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不折のクラウ・ソラス

さよなら俺の初恋

作者: 彩文


 人々を守る高潔な騎士に、一体何人の人々が憧れを抱くだろうか。憧れるのは子供だけでない。きっと成人した男も憧れていることだろう。しかし、望む者が多ければ門は狭くなる。望んだからといって騎士になれるわけではない。少なくとも、国王の直属の騎士団……天晴騎士団の一員になるのは、容易ではなかった。

 温暖な大陸と緑豊かな土地に恵まれたヴァルム大陸に根付くルチレーテッド王国、その王都セレスタイトには、二つの騎士学校がある。一つは貴族の子や騎士の子が通うような、"上流階級のための"騎士学校。もう一つは平民の子が通うような"下流階級のための"騎士学校。騎士を夢見る若者はみな、前者の騎士学校を志望したが、とても払いきれない学費の前にうなだれる者が殆どである。だから後者の騎士学校には人々が集う。人々が集うから切磋琢磨しながら競い合う。だから、伸びる。

 後者の騎士学校にこそ、拾い上げるべき人材が眠っているものである。



――――


「クラス企画の演劇のアンケート配りまーす」

「ワーナーを王子役に一票!」

「ガードナーに白タイツを履かせろ! ってことでガードナーを王子役に一票」

「王子じゃなくて騎士でしょう。口答じゃなくてアンケートに答えなさいよ」

 六年制騎士学校の五年A組(十八~十九歳)は文化祭のクラス企画で演劇をすることに決まった。農民から騎士になり、愛する姫を守り抜いた騎士と姫の恋物語の童話『フロワとダリルワルド』をやるということもほぼ同時に決まった。

 貴公子然とした金髪碧眼の美少年ランドルフ・ワーナー、ぼさぼさの亜麻色の長髪と目深に被ったニット帽が特徴的な荒っぽい少年アレクサンダー・ガードナー。ご指名を受けた当の二人の反応はまるっきり違った。ランドルフは目を輝かせ、アレクサンダーは文化祭委員の女子生徒をぼんやりと眺めながら他人事のように構えている。

「アレク、アレク。俺騎士やりたい」

「勝手にやってろよ。どっちが白タイツ似合うかなんてみんなも解ってんだろ」

「騎士だから白タイツとは限らないけどな」

「潔く全身白タイツ着てろ」

「残念ながら俺はそんな潔さは持っていないんだなァ」

 ランドルフは笑いながら配られたアンケート用紙の騎士役の記名欄に自分自身の名前、ランドルフ・ワーナーと書く。続く役名は姫、悪の皇帝、姫の従者、モブ敵、などなど。

 ランドルフは童話『フロワとダリルワルド』が大好きである。騎士に憧れを抱くようになったのもこの童話のおかげといっていいかもしれない。姫に救われた恩を返したいと、農民でありながら剣術を磨き、都会の騎士学校に入り、騎士に上り詰め、死ぬまで姫の身を守った騎士ダリルワルド。騎士ダリルワルドが自分を救ってくれた姫に惚れている辺り、この童話はいわゆるミンネで、内容からしてどちらかと言えば女の子向けだが、一人っ子であるランドルフしかいないワーナー家に何故か置いてあり、読んだランドルフは見事に惹きつけられたのだった。

 大抵の女の子は、王子が迎えに来てくれる姫に憧れる。それはつまり、自分を迎えに来てくれる王子に憧れるのと同じことだ。しかしランドルフは、姫のそばに行くことすら許されない身分を変える努力をしてそのそばに行き、惚れた女性を守ろうとする騎士ダリルワルドに憧れた。たとえ、それがミンネ……報われぬ愛の形となってしまっても。

 明らかにやる気のなさそうな親友のアレクサンダーの名を悪の皇帝役に記し、ランドルフはペンを置いた。当のアレクサンダーのアンケート用紙の王子役記名欄にはランドルフ・ワーナー、姫役記名欄には文化祭委員である女子生徒……プリムローズ・ボールドウィンの名が記してあったのだった。


――――


 "下流階級のための"騎士学校、ローランド騎士学校ではランドルフとアレクサンダーはそれなりの有名人である。騎士学校での成績は学業と実技(剣術か槍術)によって割り出される。五年生の成績上位者ツートップ、つまり文武両道な上に、貴公子然とした美少年と"ちょいワル"な男前少年という目を引く容姿をしているからだ。特にアレクサンダーは、好きな女の子をとられたと言って上級生に絡まれ、返り討ちにしたという逸話まである。

