宿賃と、心づけを取り出してカウンターに放る。それに女将は部屋の鍵を一つ返し、任せておいて、と言った。渡された鍵の番号は、偶然にも、スプートニクが今朝方まで滞在していた部屋の隣だった。
ふと。
――何か、違和感を覚える。
脳の奥を人さし指と親指で弱く摘ままれたような、不快。しかし手の内にある鍵には何の不具合もなさそうに見える。顔を上げて女将を見るが、彼女も特別不審なところは見受けられない。
「ごゆっくり」
「どうも」
不思議に思いながらも原因は見当たらず、結局忘れることにした。
鞄を腕に通し、クリューを持ち上げる。と、彼女は顔を上げてこちらを見た。自身を抱えたのがスプートニクだということを確認したのだろう。布の中から手を伸ばすと、またスプートニクの胸元をきゅっと掴んだ。
階段を上がり、二階の奥の角部屋へ。鍵を開けて入ると、朝方スプートニクが滞在していた部屋よりも幾分広かった。向かって右に書き物用の机とソファ。ベッドは左に、二つあった。バスルームとトイレの位置は変わらずだ。スプートニクは少し迷ってから、クリューをソファの上に下ろした。
荷物を床に放り、靴のままベッドに転がる。
「さて、どうしたものかね……」
書き上げた手紙はすでに郵便局に届けた。管理担当は確か現在商会本部で研修を受けていると言っていたからそこに宛てて出したが、入れ違いにでもならなければ、明日には郵便を確認するはずだ。連絡を貰えるのは、早くて明後日の朝といったところか。無論、先方の予定に問題があったり、郵便トラブルがあればその分遅くなるだろう。
「恐らくは警察に行くことになるだろうけどな、あんまり怯えてくれるなよ」
声をかける。と、ソファの上の上着がもこもこ動いて、クリューがこちらを向いた。食事をさせたせいか、『あそこ』にいたときよりも幾分か血色が良くなったように思える。
「人がたくさんいるだろうが、警察だ、悪い奴らのいるところじゃない」
警察局は、この大陸の治安維持組織だ。犯罪防止に関する活動、事件の捜査や悪漢の捕縛の他、彼女のような迷い人の捜索・保護も行っている。訪れればきっと、我々の力になってくれるはずだ。
しかし彼女はそんな説明を聞いているのかいないのか、クリューはソファの上でしばらくうごめいて、やがてどさり、とソファから落ちる。介助すべきかと半身を持ち上げるが、彼女は彼が行くより早く立ち上がると、掛けた上着を引き摺りながら歩いてきた。ベッドの隣までやってくると、床に座ってじっとこちらを見上げる。
「なんだ。どうした」
尋ねると、クリューは無言で顔を伏せた。何が気になるのか、それとも特に意味はないのか、ソファの足元をじっと見ている……そのとき、彼女の髪に葉の欠片が絡まっているのが見えた。
手を伸ばして取ってやりながら、気付く。
そして思い出す。彼女の体は埃だらけだった。
「……風呂でも、入るか」
今後の面倒な話は、この際置いておこう。大事なものは現在だ。
医者に見せるにもまず傷口の消毒が必要だ。食事もさせたし、綺麗な湯で軽く湯浴みさせる程度なら大丈夫だろう。クリューはぱちくりと瞬きをして、スプートニクの言葉を繰り返した。
「おふろ」
「待ってろ。湯を張ってやる」
ベッドから降り、バスルームに向かい――かけて。
振り返る。念を押すように言った。
「言っておくけどな。自分で入るんだぞ」
自身は、ただこれを助けて雇っただけの存在で、これの湯浴みのあれこれや生活の一切まで手伝ってやらなければならない立場ではないはずだ。
言われた彼女は、不思議そうな表情をしている。
わかっていないようなので、さらに付け加えた。
「俺は介助はしないからな」
大きな瞳をこちらに向け、数秒。やがて表情の変化はないまま、ゆっくり、首だけが傾いた。
しかしそんな顔をしても無駄だ、こちらには何の義務もないし負うべき責任もない。風呂の準備や宿代の建て替えはしてやっても、湯浴みの手伝いまで甲斐甲斐しくしてやる義理はないのだ。そうとも、たとえ彼女が蛇口の使い方を知らなくても風呂で倒れて頭を打っても足を滑らせ張った湯の中で溺れてもこちらには何の関係も――
