3-1
恋をすると人は馬鹿になる、という。
であるなら初恋とはどれだけ人を駄目にするものか。――目の前の惨状を見ればそこに、答えはあった。ぱくぱくと金魚のように口をゆっくり動かして、やがて止まったかと思うと今度はうろうろと陳列棚の周りを歩き始める。親を呼んでやろうかと思ったが、やめた。そこまでしてやる義理もないし、ルアンはきっとそれを望まないだろう。幸いにも今日は店は休業で、客が来るわけではない。
一方。――ソアランを見ると、足を組み楽しそうにルアンを見ていた。その様子は大変に気楽そうで、もしかしたらコークディエにいるときより気を抜いているのではなかろうか。
どうでもいいことが一つ気になって、どうでもいいと思いつつ、尋ねる。
「ってか、なんでお前フード被ったままなの」
「ん? 念のためだよ。この街には、『リャン』の顔を知っている人がいるだろう」
「成程な」
コークディエの人間が夜な夜なリアフィアットで飲み歩いているなどということがあるわけがない。その不自然さを懸念したのか、それともそもそも『リャン』が魔法使いであるということが知れ渡ること自体を厭うたのか……その辺りまではわからなかったが、スプートニクにはそれこそどうでもいいことだ。
スプートニクは三つ折りの手紙――勿論『はずれ』ではない方――を取り上げた。
「それから。これは貰っていいんだな?」
「入り用なら持っていきたまえ。ただし、くれぐれも外部には漏らさないでおくれよ」
「わかってる」
さて、どこからか『外部』になるのやら。スプートニクは空とぼけた気分でそれを受け取ると、スラックスのポケットの中にねじ込んだ。
「それから」
もう一つ、聞くべきことがある。
笑った口元が「なんだい」と問いを返した、――それを遮って。
「なっ、なんだぁ!」
唐突に、裏返った声がした。
スプートニクではなく、ソアランでもない。まだ子供の声の出処は、考えるまでもない。
「うん?」
「なんだと思ったら、ふ、普通の人間の女じゃねぇか! びっくりして損した、ただの、普通の女の子、だった! 普通の! 全然可愛くなんかっ、ふ、普通の!」
と、叫べる程度には意識を取り戻したようだった。
スプートニクも、今でこそ異性に慣れたが、そういう態度を取りたくなる子供心はわからないではなかった。女なんぞに心乱されてたまるか格好悪い――そういう気持ち。
かく言うルアンの顔は赤く、声は震え、目は潤んでいる。そういう年頃なのだろう、なんとか頑張って平静を装いたいようだが、生憎と言葉以外はどれを取っても散々だ。
口角泡飛ばしながら、下手くそなりに興味のないアピールをするルアンに、スプートニクは大きく頷いてみせた。
「そうかァ、可愛くないか。全然、興味もないか」
「あっ、当たり前だろ!」
「そうかーそうか、成程。ならばルアン少年よ、その上で一つ訊きたいんだがね。――なんで俺の服の裾握ってんの?」
――と。
まるでそれを聞いてもらえるのを待っていたかのように、たちまち彼の目元が、ふにゃあ、と情けなく歪んだ。
そこから陥落までは早かった。言い訳を探し、けれど強がりなどもう何も思いつかず、「だって、だって……」と何度か繰り返し、そして。
「助けてくれよぉ、どうしたらいいかわからないんだよぉ!」
「そんなこた自分で考えろよ、俺は知らねェ。ほら今日は休日だぞ、出てった出てった」
ついぞ叫んだ言葉は悲鳴のようであった。が、構うものか。子供の色恋に真剣に相手をしてやろうと思うほどこちらの心は広くない。
けれどもう一方は違ったようだ。「まァまァ」などと言った。
「少しばかり相手をしてやればいいじゃないか。君、初々しかった頃の記憶を取り戻せるかもしれないよ」
「初心は忘れてねェつもりだがな」