 二人が有名な理由にはもう一つある。ランドルフはともかくとして、アレクサンダーの姓はガードナー。王都セレスタイトでは聞けばピンとくるほどには名の知れ渡った、当主代々騎士の由緒正しき騎士の家である。そのガードナー家の長男……つまり跡継ぎになるべき男なのだ。彼はランドルフが二年生のときに転入してきた。"上流階級のための"騎士学校を転校してまで、だ。理由には様々囁かれているが、実の理由は本人は語ろうとはしない(本人から語ろうとはしないだけで、聞いてきたランドルフには答えている。生徒達がアレクサンダーの逆鱗に触れるのを恐れて聞かないだけ。しかし聞いても彼は怒りもしない)。


――――


 騎士学校に併設された稽古場に向かうランドルフとアレクサンダーの隣を駆けていく女子生徒。たなびくプリーツスカート、剣術を操るには向かない細い四肢、揺れる桃色のショートヘア。ふわり、と風に乗って石鹸の匂いが鼻をくすぐる。騎士……守る側というよりは、むしろ守られる側に分類されるのではないかと思われる程に、プリムローズ・ボールドウィンは可憐だった。

 プリムローズはあれで、実は年齢的にはランドルフとアレクサンダーの一つ上の先輩である。しかし去年体調を崩し騎士学校を休んでいたため留年したらしく、今は同学年である。留年したと言っても、この騎士学校の女子は圧倒的に少ないし、プリムローズは明るい人柄で好かれるため、すぐにこの学年に馴染んでいた。ランドルフとアレクサンダーも、彼女を知ったのは去年だが、しっかり話したのは今年のことで、留年を全く気にさせない明るさに驚かされた。

 何をそんなに急いでいるのか、ランドルフがプリムローズを目で追っていくと、その先にはもう二人女子生徒がいた。女子生徒は少ないらこそ皆仲がよい。彼女は二人の女子生徒に呼ばれ、合流するべく駆けて行ったようだった。

「今の、ボールドウィンか」

「え、あぁ、そうだな」

 ぼんやりと遠くを見るアレクサンダーと空返事のランドルフ。ランドルフの鼻には風に乗って流れてきたプリムローズの石鹸の匂いが、アレクサンダーの目にはしなやかなプリムローズの太腿が残っている。しばらくその残り香に浸っていたらしい二人は、はっと我に返りお互いの顔を見合わせる。丸く見開いた目が交わる。

「アレク」

「ランドルフ」

 互いの名を呼ぶ声が重なる。

「まさか、お前」

 確信のある推測の声が重なる。

「ボールドウィンのこと……!」


――――


 稽古場には、木刀と木刀のせめぎあいが響いている。木刀が木刀にぶつかり、声を上げる度に、人間の声も上がる。

 なんと言ったって、五年生の成績上位者ツートップが木刀で模擬試合をしているのだ。技を盗み、学ぶべきことも多くある。絶好の注目の的になるのも必然である。ランドルフは通常の木刀を振っているが、アレクサンダーはやや長めの木刀を振っている。しかし、絶好の注目の的たちの

会話は、決して見習うべきものではなかった。

「おい、白状しろよアレク。お前ボールドウィンのこと好きなんだろ」

「うるせぇ黙って真面目にやりやがれ。お前の対女子用の唯一の武器のそのカオ打つぞ」

「唯一じゃないし俺性格もいいし! 否定しないってことは好きなんだな!」

「そういうお前も好きなんだろ」

「別にィ~?」

「好きなんだな」

「どうだろうな」

「バレバレだっての。演技下手なんだよハゲ」

「ハゲてない!」

「お前のその生え際は将来絶対ハゲるぜ。俺の髪に誓っていい」

「んだとこの剛毛っ……!」

「そこまで!」

 審判をしていた剣術指導教諭が張りのある声で試合終了を告げた。時間はまだ経っていないはずだし、勝負もついていない。ランドルフとアレクサンダーが不思議な顔で教師を見ると、彼は歩み寄ってきた。壮年の明るい男である。

「ワーナー」

 はい、とランドルフが返事をする。

「ガードナー」

 うい、とアレクサンダーが返事をする。

「歯ァ食いしばれ」

 その言葉を最後に、教師の木刀が唸る。まずはアレクサンダーの後頭部を、次にランドルフの尻を打った。アレクサンダーは後頭部を押さえ、低く呻きながらしゃがんだ。ランドルフに至っては木刀を落とし、悲鳴と共に崩れ落ち、尻を押さえて悶絶している。騎士学校生はまず見られない、ツートップのレアで無様な姿と言っていい。見学していた生徒の半数は笑い、半数は口を開けてぽかんとしていた。

