滅却される希望
「いつまで寝てんのよ」
母の胎内よろしくの安穏とした夢の世界から冬月を覚ましてくれたのは、少女の容赦ない蹴りだった。
げしげしといつまでも蹴られるので、イヤイヤながらもぼんやりとした頭で冬月が立ち上がると
突然水攻めにあった。正確にいうと少女が桶の水を冬月の顔めがけてぶちまけたのだ。
水も滴るいい男・・・どころではない。ただ、目覚まし時計よりも効果はあった。
「付いてきて」
お願いというよりも強制であり、そもそも冬月に拒否権などあるわけもなく、またしても少女のあとについて洞窟探索に出かけることとなった。調理場に連れて行かれないことを祈りながら・・・。
時折、灰色の毛並みのハイエナのような屍食鬼とすれ違う。
少女には「おはよう」というように親しげに身体を擦り付け、冬月には歯をむき出しして
中には唸り声をあげるグールさえいた。やっぱり俺は敵視されているのだろうか?そんな
不安と恐怖に苛まれながら、冬月は胃の中にずっしりとした鉛を抱えたまま歩き続けた。
やがて洞窟の行き止まりまでたどり着き、錆びつき、もはや意味を成していない扉を押し開けて
少女は闇の中に歩を進めた。しばらくしてぱちっという軽い音とともに裸電球のぼんやりとした
明かりがその部屋を照らした。
心臓が止まる。部屋の中に人が大量に吊るされてる!
明かりに目が慣れるとそれが服だと分かった。もちろん中身は空。
まだ、心臓はどんどんと肋骨を叩いているが、それを無視して冬月も中に入った。
「いつまでもその格好じゃ動きにくいでしょ。着替えな」
差し出されたのは軍服。しかもこれって旧日本軍の。
確かにジーパンよりかは動きやすいだろうけど・・・けど!
軍服に一瞥し、冬月は少女の挑むような視線を正面から受け止める。
「俺は一体どうなるんだ?」
つかみかかり、揺さぶってでも答えを聞き出すつもりだった。
少女は軍服を持った手をすっと下げ、怒りとはまた別の挑発的な目つきで冬月をにらんだ。
息苦しい時間が続き、折れたのは少女だった。
盛大なため息をつくと軍服を放り、どかっと腰をおろした。話が長くなるということか?
冬月もすっと腰を降ろした。
「・・・今すぐに殺されることはない。
アルフ殿があんたの身の保証をしてるから」
「アルフ・・・殿?」
少女は「ああ」とつぶやくと、大儀そうにまたため息をついた。
「あんたと闘ったグールがアルフ殿。
ちなみにこの群れのボスがアダム様・・・額に十字型の模様のある方よ。
くれぐれも失礼のないように」
「失礼なんかできるわけない」
独り言のつもりで言ったが少女の耳に届いたらしい。
それもそうね、と可笑しそうに笑う。冬月にすれば笑い事ではないのでむすっとしていたが
もし、その笑顔で無心で見ていたらかわいいと思ったかもしれない。
「安心して。アダム様とアルフ殿の目が黒いうちは誰もあなたに手出しはできないから。
それと・・・敵は逃がすか、殺すか。どっちかよ。」
さらっと言い放たれた言葉は冬月の耳に入り、希望へと形を変えた。
殺されなかった敵は、逃がされる、つまり助かるんだ。
顔に出したつもりはなかったが、少女が眉をひそめたのを見て冬月は表情を引き締め咳払いをした。
だが、少女の顔にみるみる暗雲がかかっていくのにつれて不安がまた首をもたげはじめた。
「なに?」
沈黙に耐えかねてついに冬月は口を開いた。
「わたしのミスよ。
あなたを殺すな、と言ったのはわたし。でも、わたしたちに敵を捕虜にする習慣はないの。
だから、どうしていいか分からなくて仕方なくあなたをここに連れて来たんだけど・・・」
「見ちゃいけないものを・・・知っちゃいけないことを俺は知ったわけ、か」
どこにグールの隠れ家があるかを陸自に報告すれば、
例え、具体的な場所が分からなくても、冬月を生きて帰せばいつかはここの存在がばれる。
グールにとっては致命的な欠点をさらしてしまったことになる。
少女は大きく息を吸い込むとさらに話を続けた。
「この場所を知った以上、あなたを帰すわけにはいかない」