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宝石吐きの女の子  作者: なみあと
Ⅵ 彼の想い
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2-5




 天使。

「……なんだそりゃ」

「一般に『神の御使みつかい』とされる存在のことだね。多くは羽を生やした子供の姿で伝えられ、主に一神教に見られる」

 腕を組み、ルアンを見下ろし呟くと、暑苦しいフードの中からそんな言葉がぼそぼそと返ってきた。言葉の意味くらい知っている、『天使』そのものの説明が欲しかったわけではない――そんなことはこの男自身わかっていただろう。けれどそれでも言ったのは、恐らくただの冗談か、悪ふざけか。

 横目で彼を見る。「なんだい」とでも言いたげに、口元がにっこりと笑った。だから。

「成程。ちなみにお前の信じるシューキョーには、天使とやらはいるのかね」

「魔法使いは『始祖様』のみを敬愛しているから、ある意味一神教とは言えるだろうが。ただ彼女は神ではないし、俺も天使を見たことはないね。それは、さて、信心の度合いの問題かもしれないが」

 皮肉に皮肉で返してやると、更にそんなことを重ねられた。

 皮肉なのか、それとも魔法使い一般を言ったのか。それはわからないけれど、なんにせよ論点はそこではない。鼻から長く息を吐いて、スプートニクは改めて、目の前に立つ少年を見た。

「何が天使だ。どうせまた悪戯して親に叱られたから一緒に謝りに来てくれって話だろう、正直に言え。絶対に嫌だとこちらもはっきり答えてやる」

「ち、違う!」

 彼の母親は資材屋で従業員として働いているからスプートニクも知っている。向こうもスプートニクを知っていて、見目の悪くない彼を見るたび「目の保養」とよく笑っていた。

 また、ルアンも母親がスプートニクのことを悪く思っていないことを知っていて、母親が怒り心頭のときはスプートニクに仲介に来ることは珍しくなかった。だから今回も、それかと思ったのだが。

「今日は違うんだ! 本当に、本当にっ」

 拳を振りながら語るルアンは、意地になったときのクリューに少しだけ仕草が似ていた。

 となると、彼が何かを見たのは間違いないのだろう。天使――

「羽の生えた女か。……金になるかな」

「君って本当思考が駄目だよねェ」

 ソアランの呟きは無視。

 その会話に、ルアンは首を傾げた。

「や、羽は生えてなかったけど」

「なんだ、じゃァただの人間の女じゃないか」

「だけど、すごくきれいだったんだ。あんなきれいな人初めて見たから、びっくりしたんだ、俺。笑顔もきれいで、髪の毛もきれいで、不思議な服着てて。だから神様か、天使かと思った」

「で、それでなんで俺のところに来たんだ」

「成程つまりそこの少年は、『このあたりで見知らぬ女と言えば君が関係している』と。いい判断だ」

「人聞きの悪いことを言うな」

 含み笑いで横から茶々を入れてくるのが大変腹立たしい。

「まぁスプートニクさん、よく知らない女の人連れて歩いてるけど。でも今日は違う」

「…………じゃ、なんでうちに来たんだ」

「だって――」

 ルアンは、言いかけた言葉を切った。それは恐らく、たんた、たんた、たんた、と、小気味いい音が聞こえてきたからだ。『従業員専用』の奥、天井近くから、下りてくる音。

 音は二種類。あとに続く方が少しだけ、重い。

 鳴りやんで少しして、やがて戸が開く。

「あれ、ルアンくん、来てたんだ。いらっしゃい」

「……来てたら、悪いかよ」

 見知らぬ女のことが気になってやって来た、なんてことはやはり、同年代女子には言いにくいのだろう。不貞腐れたようにそっぽを向いて、ぼそぼそと答える。けれどそんな態度を微笑ましく思えるほど、クリューも老い成ってはいない。彼女の右側の頬だけが、ぷうと膨れた。