「他の生徒の手本になればいいと思ってわざわざお前らを指名して模擬試合させたのに、このザマは何だ!」

「センセイ、ケツ痛いッス……! これ、逆じゃないですか? みんなアレクの無様な姿の方が見たいですよ……!」

「ワーナーの頭は優秀だからな。ケツにしてやった」

「オレの頭はランドルフのケツ以下かよ畜生……! 認めねぇぞ……」

「ハハハ! アレクざまぁ!」

「黙れよケツウッドブレード喰らったくせに……! 痔にしてやろうか」

「やれるもんならやってみろバーカ! 俺のケツ強いかんな!」

 床に這い蹲って喚いているランドルフは、アレクサンダーの次に教師を見やる。

「先生、もう一度チャンスとかもらえますか?」

「痔はやめてやってくれ。可哀想だから」

 ランドルフと教師が同時にアレクサンダーを見る。

「いや、それ本気(マジ)じゃないんで……」

 アレクサンダーは困惑気味に返した。ランドルフは何を思いついたのか。どうせろくでもないことだろう。アレクサンダーには何となく予想がついていた。

「模擬試合もう一戦、ってことか。いいだろう」

「うし。ありがとうございます」

 アレクサンダーはランドルフが落とした木刀をランドルフの元に投げると、自身の木刀を構えた。おおかた、自分が大恥かいたぶんアレクサンダーにも無様な格好をさせたいとか、そんな理由だろう。

「じゃあ、負けた方が告白するってことで」

 ランドルフはゆらりと立ち上がり、意地の悪い笑みを浮かべた。アレクサンダーも、極めて類似した、意地の悪い笑みを浮かべる。

「その勝負、受けて立つ」


――――


 斜陽が窓から差し込み、騎士学校の廊下を橙色に染め上げている。ランドルフとアレクアンダー、そしてもう一人の班員の男子であるトヨワカが男子トイレの掃除を終えた頃だった。トヨワカとは玄関……一階に降りるトヨワカとは既に別れた。ランドルフとアレクサンダーがこうして五年生の教室がある二階に来ているのには、訳がある。

「じゃあ行ってこいよ」

「アレク先に行ってこいよ」

「約束を破る者は騎士じゃない。負けた方が告白っつって、負けちまったのは誰かなー」

 ランドルフがうつむいて黙り込んだ。アレクサンダーは面白そうに頬を綻ばせている。

 午後の授業の模擬試合。負けた方が告白するという条件でもう一戦した結果、勝ったのはアレクサンダー。負けたのはランドルフだった。プリムローズ・ボールドウィンに告白するのはランドルフになったのである。

 プリムローズは文化祭委員で、今日は遅くまで残ってクラス企画の演劇アンケートの統計を取っている。容易に二人きりになれて、且つ他の目がない、こんな絶好のチャンスは二度とないのだ。

 ランドルフが教室に向かって歩みを始める。同時にアレクサンダーは逆方向、階段に向かって歩き出す。アレクサンダーに盗み聞きの趣味はない。

 教室前方の戸は閉められていたが、後方の戸は開け放たれていた。開け放たれた戸の前に立つと、自分の席に着いているプリムローズの背中が見える。肉付きはいいと思っていたが、こうして見るとその背中は細い。ランドルフは意を決して、教室に足を踏み入れる。

「まだ、やってたんだ」

 自然に、そう至って自然に、忘れ物を取りに来たかのように。高鳴る鼓動と上擦りそうな声を誤魔化しながら、ランドルフはプリムローズに話しかけた。桃色の髪を揺らしながら、プリムローズがふわりと振り返る。

「ワーナー」意外な訪問者に、プリムローズの目が丸くなっている。「そっちこそ、どうしたの? トイレ掃除終わったんでしょ?」

「通りかかったらボールドウィンがいたから」

「それだけ?」

「それだけ」

 プリムローズの不審がる目も気にせず、ランドルフは彼女に歩み寄る。その机上には大量の紙が広がっている。文化祭のクラス演劇アンケート用紙であろう。横まで近づいて分かったが、机の右側には、クラスの何人かの名前と、票数だろうか、数字が書かれている紙があった。

