窮鼠の意地
足元の砂をすくいあげる。勢い余って岩でこすった手の指から血が飛んだが無視する。
冬月はその砂を右目の無いグールに投げつけた。
さっとかわされ、右目の無いグールが歯をむき出し毛を針金のように逆立てて唸り声をあげる。
入口にはその声を聞きつけたのか、複数のグールが集まってきた。しかし、右目の無いグールの一声で
それ以上は立ち入ってこない。
額に灰色の十字の模様のあるグールは片目を開き、突如はじまった生き残りをかけた余興に目を向けた。
少女はナイフを抜いただけで十字のグールのそばを離れようとしない。
事実上の1対1。それがグールしきたりなのか、右目の無いグールの意地なのかは分からないが
冬月にはありがたいことだった。
こつんと足元に何かが当たった。目を向けると抜き身のナイフ。少女の武器だ。
余計なことは考えずそれを拾い上げ、両手で構える。
牽制などする余裕も無い。冬月はその場から一切動かない・・・動けないのだ。
対するグールも怒り心頭といった様子だが、ゆったりと歩みだされる足取りは
獲物を狩るハンターの微塵の油断の無いそれだった。
冬月の手に握られるナイフよりもするどい牙が2本のぞき、
そのぎらりと光る各3本の爪の前ではダイヤも紙も大差ないようにさえ思えてくる。
動いたのは冬月だった。
右目の無いグールがすっと足をあげた刹那、わぁあぁあああーー!と叫びをあげ突進する。
まさか向かってくると思っていなかったらしく、完全に冬月がふいをついた形となったが
グールはさっと横に体重を逃がすと渾身のつきを受け流す。
冬月の横目とそれを正面から受ける右目の無いグールの視線が交差する。
冬月にはグールがぐっと足をばねのように曲げ、飛び掛ってくるのが一連の動きとなって見えた。
ナイフを横に滑らすが、その前肩をどが、と突き飛ばされた。
仰向けになり、それでも握り締めていたナイフも右目の無いグールの前足が手首にずん、と乗せられると、思わず、縄でこすれたときの傷の痛みで放してしまった。
だらっと舌をだし、は、は、と息を吐きながら右目の無いグールが冬月の目をのぞきこむ。
単に品定めをしているだけかもしれない。
うぉーー!と突如右目の無いグールが叫び声をあげた。
恐怖が不安とともにせりあがってくる。胸に乗せられた前足からのぞく爪を見て涙がこぼれる。
歯軋りの音が自分の口から聞こえていることに気づいたのはそのときだった。
何が悔しいのだろう?助かるとでも?勝てるとでも思ってたのか?
武装した陸自隊員でも殺すような化けもの相手にナイフ一本で!?
「《その意気や良し》」
少女の風のような声が聞こえてきたのは突然だった。
冬月が顔だけを向けると地面に転がるナイフを鞘にしまいながら、なぜかくやしそうに
唇をかみ締めていた。まるで自分が負けたとでもいわんばかりだ。
「アルフ殿が言ったのよ、わたしは通訳」
何か悪い?と言いたげに少女は挑むような視線を冬月に向けた。
右目の無いグールはひょいと冬月の上から飛び降りると何事かを少女に吠えると
十字のグールにぺこっと頭を下げて部屋から出て行った。
「《わが武器総計8。そなたは1。勝てぬは道理》・・・だそうよ」
仰向けのまま、状況が読めずにぽかんとするしか冬月にはできなかった。
少女は十字のグールのそばに寄り、何か話を聞いている。
話が進むにつれ少女は眉にしわをよせ、不満げな様子は隠しようもないほど露骨になる。
それでも最後に「分かりました」と言って頭を下げたときの口調は丁寧だった。
十字のグールが涙と鼻水と困惑でぱんぱんになった冬月を悠然と見、
そして歯をむき出した。冬月の背中には冷たい汗が走ったが、それがグールなりの笑顔なのだと気づいき、ますます困惑させられることとなった。
今殺すのではなく、肥やした後でおいしくいただこうって魂胆か?
「いつまでそうしてるつもり?それと、みっともないから顔ふきなさいよ」
返事を返す気にもなれず、は?と言い返す。
少女はきっと冬月をにらみ、はぁ!?とさらに強い口調で吐き捨てる。このまま横になってたら
蹴り殺される恐れが出てきたので袖で顔をくしゃくしゃにぬぐいながら立ち上がる。
少女は右目の無いグールと同じように十字のグールに頭を下げてさっさと部屋をあとにした。
冬月もそれにならって頭を下げる。
十字のグールは人の言葉がしゃべれたら「頑張れよ」とでも言っただろう。
ふさふさの尻尾をぴくんと一瞬立て、寝る体勢に入ってしまった。
少女のあとに付いてくねくねと蛇の通り道のような道をずんずん進む。
とんでもなく暗い上、少女は容赦なく進むせいで冬月は壁にぶつかるやら転んだやらで傷だらけになった。
「アルフ殿もアルフ殿だけど、アダム様もアダム様よ」
少女はぶつぶつと独り言をつぶやきながら地面をたたきつけるように足を進める。
今になってやっと自分は助かったのだろうか?と思い始めた冬月は背後からぞろぞろと飴色の目を
ぎらぎらさせながらついて来るグールの群れをなるべく見ないようにしながら、前を行く少女と距離が
出ないように必死だった。遅れたら食い殺されそうな気がしたのだ。
「アルフって、だれ?」
何か話さないと気がおかしくなりそうだった。
少女は足を止めることもなく、相変わらず怒りをまわりに放出しながら進む。
無視を決め込んでいるらしく、間違いなく聞こえているのに返事はない。
その時、背後から突然吠え声が高々とあがった。
次々と大合唱のように続く。
グールの群れははしゃぎながら少女のまわりをぐるぐる回り、冬月のまわりを回り、
生まれたての子羊のように跳ね回った。その間も吠え声は止まない。
「なんて?」
おそるおそる少女に尋ねる。少女との距離をぐっと近づけたのは単に恐怖を感じたから。
少女はそんな冬月を下心でもあると感じたのか、眉をひそめ、たたっと距離を開けた。
「《馬と鹿の勇者、馬と鹿の勇者》・・・」
「・・・」
「馬鹿って言われてんのよ!」
きっと、指が切れそうな鋭い視線を冬月とグールに向け怒鳴る。
グールの群れはわっと逃げ出した。近所のカミナリ親父に怒られた悪がき集団のようだった。
「これだから若いやつらは」と自分も”若いやつら”の範疇であることを棚にあげて
ぶつぶつと文句を言っていた少女はふいに姿を消した。
慌ててあたりを見回すと、どうやら洞窟の中の一室に入っただけらしい。
死闘を繰り広げた部屋と比べてもずいぶん小さい。狭い、ほこりっぽい・・・と
イイとこなしの場所だ。どの部屋にも共通らしいが扉のようなものはない。
グールにプライバシーという言葉は存在しないのかもしれない。
「じゃ」
短くそれだけ言うと、お役目ごめんとばかりに少女は暗闇の中に消えていった。
冬月はしばらく立ちすくしていたが、もう脳も身体も限界。
部屋の隅に無造作に置かれた毛布を枕にして目を閉じ、朝になったらあの世でした、
とならないことを祈りながら目を閉じた。