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「わぁー……」
バスケットを開けてクリューはまず、感嘆の声を漏らした。
いつものことだ。これは弁当を食べるときいつも、まず「これが入っている」「あれがある」と喜んだあと、不意に無言になる。きっとそれは、苦手なものを見つけた反応なのだろう。
今回も今回とて、添え物のニンジンに気づいてふと彼女の表情が曇った――と同時、背後から聞き慣れた声がした。
「こんにちは」
「どこにでも出てくるなババァ。ゴキブリか?」
「こんにちは、『クリューちゃん』」
先手必勝、親愛の挨拶――とスプートニクが思っているもの――を返してやる。と、リアフィアット支部所属の警察官ナツは、口元を引きつらせながら低い声でそう言い直した。
しかしナツのそんな小さな変化など、鈍感もといおおらかなクリューは気付かない。バスケットから顔を上げ、そこに佇んでいるのが顔見知りの警察官と気付くと彼女は、たいそう嬉しそうに笑って挨拶をした。
「こんにちは、ナツさん!」
「今日は、お弁当持って遠足? 楽しそうね」
「そうなんです、スプートニクさんに連れてきてもらって。……あっ、でも、で、デートじゃなくてですね、あの、うふ、デートに見えてもいいんですけどね、でも本当にデートじゃ、は、恥ずかしいっ」
「綺麗なお花、たくさん見てきた?」
「あっ、はいっ」
一丁前に恥じらいなどというものがあるのか、頰に手を当て左右に体を振るクリュー。
しかしナツとしては二人がどう見えるかなどどうでもいいことだったらしく、そう振ってさり気なく話を変えさせる。と、はっと驚いたような表情をした。
大きく頷いて、先ほど覚えたばかりのことを披露する。
「あの、あの、お花はええと」
「うん」
「三分の一が」
「うん?」
「ええと」
沈黙。のち、
「三分の一なんですよ!」
「うん?」
忘れたらしい。
何事? とばかりに視線を向けてくるが説明するのは面倒くさい。肩を竦めるジェスチャーで「ほっとけ」と伝える。
クリューはと言えば、具体的な説明はできずとも取り敢えず話せればいいのか、身振り手振りを交えて見知ったことをあれこれナツに伝えている。それをまた、うんうんと頷いてくれるのもまた、上機嫌に拍車をかけているのだろう。
「ええとええと、それからですねっ」
しかし。
俯いた瞬間に、はた、と喋りが止まる。どうやら視線の先にあるものを思い出したようだ。
「それから……ええと」
高まったテンションが急速に収束していくのは、会話の楽しさと『それ』の魅力の間で葛藤しているのだろう。
ええと、ええと、と、ナツの顔と『それ』を何度か交互に見て。
やがて。
――涎が垂れた。
「あの、あの」
「ん」
「なぁに?」
「……い、いただきます」
「はいよ」
「召し上がれ」
二人の許可を得て、迷うような、神妙な顔つきがようやく消えた。ようやく『それ』――バスケットの中に手を差し伸べる。
クリューがまず一番に掴んだのは、端に添えられたミニフルーツタルトだった。一気に半分ほどを口に入れ、心から嬉しそうな笑顔でもっちゃもっちゃと食んでいる彼女を見ながら、何とはなしにナツが言う。
「好きなものから先に食べるのね、クリューちゃん。なんとなく意外だわ」
「昔からそうなんだよな、コイツ。弁当のときはまずデザートから食うの」
「へぇ」
「昔、好きなものだけ最後まで残してるこいつの皿からよく『残すなら食ってやるぞ』ってかっさらってたのが何か関係があるのかはわかんねェけど」
「主にアンタのせいじゃないのよ」
心外である。否定はしないが。
「また面白い顔するんだよなァこれが。ぱかっとデケェ口開けて、何が起きたかわかんねェって顔すんのマジ面白ェ」
「子供いじめて楽しい?」
「楽しいとは言ってないだろ」
面白いだけだ。
だがナツの冷ややかな視線は収まらず、鬱陶しくて、逃げるように自身のバスケットを開けた。
中身は、サンドイッチとサラダと魚料理、いくつかのフルーツ。どれもクリューの弁当より少し大ぶりにできている。そんな中、クリューのものと同種のタルトが入っていることを目視で確認してから、スプートニクはぽつりと言った。
「まァ、そのせいか、強かに育ったよ」
「強か?」
「すぐわかる」
ナツの視線の動きにつられて、スプートニクもクリューを見る。よほど腹が減っていたのか、二人の会話はほぼ聞いていないようで、小動物のように一生懸命むちゃむちゃ食べていた。
「そうそう、今日のこと、エルサから聞いたわよ。クリューちゃんにサービスしてあげてるんですって? たまにはいいことするじゃない。褒めてあげる」