「集計してたのか」

「うん。主役はだいたい決まってるわね」

「フロワ姫はプリムローズだろ?」

「からかわないでよ……」

 頬を赤らめるプリムローズ。否定をしないのだから、肯定。姫役はプリムローズになったのだろう。かわいい、なんて思いながら、ランドルフは笑んだ。

「楽しみだな?」

「なんでよ」

「きれいなドレスとか着るんだろ」

「……言っとくけど、ワーナーは騎士ダリルワルドじゃないわよ。悪の皇帝だから」

「そういう意味で言ったんじゃない!」

 本当は図星ではあるのだが、さすがに認められるほどランドルフは恥を捨てられる男ではなかった。とりあえず否定してから、配役に落ち込む。

「ていうか悪の皇帝かよ……俺がかよ……よりによって……」

「きれいにワーナーに票が集まってるわよ。すごい悪のカリスマね」

「嬉しくない……。で、騎士ダリルワルドは?」

「え?」

「騎士役は?」

 自分が悪の皇帝と確定した今、ランドルフが気になるのは騎士ダリルワルド役である。憧れ続けた登場人物、惜しくも彼を演じられなかったランドルフの代わりに、騎士を演じるのは一体誰なのか。ランドルフは首を傾げる。

 と、プリムローズが俯いた。髪の間から見える顔は、心なしか赤い。

 そういえば、演劇のアンケートをする前の休み時間、クラスメイト達が教室の隅に集まって何やら話し合っていたようだった。そして、ランドルフとアレクサンダーはその場にいなかった。

 これはもしかしたら、謀られたのではないか。これはもしかしたら、ある意味最高で、ある意味最悪な配役なんじゃないか。違う、と。違うと言ってくれ、と。俺が黒マントでアイツが白タイツ、ではないと。そう言ってくれと、ランドルフは願った。

「…………………………ガードナー……」

 つぶやくように、小さくとがらせた口から、小声で紡がれた名前。ランドルフは、ああやっぱり、謀られた、と諦められもした。

 クラスメイト達はおそらく、初めはランドルフを騎士役にしてくれようとしたのだろう。しかし誰かが、アレクサンダーに恥をかかせようとして、アレクサンダーを騎士役に提案した。アレクサンダーは素行は悪いくせに、文武両道で意外とフェミニストだから、彼に妬いている男子以外にも、礼儀正しく正装した彼を見たいと思った女子からも票が集まったんじゃないか。

 つまり、ランドルフは負けたのだ。何ともいえない微妙な悔しさがランドルフの胸に湧いてくる。

「あ、あのさ、ボールドウィン」

「な、なによ、改まって」

 プリムローズが驚いたように俯いていた顔を上げた。濃い桃色のつぶらな目が疑り深くランドルフを見上げている。その顔は赤い。ランドルフの中で、最も確信したくなかったことを確信してしまった。

(すまんアレク。俺はきっと約束を破る)

 しかしこれは言わなければいけない。

(騎士道は逸れても、漢の道はそれちゃあいけねえッ!)

 ランドルフの人差し指が、プリムローズの赤い顔を指した。

「おまえ、アレクのこと好きだろ!」

 見る見るうちに顔を俯けていくプリムローズ。ランドルフは喜びと悔しさと悲しさで自分の気持ちもよく分からなくなった。アレクサンダーとプリムローズが両想いであることは友人として喜ばしいが、いつだってアレクサンダーに負ける悔しさ、プリムローズの目が自分に向くことは絶対にない悲しさもあった。プリムローズの顔が俯くにつれて、ランドルフは目頭が熱くなった。泣かない。泣かないぞ。せめてボールドウィンがいなくなるまでは、泣かないぞ。その一心でランドルフは食いしばる。

「さ、さっさと告白した方がいいぜ! アイツ、あれで結構モテるし、劇で好きになったとか思われたらイヤだろ? さっきそこにいたから、まだいるかもしれない。今なら誰もいないって! 二人きりってマジ、絶好のチャンスだし! ほら、さっさと行けって!」

「え、で、でも……まだまとめが……」

「俺がやっとくから! さっさとしないと帰っちまうって! ハイ! 行った行った!」

「ちょ、わ、分かったから! 行くわよ、行けばいいんでしょ……。当たって砕けてくるわよ、バカ」

 戸惑うプリムローズを教室から追い出した後、ランドルフはしばらく立ち尽くした。

(ああ、さよなら俺の初恋)


――――


 斜陽に照らされた踊り場に、彼女は来た。アレクサンダーはその姿を捉えると、一瞬目を見張り、やがて悟ったのか、ため息をついた。コートのポケットに乱暴に手を突っ込み、階段を一段ずつ上がっていく。まるで彼女のことなど見えていないかのように。

「が、ガードナー……」

 プリムローズがファミリーネームを呼ぶと、アレクサンダーは階段の中腹で立ち止まった。プリムローズはアレクサンダーを見上げる。斜陽がアレクサンダーを後ろから照らして、眩しくてプリムローズはすぐに顔を逸らした。