「迷わず知人の首に刃物押し当てたりケーキに知人の顔面ぶち込んだりできる人の言う『初心』ってなんだろうね」
まったく、古いことをいつまでもグダグダ言う奴である。
ただそのあたりのことを論ずる気はなかったらしい。彼の方はルアンの相談に乗ることにしたようで、スプートニクの意思は無視して、すぐに話は本筋に戻る。
「手っ取り早く受け入れてもらうのなら、やっぱり贈り物じゃないかな。手紙とかつけてさ」
「即物的だな」
「女性に限らず、人間なんてたいていそんなものだろう。それこそ」フードの頭がくるり、と回った。どうやら店内を見回したようだ。「アクセサリーなんてどうかな。幸いにも、ここにはこんなに適当そうなものがある」
「!」
ルアンははっと目を見開くと、スプートニクを改めて見た。イラージャが天使であるなら、今度はさながら神でも見たかのような顔だ。こちらを見上げる少年のことを、腕を組んで見下ろし、ゆっくり深く頷いてみせる。
それから右手の親指と人さし指で丸を作ると、こう答えた――
「いくら出す?」
「がめついな君!」
ソアランが立ち上がって素っ頓狂な声を上げた。
「あのね君、さすがに子供にそれは」
「うるせェ。俺はこれでメシ食ってんだ」
ただで売り物をくれてやるなど、言語道断、商売上がったりである。こちらは慈善事業をやっているわけではないのだ、そんな噂を立てられたくもない。
だけどねェ、と納得いかない様子で呟くソアランよりも、ルアンの方が納得が早かった。ようやく見つけた糸口を手放したくないのか、もしくは何も考えていないのか、いずれにせよ一生懸命な様子で、
「か、金ならある!」
「ほォ」
宣言したルアンが、しわしわになったハンカチと共にポケットから取り出したるは子供用の財布。口を開けると、一気にカウンターの上に中身をひっくり返した。
財布からまず転がったものは銅貨。二枚目が一枚目に当たって、ちゃりーんと寂しい音を立てる。
続いて……
「直近で小遣いもらったのはいつだ」
「昨日……」
「いつどこで何買ってこんなことになったんだ」
「昨日欲しかったおもちゃ買って……」
続かなかった。
ルアンの現在の全財産は銅貨二枚。まさか親に「惚れた女に贈り物をしたいから金を貸してくれ」などと頼める度胸はないだろう。
さてこれで何の宝石が買えるやら――答えは言うまでもない。
無理は承知といった様子で、ルアンはスプートニクを見上げた。
「まけて……」
「いくらまけたところで銅貨数枚で売れる指輪はねェわな。普段から無駄遣いしてるからこういうときに馬鹿見るんだ、お前の母さんもよく言ってんだろ」
説教じみたことを一息に言ってやると、唇を横一文字に引いた。図星をつかれた、という表情。
「く、クリューにはただで作ってやってるじゃないか! ほら、イヤリングとか、指輪とかっ」
「それはほら、クリューちゃんは彼にとって特別な存在だからさ」
「馬鹿な言い回しをするな。あれはうちの従業員だぞ、させておけばいい広告になるだろう」
「馬鹿な言い回しかなァ」
「……何が言いたい」
「さァて」
口元の歪み方がたいへん腹立たしい。
しかし銅貨二枚しか持たない顧客へ宝石商がしてやれることなど、いったい何があると言うのだ……
「……いや」
一笑に付そうとした自身の思いを打ち消すものが、一つだけ、あった。銅貨二枚と引き換えに与えてやるが相当であったかどうかは忘れたが、そこらに陳列されたものよりは遥かに安価で、それに――
この方がきっと、子供には似合うはずだ。
スプートニクは、ニヤリと笑った。
「いいのがある」
■お知らせ
10月3日(土)に、『宝石吐きのおんなのこ』2巻が発売になります。
どうぞよろしくお願いします。