…………。
ソファに腰掛け。
「なんで俺が、こんなことまで」
自身の股の間にちょこんと座った少女の髪を乾いたタオルで拭いてやりながら、スプートニクはため息をついた。まだ育児も家庭にも縁のない――縁を持ちたくない――責任を取りたくない――年頃であるというのに、なぜ子供の入浴などさせなければならないのか。
勝手に、それも同じ部屋で、ぽっくり死なれては困る。そんなことになったら、管理担当にどんな目に遭わされるかわかったものではない……そんな思いから、諸々のことを諦めて入浴を手伝ったが、まったく骨の折れる作業だった。傷に沁みて呻くクリューに、何度驚かされたことか。
あちこち薄汚れていたが、何度も湯をかけて拭ってやったら、人並みに綺麗になった。伸びた髪の汚れは一度では落ち切らず、三度四度と洗うことになったが、それでも洗いきれば、ふわふわと柔らかく手触りのいい長髪に落ち着いた。
服を脱いだこれの全身は、改めて見ても傷だらけで、やはり、特に腹の傷の量が顕著だった。肩、腕、足、全身どこを見てもあちこち痩せこけて痛ましい。が、骨折や、命にかかわりそうな怪我は、外見からは見て取れなかった。内蔵の方はわからないから、医者に任せるしかないが――といったところが、風呂にて観察できたクリューの現状だ。
ちなみに現在の彼女の服装はというと、さすがに身丈に合う服はなかったので、スプートニクのシャツを着せた。彼女の腿くらいまでをすっぽり覆うことができたので、『体を隠す』『身にまとう』という服本来の用途だけは合格しているように思う。
まったく、世話の焼ける奴だ。もう一度嘆息して目の前の子供を見る。と、彼女は何やら両手を顔の前に当てていた。そのまま無言で、何かを考えている。
「どうした」
拭く手を止め、尋ねる。
また宝石を吐くのだろうかと見ていたら、クリューは顔から手を離してこちらを振り返った。
そして。開いた両手を、今度はスプートニクの顔の前にかざした。何ぞと思っていると、ぱふん、とそれらが鼻に触れる。
しばらくして顔から手を離し、クリューは言った。
「……いいにおい」
成程その両手は確かに、石鹸のいい香りがした。
――髪が幾分乾いたところを、安物の櫛で梳いてやる。絡んだ場所もあったけれど、何度か通すと流れていった。あちこち伸びきってはいるものの、質はいいようで柔らかい。整えてやればきっと、いろいろな装飾品が似合うはずだ。
突き出された手も、小さな傷こそ多かったものの、いずれは治る。さて、この子供に似合う装飾品は、どんなデザインのものだろう。
「……俺はな」
今ここでこれに言ったところで、何になるわけでもない。わかってはいたが、その髪を見ていたらなんとなく、口から漏れた。
クリューがこちらを振り返る。彼女の首が動いたせいで、手の中から栗色がするりと逃げていった。
「今は旅商人だけどな、いずれどこかに定住して、店を持ちたいんだ。そのときは、加工の設備のある店がいい」
穏やかな街で宝石を売って、加工して、生計を立てられるようになれたら。……しかしそのためには、さて、どのくらいの資金が必要だろう。
クリューはしばらく、じっとスプートニクを見ていた。けれど彼がそれ以上何も語らないと気づくと、また黙って手を鼻に当てた。その匂いが、よほど気に入ったようだ。そんなもの、これから何度でも嗅ぐことができように。
やがてクリューの頭が、前後にゆらゆらと揺れ始める。何度目かの揺れののち、上半身が更に大きく傾いで、はっと肩が跳ねた。慌てて振り向き、確かにスプートニクがいることを確認すると、姿勢を変えて縋るように彼の胸元を握った。
そうして何度か夢と現の行き来をし、やがてスプートニクの胸元がずっしりと重みを覚えた頃、彼は櫛を通すのをやめて、彼女をベッドに寝かせてやった。
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