「誰もそんなこと、言ってないでしょ。またおばさんに怒られたの? 悪いことはしちゃだめだよ」

「ちっげ――」

「お客様ですか?」

 と。

 むきになって言い返そうとしたルアンが言葉を切ったのは、クリューの頭一つ上から、ひょっこりと顔を見せた人がいたからだ。

 首が傾いたせいで、長めのプラチナブロンドが、栗色の髪の上に少しだけ落ちている。ローブはクリューの部屋に置いてきたのか、普通のワンピースになっていた。

 イラージャ。なぜか腕に熊のぬいぐるみを抱いている彼女は、緑色の瞳をぱちくりと瞬きさせて、自分より幾分小柄なその少年を見た。見られたルアンがどんな顔をしているのか、スプートニクの位置からはわからなかったが――クリューは嬉しそうにイラージャを見上げた。

「あ、イラージャさん、ルアンくんと会うの初めてですよね。私のお友達で、この街に住んでる、ルアンくんです。ルアンくん、この人はイラージャさんって言って、コークディエ市に住んでるお友達なの」

「はじめまして。私、イラージャと言います。どうぞ仲良くしてくださいね」

「………………うん」

 微笑みながら言われた言葉に、ルアンが返した――返せた応えは、消え入りそうな声だった。きっとここに母親がいたなら、「ちゃんと挨拶しなさい!」などと小言を言っただろうが、場合によっては拳骨の一つも落とされたかもしれないが。

 けれどここにいる誰もが、そうはしなかった。スプートニクとソアランとは、恐らく女性二人とは、また違う意味合いがあって。

 微笑まれ、動きを止めたルアンへ、クリューはさほどの興味は示さなかった。

「あの、スプートニクさん。ちょっとエルサさんのところ、行ってきてもいいですか」

「いいけど。何しに行くんだ」

「イラージャさんがまーちゃんをすごく気に入ったって言うので、作り方を教えてもらおうかと思って」

 まーちゃん、とはイラージャが今、腕に抱いているぬいぐるみの名前だ。喫茶店カフェフィーネの双子――エルサの弟たちが作ったぬいぐるみで、大変にふかふかしているとかなんとか。

 以前クリューがスプートニクへ「この子の名前をつけてください」と言ったから、熊だし『くー』と名付けてやったら嫌がったので、ならばと下一文字を取ってやったら、今度は納得したらしい。暇に任せて作ってやったパーカーと合わせて、気に入っているようだ。

 愛おしそうに「ふかふかで、ぎゅーってすると可愛くて」と抱きしめたイラージャに、こちらに背を向けたままのルアンの肩がびくりと震えた。さて何を想像したのやら、敢えて考えないでやるのは同じ男としての情けである。

 けれど友人のそんな異変に気付かないクリューは、許可が下りたことにただはしゃいだ。

「やった。行きましょう、イラージャさん」

「あの、ソアラン様」

「行っておいで。ただ、できるだけ、『身分』は隠しておくようにね」

「はい」

 こっちです、と、一人と熊のぬいぐるみを引き連れながら出て行くクリューを見送って。

 ――さて。見やるとフードの首が、少年を向いていた。つられてスプートニクの首も動く。。そして吐かれた言葉は、どうも気が抜けていた。

「異性への憧れか。君にもそんな青い時期があったかい?」

「なくはなかったが、早々に打ち砕かれた記憶はあるな。お前はどうだ」

「奇遇だね。俺もだ」

 お互い碌な人生を歩んでいないことだけ再確認。

 そうしてから、スプートニクはそこで固まっている少年の名を呼んだ。

「ルアン」

 動かない。

 スプートニクは考えていた。街で見たという『天使』のことを話しに、この店に来た理由。それは、女性の扱いに長けたスプートニクに助力を請いに来たとか、そんな理由ではなく、もっと単純明快な理由で。

 ――その『天使』が入っていった場所が、単純にこの、スプートニク宝石店だったからだ。

「ルアン」

 なるべく穏やかに名前を呼んでやると、ルアンはゆっくりとこちらを振り向いた。泣きそうに目を潤ませた彼は、耳まで真っ赤にしていて――

 スプートニクとソアランは、顔を見合わせると、ほぼ同時に呟いた。

 それは奇しくも、まったく同じ一言だった。

「若いなァ」





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