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彼の訪問理由には、なんとなく予想をつけていた。そもそも、あることの調査をしろと先日命じたのはこちら側だ、予想できないわけではなかった。
けれど。本当なら、部下を連れ立って直々に訪問してきたというところで気づかなければならなかったのだ。結論から言えばその『予想』は、まるきり外れたことになる。
「まずは、これを」
言ってソアランが懐から取り出したのは、一枚の白い用紙だった。
「書類? なんだ」
「いいから、見てくれ」
三等分に折られているが、一番上になった三分の一が他より幅を取れずに終わってしまっているのは、折った人間の性格が透けて見えるようだ。机の上を滑らせるようにして渡されたそれを、摘んで取り上げる。
開いてその中身に目を落とし、数秒。
――瞬間、書類がカサリと音を立てて、スプートニクは我に返った。
風でも吹いたろうかと思ったがそうではなく、実際には自身の手が知らずのうちに握りこんでいたようだ。
開くとそこには、たいそう短い一文が躍っていた。姉から届いた手紙より遥かに、短かった。
『はずれ』
「辞世の句を聞こうか?」
目の前の男のローブの胸元をねじり上げながら、スプートニクは割と穏やかな心持ちで囁いた。
「イヤちょっとした冗談のつもりで」
「お前、相当俺を舐めてるだろ」
「イヤ君なんかよりどっちかっていうとクリューちゃんの方を舐め回したゲフゥ」
「言い忘れた。歯ァ食い縛れ」
「忠告遅っ……」
至近距離で振るった拳は綺麗に顎に入った。患部を押さえてその場に頽れるが、力はもちろん加減している。骨や歯がどうにかなるほどではないだろう。
こちらに背を向けソファにうずくまり、「ほんものはこっち」と聞き取りにくい声とともに差し出された手には、同じように折られた書類が握られていた。スプートニクはそれを、半ば奪い取るように受け取る。こちらも上になった三分の一が、他より広い。
中を見たスプートニクは、瞬時にいろいろな感情を覚え、いろいろなことを思った。けれどそれは先ほどと違って、呆れでも、怒りでもなかった。
書類の中央には、知らぬ筆跡で、やはりただ一文だけが書かれていた――
「……どういうことだ?」
「うん」
自身の声から困惑を消せなかったことを、失態と思った。しかし今度の彼の返答には冗談の気配も、また、スプートニクの失態を嘲笑うようなしぐさもなかった。こちらがそいう反応を返すことを見越してでもいたというのだろうか、小癪な。
クリューが置いていった茶を、砂糖を入れずに一口、おそらくは唇を湿らせるためだけに啜る。そうしてから、彼は続けた。
「おそらく君は俺の今日の訪問を、俺の婚約者の話をするためだと思ったろう。だけど――すまないけれど、それは、この後にさせてもらえるかな。ちょうど君からその依頼を受けたと同時、俺は上から、その命を受けていた」
魔女協会コークディエ支部副支部長 ソアラン殿
以下の人物の極秘調査を命ずる。
リアフィアット市 スプートニク宝石店店主 スプートニク
彼が腕を組み、首を後ろに反らすと、フードの下からかろうじて瞳が覗いた。オリーブグリーンはスプートニクの目の前に広げられた文字へ、軽蔑するような視線を向けていた。
こちらをきっちり三等分にできなかったのは、もしかしたら先の理由だけではなく、単に折り手が動揺していたのかもしれない、などと問題解決の糸口になど到底ならぬことを思いながら、スプートニクは問うた。軽口を返す余裕はなかった。
「何故、俺に疑いが向いた?」
クリューではなく。というのを言ったわけではない。ただ、気づいただろう。
次の瞬間、彼の唇が言葉を紡ぐのとは少し別の形で動いた。ため息をついたようだ。
「君は妙なところで迂闊だ」
「あ?」
「『魔力を自ずから収着させる』君はあれの説明をするとき、俺にそう語ったね」
喧嘩を売っているには、やや穏やかすぎる口調だった。
「フィーネチカに、あの石を持って行ったのかな」
そしてその一言だけで、言いたいことはすべて知れた。