「あの、」

「ランドルフを知らねえか?」

 喋り出そうとしたプリムローズを遮って、アレクサンダーはわざとらしく聞いた。大声で、棒読みで、あまりにも下手な演技で。アレクサンダーは振り返らない。プリムローズを見ない。

 教室で何があったか、アレクサンダーには分からない。ただ一つはっきりと分かっていることは、ランドルフはプリムローズに想いを伝えていない、ということだけだ。

「おまえに伝えたいことがあるってんで、来たはずなんだが、会ったか?」

 プリムローズの目が見開かれる。アレクサンダーの言葉の真意に、ランドルフの焦りの正体に、気付いたのだ。

「会った、けど……」

 鈍感すぎる自分に、プリムローズは罪悪感さえした。ランドルフの焦るようなあの笑顔を思い出して、目を泳がせる。

「掃除のあとそのまま帰らず、わざわざ教室に寄ったランドルフの気持ちをおまえが汲んでれば、ここにはいねえもんなぁ」はは、と乾いた笑い声をこぼすアレクサンダー。プリムローズを振り返って、少し悲しげに笑った。ランドルフがどんな気持ちでプリムローズを送り出したか、想像したら、顔を歪めずにはいられなかった。それでも笑って見せた。プリムローズは俯いていて、アレクサンダーの顔を見なかったが。「おまえが責任感じることじゃねえって。アホなのはランドルフだから」

 アレクサンダーは再び階段を上り始めた。

 好きな女から告白されていたかもしれないというのに、友の厚意を無下げにして、なんと愚かなのだろうか。窓から差し込む斜陽が眩しかった。しかし、今の気持ちには、ちょうどよい気もした。自分からフったなんて言えなくて、アレクサンダーは思わず廊下で立ち尽くした。

(ああ、さよならオレの初恋)


――――


「な、アレク……? 何で、ここに……! ボールドウィンは……」

「ボールドウィンを仕向けたのは、やっぱりお前か」

 教室の入り口に立っているアレクサンダーに気付き、涙を湛えた目を見開くランドルフ。アレクサンダーは教室に入ってくると、ランドルフの後ろの席の机上に座った。

「何言ってんだ……? ボールドウィンはアレクが好きっていうから、だから俺、告白してこいって……」

「ランドルフは告白してねぇんだろ?」

「そりゃまぁ……あんだけあからさまな反応されりゃあ誰だって……」

「そうだ。お前が告白しなかったから、オレも告白しなかった。ボールドウィンにもそれらしきことは言わせなかった」

「な、何で! ふざけるなよ! せっかく人が勇気振り絞って、泣く泣くボールドウィンの背中を押したのにっ……! 俺の優しさを、ないがしろにしやがって……!」

「それでお前に号泣されてちゃあ、お前の方が心配になってボールドウィンと本気で付き合えねえだろ」

 鼻水を啜り、目に涙をいっぱいに湛えるランドルフの顔は、はっきり言ってひどいものである。アレクサンダーはそれから顔を逸らした。その理由は、汚いものを見たくないから、というよりは、照れくさいから、という色が強い。アレクサンダーの言葉に、堰をきったように、ついにランドルフの涙が溢れ出した。

「ばっ……! お前、男だろうが! 泣くにも限度があるだろ!」

「だってアレクがバカだからああぁ! 俺の優しさを台無しにしやがって! うああああ!」

「人の服で泣くんじゃねえよ! ハンカチ持ってねえのか!」

「うるせえよバーカ! 持ってるけど出すのが面倒なだけだよバーカ! ちくしょうバーカ!」

「バカバカうるせえんだよ! おい、鼻水汚えんだよ……鼻水はせめて、ティッシュで拭きやがれ! おい! ランドルフ!」


 翌日、いつもと違う、やや小さめのサイズのコートを着て、アレクサンダーが登校した。その理由は、当人とその母親と、ランドルフしか知らない。知る由もない。



 騎士学校を卒業して後、天晴騎士団に入ったランドルフは、一隊を預かる隊長にまで上り詰めます。しかし腐敗しきった王族や官僚の実態に、彼は王権の転覆を企てるのでした。手始めに騎士団を乗っ取って自らの戦力としようとしたお話が仮面の下の毒薬です。あそこまで黒くなります。

 一階に降りたトヨワカがあのトヨワカです。


 この後とんでもない悲劇がワーナー班を襲い、文化祭は中止になりランドルフは表面は明るいままに、心に陰を抱えて生きていくことになります。

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