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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅵ 彼の想い
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4-1



 蘇ったのは、彼女を『雇った』日の記憶である。




「なァ」

 腕に抱えた『包み』に向けて、スプートニクはぽつりと言った。

 前の街で手頃な貸し馬車屋がなかったこと、徒歩での移動を決めたら賊の襲撃を受けたことの二点。ついでに、倒した賊らの持ち合わせがたいへん寂しいものだったことも含めるとその三点から、スプートニクの機嫌は『つい先ほどまでは』非常によろしくなかった。しかしその後、賊の頭に案内させたアジトにて、彼の気分は大きく変わることになる。

 彼の言葉を受けて、荷物はもそり、と身じろぎをする。黒い布――スプートニクの着ていた上着だ――の中で動いたそれは、鳶色の大きな瞳に彼を映した。

「嬢ちゃ……ええと、クリュー」

 先ほど名を聞いたことを思い出し、言い直す。

 賊に襲われ、『精神的苦痛』を追ったことへの慰謝料として奴らから貰ったものは、雀の涙のような金銭の他にもう一つあった。

 宝石を吐き出す、一人の少女。

 彼女はスプートニクに名を呼ばれると、言葉ではなく、ぱち、と一つ瞬きをすることで返事とした。どうやら話は聞いているようだ、とわかって続ける。

「お前、家は? 出身は」

 子供。――大変に軽い子供。傷の多い小さな手は、スプートニクのシャツを固く握っている。指、足、全身が不健康なほどに細いのは、ろくに食事を与えられていなかったせいだろう。

 「アンタを雇おうと思う」賊のねぐらで『飼われ』ていた彼女に対し、スプートニクはそう、採用を宣言した。だが、就職というのは得てして簡単なものではなく、雇用には諸々の契約が必要だ。

 そもそも彼女の幼さからすれば、保護者というのがいるはずで、おいおい契約関係でこじれないようにするには、一度親元に返してやるべきだ。それからその保護者を上手いこと言いくるめ……もとい説得してこの宝石を吐く生き物をこちらのものにするか、もし雇用を許可しないのであれば賊から救出したことへ相応の謝礼を……などと思って尋ねたのだが。

「おうち……」

 返ってくるのは、夢でも見ているかのように、はっきりとしない声。やがてか細い声で、わからない、と続いた。記憶がないのか、それとも幼さからくる無知ゆえか、不明だが――

 そうなると、さて、どうするべきか。一番手っ取り早いのは、事情をすべてクルーロル宝石商会の『管理担当』に話して手続きを依頼、つまりは丸投げしてしまうという選択だ。それが最も楽でいいのだけれど、そうなると『あれ』の機嫌のいいときを狙う必要が出てくる。……そういえばこの間、こちらから提出した書類に盛大な不備があったとかで、「次に会ったときは覚えておけよ」と言われた記憶があるようなないようなあるようなあるような――

 …………。

「まァいいや。まずは食事でもしよう」

 面倒なことは一時保留。問題から逃げたとも言えるが、『腹が減っては戦はできぬ』と昔から言う。先達の言葉には従うべきだ。年上を敬ったことなどほとんどないが。

 するとまた、クリューの顔がこちらを向いた。食事――その言葉を聞いて、口は何も言わないけれど、瞳はきらきらと輝いている。そういえば、「何か食わせてやろう」と言ってから、結局まだ何も食わせていなかった。鞄の中には、朝方、街で作ってもらった弁当があったはずだ。

 本当は、食事の前に医者の診察と、ほこりまみれの体を洗ってやりたかったが、街まではもう少しかかる。体に関してはそこらの小川を探して洗ってやっても良かったけれど、消毒のされていない水で傷だらけの子供を浸からせていいものなのか、スプートニクには知識がなかった。

「ちょっと待ってろ」

 道の端に腰を下ろして、包んだ上着ごと少女を横に置き、鞄を探る。クリューはしばらく不思議そうにこちらを眺めていたが、スプートニクがバスケットと水筒を取り出したのを見ると、