顔色が変わる――ほど自身が動揺したようには思わない。けれどその言葉から受けた衝撃をすべて受け流せたとは、表に出さずにいられたとは、スプートニク自身思わなかった。
その憶測は間違っていなかっただろう。けれどソアランはスプートニクのことを責めるではなく、ただ淡々と、事実を語った。
「あの街で君らを狙ったあいつらはまったく、面倒な発言を繰り返してくれる。今度は『フィーネチカにおける魔法の発動に違和感があった』だと」
「それは」
それの原因は。
確かにあのとき、魔法使いに襲撃されたとき。彼は一つの『特殊な加工がされた』宝石を、ポケットの中に仕込んでいた。極力使わないようにと思ってはいたが――彼らの訴えた『違和感』とはつまり。
けれどソアランは軽薄な様子で肩を竦めた。わかっていてなお、そうしたのだ。
「まったくふざけた言い訳をして、裁判を長引かせようと企んでいるとしか思えない……というのが大多数の意見だったよ。始祖様のご加護を疑うのか! と怒鳴りつけた裁判長を横目に俺は、笑いを堪えるのに必死だった」
「…………」
「それで頑張って、頬の内側の肉噛んで堪えたんだけど、おかげでそこが口内炎になったよ。見る?」
「…………」
「ほら。ほら。ここ、ここ」
「見たかねェから黙って座れ」
口の端を人さし指で引き、ソファから身を乗り出してくるソアランを避けるよう、背もたれに仰け反る。スプートニクにそれを見る気がないと知ると、彼はやれやれとでも言いたそうにソファに座り直した。
「それに彼女らが答えたことをざっくり要約して教えてあげよう。始祖様を疑ってなどいない。だが確かに、何か、違和感を覚えた。ならば。――『あの宝石商が何かをしたに違いない!』」
一拍……二拍。三拍置いて、ソアランは続けた。
「……話は少し横道にそれるけれどね、スプートニク。あの石は、魔法使いにとっては大変危険なものだ。我々が生まれながらに持ち、絶対と信じるものをすべて無効化する武器だ……あってはならぬと考えるものだ。もしその存在が公になれば、協会は黙ってはいられない」
くれぐれも、魔女協会には内密に。
いつぞやにそう言われたことを、忘れたわけではない。
「持つなとも、使うなとも言わない。だがね、使うのなら、敵を殺すつもりでやりたまえ。君、人を殺した経験は?」
「ある、と言えば納得するか」
「あァそうなのか、と思うだけだよ」
涼やかな顔で言うのがたいそう憎らしい。それはスプートニクを侮っているわけではなく、目の前の人間が人を殺していたところでさほどの衝撃を抱かない人種であるだけだ。
この男は。人の死を、知っているのだ。
「それで? そう言ったその魔法使いを、お前らは、どうしたんだ」
「皆、呆れた言い訳だ、と思った。だがそれに、乗った奴がいた。その発言を魔女協会への大義名分に使い、裏から非公式に宝石商会を探ることで、弱みを、或いは情報を握り、宝石商会よりも優位に立ちたいと思った奴がいたんだよ」
「何故」
「それを君が聞くのかい? 商人の、君が」
確認の意を込めて、尋ねただけだ。旨い取引の最も簡単な方法は『相手の足元を見ること』――そんなことは、聞くまでもなくわかっている。
「調査の結果は?」
「野郎の身辺調査ほど面白くない調査依頼ってないよネー……冗談だよ。だから怖い目するのはやめてくれないかなすみませんやめてくださプェ」
逐一話の腰を折る奴である。
ビンタを受けた頬を抑え、暴力反対、と嘆く彼の目の前で、拳の関節を鳴らして視線を向けてやると、あっさり黙った。しばらく黙ってから、また口を開いた。
「俺たちは君の調査と同時に、君のバック……宝石商会の方にも調査を入れた。無論、あちら側に許可など取らずにね。君の方は以前俺の方で調査をしたことがあったから――調査をしてシロであるという結果を作り上げることができたから、今回も同様にやればいいとそれほど懸念はしていなかった。が、宝石商会の方は未知数だ。何が出てくるかと内心俺もヒヤヒヤしていたけれども、いや、天晴れだ。宝石商会における君とその周辺の情報に関しては、いくら探っても埃一つ出てこなかったよ」
肩をすくめる彼に、安堵は覚えなかった。むしろそうなったのは当然と言えよう、何せ、こちらの後ろにいるのは『あの女』だ。