「そりゃどォも」
これの言い方はいつも、褒められている気がしない。
「で、なんの用だ。用がないなら帰れ」
「そう、それがね――」
「あの、あの」
と。
用件を言いかけたナツを遮ったのは、弁当に集中していたはずのクリューだった。見ればすでに、自分の分のタルトをたいらげている。
「どうした」
尋ねると、クリューはちょっと迷ってから、おずおずと口にした。
「スプートニクさん、タルト……残してます」
「うん? あァ」
残しているも何も、まだ弁当に手すらつけていないのだが。
とはいえこれも、いつものことだ。だからこの時点で、すでに彼女の言いたいことはわかっていた。けれど指摘をすることなく、ただ曖昧に返事をしてやると、クリューは我が意を得たりと身を乗り出してくる。
「あの、えっと、ごはん残しちゃうの、良くないです。ごはん残すと、エルサさん悲しみますよ」
「そうかー。だけど今日は俺、タルト食いたい気分じゃないんだよなー困ったなァ」
ナツが何かに気付いたらしい、物言いたそうな視線をスプートニクへに向けた。
が、いちいち相手にするのも面倒くさくて、気づかないふりをする。
「じ、じゃあ、その、良かったらなんですけど、それ、そのタルト、私が食べてあげましょうか?」
「お前が? いやァでも、さすがに俺の残り物食わすのは悪いなァ」
「わ、悪くないです。スプートニクさんのために、私、頑張ります……あ、いえ、あの、べ、別に私が食べたいからじゃないですよ。スプートニクさんが困ってるから、仕方なく貰ってあげるんですよ?」
と言いながらも、視線はちらちらスプートニクのバスケットの中を覗いているし、手はさりげなくスプートニクのバスケットのふちに添えられている。だから、だからとねだるクリューの必死さがおかしくて、つい笑みが漏れた。
「わかったわかった。自分の分残さず食えたらくれてやる」
「はいっ」
「ニンジンもな」
「…………はうぃっ」
了承し難い心がどこかにあったのだろう、返事は少しぶれた。
こういうとき、クリューは素直に「ください」とねだらない。スプートニクは正面から『お願い』したところで応じる人間ではないと思っているようで、いつの頃からかこういう搦め手――とおそらく本人は考えている――を使うようになっていた。とはいえわかりやすい彼女の『演技』は、いつまで経っても成長しない。
腕組みをして、そんな二人のやり取りを見ていたナツは、こんなことを言った。
「アンタ意外と、クリューちゃんのこと甘やかしてるのねぇ」
「甘やかしてねェよ。ていうか、どうしたら満足なんだ、お前は」
「ううん。結局はアンタのやることなすこと気に食わないのかしら」
「ざけんな」
もとより好かれようとは毛頭思っていないが、世間話のような口ぶりで吐かれる毒にはつい反応してしまう。
「用件ねェならさっさとパトロールでもなんでも行けよ。何なんだ、一体」
「用ならあるわよ、ちょっと困ったことが起きそうだから、忠告しに来てあげただけ」
「困ったこと?」
「ええ。それがね――」
しかし。
言葉はまたしても、遮られた。
今度は、道の方から。ガタガタと車輪が行く音と馬の闊歩する足音と、それから――
「あっ、クリューさん!」
「えっ?」
唐突な呼びかけに、驚きの声を上げたのはクリューだった。
スプートニクの視界の隅で、クリューとナツがそちらを向く。が、彼は二人と同じ方向を見るより先に、ポケットにねじ込んだ手紙を急いで抜き取った。――彼女の名を呼んだ、声に覚えがあったからだ。
その声は、ナツはもとよりスプートニクとクリューにとってもそれほど聞き慣れたものではない。この街の誰かのものではない、けれど聞き覚えのあるその声は。そしてそれから連想されるものたちは。
雑な手つきで封を切り、二つ折りの便箋を開く。
中央に、たった一行。
速達の名にふさわしい、『姉』の急いだ筆跡は、たった一行、こう書いていた。
なんとかするからなんとかしといて
「……管理局にね。魔法使いが来たのよ、『また』」
ナツが言った。今度は誰にも、遮られることはなかった。
それには何も答えず、スプートニクは馬車を見た。プラチナブロンドの娘が、窓から身を乗り出して手を振っている。名を呼んだのは、あの娘だ。
だがそれだけではない。窓ガラスの向こう、馬車の中にもう一人、黒いローブを着た人が座っているのがわかる。
その影に向けて、スプートニクは嫌悪を隠さず舌打ちをした。
「今度は何しに来やがった、あのド変態」
それも珍しく、真正面から。
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