「ごはん……」

「待て、って」

 気付いて身を乗り出したクリューから、バスケットを遠ざける。

 水筒は二つ。片方には飲料水が、片方にはスープが詰められている。スプートニクは少し迷ってから、飲料水を適量ハンカチに取った。

 クリューの腕を引く。と、びくりと彼女の体が震えた。怖がっているようだ。――それはそうか。

「大丈夫」

 成る丈穏やかな声音で言ってやり、彼女の肩から力が抜けたのがわかってから、顔に布を触れさせた。目元と頬を、傷に障らない程度に擦ってやる。

「むぷ。むぷ」

「あと、手」

 五本の指。欠損こそないが小さな傷はいくつもあって、爪も剥げてこそいないものの、伸びきっていたり逆に短くなっていたり、あちこち欠けてぼろぼろしている。

 ハンカチに水を足して、手を拭いてやると、小さな声で「つめたい」と言った。眉を寄せ、微かに笑う。成程この娘はそういう顔で笑うのか、とどうでもいいことを考えた。

 思いやったわけではない。――そんな言い訳じみた言葉を自身に聞かせながら、問いかける。

「痛くないか」

「ごはん……」

「会話を成立させろ」

 どうやら空腹の方が勝ったらしい。

 まったく。とはいえ言う通り、取り敢えずは彼女の欲求に答えてやることが先か。一食二食食わせたところでそう簡単に体型が標準に近づくとは思えないが、傷だらけの貧相な体を長いこと見続けていたいとは思わなかった。体力も体型も、回復させたいのならまずは食うことだ。

 水筒を開け、蓋に中の液体を注いで満たす。野菜と鶏肉をコンソメの出汁で煮込んだスープだ。啜ってみると、まだかすかに温かかった。

「ああ……」

「すぐ、くれてやる」

 先に一口味見をしただけで、悲しそうな声を出さないでほしい。

 医学的知識のそれほど多くないスプートニクだが、『病人食』という言葉は知っていた。さて、ろくに食事を取っていなかった人間に食わせてやるものとしては、はたして何が適切だろう。なるべく消化にいいもの……

 悩んだ挙句、パンを半分に割って、スープを少し染み込ませ差し出した。

「パンは食わなくていい。スープだけ少しずつ吸って――」

「はぶ」

「食うなって言ってるのに」

 食い物を差し出された瞬間から、スプートニクの言葉など聞こえなくなったようだった。

 そして結局、パンも、スープも――骨付きの鶏肉こそ「消化に悪い」と取り上げたけれど――すべて食い切ってしまった。彼女の胃が心配だったが、体調を崩すそぶりはないから、きっと大丈夫なのだろう。どころかそれでも足りないようで、バスケットをしきりに気にしている。

 さて、他に何か、食わせられそうなものは。魚介の串焼き、揚げ物……白身魚なら大丈夫だろうかと一口食べてみると、強烈に香辛料が効いていたので断念。人が食っているのを見たせいか、よだれを抑えきれずにいるクリューからなんとかバスケットを死守しつつ、バスケットの中身を確認していく。

 ……さて、これなら食えるだろうか。タルトを取り上げ、マーマレードの部分だけをスプーンでこそいで差し出してやると、ぱくんと迷わず口に含んだ。

 先ほどのパンよりも反応がいい。頬を押さえ、まるでため息のように「おいしい」と言った。

「すごく、おいしいです」

「そうか」

「すごく、すごく……」

 と、唐突に言葉を切った。

 瞬きをして、肩を強張らせる。

「どうした」

 強張った肩が小さく震えはじめ、やがて震えが咳になる。けほ、けほと喉を震わす彼女の背中を軽く叩いてやると、やがて澄んだ赤色の宝石が、草の上に転がった。

 拾い上げる。ルビーかガーネットに似ているが、その判別はスプートニクにはつかない。だが――とても良い石だ、と思った。

 異物を吐き出してすっきりしたのか、まだ何か食べたそうにしている彼女に、もう一度マーマレードを掬って、今度はスプーンごと渡してやった。頬をちょっとだけ歪めて、またぎこちなく笑う。はちみつが入っているのか、琥珀色にきらきら光るマーマレードを受け取ると、少しずつ、大事そうにぺろぺろ舐め始めた。

 そんな彼女を横目に見つつ、スプートニクは今後の行動を考える。まずは街に戻り、医者と、それから自分の分の食事と。いやそれより、『連絡』を取るのが第一だ。あれの怒りは未だ収まっていないかもしれないが、背に腹は代えられない。そう思い彼は、鞄の中からレターセットを取り出した。