「なんとかするから」説明不足ながら不安だけを煽ったあの手紙はきっと、魔女協会から伸ばされる手を上手いこと潰すのに忙しかったのだろう――もしくは、裏から探りを入れるなどという非礼を働いた魔法使いたちへどのように意趣返しをするかを考えるのが楽しくて、こちらを後回しにしたのかもしれない。あれは、そういう女だ。
「そうこうしているうちに宝石商会の方がこちらの挙動に気付いてしまって、警察局と宝石商会から連名で、正式に抗議を受けてしまったよ。そこをどう誤魔化すかに一番骨を折った。まァ、調査結果がどこからどう見てもシロ、何一つ実りのある情報はなかったことで、俺も上に文句を言いやすかったがね」
「……で?」
そこまでであれば、めでたしめでたし、で終わりだろう。
しかしそうはならない何かが、彼の口調にある。先を促すと彼は、フーッと長い息を吐いた。
「そのせいで、恨みを買ったのだろうか。あれ以来、妙に視線を感じる」
視線。
「いつかも同じことを言っていたな」
「今度は『表』の顔の話だよ」
ソアランは肩から力を抜くと、「参ったね」とでも言いたそうに、フードの上から軽く頬を掻いた。
「だから伝えてほしい。我が組織が非礼を働いてすまなかったと。大変な失礼をしたが、『少なくとも、俺は』君らの敵ではないつもりだと。で、そろそろ勘弁してくれないか? と」
成る程。
ファンションの調査を頼んだ対価として、その依頼を飲むのはあり得ない取引ではない。が、あの姉が上手い具合に引いてくれるかどうか……そんな可能性を消せず、答えは適当に濁したつもりだったが、彼はそれを了承と取ってしまったらしい。にっと笑って「感謝」と言った。
「今日は、そのことを話すために来たのか?」
尋ねる。
と、ふとソアランの、口元が歪んだ。笑ったようにも見えた。
「先ほども言ったように、表向きは『謝罪』だ。怒った宝石商会の怒りを解くための謝罪行脚の一環さ」
「成程。なら、『裏』は」
「うん、それは確かに『これ』だ。それから、もう一つ」
「もう一つ?」
まだ何かあるのか。――しかし。
その瞬間、彼らの会話は唐突に終わった。
――カランカラン。
店のドアベルが鳴ったのだ。
鍵こそ開けたが、扉には『閉店』の札をかけているはずだった。なのに誰が? 二人の視線の先で、入口扉が開いていく。急用か、それとも。
しばし後に覗いた顔は、スプートニクの予想していたより、幾分か下の位置にあった。それは扉に縋る格好のまま、店内をきょろきょろ見回した。スプートニクと目が合うと、驚いたように肩を震わせる。
そしてやはり震える唇で、震えた声を発した。
「……あ、あの」
「ルアンじゃないか。どうしたんだ」
名前を覚えていたのは、たまたまクリューが昨日彼らと遊んでいたからに過ぎない。彼は、リアフィアットに住む子供だ。クリューの友人の一人で、よく雑貨屋の娘アンナと三人で、賑やかに言い合いをしている。ともかくその少年が、今、客としてやってきていた。
しかし様子がおかしい。唇を横に引き、視線をあちこちに彷徨わせるのは、クリューが物言いたそうにするときの仕草と同じだ。ルアンという子供は、もう少し荒っぽくものを言う性格だったように記憶している。資材屋の従業員として働く彼の母親が、「家の手伝いを頼んでもすぐにいなくなるのよ、あの子は!」と従業員仲間に愚痴を言っていたのを聞いたこともあるし。
その彼が、何かを窺うように、佇んでいる。
「何かあったのか」
「スプートニクさん、俺、……見たんだ」
「何を?」
「…………」
ソアランを見る。彼は変わらずフードを被ったままだ。しかし今のルアンの様子が、彼の差し金でないことはすぐ知れた。スプートニクの視線を受けた彼がすぐさま、かぶりを振ったからだ。
ルアンの頬が赤く染まる。スプートニクが、おや、と思うと同時、ルアンが言ったことは、それもまた予想外の言葉で、どうも今日は勘が当たらないなとため息をつくことになる。
真っ赤なルアンの声は、まるで勢いを無理やり押し殺したようで、少しだけ、掠れていた。
「俺、見たんだ。……て、天使を!」