 子供。宝石を吐く。宛て先は、書くべきことはもう決まっている……




「スプートニクさん?」

 ――名を呼ばれ、は、と我に返った。

 目の前の影に焦点を合わせると、不思議そうなクリューの顔がある。いつの間にか思考の中に落ち込んでしまったようだ。とても――というほどではない、数年前の記憶。

 目の前にいる従業員クリューは、記憶の中に見た姿よりも幾分大きい。

 汚れのない頬、整った爪、相応の服装。……けれど、

「これ」

「えっ?」

 かぎ針を握ったクリューの手を取って、スプートニクはぽつり、と呟いた。

 指の付け根にできた傷。うっすらとしていてわかりにくいが、スプートニクはそれを見つけてしまった。かつての彼女の、引きつったように笑う顔を思い出す。けれど、

「あ、これですか。この間、お買い物のときにお昼寝してる猫ちゃん見つけたんですけど、撫でようとしたら引っかかれちゃったんです。でももう痛くないので大丈夫です」

「……なんだ」

 なんとなく、肩の力が抜けたような気分になる。それはそうか、もう何年も前のことだ。あの頃の傷がまだ残っているなんて、そんなわけが。

 すべてはあの馬鹿が妙なことを言ったせいだ。かぶりを振る。

「それより、あの。これ、見てください」

 けれどクリューは、スプートニクの懊悩など知ったことではないようだ。自分の「作品」の大きな穴を指して主張する。ぼんやり考えて、解決策はすぐに思いついた。

「あァ……そこな。まァ、石でも埋め込んだらどうだ」

「石?」

「合う色の宝石でも、後から縫い込んだらどうだ。傷が多くて売り物にならない奴なら、あとでくれてやる。縫い方も教えてやるし」

 と、クリューはほうっとため息をついた。

「宝石。素敵です」

「ならそこはそのままにしていいから、他のところはなるべく編み目を一定になるように編め」

「はいっ」

 どうやらスプートニクの提案は、彼女の気に召したようだ。鮮やかな笑みを浮かべて、大きく頷く。一点の曇りのない笑顔。

 ――けれどそこに、

「クリューばっかずるい!」

 口を挟んだのはルアンだ。

「宝石入ってたら本物の指輪みたいになるじゃん! えこひいき! えこひいきだ!!」

「ひいきされたっていいでしょっ。スプートニクさんは私の雇い主なんだからっ……あっ今は雇い主だけででも将来的はえっとそのっ」

「とにかくずるいんだよ! 親でも雇い主でもなんでもいいけど!」

「よ、よくない! なんでもよくないもん!!」

「あァ、ったく、わかったわかった」

 噛みつくルアンと頬を膨らませるクリュー。どこが贔屓に当たるのかよくわからないし、銅貨一枚で宝石までくれてやるのは上手くやられているような気もしないでもなかったが、子供同士やかましく喧嘩をされるよりはよほどいい。片手を振った。

「あとでお前にもくれてやるよ。どんなのがいいのか決めとけ」

「ありがとう! わかった!」

 そのやりとりに、また「良かったね、ルアンくん」とふわふわ笑うクリュー。先ほど喧嘩になりそうだったことは早くも忘れている。ルアンはそれに、やはり笑顔で「おう」と答えて――それから。

 手を膝の上に置き、拳に力を入れた。

「ち、ちなみにだけど、イラージャさんは、どんな宝石が好きとかって、ありますか」

「宝石? ううんと、どれもみんな素敵だなと思いますけど……」

 ルアンのまったくさり気なくない――ただ本人たちは気付いていない――調査に、イラージャは視線を虚空へ向ける。好きな宝石。

 やがて何に思い当たったのか、白い頬を少しだけ赤く染めて、ぼそぼそと答えた。

「……ペリドットとか、素敵ですよね」

「そっか!」

 しかし想い人が何を『想って』いるのか知る由もないルアンは、頬を綻ばせ元気よく返事をした。ルアンが上機嫌に作業に戻った横で、イラージャが「あの」と小声で言う。

「お金は出しますから……」

「あァ、いい、いい。お前にもくれてやるから、好きなのを作ればいい」

 頭を下げ、ありがとうございます、とか細い声で言った。――まったく。

 子供らの恋模様など眺めながら壁に寄りかかり、スプートニクは改めて、過去の自分に思いを馳せる。

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